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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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九話・風呂

 


 門衛を、ずたずたに引き裂いて殺した。

 念入りに死体を燃やして立ち去る。

 かなり徹底的にやって、その上魂まで喰らったからまず生きてはいないはずだった。


 アッシュは、『魔人化』の反動かかすかな目眩を感じていた。

 しかしこらえて地図を開く。

 門衛はすなわち支門を守る魔獣なので、このそばに支門があるのは必然だった。

 だから地図を確認し、現在地が『狼の巣』と書かれた場所であることを記憶して調査を再開する。


 ここを中心に捜索を行えばそう手間をかけずに支門は壊せるはずだ。

 それどころか、上手く行けば今日にでも見つけられてもおかしくはないと考えていた。


 ……だがそんな考えとは裏腹に、その日は支門が見つかることはなかった。

 日が傾き始めたのに気がついたアッシュは、報告のために一度帰還することにする。



 ―――



 昼が終わり夕にさしかかる頃、アッシュはロデーヌに帰り着く。

 七日もすれば噂は広がるもので、道を通ればいつも人々は怯えた視線を向けてくる。

 しかし今日はそれを差し引いても、少し人々に活気があるような気がした。

 気のせいだろうか。


 しばらく歩いて、丁度広間の前に来たところで少し耳を澄ましてみる。

 すると前方の人だかりから様々な声が聞こえてくる。


「これ運んでくれ。おいグズグズするなよ」

「祭壇の供え物の段取り付けとかなきゃな。パン屋のギルドに話をつけておこう」

「お前聖人劇で役を貰ったらしいな」

「木だけど?」


 聞いた内容からして、街のにぎわいはどうやら気のせいではないらしいと結論づけた。

 きっと近々祭りがあるのだろう。

 そして春のこの時期の祭りといえば『雷鳴の勇者』ロウエンの賛美節だろうか。


 賛美節とは、全ての魔王を見事に討ち果たした勇者を後世の人々が称える祭りである。


 時期としてはその勇者の誕生日やらの縁のあるものであったり収穫祭を兼ねていたりと基準は曖昧だった。

 しかし、どの賛美節でも勇者の伝説の劇が上演され、吟遊詩人が歌い、人々はパレードで街を練り歩き夜が更けても大いに楽しむことは変わらない。


 戦役中には戦況によっては行わない街も多いとは聞くが、司教領だけあって熱心なのかもしれない。

 この状況でも開催するようだ。


 仕事終わりの時間、いつもは帰路につく時を利用して、人々は忙しく広間を飾り立てている。

 アッシュはそれを邪魔するのが申し訳なかったから、広間を通るのをやめて路地裏に足を踏み入れた。


 それにしても、賛美節とは。


 薄暗い道を歩きながら自嘲する。

 勇者を褒め称える賛美節も、その逆に敗れた勇者を弔う鎮魂節も……きっとアッシュには、骸の勇者にはなんの関係もないものだ。


 場違いな場所に紛れ込んだような気がして、なんだか少しおかしな気分だった。



 ―――



 宿舎に帰り着いて、まず訪れたのは浴場だった。


 その士官用に作られた浴場は、小ぶりだが造りのいい石造りだった。

 そして最奥に広い浴槽が一つ。

 さらに入り口と浴槽の間には湯があふれる大きな水盆が三つある。

 知る限りでは桶を持ってその周りに腰掛けて、体を洗うような仕組みになっているはずだった。


 浴場にはアッシュの他にすでに四人ほど人がいて、ちらちらと注目を集めているのが分かった。

 そしてアッシュが、水盆の前に腰掛けるとびくりと身じろぎの気配がする。

 気を遣って、誰もいない場所に落ち着いたはずだが。


「…………」


 こういう場合下手に気を遣うよりもさっさと用事を済ませて出て行った方が相手のためになる。

 経験上分かっていたので、少しばかり濁った水を頭からかぶり石鹸で髪をごしごしとこすり始める。


 毛の一本一本にまで返り血がこびりついていて、それを取るのには難儀した。

 だがなんとか終えて洗い流す。

 と、そこで四人はどこかにいなくなっていたことに気がつく。


 これも慣れたことなので気にせず、次は体を洗おうと手桶を置いた時、浴場の外から声が聞こえてきた。


「アッシュさーん、入ってもいいですか?」



 それを聞いて馬鹿らしくなったアッシュが無視すると、浴場のドアが開いてくつくつと笑い声をさせながら誰かが慎重な足取りで歩いてきた。


「騙された?」

「馬鹿」


 誰のとは言わないが口調を多少真似たらしいものの、声変わりした男の声に騙されるわけもないのだ。

 声の主――グレンデルの下らない子供のようないたずら以下の行為に流石に閉口する。


 くすりくすりと笑うのに反応しないようにして、アッシュは手ぬぐいで体をごしごしとこする。

 そしてすぐ隣でグレンデルも頭を洗い始めた。


「俺はさっきまで訓練だったんだが、アッシュが風呂に入ったって聞いて急いで来たんだよ」

「聞いたって、誰に?」

「みんなだよ」


 その答えにアッシュは少し呆れる。

 薄気味悪がる程度なら当然だが、こうまで敏感になられてはどうすればいいのか分からない。

 こうしたことも多いので人里での任務は苦手だった。


「なんか、ごめんな」


 ため息をついたアッシュを気遣うようにグレンデルが言う。


「慣れてるから。気にしてない」

「う〜ん、慣れてるかぁ……」


 微妙な顔をするグレンデルに、体を洗いつつ視線を向ける。

 申し訳なさそうにされるのも居心地が悪いので他の話を切り出した。


「そう言えば君は父親と仲がいいんだな。破戒騎士なのに」

「ああ……」


 グレンデルが破戒騎士と呼ばれるようになった事の顛末はこうだ。


 かつてグレンデルは、教会が主催した名誉ある闘技大会で優勝を果たした。

 そして卓越騎士の称号と共に、二振りの単杖と『神器の勇者』が遺したという聖遺物の一つ、『風の靴』を与えられた。


 ここまでならば単なる英雄譚だが、こともあろうか彼は杖と聖遺物を自分のためだけに改造したのだ。

 杖ならばともかく聖遺物は……与えられたとは言っても、死後は教会に返還されるのがならわしだ。

 そのようなものを勝手に改造したということで、教皇の怒りを買った。

 なのでグレンデルは、王都の近衛兵団の幹部だった父共々にロデーヌへと飛ばされた。

 破戒騎士の悪名と共に。


「まぁ、怒られはしたけどさ。親父は俺のことを許してくれたよ」

「あれだけ信心深いのに?」


 勇者の聖遺物とは、それだけで崇拝の対象となることもあるものなのだ。

 敬虔な信徒ならばそれを冒涜されれば怒り狂ってもおかしくはない。

 その上、都での立場まで失ったのだ。


「そりゃ、親子だしな……」


 グレンデルは頭を洗う手を止めて頬をかいて、少しだけ困ったような顔になる。

 それを見て、アッシュは妙なことを聞いてしまったと反省した。

 そもそも親子の間の機微など、孤児院で育ったアッシュに分かるはずもない。


「おかしなことを言ってすまない」

「まぁ、不思議なのは分かるぞ。俺は神様を大して敬ってないからな。小言も言われるし」


 にこりと笑って、またごしごしとやりだすグレンデルを尻目に、身体をすすいで浴槽に向かう。

 そして、汚れによって少し濁ったぬるま湯の中に身を沈めた。


「なあ、アッシュ」

「なんだ?」

「なにも、言わないんだな」


 不思議そうな声を背に聞きながら、浴槽の中で姿勢を変えた。

 水位が浅いので半身浴にも苦労する。


「別に珍しいことでもない」


 沈黙の後、遅れてきたグレンデルは浴槽の縁に座って左足の義足を外し(・・・・・・・・)アッシュの隣にどっかりと腰掛ける。

 それからふー、と弛緩しかんした声を漏らす彼の……左足の膝から下は完全に失われていた。


「治療はしないのか?」


 アッシュも手足を使い潰したことはある。

 だが何度でも魔術により復元してもらってきた。

 だからそう聞くと、グレンデルは悲しげに笑う。


「駄目だよ。俺は教会に睨まれてる。四肢を再生させるような魔術師を派遣してもらえるわけがない」


 治癒魔法は特に聖典魔術で研究が進んでいる。

 そして聖典魔術は教会のわざであり、欠損を元通りにするような使い手は普通の国なら三人いればいい方だ。

 でも大国である聖教国にはその倍以上はいるはずだが……破戒騎士たるグレンデルには、治癒の恩恵を受けることなどできないのだという話だった。


「……司教に頼んでもか?」


 ここにアッシュが呼ばれたのも司教の権力によるものが大きいはずだ。

 名ばかりとはいえ勇者を動かせる人間に、魔術師を呼べないとも思えなかった。


 しかしそう単純な話でもないらしい。


「あの人は俺を嫌ってる。ここに飛ばされてきたのだって、魔獣が多くて物騒だったからだ。最初から俺を使い潰す気だったんだよ」


 力なく口にしてグレンデルは湯の中で縮こまる。

 それは単に身体を浸そうとしているようにも見えたが、どこか弱ったような仕草にも見えた。


「でもアッシュが来てくれて本当に良かったよ。俺はこの街の人たちのために、今はもう何もできないし」


 黙り込んだアッシュに、はっとしたような顔でグレンデルが取り繕う。


「ごめん。別に俺の代わりになってとか、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。また戦えるように頑張ったりもしてるんだけど……上手くいかなくて。だからつい、な」

「分かってる」


 そう言うと、彼はいつも通りの笑顔を浮かべた。


「すまない。お詫びに今日は飯でも奢ろうか」

「別にいい」


 言いつつアッシュは腰を上げる。

 久々に湯に浸かってみたが、そう大していいとも思えなかった。

 井戸と大差ない。


「上がるのか?」

「ああ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 常なら断るところだが、急いで義足をつけ直している人間を置いて行くのは何故だか気が進まなかった。

 もしかするとどこか哀れむ気持ちがあったのかも知れなくて、そんな自分をわずかに嫌悪する。


「さぁ、行こうか」


 石張りの濡れた床によろめきながらも、グレンデルはそう言ってアッシュの後ろに続く。

 そんなグレンデルを見やりつつ、ささやかな思いつきで口を開いた。


「そうだ」

「なんだ?」


 不思議そうに見返すグレンデルに言葉を続ける。


「おそらくだが、今日門衛を倒した。支門も……上手く行けばすぐに見つかると思う」

「お、おお……」


 言い終わるか言い終わらないかの内にグレンデルの瞳が輝きだす。

 そして次の瞬間には感極まったのかアッシュに飛びつこうとして…………盛大に転んだ。



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