39. 決して英雄などではない
殿下の元で副官になるという表明をした後は、身元の整理に追われた。元々大してありもしない荷物をまとめるのは苦ではないが、こんな短期間とは言えどもお世話になったヨードルには真っ先に話を伝えに行きたいと殿下に頭を下げた。
にべもなく却下されることも覚悟の上だったが、案外彼女は首を即断で横に振ることもなく赦しをくれた。勿論僕とナインには監視の目として兵士が付くこととなったが、それでも一度脱走を企てた人間に自由が与えられたというのは破格の処遇だろう。
ヨードルの身柄は、砦の中から商工会の受付所からほど近い診療所へと移されていた。もう一週間近く前になるあの武装蜂起の場面で、彼は僕以上に痛手を負っている。なんたって両手が黒く焦がされるほどの雷が直撃し、普通ならば絶対安静のはずだというのにマオを打ち倒した直後に中央広場へと殺到した兵士たちの最前部には彼の姿があったほど。気を失う寸前に見た光景のためか、両手を包帯で巻きながらも長槍をかざして走り出すヨードルの姿は今でも目に焼き付いている。
「……ツカサちゃんには言ったわよね。彼らはアタシと同じ北部人。同郷の人間がやったことには、けじめをつけなきゃいけない」
しかしその代償は大きかった。応急処置すらも満足ではない状態で更に体を酷使した結果、彼はもう槍を握れなくなってしまった。手の先の感覚が消え失せて、槍どころか小さなペンを持つこともままならない。
診療所に訪れた僕を出迎えるために起き上がろうとした彼の巨体が崩れ落ちた瞬間、その異常に気が付いたのだ。ぎこちなく体を起こそうとする最中、ベッドのすそを掴もうとして力なく空振りする彼の手のひら。その後に、彼はぎこちなく苦笑いをしながら自身の状況を述べたのだ。
「こんくらいやすい物よ。だってまだ腕以外は元気で、生きてこうやって街並みを眺めていられるもの」
肘から先の自由が奪われたというのに、彼は穏やかにそう言い切った。敵将の持つ雷撃の強大さが、今になって目の前に突き出された気分だ。ヨードルの命こそ奪われなかったものの、もろに直撃した腕は筋肉を動かすこともままならない傷を残したのだから。
それとは裏腹に、僕は幸運にも目立った後遺症も無くこうやって自分の足で地面を踏みしめている。あの強力な雷撃が腕や足を掠め、戦いの終盤では膝から下が動かなくなるほどにダメージを受けたのにもかかわらずだ。それがただ後ろめたく、少しだけ俯く。
「そんな顔を浮かべないでちょうだい。自分のなすべきことをやって、その結果がこれってだけの話。むしろ荒事から身を置いたこの生活に、ようやく本当の意味で向き合えるかもしれない良い機会よ」
意味も無く謝ろうとした僕の言葉を封じるように、彼は窓の外の遠くを見ながら言う。この街の守護を取り仕切る将官のイーリスは、ヨードルのことを古い友であると同時に昔は名の知れた勇士であったとも言っていた。どれほどの修羅場を潜ってきたのかも分からない彼だけど、羽を休ませると言うその姿には確かな説得力があった。
「つい数日前に雇ってくださいと頭を下げてきた大人しそうな若い男の子と女の子が、今じゃ立派な始祖殺しなんてね。アンタたちのおかげで、あんなことがあったのにヴァローナはまた活気を取り戻している。感謝こそすれ決して恨みなんてないわ」
「……この街が、好きなんですね」
「当然、大好きよ。傭兵をやめた後もこの街に身を捧げてきた。それは槍を持てなくなったこれからも変わらないわ」
彼はそう即答した。北部人である彼が故郷ではなくヴァローナという街に人生を捧げるだけの理由は知る由もない。でも確かに彼にとってこの街は、たとえ体の自由を奪われようが護るだけの何かが存在するのだろう。
「……ツカサちゃんはこの街とは関係のない人のはず。だけどアンタは、命を顧みずにただ親子を助けるがために殺戮の中へ飛び込んだ。あの日、アタシはツカサちゃんのことを傭兵のようだと言ったけど、訂正するわ」
診療所の一室の中に流れる静かな空気に乗せるようにして、ヨードルは言葉を紡ぐ。思い出すのは、あの戦いの中で初めて明確に敵の兵に己の意志で刃を向けた瞬間だ。それが戦場の狂気に蝕まれた僕がとった凶行なのか、それとも失ったはずの過去の記憶に引きずられたが故なのかは未だに答えは出ない。
「アンタの在り方は、傭兵じゃなくて英雄よ。遥か昔、世を滅ぼそうとしていた悪魔たちから民衆を救うために戦った大英雄プリムス様と同じ……戦姫様がツカサちゃんを欲したのも、分かる気がする」
あんな曖昧な――根拠の分からない強迫染みた衝動に突き動かされたゆえの行動が、そのような言われ方をするのは、正直に言って本意ではない。彼の言う大英雄プリムスの話は、それが創作か事実かはさておき古文書に残る限りの最古に生きた紛れもない偉人の英雄譚だ。
世界を滅ぼさんとしていた強力な魔将やそれらを束ねる魔王との間で繰り広げた幾多もの戦いは、大英雄を崇める宗教によって長きにわたって言い伝えられ、今でもほとんどすべての市民が知っていると言っても過言じゃない。
そんな完全無欠な英雄と、僕のような自分の行動の理由すらも分からない半端者は、決して重なるものじゃない。それに英雄ならば、理不尽な暴力が人に降りかかるのを決して看過しない。だから武装蜂起で幾多もの人間が殺されるのを自分の命のために黙殺し、そしてクアルスの街でフィンがアリアスに殺されたことすらも防げなかった僕は、英雄という肩書に比したら役者不足に過ぎる。だから――
「――ツカサは、英雄じゃないよ」
僕は英雄じゃない、そう僕の口が発する前に隣からその言葉が響いた。感情を一切含まないとても平坦な声。そんな冷徹さすらも匂わせる言葉を発したのは、ずっと僕の後ろで話を聞いていたナインだった。
「英雄なんかじゃなくていい、ツカサは一人の人間だ。有象無象に英雄でいることを強いらせられる姿は……私がさせない。そんなツカサは見たくない」
彼女が言わんといていることの半分も理解は出来てはいないだろう。それでも、ナインもきっと僕と同じように英雄という呼び名がもつ重さを感じてくれたに違いない。だからこそ、彼女は明確な意思をもって英雄という言葉を否定してくれたのだ。
「……英雄であるというのは、きっととても大変なことよ。プリムス様も絶対に苦労をしたはず。でもあなたの成し遂げたことは他者からみてそう呼びたくなるものなの。多勢に無勢、それも敵将は無双の始祖族。そこへ飛び込んで、時間を稼ぐどころか敵将を打ち倒す……」
ゆっくりと口上にあげられた自身のやってきた出来事。僕がもし、砦のなかで敵の襲撃に怯えていた市民の一人だったら、そんな状況をたったの一人でひっくり返した存在がいたらどう思うだろう。
たとえその人物がどう取り繕おうが、きっと僕だって心のなかで感じるはずだ――
「……ツカサちゃんの意思とは関係なしに、みんなあなたを英雄だと考えるわ。帝国の脅威が増すこのご時世、人は新しい英雄を求めてる。アタシですらも、あんたたちがもしかしたらこの国をも変えるかもしれないなんて思ってる」
彼のような歴戦の勇士がそんなことを本心から言うはずがない、そうどこかすがるような視線で彼を見つめても、ヨードルはただ首を振るだけ。
昨日にイーリスやカタリナ殿下が言っていたのは、そういうことだったんだ。ヨードルや砦の兵士のように、もしかしたら僕の存在を知る人たちが英雄という虚像を僕へと求めたならば――。
もはや、自分自身だと言うのに自由に動くこともままならない。もしかしたら、この診療所の部屋の外で待機している兵士たちも、そんな熱にあてられたのではないか。そんなことを考えた瞬間に、自分が取り返しのつかない場所に至りつつあることを思い知る。
「アタシは、いつの日かアンタ達が自分自身のたち位置に向き合えることを、この街で祈ってるわ」
最後にかけられた彼の言葉は、激励であると共に、中途半端なたち位置に居続けることへの警告である。無言で後ろを歩くナインを伴い砦に向かいながら、頭の中でそんなことをずっと堂々巡りのように考えていた。




