36. この空は何処へと通じてる
四日間という長さは、自分自身の歩くという感覚を鈍らせるには十分過ぎるものだったようだ。夕焼けで紅く染まったヴァローナの街並みを見下ろしながら、砦の外郭の屋根を廻る道を倒れないようにゆっくりと歩く。
多分カタリナ様が知らせてくれたのだろう。軽めの食事を持ってきてくれた給士の人に無理を言って、こうして砦の内部という制限のもとで外の空気にふれることができている。どうやら完全にここを出るためには砦の将であるイーリスの許可がいるらしく、その上今日は彼の予定が全て埋まっているから、最低でも明日にならなければ街に戻ることはかなわない。
この砦からでも見える、中央広場の姿。もう市民たちの姿は戻っているようだけど、つい数日前はあの場所はこの世の地獄へと化した。この背後にいくつも備えられた大型のバリスタから射出された大槍によって地面にいくつもの孔があき、そして流石に今は分かりやすい痕跡は残ってはいないだろうけど多くの市民があそこで殺された。
今日一杯はずっと忙しいというイーリスは、あの武装蜂起の後処理に追われていることだろう。犠牲になった市民への対処だけでなく、要衝の地としての防衛力の建て直しもきっと急務に違いない。それを考えたら、確かに僕に割くような時間はそう簡単には出てこないのも納得だ。
ふと、バリスタの脇に放置された木箱をみつける。朽ちてはおらず、座るにはちょうど良い大きさ。疲れた脚を休ませるために、そこへ腰かけた。ただでさえ人手が足りないだろうから周辺には見張りの兵の姿はなく、ここにいるのはただの僕一人。夢の世界に落ちたままのナインも、起こさないように部屋へと残してきた。
思えばクアルスの街を飛び出してきてから今に至るで、一人きりになって物思いにふけるという時間は中々になかった。今くらいは、こうして誰もいない空間に身を置きたかった。
「……空、ね。山間の地から見えるだけの、ただの夕暮れじゃないか」
砦から街の城門、さらにその外側へと目を向けると目にはいる、星が見え始めた夕暮れの空。方角から言って、その遥か先にはきっと海が続いているのだろう。心が奪われるほどではないが綺麗な光景。今感じているのは、そんなところに過ぎない。
ヴァローナを護るために力を貸す、その決断を下したのも同じ場所でのことだった。ナインに言われた、過去の自分はこの空を眺めていたという話。この街に、過ぎ去りし日の中の僕は何を残したのだろうか。この空は、きっと今の自分とは異なる感情だって抱いていたのかもしれない。
僕には、そんな過去の記憶に残された思念をなぞることしかできないだろう。
「馬鹿らしい。過去の自分に成り代わるだなんて、冗談にもならない」
まるで、自分を納得させるがために自然とそんな言葉が口をついた。確かに僕は、過去の自分を取り戻すがために旅に出た。それは、本当の自分を知らなければ命が尽きるその日にきっと後悔をするから。自分自身すらもしらずに命の灯火が果てるのは、多分悔やみきれないのだろうから。
でもそれは、いなくなった過去の自分を再び蘇らせることとは重ならない。これから取り戻そうとしている過去は僕にとってはあくまでも知識であり、決して経験などてはない。
そして、多分ナインは僕を通して過去の自分を見ているのだろう。彼女の何気ないしぐさに言動を見てみればわかる。それはただ単に同じ目的を持った人間同士でのものに収まるものではないのだ。だからだろうか、彼女の言葉は僕を通した別人に向けての物に聞こえてしまう時がある。
もともとナインに対して違和感を覚えるだけの土壌はあった。そしてさっきのカタリナ様の言葉によって、疑念という芽が出るにまで至ってしまった。
「使い潰される、か……」
カタリナ様に言われた言葉を、そのまま反芻するようにして口にした。ただ利用されるよりもよほどひどい、まるで消耗品か何かのような言われよう。
彼女のその言葉の根拠は、黒剣と化したナインの特性だ。本来であれば魔術を使えることの出来ない人間族がそれを行使する、そんな不条理は何かの代償があってもおかしくはない。ナイン単独では戦えず、だからそれを扱える人間が消耗品なのではないか。おそらくそれが、彼女が言わんとしていたことだろう。
だけど結局のところ、それが本当かどうかなんて分からない。ナインの本心なんて、出会って高々数日の僕になんか分かりはしない。彼女はあくまで僕の目的に協力をしてくれてる同行者に過ぎず、少なくとも今の僕にとってはまだ日の浅い付き合いでしかないのだ。
少なくとも今の段階では、彼女の本性を疑うも信用するも、それは自己満足の域を出ない。本当だったら、そんなものを抱くような段階にすら達してないのだから。
「……もし彼女に使い潰されそうになっても、そのときに考えれば良い。どちらに振れるでもなく、距離を保てばどうとでもなるさ」
誰も聞き手がいない空間に、自分の声だけが響く。もし彼女が自分の目的のために僕を使おうというのならば、僕も自分の過去を知るために彼女を使えば良い。
「過去の自分、僕はお前の痕跡が残るこの街を救ってやったぞ。いつの日か、今度は僕の深層に巣くうお前を日の下に明かしてやる」
何処へと続いてるかも分からない空、その果てに向かって吐き捨てた。この行動に然したる意味なんてない。見知らぬ過去を探すというこの旅路は、今この瞬間の僕の意思で行っているんだと自分に言い聞かせるだけだ。
* * *
太陽が沈み行くと共に、冷たい外気が牙を向き始める。道を行く人々に寒さを感じさせる風が街の隅々を過ぎ、そして砦の外周にまで到達する。
外郭通路に積もった塵が強めの風に吹き流される。その中、一人木箱に座ったまま街並みを眺めていた黒髪の青年ツカサは、肌寒さを覚えているのだろうがその場を動こうとはしなかった。
一番星が瞬き始めた東の空を眺める彼の視線には、険しさが浮かんでいる。きっと同じ空を見上げていたであろう記憶から消えた自分に向けての宣戦布告。その決意を噛み締めるために、ツカサはじっとその空を見上げていた。
「……」
そして夜の幕が上がり始めた外と壁一つを挟んだ砦の内部で、壁に寄りかかった少女はなるべく音をたてないよう静かに息を吐いた。ツカサがいる所からは死角になったその場所で、吹き込んできた冷たい風が彼女の薄桃色の髪を揺らす。
眠りに落ちたままに"見えた"彼女を置いて砦の外郭へ向かったツカサを追うようにして、彼女もそっと彼の後をつけてここにたどり着いたのだ。彼女が立っている場所ならば、ツカサに気が付かれることも無く彼の独り言も十分に聞き取ることは出来る。だからツカサが過去の彼自身へ向けた独白だけでなく、少女へ抱く揺れ動く心から漏れ出た言葉も全てがナインの耳へと届いていた。
「……あの女……っ」
彼女は小さく呟きながら険しい表情を浮かべる。でもそれは、ツカサのようにある種の決意に満ちたものなどではない。眉間に皺を寄せてそして唇を噛みしめた、何かへと憎悪を抱くかのような歪んだ貌。ツカサの前では決して浮かべはしないような表情を晒す、それほどまでに憎しみを抱かせる何かが彼女の内面に渦巻いていた。
そして間もなく、ヴァローナの街並みからは太陽の明かりが姿を消した。ツカサが肌寒さに耐えられなくなり木箱から立ち上がるその頃には、砦の中へと戻る回廊には最初から誰もいなかったかのように人影一ついなくなっていた。
城塞の街ヴァローナ
アストランテ王国の北部に存在する、山間の中に開かれた城塞都市。
隣国であるフラントニアとの国境付近にあり、要衝の地としての役割も与えられている。
そのため北部に向けた大きな砦があり、街には兵士や傭兵の数が多い。
街そのものは王国北部の中核都市であることもあり広大で、南北に走る大通りや街の中心に位置する広場が特徴的。
なお食物の流通は外部交易でほぼ全てを賄っており、一般に手に入る食糧の質は港町のクアルスとは比べるまでもない。
その昔、ヴァローナは周辺の旧北部諸国連合に対するけん制として王国が整備したという経緯から、
現在でも北部人と現住民の間には隔たりが存在する。
始祖族 (2)
始祖族は二種類の特徴的な能力を使うことが出来る。
一つは始祖族自身が持つもので、戦闘力に長けた物には雷撃や火炎を生み出すもの、支援能力に長けた物として他者との聴覚の共有というもの等がある。
二つは彼らが保有する霊剣に宿るもので、霊剣の分離や錬成、一つ目の能力を強化するといったものがある。
二種類の能力を組み合わせることにより、彼らは人間族とは隔絶した戦力を誇る。
二つ目の街での戦乱を終わらせたところで二話目は終了です。次からは、恐らく主人公立身出世ルートに足を掛けるかと。




