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失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第二話「要衝の城塞都市ヴァローナ 黒紅色の戦姫」
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34. 戦姫の抱く疑問

 目を覚まして始めに感じたことは、節々に響く鈍痛だった。それも急激な運動をした後の筋肉痛とかそういう類のものではなくて、痺れとかでうまく体を動かせないときのような性質のもの。ただ上半身を支えて起き上がるという行為だけで手一杯など、一体何が起きたというのか。


 窓辺から差し込む光は、既に十分な高さを持っている。となれば、今は別に朝早くというわけでは無く――そこまでを考えたところで、ようやく自分が寝かされていた部屋が見慣れたものではないということに気が付いた。


 ヴァローナに来てから借り受けていた商工会の宿舎の片隅にある小部屋よりも、よほど広々とした空間。下手すれば、仮にも一軒家だったクアルスで住んでいた小屋よりも見た目の広さは勝っているのではないのかというほどだ。調度品一つとってもどれもが高価そうで、それに地面へ敷かれたマットがこの部屋の上質さをありありと物語っている。こんな空間、自分には全くの無関係だし場違いといっても過言じゃない。


「……ツ、カサ――」


 そして足に感じる重さの正体を目に入れた。自分が寝かされているベッドの縁に腰かけたまま、僕の太ももを枕にして寝息を立てる薄桃色の頭。小さな寝言を漏らしぐっすりと寝ているナインを見る限り、少なくともこの状況がどこかに拉致監禁されているというわけでもないことは予想できる。



 ならば、何故自分はここに寝かされているのか。記憶の中の最後の光景とは、果たして何だったのだろうか。砦の将官であるイーリスに敵を打倒する策を進言し、そしてその策に乗っ取って中央広場に奇襲をかけて――


 その瞬間に、猛烈な吐き気が喉の奥から押し寄せてきた。また僕は、己の手で人を殺した。敵将の喉に突き立てた黒剣、その生々しい感触はまだこの右手にありありと残っている。


 首と口の両方から血を流しながら、虚ろな目であの始祖族は僕を見つめていた。それは瞳から色がなくなり、そして全身が黄色い無数の結晶に覆われるその時まで。まるでつい数秒前の出来事かのように、目をつぶればその光景が生々しく甦る。


「……はっ――なんだよ、こんなの」


 疑問しか浮かばない。あの瞬間を思い出しただけでここまで手が震えるというのに、なんであのときの自分は何の躊躇いもなく敵を殺したんだ。それはマオを相手にしたときだけでなく、母子を刺し殺そうとした反乱兵に対したってそう。彼らを前にした僕は、逃げようという意思ではなくただ打倒しようというその一心に突き動かされていた。


 そんなの、港町の外れで読み書きを教えながら慎ましく暮らしていたつい数日前の自分とは全く重ならない。ならば霧の中に見え隠れする過去の自分という幻影。それは果たして、僕が考えていたよりもずっと――



「おっ、起きてる。やぁ、気分はどうだい?」


 泥沼に沈み行く意識を引き上げたのは、そんな明るい声だった。いつの間にか部屋の扉は開け放たれており、そこに立っているのは黒い色をベースにした軍用の軽装に身を包んだ一人の女性。窓から吹き込んだ風が、その女性の長い黒紅色の髪の毛をふわりと揺らした。


「カタリナ、殿下……」


 正直なところ、気分は最悪だ。過去の自分という今もっとも明かさなければならないものが、今の自分と想像以上に隔絶した存在である可能性が示唆されたのだから。でも今はこの国の頂点に立つ王族の御前だ。失礼は許されない、その一心でこの気持ちの悪さを飲み込んだ。


「まぁ、呼び方は追々変えれば良いや。君の名前は聞いたよ。ツカサだっけ、君も無茶をしたよね。あそこで気を失ってから、今日でかれこれ四日になるよ」


 彼女のいうあそことは、恐らくはヨードルが中央広場に駆け付けたあの瞬間か。記憶の限りで残っているのは、あれが最後の光景だ。彼が砦の兵を引き連れているのを見た直後に、ようやく事態は僕の手のひらから出ていってくれたのだという安心感により気を失ったのだろう。


 そこから四日間眠り続けていたというのは驚きだが、その一方で当然なのかもしれないとも思う。文字通り自分の体の限界を超えた動きというものをこの身でやったのだから、むしろ今もこうして五体満足でいることに感謝をしたほうがいいかもしれない。痛む足や雷撃に焼かれた両手でさえも、あの瞬間に感じ取った不可視の膜を通したら自由に動かせたほど。その代償と考えれば、軽いものだ。


 起き上がろうと手に力を込めたが、想像していた以上に腕に力が入らない。ただ上体を起こすだけで一苦労なのだから、これは立ち上がった直後にそのままぶっ倒れかねないだろう。


「……すいません。力が入らないので、このままの姿勢でよろしいでしょうか」

「別に構わないさ。まだ寝てるのかなって様子を見に来ただけだし、今の状況については砦の兵が後々言いに来るだろうしね。ところで、夢見でも悪かったのかい?」


 中腰に屈んだカタリナ様が、僕の目の端を指さしてそう言った。彼女の手の先をなぞるようにして触れた自分の目。そこには、いつの間にか流れ出ていた涙が付着していた。それが伝う先にまで指を下ろしていけばいつの間にか頬をも通り過ぎ、ふと襟の下を見てみれば流れ落ちた涙が染みを作っていた。


「――えっ。なに、これ……」


 いつの間にか頬を濡らしていた涙、しかしそれが新たに瞼の中から生み出される様子もない。果たして、あの修羅の巷を生き延びたことに対する感動か、それとも人をまた殺したということに対しての苦悩の最中に気が付いたら泣いていたのか。はたまた彼女の言う通り、もはや欠片も記憶に存在していない何かの夢で涙を流したのか。今残っているのは、ただ僕が何故か涙を流していたという痕跡のみ。そして理由すらも分からない。


「あの始祖族に対峙して生き延びたどころか打ち勝ったんだから、うれし涙の一つということにしておけばいいさ」


 部屋の片隅に置いてあった椅子を運んできた彼女は、それをベッドの脇に置いて座った。結局のところ理由の分からない涙でしかないのだから、カタリナ様の言うような割り切りをして深くは考えないことにするのが賢明だろう。


「さて、まずは礼を言わなきゃね。ツカサ、助けてくれてありがとう。君があの時イーリスを説得して駆けつけて無ければ、ボクは間違いなく死んでいた。頭に血が上ると直情に従って行動してしまう。昔っからの悪い癖さ」


 少しだけバツの悪そうな顔を浮かべて、カタリナ様は正直にそういった。てっきり、手助けは必要ないだなんて風を装うのかと思っていたから意外だ。


「ボクも、あの後丸一日ぶっ倒れていたんだ。色んな所に火傷して、こうやって歩き回る許可をもらったのもつい昨日。それでも、生きているか死んでいるかじゃ大違いさ」


 よく見れば、軍服の袖口から包帯にまかれた箇所が見えていた。彼女の霊剣を伝いマオの雷がその腕を焼いたのだろう。もしかしたら、そもそもが彼女の能力や霊剣は、敵の雷を扱うという能力と相性が悪い代物であったのかもしれない。


「君もそこの子には起きたら感謝を伝えると良いさ。君がここに運ばれてからずっと彼女はそこを離れていないんだ。朝から晩、そして次の日の朝までずっとね」

「そうか、ナインが……」


 未だに起きる様子もないナインへと目をやる。いつ起きるかも分からないのに、ずっとここに付き添っていてくれたのか。その親切さに感謝をすると同時に、少しだけ胸が痛くなった。彼女の中の僕、もう記憶から消えた過去の自分は、そこまで彼女にとって大きな存在だったのかもしれない。


「……それだけじゃない。君があの時倒れた後、乱戦の最中に反乱兵が君に剣を振りかぶった瞬間に、この子は唐突に戦場へと現れてその兵を殺したよ」


 ふと、カタリナ様の声が堅くなる。彼女がナインを見つめる目には、柔らかさではなく何かを見極めようとする意思がある。ナインがあの戦場で僕を救った、つまり黒剣として顕現した状態を彼女自身が解除をしたということ。


 倒れ伏した僕のすぐ近くで戦っていたカタリナ様は、もしかしたらその瞬間を目にしたのかもしれない。黒い双剣という形状を解き、白光と共に現れたナインの姿を。


「病み上がりのところ悪いけど聞かせて貰おうか。黒い双剣と入れ替わるように現れたこの少女と、君が扱っていたその黒い双剣状の"霊剣"のことについてね」


 真紅の双眼がじっとこちらを捉えた。そこに浮かぶのは有無を言わさぬ強い意志、そしてナインと僕へ抱くとある予感と確信。この僕ですらも知らないような話、ナインが顕現した黒剣のことを始祖族しか扱うことの出来ない霊剣だと言い切るだけの根拠が、この人にはあるのだろう。

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