31. 黒紅色の戦姫
黒紅の火炎により隔絶された高台の上で、二人の始祖族の戦士がしのぎを削り向かい合う。打ち合わされるのは、巨大な十字剣と鉾槍の形をとった二振りの霊剣たち。両者がぶつかるたびに、黒く染まった炎と金色の雷光が火花に混じって周囲へと飛び散った。
まさに規格外といって過言ではない。災厄という言葉ですらもお釣りが出るほどの剣戟の前で、痛む足を引きずり立ち尽くす。カタリナ様の放った炎により、それに飲み込まれた哀れな反乱兵数名の死体が置き去りにされた以外は、この場所は他の兵たちから完全に切り離されている。春が明けたばかりで肌寒いはずの空気は黒い炎に煽られて、焼けつくような熱気が頬を刺す。
両者の戦いはあたかも互角のように始まったが、その実では明確に片方が有利な展開で進行をしている。カタリナ様は、どんなに勇猛に見えても意識を取り戻したばかりの状況。いくら本人の実力が高かろうが、未だ雷撃を封じられただけに過ぎないマオを打倒するのはそう簡単ではないはずだ。
「どうしました。威勢がいい割に、その程度ですか?」
雷光をまき散らしながら振り抜かれた十字剣の勢いに負けて、カタリナ様の鉾槍が大きく弾かれた。続けざまに迫る巨大な刃を、鉾槍の長大な柄が寸でのところで受け止める。
「……生憎、ボクは散々甚振られた後の寝起きなもんでねッ!!」
このままただ遠巻きに見ているだけでは、そもそもの地力に劣るカタリナ様が敗れるのは必至。そんな死の最中に敢えてこの僕が取り残されたというのは、偶然などでは無くて彼女が狙ってやったのだろう。劣勢に立たされながらも獰猛に笑う彼女の視線が、一瞬だけ僕の顔を捉えた。僕にとって強力な始祖族の戦士であるカタリナ様がジョーカーであるように、彼女にとっても僕の存在がジョーカーになり得る。
まともに動くかも怪しい左足を引きずりながらも、黒剣を再び構えて機を伺う。二人の始祖族が剣戟を交わす極限空間の中、必ずや飛び込むだけの間が出来るはずだ。それにどのみちこの始祖族を打ち倒さなければ、この街の砦と同じように僕の命運も簡単に消えて無くなるのだから。でも地面につける両の足はもはや真っ当な感覚は無に等しく、一瞬の間だけでも動いてくれる保障すらもない。
――大丈夫。あなたがたとえ過去を全てを忘れたとしても、あなたの体は全部覚えているよ。全てを感覚に委ねて、そして行こう――
頭の中に聞こえるナインの声は、僕から正気という名の理性を奪う麻薬のように甘く響く。自由に動かない足を動かす、白を黒と断じるような歪さ。しかし自分の体は、そんな無理を通すことが可能だと言わんばかりに姿勢を低く構えた。それはまるでナインの言うように、自分の意志とは無関係のような自然さ。
いつの間にかに自然と二振りの剣を対象に向けて構えていた。自身の体が一体何をしようとしているのかすらも分からないのに、自分はその行動の中身を知っているかのような気味の悪さ。しかしそのいびつさに頭を抱える暇はなく、状況は刻々と移り変わる。
「まずは、戦姫から消しましょうか――」
その視線の先、動きが鈍ったカタリナ様へ向けて、マオが雷撃投射をするために十字剣をまっすぐに構えたその瞬間。引き絞られた弓を穿つような衝撃が自分の足から響いた。気が付けば爆発的な加速、蹴り出した感覚すらも残らないほどの向かい風。ただ一歩蹴り出しただけだというのに、異常なほどの速度でもって標的が近づく。
「――愚か者め、かかりまし――ッ!?」
まるで僕の奇襲を予見していたかのように、雷光を纏わせたままの十字剣を振りかぶってマオがこちらへと振り向く。迸る雷撃を残像のように空間へと焼き付けてそのままこの身を両断すべく巨大な刃が迫り――その剣の軌跡すらも追いつけないほどの速度の突撃の最中、黒剣をその体に向かって突き立てた。装飾鎧の切れ間に見えた腹部へと走らせた黒剣が撫でたのは決して柔らかな肉ではなく、恐らくはそのうちに着込んだ帷子。しかしその僅かな瞬間の中に、確かな手ごたえがあった。
爆発的な速度で突き進む体は自分自身のコントロールも効かないほど。マオの脇を通り抜けた直後に極端に姿勢を低く保ち、石畳の地面に黒剣を突き立ててようやく止まる。焦げ臭さすらも立ちこませる石埃を払いカタリナ様の真横で再び後ろを振り返ると、そこには片手で鎧の隙間を抑えているマオの姿が目に入った。黒剣の一撃で帷子を僅かに切り裂いたのだろう、手の隙間から僅かに赤い血が流れ出し、ようやく明確な憤怒に染まった瞳がこちらを見据える。
「……絶対に殺す。この私に人間が二度も傷をつけるなど、断じて許しておけるものか!!」
もうそこには尊大な口調で自分を飾り立てる姿は無く、ただ僕というたった一人の人間に向けて全力をもって殺意を向ける始祖族がいた。猛然と駆け出して石畳ごと叩き切らんと振り抜かれた霊剣は、しかしこの体にまで届くことは無かった。
「そぅら、化けの皮が剝がれた――ねぇっ!!」
雷撃の弾ける音と共に鳴り響く甲高い金属音、その直後に耳へと届いた戦姫の声。目をあげたその前で、カタリナ様が十字剣の前に立ちふさがり、その一撃を鉾槍の刃で受け止めていた。続けざまに打ち付けられる十字剣の連撃を受け止める彼女の顔は、苦悶の歪みが僅かに浮かび上がっている。しかしそれすらも、引き攣るような獰猛な笑顔が無理やりに覆っていた。
「……正直、反乱兵どもをここから切り離しながらコイツの相手をするのはここらが限界さ。でも、君ならばコイツを任せられる!!」
隠しきれない怒りと共に滅茶苦茶に振るわれる十字剣から漏れ出す雷撃は、カタリナ様の鉾槍を伝い彼女の手を容赦なく焦がしていた。しかしそれでも、彼女は今この瞬間にだってその連撃を受け止めている。その彼女が限界だというのだから、本当にそうなのだろう。
恐ろしいくらい異様に軽い体は、たとえその一部が雷撃線で焼かれていようがまだまだ動く。何故か、今の自分にはマオという本性を現した苛烈極まる始祖族すらも相手取ることが可能だという自信があった。だからこそ、彼女に反乱兵たちの牽制に注力してもらうことが必要だ。
「反乱兵を足止めしてください。この女は、僕が止めを刺す」
「はっ、流石はボクが副官と見込んだだけはある。その大口の叩き方、ボクは嫌いじゃないよ!!」
ついさっきに自分の体に巻き起こった不思議な感覚は、まだありありと残っている。急激な加速、そして鎖の帷子すらも引き裂くほどの鋭い一撃。それは決して偶然の産物などではなくて、無意識の中で確かにこの体が狙って引き起こしたこと。それを再び披露するだけの気概は、まだ十分残っている。
カタリナ様の鉾槍の上からギリギリと押し込まれる十字剣。黄金に煌めく雷光の奥で憤怒の表情を浮かべて彼女と僕を見据える敵将。段々と勢いが弱まる黒炎の向こう側からにじり寄る反乱兵たち。それらを目の前にして、黒剣を再び強く握りしめる。手の中に返ってくるのは、無機質でありながらもまるでナインに握り返されたかのような有機的でもある不思議な感触。機は、熟した。




