26. 説得
「君たちは避難してきた市民だろう。ここから先は君らは入れん。今の状況を理解しているならば、我々の邪魔はするな」
僕のような兵士ではない一般の人間は、この砦の中にいるということが特例のような状態だ。基本的にこの砦に普段いるのは兵士や雇われた傭兵、そして領主などの上流階級の人たちだけであり、一般人はそもそも入ることすらかなわないという。街が襲撃されて逃れてきた市民が受け入れられたのは、状況が切迫していたからに過ぎないのだ。
だからこうして内部を自由に動くことは勿論のこと、始祖族の将官に謁見しようなどという行為は、断じて許容されるべきではないことは分かっている。だけど、僕はどうしても彼に会わなければならない。決意を決めた顔で僕たちの前から姿を消したイーリスの元に行って、あの始祖族を倒すための作戦に関して彼を説得しなければいけないのだ。
「お願いです。ヴィンター閣下への謁見をお許しください。あの反乱兵を取りまとめる、フラントニアの始祖族について話したいことがあるんです」
「……フラントニアだと? 馬鹿々々しい、そのような戯言を話すだけならばとっとと大部屋に戻れ!!」
砦の中央へと続く通路を塞ぐ兵の眉が吊り上がった。彼からしても、この異常事態にわけのわからない訴えをするような市民など邪魔で仕方が無いだろう。しかし、だからといって僕は諦めるわけにはいかない。強行突破をかけようと姿勢を低く落とすナインの肩を掴み、せめて話し合いで通してもらえないかとなおも引き下がった。
「兵隊さん、あなたも聞いているはずだ!! 敵の首領は、強力な始祖族の戦士だ。それを倒さない限り、僕たちは反乱兵を駆逐することは出来ない!!」
「……お前、そこに直れ!! これ以上そのようなことを喋るのならば容赦はしねぇぞ!!」
彼は、とうとう剣を構えた。この切迫した状況下、この話が同じく砦の中に避難してきた市民に伝われば混乱は拡大するだろう。だからこそ、強制的に黙らそうとするのか。どうすればいい、この男を説得して、あの将官に再び顔を合わせるためには――
「――君、剣を下ろせ。彼の言っていることが本当だと、君ももう把握していることだろう」
しかし、こちらから強行突破をするまでもなく、イーリスはその姿をまた僕たちの前へと見せた。砦の小部屋の中から出てきた彼の顔は、険しく皺が刻まれている。片腕を兵士の肩にやって退かし再び僕の前に立った彼は、先ほどよりも感情の見えない無機質な瞳でこちらに目をやった。
ああ、これはクアルスでも見た、冷徹な始祖族そのものだ。僕たち人間とは異なる立場に位置する、支配階級にある者達の視線。さっきまでの、僕たちに目線を合わせてヨードルを救出したことを感謝した彼の姿はそこには無く、ヴァローナの街の守護のためだけに使命を燃やす一人の始祖族がいた。
「君たちとはもう話すことは無い。あの始祖族が強力な雷撃を扱い、ただの人間が太刀打ちできないということだけが分かれば、もうそれだけでいい」
人が変わったかのように、その視線は感情を宿していない。ただ淡々と砦の外を見つめ、ため息を吐く姿。でも、僕はこの人の頭の中に浮かぶ考えを垣間見た。カタリナ様が打ち倒されたと知った瞬間に見せた、決意に染まったあの表情。あれは恐らく――
「――ヴィンター閣下、あなたがあの始祖族に捨て身で戦いを挑もうと、カタリナ殿下の二の舞です」
人間では決して勝てない相手にどう挑む。イーリスは、自分の霊剣で彼女に立ち向かおうという答えをだしたのだ。確かに、雷撃を抜きにしたってあの女は霊剣という強力な武器を扱う強敵で、それだけの要素で人間の多くは太刀打ちできない。だからこそ、彼は決して直接的な戦いには向いていない小さな霊剣で、大きな十字型の霊剣を扱う始祖族に戦いを挑もうとしている。
砦の将が自ら敵に戦いを挑む。それは一見して美学のようで、彼が負けたその瞬間にこの砦は陥落したも同然となる。どう考えても彼があの女に勝てるとは思えない。イーリスは、霊剣だけではなくその能力だって直接的な戦闘に向いているとは到底言えないのだから。
「ならばどうするのだ。君たちが代わりに行くか? 思い上がりも甚だしい、どうせ死体の山が余計に積み上がるだけだ。確かに私は戦闘が得意な性質ではない。だが君のような人間族よりは、よほど適任だろう」
まるで僕たちを挑発するような言葉。嘲るような笑いを浮かべて、ひたすらに冷徹な視線をこちらに投げかける。しかしついさっきに彼は、僕たちに逃げろと言っていた。これは今ならばまだ引き返せるぞという、彼なりの親切心なのかもしれない。そして僕は、彼のその親切を二度にわたって踏みにじることになる。
「……いいえ、僕たちが代わりに行かせていただきましょう。その発言は間違っている。殿下よりは、僕の方がよほど適任だ」
それが引き金となった。彼の隣に控えていた兵士が剣を振りかぶった。最早僕たちは許容する範囲を超えたのだろう、首をそのまま切り落とさんと銀色の刃が迫る。僕は、それを待っていた。
「――遅い!!」
これまでも妙に身についていた体の動かし方は、ナインの黒剣を握り締めてから飛躍的に向上をした。効果的な剣の打ち合い方なんてさっぱりだけど、単純な剣の軌跡を読み切ることは難しくはない。剣が空振りして体勢を崩したその兵士の脇を走り抜ける間際に、その腰へ残ったもう一本の剣の柄を握り締める。
まるで体の内面からどのように動けばいいのかが自然と浮かぶ、薄気味の悪い感触。しかし今はそれを使いこなすほかはない。兵士から奪い取った剣を手に壁へ足を掛けて蹴り出し、上下反転した世界の中で剣を振りかぶる。つかの間の浮遊感の最中、目を見開いて僕の姿を見るイーリスと、そして何が起こったのかも把握できていない兵士の後ろ姿を目に焼き付け――
耳に焼けつくような、甲高い金属音が手元から響き渡った。体重そのものを乗せて打ち付けた剣は、兵士から武器を取り落とされるには十分すぎる威力を持つ。地面へと落下する彼の剣の柄を空いたもう片方の手で握り締め、そして再び地面へと足をつける。己の手から剣が無くなったことにようやく気が付いた兵士に、僕は両手に剣を構えた状態で再び向き合う。
いつの間にか、予備のナイフを構えたナインも僕の隣へと控えていた。僕たちに向き合うのは、丸腰になってしまった兵士と、そして霊剣を顕現させてその切っ先をこちらに向けるイーリスの姿。
僕の目的とは、イーリスの前で兵士をけしかけて僕を襲わせて、それをいなすことで僕自身の力を彼に認めさせることだ。彼が、本当にただの冷徹な始祖族ならば、秩序を維持するために僕たちを決して見過ごそうとはしないだろう。だから、これからの行動は賭けに出るしかない。
「……もう一度、お願いします。僕たちを、閣下の代わりに行かせて下さい。決して無策じゃない、僕たちにはある考えがあります」
彼らとの間に、手に持っていた剣を投げ捨てる。石に刃が打ち付けられる耳障りな音が響き、それらは兵士の足元へと転がっていった。ナイフを構えたままのナインは置いといて、少なくとも僕は完全に手ぶらの状態へと後戻りだ。地面に落ちた剣を素早く拾い上げてその切っ先を再び構えた兵士は、たぶんすぐに僕を殺せることだろう。同じ策は二度も通用しないし、それに今度はイーリス自身も霊剣を構えている。
自分の命そのものを賭け、僕はイーリスの言葉を待つ。彼がひとたび指示を送れば今度こそ僕の首は胴体と泣き別れをするだろうし、そうじゃなくて彼自身が僕を処断するかもしれない。数秒間の空白が流れ、手に浮かんだ汗を握り締める。さあ、どう出てくる。イーリスの眉が険しくひそめられた瞬間、僕は唾を飲み込んだ。
「……君たちが間諜の類じゃないだけでも、私は幸運だったようだ。時間がない、君たちの話とやらをまず聞かせて貰おうか」
賭けに勝った、たったのそれだけで張りつめていた緊張の糸が一気にたわみそうになる。しかし本当の闘いはまだ始まってすらもいない。決して僕とナインだけでは行うことの出来ない作戦は、この砦の守護を取り仕切る彼の協力が不可欠なのだから。




