24. 将官
「彼は寝ているだけだよ。命に別状は無い」
石の床に横たわる大きな体のヨードルは、ほとんど動かずにいた。しかしその胸部はわずかに上下しており、ナインの言う通り最悪の事態にはなってはいないようだ。容体が急減することも無さそうな様子に安堵のため息を漏らすと共に、酷い火傷を負った彼の両手を見て歯噛みする。せめてものの処置として包帯を巻いたものの、きちんとした診療所で診なければならない状況なのは明白だ。
満身創痍の中で僕とナインを担いだままあの場から逃げおおせた彼は、路地の中頃でとうとう力尽きて気を失い倒れてしまった。人けのない中をなんとかナインと共に彼を運び、ここヴァローナの最北端に位置する砦まで連れて来れたのは、ひとえに反乱者たちが南部の城門近くに陣取っていたからである。
物々しい砦の城門前、そこから出てきた武装済みの正規軍たちがヨードルと僕たちを城門内に招き入れた。ヨードルは流石は商工会の重役だけあって顔が広く、彼ら軍部の人間からもそれなりに認知をされていたのが幸いしたようだ。そのまま同じく逃げてきた市民と共に砦の一画へと連れてこられ、こうして彼の状態を診ている。
周囲の市民たちは、あの襲撃から逃れてきたにしては明らかに数が少ない。きっと、街の出口までが遠かったから最後の策としてこの砦の方にまで来たのだろう。幸い酷いけがを負っている人は少ないようだけど、それはつまり手負いとなった人々はそのほとんどが中央広場にて殺されてしまったということなのかもしれない。
「……ここまで追い込まれてしまった。あなたはどうしたい?」
「ナイン。僕はこのまま手招いているのは嫌だ。このままここにいたとしても、いつかはあのフラントニアの始祖族がやってくる」
反骨精神だけはある。でもその具体性は致命的なほどに欠けている。
このままヨードルを見捨てて僕たちだけでヴァローナを脱出するか。しかし街の出口は反乱兵たちが押さえており、それに彼を見捨てたならば僕たちが砦まで逃げてきた努力の全てが無駄になる。ならばあの反乱兵たちを打ち倒すか。仮に筆頭の始祖族をどうにかすれば、あとは数の問題で抑え込めるかもしれない。でも、そもそもあの雷を自在に操る始祖族をどうにか出来る道筋は存在するのだろうか。
おそらく、選ぶべきは後者の選択肢。もしかしたらカタリナ様があの始祖族を撃破しているかもしれないし、それにこのヴァローナという街における自分自身の足跡を探ってすらいない段階で、街そのものを帝国に奪われるわけにはいかない。選択肢は決めた、あとはその方策だけだ。
「……彼も随分手ひどくやられたな。将官殿が君たちの話を伺いたいそうだ。ついてきてくれ」
大部屋の入り口から入ってきた兵士の一人が、ヨードルの状態を見て顔を顰めた。元々僕たちがこの砦に招き入れて貰えたのは、多分気を失っていたヨードルを連れてきたこと以上に、一体街で何が起きているのかを少しでも把握をしたいという思惑があるのだろう。恐らく伝令すらもまともに機能をしていないこの状況下、あの始祖族のことをこの目で見た僕たちの話は、少しでも状況突破に役立つかもしれない。
砦は街の中でもっとも高い建物だ。その最上階層まで来れば街のほとんどを見渡せるほど。この離れた位置から見ても、中央広場に転がる遺体の姿までもが目に入る。現状では反乱兵の一団は未だに城門近くに陣を置いているのか、まだ砦の直面までは侵攻してきてはいないようだ。
その街を見渡せる砦の回廊にて、僕とナインは一人の始祖族と向かい合っていた。城門エリアから逃げる直前に見たカタリナ様の格好よりもよほど落ち着いた、一般の兵士よりも少しばかり目立つ装飾が施された鎧に身を包む、片腕を失った若い見た目の男。現在進行形で戦乱の最中にある街の景色から視線を外し、彼の切れ長の瞳がこちらの姿をとらえた。
「……私の知古の者が世話になったね。私がこの砦の守護を任されている、イーリス・ディ・ヴィンターだ」
彼が、ヴァローナの軍を統率する将官であるという。まるで普通の人間のような穏やかそうな雰囲気であるが、その尖った耳や手に持った小さいながらも淡く光る剣の存在から、やはり彼は将官という立場に違わず始祖族の一人であるのだろう。
「単刀直入に聞こうか。街は、そして敵将はどうなっている? そしてあの王女殿下は――いや、そちらは聞くまでもないな」
途中まで開いていた口を、イーリスはため息と共に閉じてしまった。やはり、カタリナ様のことは正式な将官である彼は把握をしているのだろう。
演説の最中に起きた一斉蜂起に際しマオと名乗った始祖族の奇襲を受けて戦線離脱を余儀なくされたのは、急な襲撃を予想をしていなかったで済む話だ。だけどまさか、その後兵によって砦の中まで運ばれたところで、意識を取り戻して護衛の一人もつけず街へ飛び出していったなんて。よく言えば勇猛、その実は制御の効かない苛烈さ。
「僕たちが見てきた範囲でお話しします。北部人を中心とする反乱兵たちは、中央広場で蜂起した後城門付近にて虐殺行為を継続。警備の兵士も数で上回られ、城門は恐らく彼らの支配下に置かれました」
街の状況は完全に彼らの思うがままであるといって過言では無いだろう。この砦が十分なほどに兵力が集中している分、街自体はその真逆ということになる。砦の守護に注力し過ぎた結果が、あの虐殺騒動なのだ。
「……そして敵の指導者は、フラントニア帝国の軍属と名乗った、雷を自在に扱う始祖族です。ヨードルは、その始祖族にやられました」
「彼は今でこそ現役を退いているが、昔は名の知れた勇士だった。その彼があそこまで追い込まれたということは……やはり、厳しいな」
イーリスの顔が露骨に険しく歪む。敵に始祖族がいるということと、それに対抗しうるはずの戦力をもった始祖族の将官がこの場にとどまっているということの双方が、事態の深刻化につながっているのだろうか。頭を振った彼は、切っ先を下に下ろしたままその霊剣を僕に見えるように差し出した。
「私の能力は、自身の霊剣の欠片を介して遠方の人間が聞いた音を知覚するというものだ。砦を外部の脅威から防衛することにかけては私に勝るものはいないと自負しているが、こうも懐に暴力の権化が侵入されてはな……せめてカタリナ様がこの場にいたら良かったんだがね」
まるで他人事のようにそう続けるイーリスの言葉。それを責任感の欠如と断ずるか、それとも本当に手詰まりになってしまったと考えるべきか。ただ、事実あのマオに対抗しうるだけの戦力は砦にはいないのだろう。堅牢な砦そのものについては彼ら反乱兵に始祖族の戦士を一人加えたところで攻め落とされることだけは無いだろうが、だが街の状況は悪化の一途に違いない。そしてこのままこまねいていれば、下手をすれば更に敵の兵が増強される恐れすらもある。膠着状態は、間違いなくこの砦にとっては悪手である。
このヴァローナを陥落させることも無く、そしてあの始祖族をどうにかできるための唯一の鍵。それは、今はこの場にいないカタリナ様の存在だろう。ヨードルが最後の力を振り絞って僕たちを広場から連れ出したその間際、彼女はマオに戦いを挑んだ。思えばカタリナ様があの始祖族の注意を引き付けてくれたおかげで僕らはここにいるのだから、命の恩人と言えるかもしれない。
果たしてその起死回生の一手はどうなっているのか。それを考えるよりも早く、表情を一気に険しい顔に変化させたイーリスが重々しく口を開いた。
「……中央広場に放った兵士の耳から今聞いたよ。カタリナ様が、広場にて磔とされているらしい」
僕たちは、その最後の一手でさえも失ったというのか。彼の視線は、僅かに聞こえる不気味なほどの歓声に沸いた中央広場へと向けられていた。




