22. 戦場で人を殺すということ
聞こえてくる喧騒、そして悲鳴。受付所の中で耳にした、中央広場で起きていた武装蜂起と共に響いていた狂乱の調べと、完全に同じ性質のもの。
幾多も重なった金属の音と、更に聞こえてくる何かの激しい爆音。その音が鳴るたびに一体どれほどの人が犠牲となっているのかだなんて想像もつかない。しかし現に、修羅の巷は場所を移して再び現れたのだ。それも遠く離れたところなんかじゃなくて、僕たちが行こうとしているその場所で。
「まさか連中、砦を落とす前に街を塞ぐ気……?」
その光景を見つめながら、ヨードルが呆然とした様子で口を開く。助けて、死にたくない。その叫び声をかき消すかのように老婆の背中が槍で貫かれ、兵士の首が削ぎ落とされる。未だに路地の死角で身を潜めることしか出来ない僕たちを尻目に、幾多もの人が殺され、辺り一面を赤い色で染めていく。
槍や剣で武装して市民へ切りかかる武装蜂起の一団に対抗している兵士の数は、ヴァローナの街の規模を考えたら明らかに少ない。精々が街門防衛の兵士のみで対抗しようと集まっても、その倍を超える反乱者たちを押しとどめることすらも出来ない。それに、ヴァローナの兵を率いているはずである始祖族の将官の姿すらも、何処にも見つけることは出来なかった。
「あ、あんなに人が殺されてるのに、兵隊は何を……」
「……彼らは、きっと真っ先に砦本体の守護に回ったのよ。たぶん、カタリナ様も一緒にね。この街の存在意義たる砦を落とされるわけにはいかない。でも、連中の最初の標的は――」
結果として、砦の守備を優先して兵を回さなかった街の出口が、この有様だと言うのか。命からがら逃げだそうとする人々の後ろから、幾多もの凶刃が迫り容赦なく命を狩っていく惨たらしい現場。彼らを護るはずの兵も数で押され、頼みの綱の始祖族すらもここにはいない。
何もできず、何も分からないまま殺されていく市民たち。彼らには戦うための武器は無く、抗うだけの意思もない。ただそこにいたというだけで死というものが降り注ぐ、なんという理不尽さ。そこにいるのは僕たちではなく、でもまるで自分自身に理不尽な暴力が突き付けられているかのような気持ちの悪さに襲われた。
そしてまた、一組の親子へと襲撃者たちの一人が剣を向けた。脚を挫いて地面に転び、それでも子供だけでもを護ろうとその身で抱きかかえた女性。その親子のどちらもを殺すがために、その襲撃者が剣を振り上げ――
「……しょうがない。アンタたち、ことが鎮まるまでここで――ツカサちゃんっ!?」
世界から色が無くなり、見据えているのはその親子の姿だけ。一体何が起きたのかだなんて、自分自身のことなのにまるで分からない。でも確実に、自分を自分足らしめていた箍が、消えて失せた。
気が付いた時には、僕の体はいつの間にか地面を蹴り出して、小さな路地裏から虐殺の最中へと飛び出していた。保身、生存、安全。自分という人間を成していたはずの哲学がその瞬間だけは崩れ去り、それどころかこれから行こうとしているのはふとした拍子で呆気なく命を落とす地獄の入り口。そこへ向けて、バランスの悪い二振りの剣を両手に白昼堂々と突き進む。
「次はお前――」
「邪魔をッ、するなァ!!」
この身を遮るものなんて存在しない。闖入者である自分に待ち受ける襲撃者の刃たちを屈み飛び越し、時に剣を打ち付けて走り続ける。散乱した殺しの跡地を飛び越えて、ひたすらに前へと突き進む。
体が熱い。まるで走馬燈、全ての景色がスローモーションで過ぎ去るかのような錯覚の世界。何故僕はここにいるんだという疑問の脇で、あの親子は何としてでも助けなければならないという強迫染みた決意が燃え盛る。
死を覚悟しながら死に抗うその姿、そこへ容赦なく振り下ろされる剣。僕という存在は、それだけは決して受け入れることは出来ないのだ。圧倒的な拒絶感が、すぐにここから逃げ出せと叫ぶ理性を無理やりに押さえつけて僕の足と腕を否応なしに動かす。
僕の目の前で、その行為は絶対に許さない。その光景を、この僕に見せるな。声なき叫びをあげて、今まさに命を狩り取らんとしている一人の襲撃者に向けて飛び掛かった。剣を手に振り上げられた腕、そして親子を見下したその首。ひけらかすように示されたそれらの標的に目掛け、両手に握り締めた双剣を容赦なく振るった。
肉を穿つ感触、それが剣の柄を通して体へと伝わるのは僅かに一瞬。降り下ろした両手の剣は、何にも遮られることなく対象を確かに切り裂いた。抵抗も何も存在せず、地面へと足をつけて振り向いたその先にいたのは、手そのものを剣と共に取り落とした男の姿。
まさに殺さんとしていた親子と僕の姿を焦点の合わない瞳で見つめたその直後、剣で穿った首の後ろから血が噴き出してその巨体が倒れ伏す。色が戻った世界に描かれる真っ赤な血の飛沫。その光景が、僕自身を再び呼び戻す。
「……に、逃げてください!!」
震える声で、幼子を連れた若い母親にそう言い渡すことが、今の僕に出来る全てだった。この僕自身が手を下した死骸から、止めどなく血が流れ出す。それはまるでクアルスの路地裏で目にしたフィンのようで、そしてこの男を殺したのは――
「――かたくうっ!!」
纏まらない思考の中でも、背後から近づく更なる反乱兵の存在には気が付くことができた。強い訛りをもった声と共に振るわれた剣を、すんでのところで受け止める。二振りの剣から僅かに滴る真っ赤な血、それが柄までつたり手を濡らす。人をこの手で殺したという事実に悲観や絶望をする暇もなく、突きつけられるのはここが虐殺のど真ん中という事実。つい数秒前まで路地から見えた地獄の空間の最中に、僕はいる。
更に剣を押し込もうとした男の首を突き破るように、ナイフの刃が喉から飛び出す。ザクリという音、それと共に頬のすぐ脇を走る血の筋。途端に力を失うその体が、横へ向けて蹴り飛ばされた。そして目の前には、戦場には不釣り合いなほどに幻惑的な桃色の髪がなびいていた。
「アンタたちっ、ボサっとしていないで行くわよ!!」
ナインへ向けて襲い掛かろうとした襲撃者の体を貫き刺した長槍。ヨードルもナインと共にこの地獄のど真ん中へと駆けつけていた。薙ぎ払われる長槍が近づこうとする武装蜂起の襲撃者たちをけん制し、ヨードルは人々が逃げ惑う先に存在する城門を指さす。唯一とも言っても良い街の出口には、完全な封鎖はされてはいない。
今こそ強行突破の時間だ。この混乱の最中に突出してしまった僕のせいで今この瞬間に行動をするしかなくなってしまったが、それでも一歩目を踏み出したという事実に変わりはない。今しがた逃がした親子を追うようにして走り出し――
網膜を焼き世界を白い暗闇に塗りつぶす、黄金色の激光。それと共に訪れる、人の体を容易に弾き飛ばさんばかりの衝撃波と全身に叩きつけられる爆音。咄嗟に腕で視界を覆おうが、目を閉じた中の世界も紫色の光の残像が脳裏を蝕む。ピリピリという異様な空気の震えが剣を辛うじて握り締める手に響き、そして爆音で一時的に麻痺した鼓膜が、耳鳴りの中で声を拾う。
「市民を守ろうとするその心意気はお見事。でも、身の丈に合わない蛮勇があなたを死に誘います」
この場に似つかわしくない拍手の音、そして嫌に落ち着いた窘めるかのような声。ようやく戻ってきた己の視界に映ったのは、見るも無残に黒く焦げ付き炎が燻る、自分の手で殺した男の死体。そして声の聞こえる方に首を振り向いて、その姿を見つけてしまった。
「……人間族の兵だけで砦全てが落とせるわけがない。だから絶対にアンタみたいのが混じっているとは思ってた。でもまさかここで会うだなんて、アタシらとことんついていないわね」
まるで儀礼用のような装飾鎧に身を包んだ一人の女。武装蜂起した一団の先頭に立ち、金色の髪の毛を風に揺らす姿に舌打ちをする。この距離でもはっきりとわかる、人間族とは決定的に異なる先端の尖った耳。その手に持った巨大な十字剣が、淡く黄色に瞬いた。




