わからないこと〈2〉
試験期間中は、SHRが終わると、一定数の生徒は足早に教室を出る。部活動禁止により、全校生徒の帰宅時間が重なるためだ。特にバス通学組にとってはスタートダッシュが肝心で、他の生徒に先を越されてしまった場合、満員バスを見送らなければならない事態が発生する。まだ暑さが残る今の時期に、申し訳程度しかない屋根のバス停で過ごすのは、できれば遠慮したいところだ。
そんな下校事情がわかっている圭太は、当然の如く我先に教室を出ようとしたのだが、
「圭太ー。嫁が来てるぞー」
というクラスメイトの声に、足を止めざるを得なかった。
「え? なんで終わってるんだ?」
「フライングだよぉ。先生が早めに終わってくれたんだ」
嫁――もとい友則千遥は、廊下側にある教室の窓からひょこっと顔を覗かせていた。
嫁という呼称には慣れたのか、今では完全にスルーである。
入学してからしばらくは、双子に間違えられたり、いや親戚だろうと決めつけられたり(大昔は親戚だったらしいので、全くの間違いではないが)したのだが、それらを片っ端から否定していった結果、なぜか「夫婦」設定が残るという意味不明な状況になってしまった。
と言っても、本気で揶揄われているわけではないことはわかっている。単なるネタだ。
「いいな、それ」
「でしょー」
千遥は教室に入ってくる気はないようだ。
廊下はまだ生徒の波が途切れないようで、時折千遥の身体がリュックに引っ張られて左右に揺れる。小柄な彼女には辛そうだ。
「入ってくれば?」
「ううん。ここでいいよ」
そう言うと、千遥は手に持っていたプリントをひらひらさせた。
「いや見えないって、それ」
揺れる紙に書いてある文字を追えるほど、圭太の動体視力は良くない。近付いていくと、何やら見覚えのあるイラストが描かれていた。
「これ、出る?」
「んー…………たぶん出ないな」
「1位になったらお菓子貰えるのに?」
「それだけじゃあなぁ……」
プリントには、体操服にハチマキ姿の男女が走っているイラストが描かれている。いかにもフリーイラストといった感じだ。
今年の体育祭の生徒会企画は、男女混合借り物競走に決まった。男女混合というのは勿論ペア競技ということで、もっと言うとカップル競技である。ペアになるのは同じクラスどころか同じ学年である必要はなく、紅白戦にも影響しないので、お遊び枠として認識されている。一応各クラスで男女それぞれ二名ずつ選出しないといけないのだが、たぶん誰かが手を挙げるんだろうなと、圭太は他人事として考えていた。
「じゃあ誰が出るか、みたいなのわかる?」
「いや全然。てか決めるの、明日のLHRじゃなかったっけ? そっちのクラスはもうやってるんだ」
試験の最終日には、LHRが組まれている。そこで体育祭の出場種目を決めることになっていた。
「まだだけど、だいたい決まってる感じかな。リレーとか」
「あーあれは、まあ……」
本人の希望にかかわらず、足が速い生徒が選ばれるのは言うまでもない。
「あとは台風の目もムカデ競走もグループで出たいって言ってる子たちいるし、綱引きは手痛くなるし、もう個人競技しか残ってなくて」
「いやそこは綱引きでいいんじゃないか?」
「やだよー。もう今年はやらない」
嫌な思い出でもあったのだろう。圭太は去年の体育祭を思い出そうとしたが、自分の組体操のことしか記憶には残っていなかった。たぶんそれなりに必死だったのだ。
「で、消去法でそれになった、と」
「うん。障害物とこれにしよっかなって」
再びプリントをひらひらさせる千遥。
そういう事情で、他のクラスの情報を集めに来たらしい。自分とペアになるかもしれない相手のリサーチといったところか。
確かに気になるポイントだ。事前に知り合いが出ることがわかっていれば、ペアを組もうと打診することもできる。
「圭太は出ないんだよね?」
千遥は窺うように圭太を覗き込んだ。その目は単なる確認というよりも、期待が込められている。まるで主人が散歩に連れて行ってくれるのを待っている子犬のようだ。
圭太は空気の読める男だった。
「しょうがないなー」
「え!?」
「いやめっちゃ期待してるよなその顔!」
「あ、バレた?」
えへへと笑う千遥は、ここまでの流れが想定内であったことを証明するように、満足そうな顔をした。
元々が妹気質なので、こういったお願いの仕方も悪い印象を与えない。いわゆる甘え上手で、お得な性格だよなぁと、圭太は常々思っていた。
「じゃあ明日、絶対これに手挙げてよ!」
「わかったよ。そっちこそ、やっぱり止めたとかなしだぞ」
「そんなのしないよぉ」
千遥とペアになれば、しばらく「夫婦」設定のネタにされそうだが――。
(ま、いいか。千遥も困ってるみたいだし)
それに万が一、ジャンケンという運しか作用しない理不尽な勝負に敗北してしまった場合、どっちみちカップル競技に出る羽目になる。その時に知り合いの女子がいないというのはかなりキツい。それなら最初から千遥と約束している方が安心だ。
「おーい、早く帰れよー」
見回りの教師に声をかけられ、二人は同時に辺りを見回した。
いつの間にか、あんなにごった返していた廊下の人はまばらになっていた。試験日は原則校内に残ることは禁止されている。とっとと帰って一人で勉強しろということらしい。
圭太は急いで荷物をまとめる。
この分だとバス停は凄いことになっていそうだが、千遥とだらだら話しながら待つなら、時間を無駄にした感もない。最近悶々とすることが多かったこともあり、たまにはこういう時間も悪くないな、と圭太は思った。




