わからないこと〈1〉
一つのイベントを終えたからか、圭太の頭の中は随分すっきりした。自分以外のことを考える余裕が出てきた、と言った方が正しいか。やはりあれもこれも、同時に複数の物事を処理する器用さは持ち合わせていないらしい。
(つっても具体的なアイデアは何もないけど)
白石の問題に首を突っ込むことは、そう簡単ではない。
そもそも、ある程度親しくなってきたとはいえ、ヘビーな問題を共有するほど親密度は高くない。しかも相手から相談されていないのに、だ。余計なお世話、または「ありがとう。でも大丈夫」で済まされる可能性もある。
(けど、このままほっとくのもなー)
それはそれで、後味の悪い結末になりそうだ。
何より、自分のモヤモヤがいつまで経っても晴れそうにない。最悪、白石の顔を見るたびにすっきりしない何かを感じなくてはならなくなる。それは勘弁だった。
ううむ、とすっかりにぎにぎボールと化している古文単語帳500に力を入れる。
SHRの後に設けられた朝学習タイムは、試験期間中ならではのものだ。こういうところはやはり進学校っぽい。
(あと5分……)
朝学習の時間は、無言学習と決まっている。
全く集中できていない圭太にとっては、非常に長い5分だ。みんなよく耐えられるよな、と思って周囲を見回すと、伸と目が合った。おまえもか、と視線だけで会話する。
他のクラスメイトは、黙々と試験勉強をしている。圭太は暇そうに読書をしている担任に見つからないように、そっと視線を手元に戻した。
※
朝学習終了を告げるチャイムは、微睡みへと向かう圭太を現実世界に引き戻した。「あと2分」までははっきりと覚えていたから、最後の最後で力尽きたらしい。
危ない危ない、と圭太は周りを見回す。誰も何も言ってこないということは、気付かれてはいないようだが。
(ま、そんな暇じゃないよな)
どちらかと言うと、自分が少数派なのだ。
別に勉強が嫌いというわけではなかったが(そうだったら、そもそもこの学校に来ていない)、勉強も部活動もそこそこでいいかと思っているタイプなので、試験にしろ試合にしろ直前にならないとお尻に火がつかないのだ。あまり良いことではないという自覚はあったが、こればかりはすぐに改善できそうもない。
とはいえ、それそろエンジンをかけないと、赤点コースまっしぐらだ。赤点対象者には追試や課題が課されるので、それだけは回避しなければいけなかった。
そんなことを思っていたので、背後の気配には全く気付かなかった。
「友則くん」
「うぉっ!?」
相変わらず心臓に悪い登場の仕方だ。
白石は、なぜそんなに驚いているのかと言わんばかりの表情で、真っ直ぐに圭太を見ている。彼女にとっては、ごく普通の声のかけ方なのだろう。
(いやまあ普通っちゃ普通なんだけど)
実際、これが他のクラスメイトであれば、そんなに驚くことはないと思う。相手が白石だから、という自覚はあった。
そんな圭太の胸中はお構いなしに、白石は圭太のにぎにぎボールを指差した。
「次の試験範囲……」
「試験範囲?」
何の話だ? と首を傾げる。
手に持っているのは、紛れもない朝学習用アイテムである。がっつり勉強する気がない生徒にとっては、眺めているだけで真面目に取り組んでいるように見える神アイテムだ。
これが目に入らぬか、と白石の目の前に掲げるも、
「漢文、だよ。古文じゃなくて」
「え」
掲げられた手が静かに下がっていく。
手元の単語帳には、確かに「古文単語帳500」と書いてある。
さすがにこのオチは予想していなかった。というか、誰かもっと早く教えてくれよと思う。
白石に話しかけられて若干緊張気味だった圭太は脱力した。
「これ……」
しかも白石は、わざわざ試験範囲が書かれたプリントを持参していた。これでは、ワンチャン白石の勘違いなんじゃないか説もあり得ない。
「なんだよそれー」
いやまあほとんどやってなかったけどさ――というのは心の声である。今日の朝学習タイムで覚えた古文単語は、残念ながら「をかし」だけだった。
白石は用は済んだとばかりに踵を返す。本当に、それを伝えるためだけに来たようだ。
「あ、白石」
呼び止めると、白石がくるりと振り返った。
「サンキュな。教えてくれて」
「うん」
返事はいつも通り短いものだったが、その声のトーンはいつもより高く聞こえた。
足取り軽く自席へと戻っていく白石の姿を見ながら、圭太はあれ? と思った。
観察力が高過ぎるのではないだろうか。
席が隣であれば気付くこともあるだろうが、白石とは離れている。勿論手元が全く見えない距離ではないが、「たまたま一瞬目に入った」レベルにしては、指摘が正確過ぎる。
(てことは……結構見られてた? 俺)
例えば、勉強するふりをして教室を見回している姿とか。
例えば、微睡みに入らんとする姿とか。
例えば、チャイムの音にビクッとなった姿とか。
(あー……)
どこだ、どの場面を見られていたんだ、と圭太は己の所業を振り返る。どこを切り取っても、ロクな場面ではなかった。
おそらく真面目に勉強していたであろう白石は、やはり休憩時間も教科書を読んでいる。
明日からはもう少し真面目にやろうと、圭太は反省した。




