抱っこ
私には、父に抱っこされた記憶がない。
父はいる。めったに帰ってこないというわけではない。
仲も、特別悪いわけではないと思う。
なのに、抱っこされた記憶がない。
いつも母がしてくれた。
だから、抱っこは母がするものだと思っていた。
買い物や公園に行くと、ときどき父親に抱っこされた子を見かけたが、珍しいなと思うだけだった。
だけど、大きくなるにつれ、それは珍しくもなんともないと知った。
母に、思い切って聞いてみた。
「何でお父さんは、私を抱っこしてくれなかったの?」
母の目が驚いたように見開かれ、そして笑った。
微笑んだとかではない。爆笑だった。
笑いが落ち着いたあと、母はスマホを操作し、画面を私に向けた。
そこには、父に抱っこされた、生まれて間もない私が写っていた。
今度は私が驚いた。
画面を見つめたまま何も言えずにいると、母が教えてくれた。
私が三歳の頃、父が抱き上げようとしたときに、私は脱臼したらしい。
あまりの痛さにギャン泣きし、「パパきらい」と言ったそうだ。
それから父が抱っこをしようとすると、私が逃げたり隠れたりするようになり、抱っこをするのは母だけになったという。
それを聞いて、頭を抱えたくなった。
そして思ったのは、『お父さん、ごめん』だった。
その日は一日中、そわそわしながら父の帰りを待った。
夜、父が仕事から帰ってきた。
荷物を部屋に置き、リビングに入ってきた父を出迎え、「おかえり」のあとに続けて言った。
「お父さん、抱っこして」
いい歳をした娘が何を言ってるんだと思われるかもしれないが、どうしても言いたかった。
父は、困ったのか呆れたのか眉を下げ、「できるかな」と呟いた。
けれどすぐに両手を伸ばしてくれたので、父に駆け寄った。
軽々と、とはいかなかったが、父は抱きかかえてくれた。
それを見た母は、笑って写真を撮っていた。
笑いながら撮ったから写真はブレていたけど、それでも嬉しかった。




