第2話ー①
ピッチャーマウンドから放たれる白球に、戒外興文【かいげ おきふみ】(16)は、くり返しキャッチャーミットの感覚を確かめていた。
合わない、どうしてもズレてしまう。逆光のせいではない。
普段からバッテリーを組んでいる、曲川先輩の投球とは全く何かが違い、北越智が投げる変化球に、グラブを閉じるタイミングが合わない。
カーブはまだしも、手前で急激に曲がるスライダーには、親指を突き指してしまいそうになる。
さらに球速が上がれば、数球受けるだけで、左手の痺れがひどくなり、感覚がなくなる。
久米先輩との対戦時、北越智が見せた驚愕の変貌と、ミットごと弾き飛ばされそうになったあのピッチング。
全くコースが見えなかった。瞬間移動だと表現しても過言ではなかった。そして、心身すべてに受けた衝撃。
野球人生の中で、初めて体験した恐怖は未だに胸のどこかに住み続けている。
回りの人たちの歓声と興奮の中、ひとり取り残され、冷静を装いつつも、息ができないままでいた。
いや、自分だけじゃなかったはず、バットを構えたまま固まり、暫く動けずにいた久米先輩も同じだったに違いない。
このままでは、試合中にピッチャーが受けるプレッシャーを和らげる立場であるはずのキャッチャーが、その当人から重圧を受けることになりかねない。
暑い・・・・
自分の不甲斐なさに募る苛立ちは、全く沈む気配のない真夏の太陽に敵意を向けてしまう。
帽子の上にヘルメットをかぶっていても汗が伝わり落ち、顎のクッションがズレる。
戒外はヘルメットを外して、北越智峯丸に話しかける曲川勾太【まがりかわ こうた】(18)にため息交じりの視線を投げた。
伝い落ちる汗を肘で拭い、踏ん切りをつけるように立ち上がった戒外に二人が近づいて来た。
「先輩、本当にごめんなさい。自分の癖が強すぎて・・・・本当にすいません。」
北越智は軽く頭を下げ、汗で濡れ額に張り付いた前髪をかき上げた。
「せや。北オッチーはえげつないからなぁーまあ、気にすんなや。合わんもんは合わんねん。明日は俺が一人で完封したるって!」
戒外の左肩に曲川は拳を軽く当てた。
ミットを右脇で挟むように外し、左手のひらを軽く揉む。
痺れがひどい。親指の付け根の違和感が激しい。
「今は俺しか、キャッチャーできる奴おらんし。北越智っちゃんが投げることになっても、何とか頑張りまっすわ!」
視線を二人に合わせないように泳がせながら、痺れる左手の親指を立てて見せた。
勉強も野球も卒なくこなしてきた。一番ではなく二番か三番が自分にとって一番心地いい場所だった。矢面に立つこともなく、劣等感に襲われることもなく、そこに存在し続けることが出来る位置。
承認欲求や自己顕示欲もそこそこ満たされる。
だけど、そこそこで居続けることが、どれほど大変なことなのか、誰が知っているだろうか。
どんな人間にも平等に与えられる二十四時間。
その絶対的な枠の中で、自分に関係する共同体における立ち位置を読みながら、力の入れどころの調整を取らないといけない。
高校生として押し付けられる課題は、容赦なくタイムリミットを数字で見せつける。
可愛いと思う子がいても、恋愛なんてする暇がない。
まして誰かさんのように、自分のセクシャリティーが何なのか、考える余裕などあるわけがない。
今を生きる以外に割り当てる時間なんてない。
なのに、明日はそこそこでいられなくなる。
同じキャッチャーであり、今までチームを盛り上げ、存在感で満ち溢れていた葛本先輩がいない。
かっこ悪い姿を晒したくない。
そこそこであるために、越えないといけない余計に増えた課題が目の前にある。
「ごめん!調整につきあってもらって。終わりますっわ。」
戒外は平然と軽く頭を下げた。
「せや!今日は早よ帰って寝よや!」
雰囲気を盛り上げようと、笑顔を見せる曲川は落ち込む肩に手をかけた。
歩き出す部室の前で、縄手先生と久米先輩、木之本先輩に山本さんが、手に持ったノートを広げ、話し合っている姿が目に入る。
久米先輩が見せている、満面の笑顔にムカつきを覚える。
―――なんでそんな余裕があるんや?
視線が鋭くなる前に目を一度閉じる。
―――あんたがごちゃごちゃやってる間だって、こっちは寝る時間削って、休まずにずっと勉強も練習もしとったんや。
久米がノートから目を外し、グラウンドを指さしながら縄手に何かを伝えている。
―――なんやねん。いちゃいちゃしやがって。
寄り添うように並んで立つ二人の姿に、さらに口元が歪む。
久米先輩がゲイであることを、結果的にアウティングするきっかけを作ってしまったのは、「あの先輩、真面目過ぎて着いて行けん時ありますっわ。」の自分の一言から始まった愚痴の吐露合戦だった。
最初は罪悪感にかられて、自分一人でやったと、みんなに内緒で何度謝罪に行こうと思っていたか。
その結果、退学になってもやむを得ないと覚悟を決めていた。
けど、その後の騒動からの開き直ったような、まるで自分中心に物語が進んでいるような勝手すぎる行動。
ゲイであることなんかどうでもよくて、人として納得いかないことばかりだった。
かといって、試合には勝ちたい。
一回戦負けは嫌だ。
悔しいけれど久米先輩は戦力として絶対的に必要なのは理解できている。
でも、そこそこでいい。
甲子園なんか、到底行けないのは客観的に幼稚園児が見てもわかる。
それに受験だってある。
そこそこの大学に入学して、
そこそこの会社に就職して、
そこそこの女と結婚して、
そこそこの家族を持って、
そこそこの人生を送る。
それがどれだけ難しいか。
どれだけ毎日を我慢して、
どれだけ空気を読んで、
どれだけ失敗せんように生きなあかんか。
あんたにはわからんやろ。
あーーーー左手痛い・・・・。
久米と縄手の背中に投げていた視線に力を更にこめる。
今まで縄手と笑顔で話をしていた久米がふとこちらに振り返る。
!!!
戒外は慌てて頭を下げた。
走り寄るスパイクの土を踏みしめる音と共に久米が声をかけた。
「戒外くん、居残りお疲れさんでした。」
「あんまり気ぃ張らんといてや。俺らがちゃんとカバーするから。」
久米の日に焼けた顔に真っ白な歯が微笑む。
「はい。ありがとうございます!大丈夫です。俺はやるときはやる人間なんで!」
歪んだ精一杯の笑顔で答える。
「せやろうな。戒外くんは全体をよー見れてるから、心配はしてへんけど、なんでも相談してや。」
久米は小さく頷いた。
「はい!迷ったときは合図おくりますんで!」
戒外は目を閉じて頭を少し下げた。
―――そうや、この距離や。
なんで、いっつもそんなに離れた位置から話しかけんねん。
沈みゆく夕日が描き出した伸びる影と同じ距離で立つ久米の足元に目を開ける。
「明日はお互いがんばろな!」
「今日はゆっくり休んでや!」
笑顔の久米は親指を立てる。
「もちろんです!」
「先輩も初めての単独チームやからって、飲み込まれんといてくださいや。」
戒外は歪みが限界になる笑顔で返した。
―――なんで、こんな俺にそんな笑顔見せんねん。
俺の気持ち、全くわからんくせに。
むかつくんじゃ。お前。
「では、お先に失礼します!」
「おう!また明日!お疲れ!」
戒外は久米をすり抜け、防具をガチャガチャ言わせながら部室へと逃げるようにドアを開けた。
・・・そんな後ろ姿を久米は小さく溜息を吐きながら見送った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は『トゥルーカラーズ=僕らの家族スタイル』シリーズとして連載しています。
★感想・評価・ブックマークをいただけると、とても励みになります。
また、本作の世界観をもとにしたAIドラマやイメージソングも制作しています。
ご興味のある方は、タイトル名や作者名で検索してみてください。
それでは、次回もお楽しみいただければ幸いです。




