第1話ー⑤
早朝、縄手は野球部が朝の練習で使用するグラウンドを整備していた。
整備と言っても、野球部専用の場所があるわけではなく、運動場の片隅に、年季の入った錆びたバックネットが、申し訳程度に佇んでいるだけだった。
小石や木片など、怪我をしてしまう可能性のあるものを拾い集める。
何度も前かがみを繰り返し、腰に違和感をおぼえて体を反らす。
ふと見上げた空。
晴れ渡った七月の空は、嫌味なくらい無垢に澄み渡り、罪あるものはすべて皆、逆さまに突き落とされそうな、今の自分には後ろめたくなる青さを湛えていた。
教師になって今年で八年になる。体力も新人だった頃と同じと言うわけにはいかなくなってきている。疲れも抜けづらくなっている気がするし、少し油断しただけで腹回り、特に腰のあたりに脂肪がたまり始める。
ジムに通いたい気持ちはあるが、慌ただしく過ぎる日々に、そこまでして筋トレの時間を作ろうとは思わない。
陸上部だったプライドもあり、培ってきた知識でなんとか無理くり頑張っている。
教員生活もある程度の要領はわかってきたつもりでいるが、毎年入学してくる三00名を超える個性と向き合うことにマニュアルなどは通じない。時代の変化と共に毎日が模索状態だ。
ただ、そんな時間を取り囲む生活様式は、テンプレート的に過ぎ行き、気付けば八年の歳月が流れていた。
過ぎ行く季節の中で、意図せず久米香月という男子生徒と出会った。
なんの変哲もない少年だった。
野球に関しては、かなり評判が高かったようだが、野球部自体、廃部寸前であるが故に、活躍する場がなく実績が作れていなかったため、自分にはいまいちピンと来ていなかった。
全くのノーマークだった。
生活態度に問題はなく、成績も学年半ば辺り、諸々の指導もし易い毎年経験する「その他大勢」に分類される生徒だった。
ーーーあの日が来るまでは。
過去の生徒指導の成功経験から、いじめ問題など容易く解決できるはずだった。
久米の母親の言う通り、たぶん自分のせいで久米は衝動的な行動をとることが多くなった。
いや、たぶんじゃなく、昨夜、優耳に突っ込まれた通り確実に自分のせいだ。
久米が寄せる思いを軽く考え、いじめから守るために抱き寄せて味方宣言をしたり、タイミングを考えずに婚約者がいることを告白したり、久米の心を激しく揺さぶってしまった。
だけど・・・・・揺れ動いたのは久米の心だけではない・・・・。
自分自身の心も揺れ動いてしまった。
自分が近くにいてあげないといけないんじゃないかと言う気持ちと、久米が近くにいないと滲みだす欠乏感がいつの間にか大きく交差していた。
斎部を思う感情とは違う、全く別の感情が自分の中にあることを、認めないといけないレベルまで達してしまっていた。
それが恋や愛なのかという、曖昧な概念で尋ねられたら。
多数派で協調性を持つべきであるという教育が、基礎となってしまっている自分にとって、常識という言葉がいつの間にか合言葉となってしまっていたし、知らぬ間に手にしてしまった偏見からは、どうしても同性間での恋愛はありえないものとしてしまう。
まして教師と生徒という関係での恋愛も禁止事項として、もっとありえないものという答の一択になってしまう。
だけど、恋愛感情などなくても、久米にはいつまでも笑っていて欲しいし、久米の母親にも笑顔でいてもらいたい。あんな鬼の形相にはなってもらいたくない。
今は考えが追いつかないけど、絶対どこかに解決方法があるはずで。
その模索が誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないし、うかつだと軽率だと言われてしまうかもしれない。
だけど、俺はその方法を見つけないといけないし。教師としてやらないといけない。
絶対、全員を幸せにして見せる。
縄手は大きく深呼吸した。
早朝の刺さるような太陽に照らされ、汗がシャツの背中を濡らしてゆく。
「先生!朝練始めるんで、集合してください。」
振り向く先に、笑顔の久米が近づきながら、帽子を取り、頭を下げる。
「オッケイ!わかった。」と返す縄手に、
「よかったら、試合直前でみんな気持ちが高ぶってると思うので、なんかリラックスできる言葉をかけてください。オリンピック候補生だった時に監督にかけられた言葉とか。」
肩と肩が触れ合う距離で話す久米の曇りない瞳の真っ直ぐさに、笑顔で大きく頷いた。
遠くでスマホのシャッター音が鳴る。
二人仲良く並びグラウンドを歩く姿はすぐさまネットにあがった。
『幸せ絶頂!!野球部監督にN教諭就任!!』
腐女子がピラニアのごとく待っていましたと食いつく、
『キターーーー!激熱展開!!』
『もっと動画プリーズ!!』
『いや公式が最大手すぎる』
『ふたりのならんだ姿、尊過ぎです!』
『監督就任は草www』
『もう隠す気ないやんw』
『メロメロいですーーーーー!!』
『このふたりは成就すべきですーーー!!』
一瞬にしてコメント欄がアマゾン川の激流となってしまった。
それでもやはり差別や批判の声があがるが、腐女子が望むハッピーエンドを邪魔する意見はことごとく論破されていく。
もはやこの二人は私たちが育てているんだという、母性愛の集団が一つの大きな流れをつくり、他を寄せ付けぬ力を持ち始めていた。
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