第3話ー③
無得点のまま膠着状態が続いていた六回裏、大和まほろば高校の攻撃が始まる。
俊足の三年、土橋一角【つちはし いっと】(十七)がフォアボールで出塁した後、ここまですべて安打している北越智に打順が回ってきた。声をかける縄手を軽く見流す。
白輝高校はここ数年、生徒数の減少に伴い、定員割れが続き生徒募集の停止が計画されている高校であった。
部活に参加する生徒はほとんどおらず、最後の一葉である野球部も、他の部活と掛け持ちをしている選手でなんとか成り立っていた。
そのため、数少ない野球経験のあるピッチャーですら練習不足のため、握力は急激に落ち、コントロールが乱れ球速が落ち始めていた。
案の定、監督が外野手とピッチャーの交代を告げる。
投球練習が終わり、バッターボックスに立った北越智は、一度大きく体を反らし「このイニングで差をつける!」気合を入れバットを握りなおし構えた。
球技大会並みの初球、振りぬいたバットに爽快な感覚が炸裂した。
球は夏空を突き抜け、ショートを越えバックスクリーン下の壁に当たる。走り出した土橋がセカンドベースを蹴り三塁を目指す。
センターが渾身の思いで投げた球が土橋を追いかける・・・・が、大きく外れてスタンド席の壁へ転がる。サードが必死に追いつきボールを手にする瞬間、土橋はサードベースを蹴った。その流れを読んだ北越智も一塁ベースを蹴り二塁へ突き進む。バックホームの正確な送球が土橋を刺しにかかる。キャッチャーがミットに圧を感じる瞬間、ヘッドスライディングの土埃がスローモーションのように舞い上がった。
指先に感じるホームベースと肩に感じたミットのタッチ。
審判を見上げる土橋、二塁ベースから振り向く北越智、ベンチから身を乗り出したメンバー、観客席が静まり返り、蝉の声も聞こえない。
勢いよく大きく左右に広がる両手
「セーーーーーーーーフ!!!!」
「しゃーーーー!」
地面を叩きガッツポーズを見せた土橋と軽く微笑みバッティンググローブとヘルメットを外す北越智に歓声が沸く。スタンディングオベーションする宇治。
数年ぶりの公式戦における初得点に、ベンチも興奮の絶頂で、大騒ぎになりながら拍手喝采を送った。
盛り上がる熱気に思わずグラウンドに駆けだしそうになる縄手を山本が止める。帰ってきた笑顔の土橋に、ベンチにいる全員がハイタッチの嵐を浴びせた。
この流れを止められない久米が何度か素振りをし、感触を確かめてバッターボックスに入った。
この短時間で、すっかり大人になったような背中へ「帰って来いよ!」と激励した。真っ直ぐな眼差で大きく頷いた久米の笑顔が、縄手の心を熱くさせた。
初球はコースから外れる。踏みしめ直し、二球目。
流れを味方につけたスイングは、低反発性バットの高い音と共にボールをセカンドの頭上を越え、ライト前へと飛ばした。
観客席から悲鳴に似た腐女子たちの歓声が上がる。
北越智は三塁へ、久米は何とか間に合い出塁した。
続く二年の筋肉達磨パワーヒッター十市武勇【といち たけいさ】(十七)。
縄手と、拳と拳を合わせて準備に入った。
カーブも何もないストレートのオンパレード。コースも狙って投げているわけでなく、たまたまそこに位置しただけの投球が続く。
そんな状況にリラックスした十市へ、ど真ん中の甘いコースが来た。
若干タイミングがずれたものの、思いっきり振りぬいた打球は高く上がり、左外野席へ向かった。
しかし、北越智も久米もベースから動かない。
失速した球は、追いついたレフトのグローブに納まった。
タッチアップ。
北越智と久米が同時にベースを力一杯蹴った。
北越智は三塁からホームベースを目指す。久米は一塁から二塁へ。
バックホームの投球は少しそれてキャッチャーがベースを離れてしまう。その隙に北越智がホームインして、更に一点追加した。
ジャンプからのガッツポーズで宇治に高くVサインを北越智は見せた。
連続得点に沸く三塁側スタンドと、腕組をしたまま選手を鼓舞する白輝高校の監督を横目に、十市が戻ってきた。
「越えたと思ってんけどなぁー。」
ベンチで残念そうに、だけど笑顔で声を上げた。
「お前ら凄いな!」拍手をし、十市と北越智をハイタッチで迎えながら縄手は、試合前に対戦相手の監督と交わした言葉を思い出していた。
「ついに野球部もこの夏で解散ですわぁ。もうあの時代に戻れないと思ったら、寂しいですわぁ。最後ぐらい、こいつらにいい夢の終わりを見せてあげたいので、胸貸してください。」
帽子を取り、頭を下げた監督に、「こちらこそ、何卒宜しくお願い致します。」と新人の縄手は頭をもっと深く下げた。
野球部に限らず、廃部が続く現状は良く知っている。要因は運動離れや、少子化だけではない。中学校の部活が地域展開へ移ってから、徐々に参加者の減少が進んでいる。そのしわ寄せが今、高校の部活に来てしまっているのだ。
白輝高校の監督が上げた目は、遠くの過去を見つめている郷愁に染まっていた。
それでも縄手は「私たちも胸を借りるつもりで頑張りますので、お互い全力で戦いましょう。」と再び頭を下げた。
続くバッターは曲川勾太となった。
「やっべー。何か緊張してる!」
ホームベースの端にバットの先を軽く当ててから、ぐるりと背中へとまわし、ピッチャーと威嚇するようにバットを立てたまま、真っ直ぐ前に腕を伸ばした。
「なんでこんな緊張してんねん・・・・」
言葉を殺し構える。
「みんなが得点に繋げるプレーをしている。俺もしっかりやらんと。」至上命題が一気に膨らんでくる。
ピッチャーマウンドからの甘い初球。
ど真ん中!
振りぬいたバットは空を切った。
「・・・ヤバい、ヤバい・・・嫌な感覚や・・。」
焦り始めた気持ちは加速して行く。
二球目も空振り。
「ガチで、当たらん・・。」
続く三球目と四球目はボールで、若干の気持ちを切り替えるタイミングができる。
「無心や、無心になれ!」と可能な限り胸の奥へとリフレインしながら、息を吐く。
切迫した場面は、野球を始めた頃から何度も繰り返し慣れているはずなのに、心のざわつきがそれでも静まらない。
キャッチャーのサインに頷き、投げられた五球目、「くそッ‼」思わず目を閉じて振ったバットに手ごたえが炸裂する。
少し驚き、開いた曲川の目に映った光景は、打球がダイレクトにセカンドのグローブに吸い込まれ、塁を離れていた久米が戻り切れず、ベースを踏まれアウトになった瞬間だった。
―――――――――――――――
降り注ぐ夏の光を、拡散させる裏庭の竹林が風に静かに揺れる。
講和が終わり、坪庭が見える玄関の間で見送る請安に人々が挨拶をかわし、帰路についていた。
誰もいなくなった和室にひとり座る香織の瞳に、うち縁に並べられた夏風に揺れる色とりどりの朝顔が映る。
たったひとりの家族、この世の誰より愛する息子、自分の命に代えてでも守らないといけない存在。
【君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず】
香月の交友関係やこれからの将来は本人にとってとても大切であることは、私も理解している。
そしてそれを支えるのも、私のぶれてはいけない信念や意見であることもわかっている。
どうすれば香月にわかってもらえるのだろう。
血を分けた家族なのに、私の生きた証となる子どもなのに・・・
最近の香月は何ひとつ、わかろうとしてくれない。
ここまで香月を育ててきたわたしは間違っていない。
あいつに捨てられた後も、ひとりで戦ってきたわたしは間違っていない。
でも・・・どうしたらいいの・・
「久米、香織さんですね。お待たせいたしました。」
小さく息を吐いた香織に、開け放たれた襖から姿を見せた請案が優しく声をかけた。
――――――――――――――――
胸の奥のざわつきが全く治まらない。
それどころか、ますます激しさを増していく。焦っているのか、戸惑っているのか、苛立っているのか、怯えているのか、どんな言葉で表現しようにも、腑に落ちない。
心が今の自分の気持ちに追いつかない。嫌な汗がこめかみを伝う。
曲川はピッチャーマウンドで、意味不明に息が詰まりそうになっている状態のまま、戒外が示すサインに、ギリギリの集中力で頷いていた。
不安定に魂が揺れ始めた、セットポジションに入る曲川に目をやった北越智は、小さく溜息をつき「ここでくるかぁ?面倒くさいタイミングやんか。」舌打ちをした。
試合中のグラウンドでは舞えない。手研耳【たぎしみみ】の覚醒を抑制することは、容易いが、守備位置から離れることが出来ない。
宇治の方に視線を送るも、首を横に振っている。
崩れた投球フォームからのボールは見事に狂い、出したサインとは全く違うコースを描いて、バッターの手前で跳ねた。
予想外にズレて弾んだボールに、戒外は慌てて全身をずらし受け止める。
緊張が絶頂だと思える曲川に「笑顔!笑顔!」と戒外はメットを上げ自分の顔を見せながら、頬を指さし笑って見せた。
曲川は額から流れ落ちる汗を肘で拭い、そんな戒外に何度か頷いて見せる。
「落ち着け!俺。落ち着け!」
曲川は長く息を吐きながら、再びセットポジションに入った。
~
~
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押し出しの選手がホームベースを踏んだ後、手を上げた縄手の声がグラウンドに響いた。
―――「タイム!!!」
気付けば七回表、相変わらず腐女子などの異空間な雰囲気の中、白輝高校 対 大和まほろば高校の試合は、1対2、1アウト満塁となっていた。
伝令の木原こうじ【きはら こうじ】(十五)がピッチャーマウンドへと走り、守備についていた全員も素早く集まった。
相手チームに会話内容が悟られないように、口をグローブで隠す。
「ぜんぜんオッケイ!玉、走ってるで!」
駆け寄るなり久米が、色を失いそうな曲川の目を見ながら気遣う。
「ガンガン打たせましょうよ!なぁ。」
十市も同じクラスの八木賑栄【やぎ ともてる】(十六)に同意を求め、
「俺ら守備ガチガチなんで、タイタニックに乗った気でいてください!」
「アホか!沈んどるんやん!」
と場を和ませようとする。
久米はそんな茶化しに笑いながらも、曲川の顔色を直視した。
どう見ても、様子がおかしい。
目の前に佇んでいる曲川は、習慣的にグローブで口元を隠しているものの、上の空で息をしているだけのようにしか見えなかった。
今すぐ交代させるべきか久米は、心配そうにこちらを見つめる縄手に振り返る。
判断が迫られる久米は口元を歪ませた。
曲川もこの試合結果次第では、最後の大会になってしまう。
できることならこのまま続けさせてあげたい。
だけど、体調が持ちそうにないように見える。
それでもあと少しだけ・・・まだタイムは一回目や。
そう心に決めた久米は、曲川に続投を伝えようと近づいた。
―――不意にふたりの間に割り込む影があった。
戒外は少し驚いた久米を横目で見流し、曲川に声をかけた。
「曲川先輩―っ。頑張り過ぎんといてくださいよー。」
「俺はいつでも、先輩の投球だけ見てますよ。心配せんといてください。」
「俺は、浮気はしないんで。」
ざわつく観客席をバックに、曲川の瞳が少し揺れるように動いた。
「ずっと一緒にやって行きましょうよ!」
戒外の目が遠くをみるような曲川を覗きこむ。
「ふたりで新しい歴史つくりましょ。」
『新しい歴史』
・・・・その言葉にまぶたが動き、みるみる瞳に色が戻ってくる。
「あっ・・・う、うん。」
我に返ったようになった曲川は辺りを見渡しながら、頷いた。
疎外された気分に一瞬なっていた久米が、
「曲川くん!いけそうやね!大丈夫!」
と戒外の背後から励ますように声をかけた。
いやな汗が一気に引いた曲川は大きく深呼吸をして、
「うん!大丈夫や!」
久米に笑顔で頷いた。
曲川の背中を軽く叩こうと久米の手が伸びた。
その動きを戒外は視界の真ん中でとらえていた。
戒外に苛立ちがわき上がろうとした瞬間のことだった。
バシッ!!!
久米のその手を曲川が思いっきり払いのけた。
「え・・・ご、ごめん。」
余計な事をしたのかと、慌てて久米が謝るが、それ以上に曲川が困惑していた。
「あ!ごめん!」
曲川も慌てて、払いのけた久米の手に腕を伸ばす。
理解不能な衝動的な反応に首をかしげながら、曲川はグローブに手を合わせて久米に頭を下げた。
「オッケーオッケー!!!よっしゃ試合再開や!」
気にしないでおこうと久米は、全員に視線を合わせ、縄手に「大丈夫」と腕で円を作った。
それぞれの守備位置にもどりながら、北越智は「ギリギリやんか」と安堵の溜息をつき、戒外は「いい気味や」とサードに戻る久米の背中に視線を向けた。
そんな呟きは、曲川に触れようとした久米の姿と共に戒外の胸の真ん中をかき乱していた。
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