第14話
パソコンを持ち上げる。視界が一瞬真っ暗になり、再び稲光が走る。
けど、歯を食いしばって両腕でしっかりと筐体を掴む。
店の出口に向かって走り出す。出口は全面ガラス張りの自動扉だった。
体を、ぶつける。
バリンと音がしてガラスが割れる。砕けた破片が細かい粒子となってスニーカーやフードの中に入っていく。靴に一際大きな欠片が入ったのか、踏むと足の裏に痛みが走った。
それでもよろめきながらメインストリートに出る。もたつく足を踏ん張らせてトレーラーのある方へ駆け出す。
一歩踏み出すたびに背中の傷が深くなっていくのを感じる。「さけるチーズ」の筋を最小単位で分割しているみたいに、痛みはますますひどくなっていく。
振り返ると店主はようやく店から出てきたところだった。速度は赤ちゃんのハイハイくらい。距離は開いていく一方だ。
いける!
血を垂らしながら舗装された道路を走る。いや、もはや早歩きと表現したほうがいいかもしれない。背中の傷はますますひどく痛む。
昔、どこかのマラソン選手が「紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる」と言っていたのを思い出す。どこだったか。小学校の国語の授業だった気がする。
一歩ずつ前に踏み出し続けたことで、ついにメインストリートの終わり、トレーラーのある山の麓までたどり着いた。
あとはこの斜面を登るだけ————ッ
乾いた音が闇夜の山村に響く。
肩に激痛。思わずパソコンを落としそうになったが、ここで落としたら2度と——本当に2度と拾えなくなる気がして腕と腰に力を入れる。
背中の傷が一気に広がる感触がした。肺が破れたのか、息を吸っただけで激痛が胸を汚染する。肺に血が入ってきて息を止めても苦しい。
もう、なにしても苦しい。
吐血しながら振り向く。メインストリートの真ん中で警察官が拳銃を構えて仁王立ちしている。銃口からは硝煙が立ち上っている。
住人の誰かが通報したのだろうか。そりゃそうだ。道路の真ん中を血まみれの人間がデスクトップ持ちながら歩いてたら誰だって通報するだろう。
まさか何も言わずに発砲するとは思わないだろうけど。
あぁ、クソ。
クソ、クソ、クソ……ッ!
ここでチェックメイトか?
いいや、違う!
視線を前方に向けて斜面を登り始める。一歩踏み締めるたびに足元の枯葉に血がボタタと落ちる。
背後から乾いた音が二発聞こえる。耳元と左膝に一瞬なりとも痛みを感じる。けど、それらはすぐに肩と背中の痛みに払拭されていく。
一歩ずつ斜面を上がる。後ろから軽快な足取りで落ち葉を踏む音が近づいてくる。
再び乾いた音がした。
腰をなにかが抜けていく感触がする。
痛みは後からじわじわ迫ってきた。パーカーと下着が濡れていくのがわかる。
足に、力が入らない。
うまく、動かすことができない。
地面に、倒れ込む。
「あぁ……うぁ……」
無意識にうめき声が出る。肩と腰と背中。B級アクション映画なら主人公とバトンタッチしてもいい状態だ。でも、ここにはジェイソン・ステイサムもドウェイン・ジョンソンも岡田准一もいない。
俺しか——いない。
進むしか——ない。
後ろから落ち葉を踏む音が迫ってくる。
足音が背後で止まった。
おそるおそる振り向くと———
目の前に警察官の顔があった。
目と鼻の先。あと一歩でも踏み出したらキスしてしまいそうだ。
男性警官の顔は電気屋の店主と同じ顔をしていた。もちろん、電気屋の方が年老いているからシワの数が多かったり、頭髪が薄かったりする。けど眉や鼻の形、大きさはそっくりで、息子と言われても遜色なかった。
そして警官は無表情だった。瞬きすらせず、じっとこちらを見つめている。
声にならない叫び声をあげた。
肺に溜まった血が逆流して吐血する。飛び出した血の一部は警官の顔にかかったが、彼が表情を変えることはない。
なにか、なにかしないと……!
頭だけが無駄に回転して思考が定まらない。まるで1+1の問題を無限に解いているみたいだ。
しかし、いくら時間が経っても警察官は何もしてこなかった。顔に血をかけられたというのに、フリーズしてしまったかのように微動だにしない。
とにかく、距離を取らないと……。
体を引きずりながら、PCを斜面の上へと押し出す。
言葉にすればこれだけだが、一回行うたびに激痛が全身を駆け巡る。意識が一段と遠くなる。
何度、眠りそうになったか。
その度にここまで繋いでくれた人たちのことを思い出した。
増倉さん、ちほさん、文人、そして骨川……。
ここに主人公なんかいない。俺がやらなくて誰がやるんだ!
意識が遠のくたびにそうやって魂を奮い立たせてPCを押し出した。
東の空が白じんできた。
俺はトレーラーの下までやってきた。
ここまで警察官は何もしてこなかった。今もあそこで棒立ちしてるのかはわからない。
振り向く気力すら、残されていなかった。
地面からトレーラーの入り口までには30センチ近い段差がある。
今の俺にはこいつをそれだけ持ち上げる力は残っていない。
コンテナの入り口に誰かが立っている。
寺坂だ。
全身に粘着テープが巻かれているが、その足はしっかりと地面を踏み締めている。
一瞬、彼と目があった気がした。
その目がなにを考えているのかわからない。
いや、そもそも今の俺に、そんなことを考える余裕すら残っていなかった————。




