第10話
そこには真っ赤な蓮の花道を悠々と歩む虎の刺青が彫られていた。
虎の毛並みは波打っていて、牙をむき出し、鋭い視線を前方に向けている。その前方というのが、まさに手の方——寺坂の顔に向けられていた。
「こういう職業をやってるとな、どうやったら意識を失わせずに苦しめられるかってのがわかるんだ」
背筋がゾッとした。
寺坂も感じたのだろう。彼もそれなりに悪い連中と付き合ってきたはずだ。けど、〝マジもん〟は初めてだったみたいだ。
寺坂はいまだに笑みを浮かべている。
だが、それは先ほどよりも強張っていた。
増倉さんが寺坂を無理やり引っ張っていく。引っ張られる側は多少の抵抗はするが、千鳥足でついていく。
「外」の出口。増倉さんは寺坂を〝外〟へ放り出した。
雑木林の始まり。まだ落ち葉の絨毯が薄いところに寺坂は尻餅をつく。
「今回は見逃してやる。けど、次近づいてきたら楽しい時間が始まるから、覚悟しておけ」
「舐めやがって……」
寺坂が歯を食いしばりながら立ち上がると、増倉さんは大きな音を立てて(剣道の踏み込みみたいに)一歩前に出る。寺坂は狼狽し、二、三歩下がった。
「クソが!!」
吐き捨てるように叫ぶと、彼は雑木林の中へと走っていった。
静寂が部屋を満たす。
虎をまとった増倉さんは骨川のことを見た。
「ぼ、ぼぼ、ぼくは止めたんだ。止めたんだよ……」
そういって素早い身のこなしで「内」の扉を開けると、逃げるようにコンテナの中に入っていった。
「増倉さん……」
つっかえるように言葉を吐いた。どんな言葉をかけるのが正解かわからない。
増倉さんはこちらを見ると————
「あぁ〜、疲れたぁ〜」
へなっとした笑みを浮かべた。その笑みには見るものを安心させる、あどけなさが秘められていた。
「ごめんな、驚かせてしまって」
「その体は……」
増倉さんは自分の腕に彫られた絵画を一瞥した。
「俺さ、タトゥー入れるのが趣味なんだよ。いまの仕事を始めてからハマってさ。気づいたらこんな立派なもんを入れるようになってて」
「いまの仕事って……」
増倉さんは恥ずかしそうに笑みを浮かべると
「ゲーム実況者やってんだ」と言ってサングラスを外した。そこには傷もなくつぶらな瞳だけがあった。
「——なんて言っても信じてくれねぇだろうな」
「……そう、ですね」俺は唇を震わせながら頷いた。
「うわ、意外と素直だな」増倉さんは笑った。
「でも夏目もちほさんも文人も、これだけは信じてほしい」
増倉さんは3人の前で正座をすると、背筋をピンと伸ばした。その佇まいが、彼がその道の人ではないかという疑いをより深めてしまう。
「俺はみんなの味方だ。この狂った世界から1日も早く脱出したいと思ってる。それだけは信じてくれ!」
ちほさんのことを見る。彼女もこちらを見ていた。その顔には戸惑いが浮かんでいる。
彼の言葉に嘘は感じられなかった。けど、所詮は17の感性だ。大人がその気になれば17歳なんて簡単に騙せる。
世界では一人前の大人でさえ騙されてしまうような仕掛けがたくさんある。それに比べれば俺の存在なんて泡沫のようなものだ。
つまり、彼が〝そちら側の人間〟であることは、その一挙手一投足を信用してはならないということ。
「イレズミの入った実況者……」
後ろで文人が顔を上げた。
「チャンネルの名前とか聞いてもいい?」
「ナグラって名前で活動してる。知ってるか?」
増倉さんのまっすぐな目に、文人の怯えた瞳は水を得た魚のように輝き出した。
「知ってるもなにもないよ。
————ぼく、ナグラさんの動画に参加してるよ!!」
その場にいた全員が文人のことを見た。
「ねぇ、ぼくのことわからない、ナグラさん?」
増倉さんはゆっくりとした動作で手を口に持っていった。まるで三千里離れた息子と再会した父親のような仕草だった。
「おまえ……もしかして、シエルか!?」
文人は満面の笑みと表現するには物足りない。治安の悪い国で心の底から安心できる空間を見つけたときに浮かべるような笑みを見せると、
増倉さんに抱きついた。
「ナグラさんだ〜。まさかここで会えるとは思わなかったよ〜」
「俺もだよ、シエル。こんなところで会えるなんて……」
文人は嬉しそうなのだが、増倉さんはそれこそ長年離別していた親子の再会とでもいうように文人を抱きしめている。文人が笑顔で「苦しいよ、ナグラさん」といっても離そうとしない。肩は震えていた。
ようやく解放された文人はこちらを見た。
「二人とも、この人は嘘をつくような人じゃないよ。僕が保証する」
まっすぐな目で見つめてくる。
俺はちほさんのことを見た。ちほさんもこちらを見ていた。その顔は先ほどよりも柔らかかった。
「文人くんがそこまでいうんなら信じてもいいのかな」ちほさんがいう。
「そうだな。もし裏切ったら文人のせいってことで」
「なんだよ、それ! セキニンテンカとかよくないぞぉ!」
文人が頬を膨らませたところで四人は笑い合った。まだ完全に増倉さんのことを信じたわけではない。でも、彼と文人さんとの関係は一朝一夕のものではないだろうという根拠のない確信に緊張は緩んだ。ここ2週間で初めて心の底から笑えたと思う。むかし、笑うことは健康にいいとテレビでいっていたが本当だ。笑うにつれて凝り固まった心の筋肉がほぐれていく感じがする。
ひとしきり笑い終えると一瞬だけ沈黙が流れた。みんな、次になにを考えるべきかわかっていた。
「寺坂と骨川、ですね」




