夢世40
「うー、寒い! 今年の冬は尋常じゃないわねー。栞、あんたはさ、さっさと天国行っちゃって狡いよ」
楓さんが正座して、3段の小さなタンスの上に載せられた栞さんの遺影に、身を縮めながら手を合わせている。
「楓さん。お母さんはきっと今、痛みもなくて、苦しくもなくて、暖かな場所で、ゆーっくり、休んでいると思いますよ」
優が後ろから声をかける。
「そうだろうねぇー、きっとさ、雅弘さんと仲良く手なんか繋いじゃってさ、春の海辺でも散歩してるんだろうねー」
楓さんは、そのままの姿勢で後ろにいる優の言葉に相槌を打った。
そして膝をついた状態のまま反転したかと思うと、ズリズリと両手で体を引きずり、素早くコタツの中へと滑り込んだ。
「楓さん! これから買出し! 一緒に行くって約束したでしょ!」
優が慌てて楓さんの褞袍を後ろから引っ張る。
「だって寒いんだもん! 今日はやめとく。明日は行くから! 絶対! いや……きっと行くから! お願い! そんなに引っ張らないで! 破けちゃう! 私の褞袍ちゃんが破けちゃう!」
楓さんはコタツにしがみつき、必死に抵抗する。
「ねえ、まだ行かないの? 特売の白菜、無くなっちゃうよ!」
そこへ玄関先で待っていた恵が、顔を覗かせる。
「恵! 手伝って! 楓さんがコタツから出てくれないんだ!」
優は、持ち手を楓さんの褞袍から腰周りに持ち替え、力一杯引っ張りながら恵を呼ぶ。
「楓さん! 約束は守らなくちゃいけないんだよ!」
恵も優を真似て楓さんの腰に抱きつく。
コタツを中心に、まるで押し競饅頭でもしてるかのように、3人は揉みくちゃになる。
「降参! 降参! 分かったから! もう分かったから! 行きます! 行かせていただきます!」
楓さんが苦しげに叫ぶ。
「やったー! 僕らの勝ちだー!」
優が恵を見つめながら、雄叫びをあげる。
恵も拳を上に突き出して、勝利のポーズを決めた。
楓さんはノソノソと芋虫のようにコタツから這い出て「負けたー」と悔しそうに天を仰いだ。
「ほら! 早く準備して下さい!」
優が、まだ荒く息をしている楓さんの顔を上から覗き込みながら、声をかける。
「もう、容赦ないんだから……」
楓さんは愚痴をこぼしながらもゆっくりと立ち上がり、準備を始めた。
優の視界には12月のカレンダーが映り込んでいた……。
✳︎✳︎✳︎
街はどことなく落ち着きがなく、そわそわしているように感じる。年末ということで忙しいのもあるのだろうが、それだけではなさそうだ。
「うー、寒いー、やっぱり今日は、家でコタツがベストだったなー」
首に巻いたマフラーに顔を埋め、優と恵に聞こえるように楓さんが毒づく。
「まったく、まだそんなこと言ってるんですか? 楓さんも絵の具、買い足さなきゃって言ってたじゃないですか!」
優が呆れ顔で答える。
「……それはそうだけど、それは別に、今日いかなくても……」
口籠もりながら楓さんが呟く。
商店街の中に入ると、アーケードの入り口からずっと先まで、煌びやかなネオンが続いている。
「……そっかもうすぐ、クリスマスかー」
楓さんはネオンをぼんやりと眺めながら、無意識にそう口にしていた。
「ほら、早く行きますよ!」
優が楓さんの肩をポンと軽く叩く。
そこへ恵がちょこちょことやってきて、ポケットに突っ込んでいた楓さんの左手を無理矢理引っ張り出して握った。
「ポケットに手を入れたまま歩いたらいけないんだよ!」
恵は楓さんの手を握ったまま、何食わぬ顔で歩き出した。
ずっと、楓さんと手を繋ぐタイミングを探していたようだ。
優の視線は、しばらく恵と楓さんの繋がれた手に注がれていた。
「優も早く手をちょうだい、右手が寒いから」
楓さんが右手を伸ばして待っている。
「でも……」
「ほら! 早くしてって!」
優は、恥ずかしがりながらも左手で楓さんの手を握った。
楓さんの顔を見上げてみると、恵と同様に満足気だった。
「お父さん! お母さん! 僕のクリスマスプレゼント、やっぱり前言ったゲーム機でいいや」
目的の店を目指し歩いている途中で、優と同じくらいの男の子が両親を振り返り、声高らかにそう宣言した。
「私は、お人形さんが住むお家にするー」
両親に挟まれるように手を繋いでいる女の子が、お兄ちゃんに負けじと声を上げる。こちらも恵とそう変わらなそうな年頃の女の子だ。
「そうかそうか、分かったよ! 2人とも良い子にしてたからな!」
父親が笑いながら、2人に返事をする。
「もう! お父さんたら甘いんだから……。去年買ってあげたオモチャだって、2人共すぐに飽きちゃったじゃないの!」
母親が苦言を呈する。
「ハハハ、良いじゃないか! クリスマスなんだから、欲しい物を買ってあげるのがサンタさんの務めだろ!」
お父さんが、子供達にまた笑いかける。
「さすが! お父さん!」
「お父さん大好き!」
子供達が、父親に勢い良く抱きつく。
「もう!」
母親は最初不満そうな顔を見せたが、すぐに思い直したのか、和かな笑みを浮かべた。
クリスマスシーズンになると、其処彼処で見られる微笑ましい光景だが、生活していくのがやっとの家族には、傷口に塩を塗るほどの痛みが胸に押し寄せる。
「ほら早く! 買物! 買物! 白菜なくなっちゃいますよ!」
優がわざと大きな声を張り上げて、楓さんと恵に呼び掛ける。
2人は優の言葉に従い歩き出したが、その足取りは、先ほどまでとは異なり、重そうだった。
✳︎✳︎✳︎
買物を終え、家に着くと、特売品の白菜、椎茸に加え人参、長ネギに鶏胸肉で水炊きをした。
「これ美味しい! 優また腕を上げたねー!」
楓さんがその場の空気を変えようと、大げさに喜んで見せる。
「水炊きですよ、特に何も味付けなんてしてないです。美味しいとしたら、ポン酢の味じゃないですかね。じゃ、僕もいただきます」
優は台所の整理をある程度終えると、コタツを挟んで楓さんの正面に腰を下ろした。
優の心は、もう通常営業に戻っているらしい。
優の斜向かいに座って、行儀良く食材を口に運んでいる恵の表情も、いつもと変わらない。
「……あ、そう」
2人の様子を見て拍子抜けした顔をしながら、楓さんが答える。
その後、3人はいつも通りたわいもない話を挟みながら、食事を進めた。
だが、食事を終え、楓さんが徐にテレビの電源を入れた時、恵が「あ!」っと小さな声を漏らした。
テレビ画面には、可愛らしい人形と一緒に、ドールハウスが映っていた。
「ほら恵! 食べ終わったお茶碗は、台所まで出して!」
優が慌てて恵に声をかける。
「うん! 今、持って行く!」
恵も慌ただしく立ち上がると、食器をまとめ台所まで持っていった。
台所にいる優からは、楓さんの後ろ姿しか確認できないが、ただ普通にテレビを見ているように思えた。