夜間部の仲間たち
ベルフォート王宮の地下拘束区画。
エドモンドが姿を消してから、すでに一時間が経過していた。
崩落した通路では、警備兵たちが瓦礫を取り除き、負傷者の救助を続けている。
ゼノンは、セドリックとルイスを伴い、警備責任者から報告を受けていた。
「負傷者は七名。幸い、死者は出ておりません」
「そう。よかった」
ゼノンは静かに頷いた。
「エドモンドの協力者は?」
「現在、三名を拘束しております。ただし、ほかにも関与した者がいる可能性があります」
ルイスが眉を寄せた。
「警備記録をすべて確認してください。特に、拘束区画へ出入りした者を重点的に」
「かしこまりました」
警備責任者が頭を下げて去っていく。
セドリックは、壁に残された大きな亀裂を見つめた。
「派手にやってくれたな」
「そうだね」
ゼノンが答える。
「でも、少し気になることがある」
「何だ?」
「エドモンドは、ヴェロニカを連れ出せないと分かっても、すぐには帰らなかった」
ルイスが顔を上げた。
「何か別の目的があったと?」
「可能性はあるね」
ゼノンは静かに頷いた。
「王宮の警備体制を調べるためだったのか。それとも、僕の王家の命令がどこまで作用するのか、確かめたかったのか」
セドリックが腕を組んだ。
「後者はありそうだな。あいつ、王家の命令に異常なほど執着してるからな」
「うん」
ゼノンは、ヴェロニカの拘束室へ視線を向けた。
「だからこそ、次はもっと慎重に動いてくると思う」
◇
「ゼノン」
ルイスが声をかけた。
「一つ、提案があります」
「何?」
「夜間部の生徒たちにも、今回の件を共有した方がいいのではないでしょうか」
ゼノンは、少しだけ考えた。
「夜間部に?」
「はい」
ルイスは頷いた。
「アストリア共生学園の夜間部には、実戦経験のある者も多くいます。特に、あなたの周囲にいる者たちは信頼できます」
セドリックが笑った。
「俺たちの仲間ってことか」
「そうです」
ルイスは静かに答えた。
「ラビさん、クロードさん、ノエルさん。彼らにも協力を求められると思います」
ゼノンは、しばらく黙っていた。
ラビ。
クロード。
ノエル。
学園で長く一緒に過ごしてきた仲間たち。
彼らは、ゼノンが王家の血を引いていることを知っている。
そして、ルシアがどれほど大切な存在なのかも。
「……そうだね。ラビなんかは本当にセドリックの身内だし」
ゼノンは静かに頷いた。
「みんなにも、話しておこうか」
◇
翌日の夜。
アストリア共生学園の夜間部校舎。
普段は生徒たちの声が響く談話室に、数人のヴァンパイアが集まっていた。
中央のソファには、ゼノン。
その隣には、ルシアが座っている。
セドリックは窓際に立ち、ルイスは机の上へ資料を並べていた。
少し離れた場所では、ラビが椅子に腰掛けている。
「いやぁ、随分と物騒な話になってきたねぇ」
ラビが呟いた。
「王宮にまで侵入されるとは思わなかったよ」
セドリックが肩をすくめる。
「笑い事じゃねえぞ、ラビ」
「笑ってないって」
ラビは軽く手を振った。
「それより、ゼノン。ルシアちゃんは大丈夫なの?」
ゼノンが頷く。
「今は落ち着いてるよ」
「そっか。ならよかった」
ラビは、私へ視線を向けた。
「ルシアちゃん、怖い思いしたね」
「……うん。でも、大丈夫」
私は小さく微笑んだ。
「ありがとう、ラビ」
そのときだった。
談話室の扉が勢いよく開いた。
「お待たせー!」
明るい声が響く。
入ってきたのは、クロード・レヴェルだった。
整った顔立ち。
少し着崩した夜間部の制服。
そして、いつもの軽薄そうな笑顔。
「いやぁ、可愛い女の子からのお誘いかと思ったら、まさかの緊急招集!」
クロードは大袈裟に肩を落とした。
「俺の貴重な夜を返してほしいねぇ」
セドリックが呆れたように答える。
「だったら帰れ」
「冷たっ!」
クロードが胸を押さえる。
「お前、俺がいなくなったら寂しいくせに!」
「一ミリも」
「即答!?」
私は、思わず小さく笑ってしまった。
クロードさんは、そんな私に気づくと嬉しそうに微笑んだ。
「おっ、ルシアちゃん!」
「こんばんは、クロードさん」
「こんばんは、お姫様。今日も可愛いねぇ」
クロードさんは、私の手を取ろうとした。
けれど、その前にお兄様が静かに口を開いた。
「クロード」
「はいはい、分かってますよー」
クロードさんは、すぐに両手を上げた。
「ゼノンの大事なお姫様には、触れませんって!」
セドリックさんが吹き出した。
「学習したな」
「俺だって命は惜しいからね!」
クロードさんは胸を張り、わざと威張ったポーズをとりながら笑い、空いている椅子へ腰を下ろした。
◇
「……遅れた」
今度は、静かな声が聞こえた。
扉の前に立っていたのは、ノエル・アシュフォードだった。
整った顔立ち。
落ち着いた雰囲気。
そして、必要以上に言葉を発しない青年。
「ノエル!」
クロードさんが顔を上げる。
「お前、来られたのか!」
ノエルさんは小さく頷いた。
「……休み、取れた」
「忙しいんだろ? 最近全然学園にも来てなかったじゃん」
「……うん」
ノエルさんは短く答えた。
「でも、大事」
その言葉に、談話室が少しだけ静かになった。
ノエルさんは、私へ視線を向けた。
「……ルシア」
「はい?」
「……無事?」
私は小さく頷いた。
「はい。大丈夫です」
ノエルさんは、少しだけ安心したように目を細めた。
「……よかった」
その短い言葉が、ひどく優しく感じられた。
クロードさんが笑う。
「相変わらず省エネだなぁ、お前!」
ノエルさんは、何も答えなかった。
ただ、空いている椅子へ静かに腰を下ろした。
◇
全員が揃うと、ゼノンが口を開いた。
「今日は、みんなに話しておきたいことがある」
談話室が静かになる。
ゼノンは、これまでに起きた事件について説明した。
十一年前の王家襲撃。
アルフォンスとロザリアの死。
先代女王マリアとセオドールの殺害。
そして、エドモンドが現在もルシアを狙っていること。
さらに、ゼノン自身の心臓を奪い、王家の命令を手に入れようとしていることも。
話を聞き終えたクロードは、珍しく黙っていた。
「……マジかよ」
その声には、いつもの軽さがなかった。
「お前の心臓を食うって?」
ゼノンが頷く。
「そういうことみたいだね」
クロードは、しばらくゼノンを見つめていた。
やがて、低く息を吐く。
「冗談じゃねえな」
その指先に、小さな炎が灯った。
「そんな奴、放っておけるかよ」
セドリックが笑った。
「珍しくまともなこと言うじゃねえか」
「俺だって、やるときはやるんだよ」
クロードは、指先の炎を消した。
「女の子を泣かせる奴は嫌いなんでね」
その視線が、私へ向けられる。
「ルシアちゃん、心配すんな」
クロードさんは、いつもの笑顔を浮かべた。
「俺たちがついてるからさ」
私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
◇
「……ゼノン」
ノエルさんが静かに口を開いた。
「何?」
「……俺も、行く」
ゼノンが少しだけ目を見開いた。
「ノエル?」
「……戦える」
短い言葉だった。
けれど、その声には迷いがなかった。
「……守る」
ノエルさんは、私とゼノンを交互に見た。
「……二人とも」
私は、思わず目を伏せた。
嬉しかった。
こんなにも、私たちのことを大切に思ってくれる人がいる。
そのことが。
ラビが、楽しそうに笑った。
「じゃあ、オレも本気出さないとねぇ」
セドリックが眉を寄せる。
「ラビは最初から本気出せよ」
「分かってるって!」
ラビは笑いながら立ち上がった。
「ルシアちゃんを守るのは、オレの役目でもあるからね」
ゼノンは、全員を見渡した。
「ありがとう」
その声は、いつもより少しだけ真剣だった。
「でも、無理はしないでほしい」
クロードが笑った。
「それ、お前が言う?」
セドリックも頷いた。
「一番無茶しそうなの、お前だろ」
ゼノンは少しだけ困ったように笑った。
「……そうかな」
「そうだよ!」
クロードが即答した。
談話室に、小さな笑い声が広がった。
◇
しばらくして。
私は、窓際に立っていた。
夜の学園。
隣には、昼間部の校舎が見える。
以前は、あちらに通っていた。
何も知らずに。
自分が人間だと信じて。
ミアと笑っていた頃。
もう、あの頃には戻れない。
けれど、今は。
夜間部にも、こうして大切な人たちがいる。
「ルシア」
お兄様が隣へ来た。
「どうしたの?」
「……ううん」
私は小さく首を振った。
「みんな、優しいね」
お兄様が微笑んだ。
「そうだね」
「私、嬉しい」
私は、談話室の方へ視線を向けた。
クロードさんが、何かを言ってセドリックさんに怒られている。
ラビが笑い、ルイスさんが呆れたようにため息をついている。
ノエルさんは、静かにその様子を眺めていた。
「……お兄様」
「何?」
「絶対に、みんなで帰ってこようね」
お兄様は、少しだけ目を見開いた。
それから、優しく微笑んだ。
「うん」
その手が、私の手を包む。
「約束だよ」
私は、小さく頷いた。
そのとき、談話室の奥からクロードさんの声が響いた。
「おーい! そこの仲良し兄妹!」
私たちは同時に振り返った。
「二人だけでいい雰囲気になってないで、こっち来いよ!」
セドリックさんが呆れたように言う。
「お前、少しは空気読め」
「空気はお前の担当だろ?」
「そういう意味じゃねえ!」
思わず笑ってしまった。
お兄様も、小さく笑っている。
私は、その手を握り直した。
怖いことは、まだたくさんある。
エドモンドは、今もどこかで私たちを狙っている。
けれど。
もう、一人ではない。
大切な人たちがいる。
守りたい人たちがいる。
そして。
私も、誰かを守れるようになりたい。
◇
夜間部の談話室での集まりが終わったのは、日付が変わる少し前だった。
ルイスさんは王宮へ戻り、ノエルさんも翌日の仕事があるため先に帰っていった。
クロードさんは最後まで残っていたけれど、帰り際にも相変わらずだった。
「いやぁ、今日は可愛いルシアちゃんに会えてよかった!」
「クロード、帰るんじゃなかったの?」
お兄様が穏やかに尋ねる。
「帰る帰る! そんな怖い顔すんなって!」
「普通の顔だけど?」
「いやいや、目が笑ってないから!」
クロードさんは大袈裟に肩をすくめた。
「じゃあな、ルシアちゃん! 今度、俺と二人でデートでも――」
「クロード」
「冗談だって! 最後まで言わせろよ!」
セドリックさんが呆れたように笑った。
「お前、毎回同じことやってんな」
「だって、ルシアちゃんが可愛いんだもん。仕方ないだろ?」
「仕方なくないよ」
お兄様が即答する。
クロードさんは胸を押さえた。
「うわぁ、独占欲強すぎ! お兄様って大変だねぇ!」
私は思わず苦笑した。
「クロードさん、また今度みんなでお話ししましょうね」
「もちろん! そのときは可愛い女の子も紹介してね!」
「結局それかよ」
セドリックさんが笑う。
クロードさんは最後まで賑やかに手を振りながら、談話室を出ていった。
◇
帰りの馬車では、私はお兄様の隣に座っていた。
足元にはルナ。
向かいにはセドリックさんが腰掛けている。
窓の外には、夜の王都が広がっていた。
「今日は楽しかった?」
お兄様が尋ねる。
「うん」
私は小さく微笑んだ。
「久しぶりにみんなとゆっくり話せたから」
「そうだね」
「ノエルさんも来てくれたし」
お兄様が頷いた。
「最近は仕事が忙しいみたいだからね」
「うん。わざわざ休みを取ってくれたんだよね」
「そうらしいよ」
私は、少しだけ嬉しくなった。
ノエルさんは、あまり多くを話さない。
けれど、今日も短い言葉で私たちを気遣ってくれた。
『……守る』
その言葉が、今も胸に残っている。
「……みんな、本当に優しいね」
私が呟くと、セドリックさんが笑った。
「まあ、あいつらは昔からあんな感じだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。クロードは昔から女好きだし、ノエルは昔から無口だしな」
私は小さく笑った。
「想像できます」
「でも、いざってときは頼りになる連中だ」
セドリックさんは、少しだけ真剣な表情になった。
「だから、何かあったら遠慮なく頼れよ」
「……はい」
私は頷いた。
お兄様も、隣で微笑んでいた。
◇
屋敷へ戻ると、玄関にはアルベルトが待っていた。
「遅かったな」
「ただいま、アル」
「おかえり。話は済んだのか?」
お兄様が頷く。
「うん。みんな協力してくれるって」
「そうか」
アルベルトは、少しだけ安心したように息を吐いた。
「なら、よかった」
私はアルベルトを見上げた。
「アル」
「何だ?」
「今日、ノエルさんも来てくれたんだよ」
「そうか。最近は忙しいと聞いていたが」
「うん。お仕事を休んで来てくれたの」
「律儀な奴だな」
アルベルトは小さく笑った。
「お前も、いい仲間に恵まれたな」
私は頷いた。
「……うん」
その言葉が、嬉しかった。
◇
その日の夜。
王都から離れた森の奥にある屋敷では、ミアが一人、窓辺に座っていた。
目の前には、月明かりに照らされた庭園が広がっている。
「ルシア、今何してるのかなぁ」
ミアは、小さく呟いた。
王宮から逃げ出して、ようやく自由になれた。
けれど、まだルシアには会えていない。
エドモンドは、もう少し待つように言っていた。
今度こそ、誰にも邪魔されずに会えるようにするためだと。
「早く会いたいなぁ」
ミアは、楽しそうに微笑んだ。
そのとき、扉が叩かれた。
「ミア」
「はーい!」
扉が開き、一人の男が姿を現した。
「エドモンド様がお呼びだ」
ミアの表情が明るくなる。
「ルシアのこと!?」
「詳しいことは、直接聞け」
「分かった!」
ミアは勢いよく立ち上がった。
そして、嬉しそうに廊下へ飛び出していった。
◇
書斎では、エドモンドが一通の手紙を読んでいた。
机の上には、ヴァルディエ家に関する資料が並べられている。
ミアが入ってくると、エドモンドは顔を上げた。
「やあ、ミア」
「エドモンド様!」
ミアは嬉しそうに笑った。
「ルシアに会えるんですか!?」
「まだだよ」
「えー!」
ミアは不満そうに頬を膨らませた。
エドモンドは、小さく笑った。
「そんなに急がなくても、もうすぐ会える」
「本当ですか?」
「ああ」
エドモンドは頷いた。
「そのために、君に少し手伝ってほしいことがあるんだ」
ミアは首を傾げた。
「手伝う?」
「そう」
エドモンドは、机の上の手紙を置いた。
「ゼノンを、ルシアから引き離すための準備だよ」
ミアの表情が明るくなる。
「あっ、それなら大歓迎です!」
エドモンドは、満足そうに微笑んだ。
「いい子だね」
そして、静かに続けた。
「君には、少しだけ我慢してもらうことになるけれど」
「我慢?」
「ルシアに会えるまでは、勝手に動かないこと」
ミアは、少しだけ考えた。
それから、大きく頷いた。
「分かりました!」
エドモンドは、楽しそうに笑った。
「よろしい」
その赤い瞳が、机の上の写真へ向けられる。
ルシア。
漆黒の髪。
深紅の瞳。
ロザリアの面影を残す、美しい純血の王女。
「もう少しだよ、ルシア」
エドモンドは、小さく呟いた。
「今度こそ、君を迎えに行く」
その声は、誰にも届かなかった。




