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封じられた王家の記録

もうチラッと出てきた内容がありますが

おさらいとして見て下されば嬉しいです....



 屋敷の地下から、重い金属音が響いた。


 続いて、足元を伝わるような鈍い振動。


 私は思わずお兄様の袖を握り締めた。


「お兄様、今の音……」


「地下からだね」


 お兄様は、黒い煙が立ち上る屋敷へ視線を向けた。


 エドモンドの姿は、もう見えない。


 けれど、あの男が何もせずに立ち去るとは思えなかった。


「セドリック」


「分かってる」


 セドリックさんが片手を上げた。


 次の瞬間、庭園の空気が大きく動いた。


 屋敷の窓から噴き出していた黒い煙が、強い風に押し流されていく。


 視界を覆っていた煙が薄くなり、ようやく玄関の様子が見えるようになった。


「火は?」


 お兄様が尋ねる。


「煙の量に比べて熱が少ねえな。火災じゃなくて、目くらましの可能性が高い」


「そう」


 お兄様は静かに頷いた。


 その隣では、アルベルトが警備兵へ指示を出していた。


「屋敷の出入口を封鎖しろ。地下へ続く通路もだ。許可のない者は通すな」


「かしこまりました!」


 警備兵たちが走り出す。


 私は、改めて庭園を見渡した。


 砕けた石畳。


 折れた木々。


 アルベルトの異能によって作られた氷の破片。


 そして、割れた窓。


 つい先ほどまで、ここでエドモンドと戦っていた。


 あの男に腕を掴まれた感覚が、まだ残っている。


「ルシア」


 お兄様が私の顔を覗き込んだ。


「身体は大丈夫?」


「……うん」


「本当に?」


 私は少しだけ迷った。


 ルナと一緒に何度も反射を使ったせいか、身体の奥に重い疲労が残っている。


 けれど、怪我はなかった。


「少し疲れたけど、大丈夫だよ」


 お兄様は私の手を取った。


「今日は、もう十分頑張ったからね」


「でも……」


 私は屋敷へ視線を向けた。


「エドモンドが、何かしたんでしょう?」


「そうだね」


「私も、知りたい」


 お兄様は、しばらく私を見つめていた。


 それから、小さく頷いた。


「分かった。ただし、無理はしないこと」


「……うん」


 私は、その手を握り返した。


     ◇


 屋敷へ戻ると、使用人たちが慌ただしく行き交っていた。


 幸い、黒い煙による大きな被害は出ていなかった。


 けれど、地下へ続く廊下の扉が破壊されている。


 アルベルトが、その扉を見つめた。


「ここから入ったらしいな」


 セドリックさんが周囲を確認する。


「警備兵は?」


「二人が倒れていた。命に別状はないが、意識を失っている」


「手際がいいな」


 セドリックさんが眉を寄せた。


「最初から地下を狙ってたってことか」


「おそらくね」


 お兄様は静かに答えた。


 私は、壊された扉を見つめた。


 ヴァルディエ家へ来てから、何度もこの廊下を通ったことがある。


 けれど、その先へ入ったことはなかった。


「お兄様」


「何?」


「地下に、何があるの?」


「王家の記録庫だよ」


「記録庫……?」


「うん。ヴァルディエ家の歴史や、歴代の王に関する資料を保管している場所なんだ」


 私は小さく頷いた。


「そんな場所があったんだね」


「普段は立ち入りを制限しているからね」


 お兄様は、破壊された扉へ視線を向けた。


「でも、エドモンドが何を探していたのかは、僕にも分からない」


     ◇


 地下へ続く階段は、思っていたよりも長かった。


 壁には古い燭台が並び、薄暗い通路を照らしている。


 先頭を歩くのは、ガルとレオ。


 二匹の黒狼は、周囲を警戒しながら静かに進んでいた。


 その後ろには、お兄様とセドリックさん。


 私はエリーゼと並んで歩き、ルナが足元についてきている。


 アルベルトは最後尾から周囲を確認していた。


「ルシア、疲れてない?」


 エリーゼが小さな声で尋ねた。


「うん。大丈夫」


 私は微笑んだ。


 けれど、エリーゼの首筋へ視線を向けた瞬間、胸が痛んだ。


 そこには、エドモンドにつけられた小さな傷が残っている。


「……エリーゼ」


「何?」


「首、大丈夫?」


 エリーゼは自分の首筋へ手を当てた。


「ああ、これ?」


「うん」


「もうほとんど治っているわ。心配しないで」


 私は小さく頷いた。


「……ごめんね」


 エリーゼが足を止めた。


「ルシア」


「……何?」


「あなたが謝ることじゃないでしょう?」


 私は俯いた。


「でも、私を守ろうとして……」


「私が自分で決めたことよ」


 エリーゼは、そっと私の手を握った。


「あなたは私の大切な友達なんだから」


 その言葉に、胸が温かくなる。


「……ありがとう」


 私は、小さく微笑んだ。


     ◇


 やがて、通路の奥に大きな扉が現れた。


 重厚な黒い扉。


 中央には、ヴァルディエ家の紋章が刻まれている。


 けれど、その扉はすでに開かれていた。


「……開いてる」


 私が呟くと、お兄様が頷いた。


「誰かが先に入ったんだね」


 ガルとレオが、扉の両脇へ分かれる。


 セドリックさんが片手を上げた。


 空気が静かに動き、扉の向こうへ流れ込んでいく。


「奥に一人いるな」


 アルベルトが一歩前へ出た。


「俺が先に行く」


 その周囲に、鋭い氷槍がいくつも形成された。


 お兄様が頷く。


「お願い」


 アルベルトが扉を押し開ける。


 中は、広い部屋だった。


 壁一面に書棚が並び、古い書物や巻物が保管されている。


 中央には大きな机。


 その奥に、もう一つ小さな扉があった。


 けれど、室内は荒らされていた。


 床には書類が散乱し、棚の一部が倒れている。


「随分と派手に探したみたいだな」


 セドリックさんが呟いた。


 お兄様は、床に落ちていた一冊の本を拾い上げた。


「王家の系譜……」


 ページをめくる。


 その手が止まった。


「……ここだけ破られてる」


 私は、そっと近づいた。


「何が書いてあったの?」


「先代の王族についてだよ」


 お兄様は静かに答えた。


「僕たちの祖父母の時代の記録だね」


 祖父母。


 その言葉に、私は顔を上げた。


「マリアお祖母さまと、セオドールお祖父さま?」


「うん」


 お兄様は頷いた。


「二人が王位を譲った頃の記録だと思う」


 私は、幼い頃の記憶を辿った。


 マリアお祖母さま。


 セオドールお祖父さま。


 二人の姿を、私はほとんど覚えていない。


 お父さまとお母さまから話を聞いたことはあるけれど、私が物心つく頃には、すでに長い眠りについていたからだ。


「お祖母さまたちのこと、あまり覚えてない……」


 私が呟くと、お兄様が優しく微笑んだ。


「ルシアは小さかったからね」


「……うん」


「でも、二人ともルシアが生まれたことを、とても喜んでいたんだよ」


 私は顔を上げた。


「本当?」


「うん。特にお祖母さまはね」


 お兄様は少しだけ懐かしそうに笑った。


「ルシアを抱っこして、なかなか離してくれなかった」


 その言葉に、胸の奥が温かくなった。


「……そうなんだ」


 もう会えない人たち。


 けれど、私を大切に思ってくれていた人たち。


 その存在が、少しだけ近く感じられた。


     ◇


 そのときだった。


 奥の小さな扉から、微かな物音が聞こえた。


 ガルとレオが同時に顔を上げる。


 ルナも低く唸った。


「誰かいる」


 私が小さく呟くと、お兄様が頷いた。


「そうだね」


 アルベルトが一歩前へ出た。


「俺が開ける」


 その手元に、氷の槍が形成される。


 セドリックさんも、静かに構えた。


 お兄様が私を振り返る。


「ルシア、少し離れていて」


「うん」


 私はエリーゼと一緒に後ろへ下がった。


 アルベルトが扉へ手を伸ばす。


 ゆっくりと開く。


 その瞬間。


 中から、黒い影が飛び出した。


「……っ!」


 アルベルトが氷槍を放つ。


 鋭い音が響き、影の進路を塞いだ。


 セドリックさんが手を振る。


 空気が渦を巻き、飛び出してきた人物の身体を押し戻した。


「捕まえた!」


 その声と同時に、アルベルトが氷の檻を形成した。


 黒い影は、その中へ閉じ込められる。


「……誰?」


 私は、恐る恐る顔を上げた。


 氷の向こう。


 そこには、黒い外套を着た男が立っていた。


 顔には仮面。


 そして、胸元には見覚えのある紋様。


「……あ」


 私は息を呑んだ。


 数日前。


 庭園の塀の外で見つかった、黒い金属の留め具。


 そこに刻まれていた紋様と、同じだった。


「お兄様」


「うん?」


「あの人の胸元……」


 お兄様が視線を向ける。


 その表情が変わった。


「……なるほど」


 セドリックさんが眉を寄せる。


「エドモンドの手下か」


 男は何も答えなかった。


 ただ、氷の檻の中で静かに立っている。


 お兄様が、一歩近づいた。


「君に聞きたいことがある」


 男は顔を上げた。


 仮面の奥から、赤い瞳が覗く。


 お兄様は静かに告げた。


「――これは、王家の命令だ」


 その瞬間。


 男の身体が強張った。


「誰の命令で、ここへ来たの?」


 男の唇が震えた。


「……エドモンド様です」


「何を探していたの?」


「歴代の王に関する記録を……」


「どの記録?」


「王家の命令を発現した者たちの記録です」


 お兄様の赤い瞳が細められる。


「どうして?」


 男は、苦しそうに顔を歪めた。


「エドモンド様は……王家の命令を手に入れようとされています」


 セドリックさんが眉を寄せた。


「手に入れる?」


「はい」


 男は震える声で続けた。


「ロザリア様の心臓を食べ、治癒の異能を奪うことができたため……」


 私は息を呑んだ。


 お母さまの心臓。


 あの日、エドモンドが奪ったもの。


「ほかの異能も、同じ方法で奪えるのではないかと……」


 お兄様は、しばらく男を見つめていた。


「それで、誰の心臓を狙っているの?」


 男の唇が震えた。


 そして、ゆっくりと答えた。


「……ゼノン様です」


 室内が静まり返った。


「……え?」


 私は思わず、お兄様を見た。


 ゼノンは、表情を変えなかった。


「僕の心臓を?」


「はい」


「王家の命令を奪うために?」


「はい」


 男は頷いた。


「エドモンド様は、ゼノン様の心臓を食べれば、王家の命令が発現するのではないかと考えておられます」


 私は、胸元で手を握り締めた。


「……そんな」


 お兄様の心臓を。


 あの男が。


 お母さまと同じように。


「……嫌」


 思わず声が零れた。


「そんなの、絶対に嫌……!」


 お兄様が、すぐに私へ振り返った。


「ルシア」


 私は、その服を掴んだ。


「お兄様まで、あいつに……!」


「大丈夫」


 お兄様は優しく答えた。


「僕は、簡単にはやられないよ」


「でも……!」


「ルシア」


 その手が、私の頬へ触れた。


「僕を信じて」


 私は、ゆっくりと頷いた。


 けれど、胸の奥に広がった恐怖は、簡単には消えなかった。


     ◇


「もう一つ、聞きたいことがある」


 ゼノンは、再び男へ向き直った。


「エドモンドは、なぜ祖父母の時代の記録を探していたの?」


 男の表情が変わった。


「それは……」


「答えて」


 王家の命令に逆らうことはできない。


 男は、震える声で話し始めた。


「マリア様とセオドール様の死について……調べられることを恐れていたからです」


 お兄様の赤い瞳が細められる。


「祖父母の死?」


「はい」


「どういうこと?」


 男は、苦しそうに顔を歪めた。


「お二人は、長い眠りについている間に亡くなられました」


「知ってるよ」


 お兄様は静かに答えた。


「眠りから目覚めることなく、亡くなったと聞いている」


 男は、俯いた。


「ですが、それは自然な死ではありませんでした」


 男の言葉に、室内の空気が変わった。


 お兄様は、しばらく何も言わなかった。


「どういう意味?」


 静かな声だった。


 男は俯いたまま、震える唇を開いた。


「マリア様とセオドール様は、何者かによって殺害されたのです」


「殺害……?」


 私は思わず聞き返した。


 マリアお祖母さまとセオドールお祖父さま。


 二人は王位を譲ったあと、長い眠りにつき、そのまま亡くなったと聞いていた。


 それなのに。


「誰が殺したの?」


 お兄様が尋ねた。


 男の顔が苦痛に歪む。


 王家の命令によって、真実を隠すことはできない。


「エドモンド様です」


 その名前が告げられた瞬間、私は息を呑んだ。


 セドリックさんが低く舌打ちする。


「……あの野郎」


 アルベルトも険しい表情で男を見つめていた。


 お兄様だけは、驚くほど静かだった。


「エドモンドが、祖父母を?」


「はい」


「二人は、エドモンドの実の姉と兄だよ」


「存じております」


「それでも、殺したんだね」


「はい」


 男は小さく頷いた。


「王位を手に入れるために」


     ◇


 ゼノンは、ゆっくりと息を吐いた。


 マリア・ヴァルディエ。


 王家の命令を発現した先代女王。


 そして、その夫であるセオドール・ヴァルディエ。


 二人は、ゼノンの祖父母であると同時に、エドモンドの実の姉と兄でもあった。


 純血の王族にとって、兄妹の婚姻は珍しいことではない。


 ヴァルディエ家では、古くから血統を守るために、同じ家に生まれた者同士が結ばれることがあった。


 マリアとセオドールも、その一組だった。


 長女として生まれたマリアは、若い頃に王家の命令を発現した。


 それは、ヴァルディエ家の中でも限られた者だけが持つ特別な異能。


 歴代の王は、その力を発現した者が継承してきた。


 だからこそ、王位はマリアに渡った。


 一方、弟のエドモンドには、その力が発現しなかった。


 代わりに彼が持っていたのは、血の支配。


 自分の血を飲ませた相手を操る異能だった。


 だが、その力には大きな制限がある。


 自分の血を飲んだ相手にしか命令できない。


 さらに、王家の命令によって支配を上書きされることもある。


 エドモンドにとって、それは何より屈辱的なことだったのだろう。


「……エドモンドは、昔から王位を欲しがっていたの?」


 ゼノンが尋ねた。


「はい」


 男は頷いた。


「マリア様が女王になられたことを、快く思っておられませんでした。せめて女王となったマリア様の王配となりたかったエドモンド様でしたが、マリア様はセオドール様をお選びになりました」


「それで?」


「マリア様とセオドール様が王位を譲り、長い眠りにつかれたあと、エドモンド様はお二人を殺害する計画を立てられました」


 ゼノンの赤い瞳が細められる。


「どうやって?」


「お二人が眠りについている間に、寝所へ侵入したのです」


「王家の警備は?」


「内部の者に協力させたと聞いております」


「その者たちも、エドモンドの血を飲んでいたの?」


「はい」


 男は頷いた。


「血の支配によって、警備の交代や扉の解錠を命じられていました」


 セドリックが腕を組んだ。


「つまり、王家の警備を内側から崩したってことか」


「はい」


 ゼノンは静かに尋ねた。


「祖父母は、抵抗できなかったの?」


「深い眠りについておられたため、目覚める前に心臓を破壊されたと聞いております」


 私は、思わず胸元を押さえた。


 ヴァンパイアにとって、心臓は命そのもの。


 どれほど強い純血種でも、心臓を失えば生きてはいられない。


 お祖母さまとお祖父さまは、何も知らないまま殺されてしまったのだ。


「……ひどい」


 小さく声が零れた。


 エリーゼが、そっと私の手を握ってくれた。


     ◇


「心臓は?」


 お兄様が尋ねた。


 男が顔を上げる。


「……はい?」


「祖父母の心臓は、どうなったの?」


 男は、少しだけ戸惑ったようだった。


「お二人の心臓は、破壊されたと聞いております。エドモンド様が食べたという話はありません」


「そう」


 お兄様は静かに頷いた。


「じゃあ、王家の命令を奪おうとしたわけではなかったんだね」


「はい。当時の目的は、王位継承に影響力を持つお二人を排除することだったようです」


 セドリックさんが眉を寄せた。


「だが、マリア様たちはすでに王位を譲っていただろ?」


「はい」


「それなら、殺したところでエドモンドが王になれるわけじゃねえ」


 男は俯いた。


「エドモンド様は、マリア様が目覚めれば、再び王家の命令によって自分を従わせることができると恐れておられました」


 お兄様が静かに目を細めた。


「なるほどね」


 マリアお祖母さまは、王位を譲ってもなお、絶対服従の力を持っていた。


 エドモンドがどれほど血の支配で味方を増やしても、お祖母さまが命令すれば、その支配を上書きされる可能性があった。


 だから、眠っている間に殺した。


 自分の邪魔になるから。


 ただ、それだけの理由で。


「……お兄様」


 私は、そっと服の裾を掴んだ。


 お兄様が振り返る。


「何?」


「エドモンドは、どうしてそんなに王様になりたいのかな」


 お兄様は少しだけ考えた。


「自分が誰よりも上に立ちたいんだろうね」


「でも、王様になったって……」


 私は言葉を探した。


「みんなに嫌われていたら、寂しくないのかな」


 お兄様は、私を見つめた。


 それから、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「エドモンドは、誰かに好かれたいんじゃないんだと思う」


「……え?」


「誰も自分に逆らえない世界が欲しいんだよ」


 私は、何も言えなかった。


 お兄様の言葉が、胸の奥へ静かに沈んでいった。


     ◇


「もう一つ、確認したいことがある」


 お兄様は再び男へ向き直った。


「エドモンドは、祖父母を殺したあと、どうして父上と母上を狙ったの?」


 男の表情が変わった。


「それは……」


「答えて」


 王家の命令は、まだ続いている。


 男は苦しそうに唇を開いた。


「アルフォンス様が、王家の命令を発現していたからです」


 お兄様は黙って続きを待った。


「マリア様とセオドール様を殺害しても、王位はアルフォンス様に継承されていました。エドモンド様が王になるためには、アルフォンス様を排除する必要があったのです」


「母上は?」


「ロザリア様については、別の理由がありました」


 その言葉に、お兄様の表情が変わった。


「別の理由?」


「エドモンド様は、ロザリア様に強い執着を抱いておられました」


 私は息を呑んだ。


 お母さまに?


「エドモンド様は、ロザリア様と結ばれることを望んでおられました。特に、その血を強く欲していたそうです」


 お兄様の赤い瞳が、冷たく細められる。


「それで?」


「しかし、ロザリア様はアルフォンス様を選ばれました。エドモンド様には、まったく関心を示されなかったと……」


 男は言葉を続けた。


「さらに、お二人の間にルシア様が生まれたことで、エドモンド様はロザリア様を手に入れることを諦めたそうです」


 私は、身体を強張らせた。


「……私が、生まれたから?」


「はい」


 男は頷いた。


「エドモンド様は、ロザリア様の娘であるルシア様に、新たな関心を抱かれたのです」


 お兄様の表情から、温かさが消えた。


「何を考えていたの?」


 男は、震える声で答えた。


「ルシア様を自分のものにし、その血を飲みたいと……」


 私は、思わず一歩下がった。


 エリーゼが、私の肩へ手を添える。


「それだけ?」


 お兄様の声が、低くなる。


「いいえ」


 男は俯いた。


「将来、ルシア様との間にヴァルディエ家の子をもうけることも望んでおられました」


 室内が静まり返った。


 私は、何も言えなかった。


 エドモンドが私を狙っていることは、知っていた。


 血を欲しがっていることも。


 異能を奪おうとしていることも。


 けれど。


 そんなことまで考えていたなんて。


「……嫌」


 声が震えた。


 お兄様が、すぐに私のそばへ来た。


「ルシア」


 私は、その服を握り締めた。


「……絶対に、嫌……」


「うん」


 お兄様は、私を優しく抱き寄せた。


「分かってる」


 その声は穏やかだった。


 けれど、私の肩へ回された腕には、強い力がこもっていた。


「そんなこと、絶対にさせないよ」


     ◇


 しばらくして、私はエリーゼと一緒に部屋の隅へ移動した。


 お兄様は、再び男への尋問を続けている。


「エドモンドは、母上の心臓を食べたね」


「はい」


「そのとき、治癒の異能を奪った」


「はい」


「それをきっかけに、ほかの異能も奪えると考えたんだね」


「そのとおりです」


 お兄様は静かに頷いた。


「それで、僕の心臓を狙っている」


「はい」


「王家の命令を奪うために」


「はい」


 セドリックさんが、険しい表情で腕を組んだ。


「そんなことが本当にできるのか?」


 男は首を横に振った。


「分かりません」


「分からない?」


「はい。エドモンド様も、確証は持っておられません」


 お兄様が口を開く。


「王家の命令は、普通の異能とは少し違うからね」


 ヴァルディエ家の血を引く者の中でも、ごく限られた者にしか発現しない。


 マリアお祖母さま。


 お父さま。


 そして、お兄様。


 同じ血を引いていても、私には発現していない。


 セオドール、ロザリア、エドモンドにも。


「だから、試してみたいんだね」


 お兄様が静かに言った。


「僕の心臓を食べれば、自分にも王家の命令が発現するのかどうか」


 男は頷いた。


「はい」


「もし、発現しなかったら?」


 男の唇が震えた。


「その場合でも、ゼノン様を排除できれば、ルシア様を手に入れられるし、王位継承における最大の障害がなくなると……」


 セドリックさんが低く舌打ちした。


「どっちに転んでも得だってわけか」


「そういうことになります」


 お兄様は、しばらく黙っていた。


 それから、静かに息を吐いた。


「本当に、救いようがないね」


     ◇


「最後に聞くよ」


 お兄様が告げた。


「エドモンドは、ここから何を持ち出したの?」


 男の表情が変わった。


「それは……」


「答えて」


 男は、ゆっくりと口を開いた。


「マリア様とセオドール様の死に関する記録です」


「全部?」


「いいえ。一部だけです」


「なぜ?」


「エドモンド様は、過去の犯行を証明する記録が残っていることを恐れておられました」


 お兄様は静かに頷いた。


「それで、証拠を消そうとしたんだね」


「はい」


「でも、君はまだここにいた」


 男は俯いた。


「すべての記録を見つけるよう、命じられていました」


 お兄様は、ゆっくりと室内を見渡した。


 倒れた書棚。


 散乱した書類。


 破られた王家の系譜。


 エドモンドは、ここに残された何かを恐れている。


 それだけは、確かだった。


「セドリック」


「何だ?」


「王宮へ連絡して、この男を連行してもらって」


「分かった」


「それから、記録庫の調査をお願いしたい」


 セドリックさんが頷いた。


「任せろ」


 アルベルトも口を開いた。


「俺も残る。記録の整理には、王家の事情を知っている者がいた方がいいだろう」


「ありがとう」


 お兄様は微笑んだ。


 そして、私へ振り返った。


「ルシア」


「……何?」


「少し、休もうか」


 私は小さく頷いた。


 正直、もう頭がいっぱいだった。


 お祖母さまとお祖父さまの死。


 お父さまとお母さまが殺された理由。


 そして、エドモンドが私とお兄様を狙っていること。


 知りたかった真実なのに。


 知れば知るほど、胸が苦しくなる。


     ◇


 地下記録庫を出る前に、私はもう一度だけ振り返った。


 壁一面に並ぶ古い書物。


 ヴァルディエ家の歴史。


 そこには、私が知らなかった家族の記録が、まだたくさん残されているのだろう。


「……お兄様」


「何?」


「お祖母さまとお祖父さまって、どんな人だったの?」


 お兄様は、少しだけ驚いたように私を見た。


 それから、優しく微笑んだ。


「お祖母さまは、厳しいけれど優しい人だったよ」


「……うん」


「王家の命令を持っていたけれど、滅多に使わなかった。人を従わせるより、話し合うことを大切にしていたんだ」


 私は、小さく頷いた。


「お祖父さまは?」


「穏やかな人だったね。お祖母さまが少し怒りっぽいところもあったから、いつも隣で笑っていたよ」


 私は、思わず微笑んだ。


「……そうなんだ」


「お祖父さまはね、僕が小さい頃、よく庭園へ連れていってくれたんだ」


 お兄様は懐かしそうに微笑んだ。


「庭園?」


「うん。王宮の奥にある、小さな庭園だよ。お祖母さまが公務で忙しいときは、よく二人で過ごしていた」


「お祖父さまは、何をしてくれたの?」


「本を読んでくれたり、昔の王家の話を聞かせてくれたり。それから、僕が剣の稽古を始めた頃には、よく様子を見に来てくれたね」


 私は、少しだけ目を細めた。


 記憶の中にはほとんどお祖母様とお祖父様の姿はない。


 けれど、お兄様が話してくれると、まるで本当に会ったことがあるような気持ちになった。


「……私も、もっと一緒にいたかったな」


 小さく呟くと、お兄様は私の手を握った。


「そうだね」


「お祖母さまとも、お祖父さまとも」


「うん」


 お兄様は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「きっと、二人もそう思っていたよ」


 私は、小さく頷いた。


 もし、あの人がいなかったら。


 お祖母さまも、お祖父さまも。


 お父さまも、お母さまも。


 今も生きていたのかもしれない。


 そんなことを考えてしまう。


 けれど、私はその言葉を口にはしなかった。


 お兄様も、きっと同じことを考えている気がしたから。


     ◇


 地下から戻ると、屋敷の使用人たちが慌ただしく動いていた。


 壊れた窓の修理。


 庭園の片づけ。


 警備体制の見直し。


 エドモンドが残していった被害は、思っていた以上に大きかった。


「ルシア様」


 廊下で一人の使用人が声をかけてきた。


「お部屋の準備が整っております。少しお休みになられますか?」


「……ありがとう。でも、もう少し起きていたいかな」


「かしこまりました」


 使用人が頭を下げて去っていく。


 私は、隣にいるお兄様を見上げた。


「お兄様」


「何?」


「少しだけ、お庭に行ってもいい?」


 お兄様は窓の外へ視線を向けた。


「庭園?」


「うん」


「今日は、もう十分外にいたでしょう?」


「……そうだけど」


 私は少しだけ俯いた。


「お部屋に戻ったら、いろいろ考えちゃいそうで」


 お兄様は、しばらく私を見つめていた。


 それから、優しく微笑んだ。


「じゃあ、少しだけね」


「……うん」


 私は小さく笑った。


     ◇


 庭園へ出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。


 石畳の一部は砕け、花壇も荒れている。


 けれど、月明かりに照らされた庭は、どこか静かだった。


 私は、お兄様と並んで歩いた。


 足元にはルナ。


 少し離れた場所を、ガルとレオが歩いている。


「……お兄様」


「うん?」


「お祖母さまは、王家の命令を使うのが嫌だったのかな」


 お兄様は少しだけ考えた。


「嫌だったというより、慎重だったんだと思う」


「慎重?」


「うん。王家の命令は、相手の意思を奪う力だからね」


 私は小さく頷いた。


「お祖母さまは、その重さを誰よりも理解していたんだよ」


 お兄様は、夜空へ視線を向けた。


「だから、本当に必要なときにしか使わなかった」


「……そっか」


 私は、少しだけ考えた。


「お兄様も、そうだよね」


 お兄様が私を見る。


「僕?」


「うん。お兄様も、むやみに使わないでしょう?」


 その言葉に、お兄様は柔らかく笑った。


「そうだね。できれば使わずに済ませたいと思ってるよ」


 私は、小さく微笑んだ。


 お兄様とお祖母さま。


 きっと、似ているところがあったのだろう。


 そう思うと、少しだけ嬉しくなった。


     ◇


 その頃。


 地下記録庫では、セドリックとアルベルトが調査を続けていた。


 王宮から派遣された記録官たちが、散乱した書類を一つずつ確認している。


「まったく、ひでえ有様だな」


 セドリックが倒れた書棚を見ながら呟いた。


「これだけ荒らされていたら、何が持ち出されたのか調べるだけでも時間がかかるな」


「そうだな」


 アルベルトは、机の上に残されていた古い帳簿をめくっていた。


 そこには、王家の寝所へ出入りした者の名前が記されている。


「……セドリック」


「なんだ?」


「これを見ろ」


 セドリックが近づく。


 アルベルトは、帳簿の一頁を指差した。


「マリア様とセオドール様が亡くなった日の記録だ」


 セドリックの表情が変わった。


「残ってたのか」


「ああ。どうやら、エドモンドの部下は見落としたらしい」


 そこには、警備の交代時刻と、寝所へ入った者の名前が記されていた。


 けれど、一つだけ不自然な点があった。


「……同じ人物が、二度入ってる?」


 セドリックが眉を寄せた。


「そうだ」


 アルベルトは頷いた。


「通常、寝所へ入る者は決められていた。交代の時間以外に、同じ警備兵が二度も出入りすることはない」


「その人物は?」


「すでに死亡している」


 アルベルトは、静かに答えた。


「マリア様たちが亡くなった直後、王都の外れで遺体が見つかったそうだ」


 セドリックが低く息を吐いた。


「口封じか」


「その可能性が高い」


 アルベルトは帳簿を閉じた。


「この記録があれば、当時の警備体制をもう一度調べ直せる」


「王宮へ送ろう」


「ああ」


 アルベルトは頷いた。


 そのとき、記録官の一人が声を上げた。


「アルベルト様!」


 二人が振り返る。


「どうした?」


「こちらの書棚の奥から、封印された箱が見つかりました」


 アルベルトの眉が動いた。


「箱?」


「はい。ヴァルディエ家の紋章が刻まれています」


 セドリックが近づいた。


「見せてくれ」


 記録官が差し出したのは、小さな黒い箱だった。


 表面には古い装飾が施され、中央には王家の紋章が刻まれている。


 そして、蓋には一通の封筒が挟まっていた。


 アルベルトは、その封筒を見た瞬間、動きを止めた。


「……これは」


 セドリックが顔を覗き込む。


「何だ?」


 アルベルトは、ゆっくりと封筒を取り上げた。


 そこには、見覚えのある筆跡で名前が記されていた。


『アルフォンスへ』


 アルベルトの表情が変わった。


「……マリア様の字だ」


 セドリックも、息を呑んだ。


「先代女王の?」


「ああ」


 アルベルトは、しばらく封筒を見つめていた。


 そして、静かに告げた。


「ゼノンを呼ぼう」


     ◇


 庭園を歩いていた私たちのもとへ、使用人が駆け寄ってきた。


「ゼノン様」


 お兄様が振り返る。


「どうしたの?」


「アルベルト様から、至急お戻りいただきたいとのことです」


 お兄様の表情が変わった。


「何か見つかった?」


「はい。先代女王マリア様が残されたものと思われる箱が発見されたそうです」


 私は思わず顔を上げた。


「お祖母さまの……?」


 使用人が頷く。


「詳しいことは、アルベルト様から直接お聞きいただきたいとのことです」


 お兄様は、静かに息を吐いた。


「分かった。すぐに行くよ」


 そして、私へ視線を向けた。


「ルシア」


「……うん」


「一緒に来る?」


 私は、少しだけ考えた。


 今日、知ったばかりの真実。


 お祖母さまとお祖父さまが殺されていたこと。


 そして、その犯人がエドモンドだったこと。


 まだ、気持ちの整理はついていない。


 けれど。


「……行きたい」


 私は、小さく答えた。


「お祖母さまが残したものなら、私も見たい」


 お兄様は、優しく微笑んだ。


「分かった」


 その手が、私の手を包む。


「じゃあ、一緒に行こう」


     ◇


 再び地下記録庫へ戻ると、中央の机の上に黒い箱が置かれていた。


 アルベルトとセドリックさんが、その前で待っている。


「ゼノン」


 アルベルトが声をかけた。


「これを見てくれ」


 お兄様が近づく。


 アルベルトは、一通の封筒を差し出した。


「マリア様の筆跡だ」


 お兄様は、それを受け取った。


 しばらく見つめてから、静かに頷く。


「……間違いないね」


 私は、そっと隣から覗き込んだ。


 古い封筒。


 少し色褪せた紙。


 そこに書かれているのは、たった一つの名前。


『アルフォンスへ』


 お父さまの名前だった。


「……お祖母さまが、お父さまに?」


「そうみたいだね」


 お兄様は、封筒を裏返した。


 封蝋は、まだ破られていない。


「開けられていないんだね」


 私が呟くと、お兄様が頷いた。


「父上は、この手紙の存在を知らなかったのかもしれない」


 アルベルトが口を開く。


「箱そのものが、書棚の奥に隠されていた。意図的に残されたものだろう」


 セドリックさんも頷いた。


「エドモンドの部下が見つけられなかったのは幸運だったな」


 お兄様は、しばらく封筒を見つめていた。


 やがて、静かに封を切る。


 中から、一枚の便箋が取り出された。


 私は、思わず息を止めた。


 お祖母さまが、お父さまへ残した言葉。


 それが、今。


 十一年以上の時を越えて、私たちの前に現れた。


 お兄様は、ゆっくりと便箋を開いた。


 そこには、美しい筆跡で文章が綴られていた。


『愛するアルフォンスへ』


 お兄様の声が、静かな記録庫に響いた。


『この手紙をあなたが読む頃、私たちはすでに長い眠りについていることでしょう』


 私は、そっとお兄様の腕へ触れた。


 お兄様は、一度だけ私を見てから、続きを読む。


『王位を譲り、ようやく静かな時間を迎えられることを、私もセオドールも嬉しく思っています』


『あなたとロザリアが、これからのヴァルディエ家を導いていくことを、心から誇りに思います』


 その言葉に、胸が温かくなった。


 お祖母さまは、お父さまとお母さまを信じていた。


 王位を譲ったことを、後悔していなかった。


 お兄様は、さらに続きを読む。


『ただ、一つだけ心配していることがあります』


 その瞬間。


 お兄様の声が、僅かに低くなった。


『エドモンドのことです』


 室内の空気が変わった。


 私は、思わず顔を上げた。


 お兄様は、静かに続きを読む。


『あの子は、昔から王位に強い執着を抱いていました』


『私が王家の命令を発現し、女王となったことを、最後まで受け入れられなかったのでしょう』


『それでも、私は弟を信じたいと思っていました』


 私は、便箋を見つめた。


 お祖母さまは、エドモンドのことを心配していた。


 けれど、殺されるほど憎まれているとは思っていなかったのだろう。


『もし、エドモンドが道を誤ることがあれば、どうか一人で抱え込まないでください』


『あなたにはロザリアがいます。そして、私たちもいます』


『王家の命令は、人を支配するための力ではありません』


『大切なものを守るために、必要なときだけ使いなさい』


 お兄様は、そこで一度言葉を止めた。


 その赤い瞳が、静かに揺れている。


 私は、お兄様の手を握った。


 お兄様は、小さく微笑んだ。


 そして、最後の一文を読み上げた。


『アルフォンス。あなたが、私たちの誇りです』


 室内が、静まり返った。


 私は、胸の奥がいっぱいになった。


 お祖母さまは、お父さまを愛していた。


 信じていた。


 そして、これからの王家を託していた。


 その想いが、古い便箋から伝わってくるようだった。


「……お祖母さま」


 小さく呟くと、お兄様が私を見た。


「……優しい人だったんだね」


 お兄様は、静かに頷いた。


「うん」


 その声には、懐かしさと悲しさが混じっていた。


「本当に、優しい人だったよ」


 私は、そっとお兄様の手を握り直した。


 お祖母さまも。


 お祖父さまも。


 お父さまも。


 お母さまも。


 みんな、もういない。


 けれど、その人たちが残した想いは、今もここにある。


 私は、便箋を見つめながら思った。


 もう、これ以上。


 大切な人を失いたくない。


 お兄様だけは。


 絶対に。

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