十八歳の誕生日
庭園の塀の向こうで、乾いた音が響いた。
ルナが低く唸る。
私は足を止め、音のした方角へ視線を向けた。
「エリーゼ、今の聞こえた?」
「ええ。何かしら」
エリーゼは私の前へ一歩出ると、塀の向こうを見つめた。
「ルシア、少し下がっていて」
「うん」
私は頷き、ルナへ視線を向けた。
白狼の赤い瞳が、塀の向こうを捉えている。
ルナと感覚を共有すると、遠ざかっていく足音が聞こえた。
石畳を踏む、軽い足音。
それから、何かが擦れるような音。
けれど、すぐに聞こえなくなってしまった。
「誰か、いたみたい」
「分かるの?」
「うん。もう離れていっちゃったけど」
エリーゼはすぐに近くの警備兵を呼び、状況を説明した。
警備兵たちは塀の外へ確認に向かったが、不審者の姿は見つからなかった。
ただ、石畳の隅に小さな金属片が落ちていたという。
「こちらが落ちておりました」
警備兵が差し出したのは、黒い金属製の留め具だった。
何かの衣服や鞄に使われていたものらしい。
裏側には、小さな紋様が刻まれている。
「見覚えはありますか?」
私は首を横に振った。
「ううん。初めて見る」
エリーゼも眉を寄せた。
「ゼノンさんに報告しておきましょう」
「そうだね」
私は頷いた。
ルナは、まだ塀の向こうを見つめている。
最近、屋敷の周囲では警備兵の数が増えていた。
ギルベルト・ドラクロワが拘束され、ヴェロニカとミアの捜索も続いている。
お兄様は詳しいことをすべて話してくれるわけではないけれど、何かが近づいていることは感じていた。
私はルナの頭をそっと撫でた。
「戻ろうか」
白狼は一度だけ私を見上げ、静かに歩き始めた。
◇
それから数日後。
ヴァルディエ家の屋敷は、いつもより華やかな雰囲気に包まれていた。
廊下には色とりどりの花が飾られ、使用人たちが忙しそうに行き交っている。
今日は、私の十八歳の誕生日だった。
朝、目を覚ますと、枕元に小さな箱が置かれていることに気づいた。
「……?」
深い紺色の包装紙に、銀色の細いリボン。
その上には、一枚のカードが添えられていた。
『お誕生日おめでとう、ルシア。
起きたら僕のところへおいで。
――ゼノン』
思わず頬が緩んだ。
「お兄様……」
私はリボンをほどき、そっと箱を開けた。
中には、銀色の髪飾りが入っていた。
繊細な蔓草の細工に、小さな赤い宝石が花のように並んでいる。
派手すぎず、けれど目を引く美しさだった。
「綺麗……」
私は髪飾りを持ち上げ、鏡の前へ立った。
漆黒の髪。
深紅の瞳。
十一年前に失った、本来の私の姿。
赤い宝石は、黒髪によく映えた。
そのとき、扉が叩かれた。
「ルシア、起きてる?」
エリーゼの声だった。
「うん。入って」
扉が開き、エリーゼが顔を覗かせた。
「お誕生日おめでとう、ルシア」
「ありがとう」
私は微笑んだ。
エリーゼは、私の手元にある髪飾りへ視線を向ける。
「あら、素敵ね」
「お兄様からなの」
「ふふ。よく似合いそう」
エリーゼは私の後ろへ回り、髪飾りを綺麗に留めてくれた。
「どう?」
鏡を覗く。
銀色の細工が黒髪に映え、赤い宝石が柔らかく輝いていた。
「ありがとう、エリーゼ」
「どういたしまして」
エリーゼは微笑んだ。
「それと、私からもプレゼントがあるの」
「え?」
差し出されたのは、小さな包みだった。
開けると、中には淡い青色のハンカチが入っていた。
端には、白い花の刺繍が施されている。
「私が選んだの。気に入ってくれると嬉しいわ」
「すごく綺麗」
私はそっと布地へ指を滑らせた。
「大切にするね」
エリーゼは嬉しそうに微笑んだ。
「今日は楽しい一日にしましょうね」
「うん」
私は小さく頷いた。
◇
朝食の席には、お兄様とアルベルト、クレイドが揃っていた。
「おはよう」
私が声をかけると、お兄様がすぐに顔を上げた。
「おはよう、ルシア」
その赤い瞳が、私の髪飾りへ向けられる。
「つけてくれたんだね」
「うん。ありがとう、お兄様」
私は少しだけ微笑んだ。
「とても気に入ったよ」
「よかった」
お兄様は嬉しそうに目を細めた。
「十八歳のお誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
お兄様が立ち上がり、私をそっと抱き締めた。
「こうしてまた、ヴァルディエ家でルシアの誕生日を祝えるなんて、夢みたいだよ」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
十一年間。
私は自分がヴァルディエ家の娘だということを知らずに生きてきた。
お兄様は、そんな私の誕生日を毎年祝ってくれていた。
けれど、こうして本当の家族として迎える誕生日は、十一年ぶりだった。
「私も嬉しい」
小さく答えると、お兄様は優しく髪を撫でてくれた。
アルベルトがコーヒーカップを置いた。
「ルシア」
「なあに?」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう、アル」
「十八歳か。早いものだな」
アルベルトは少しだけ懐かしそうに笑った。
「ついこの間まで、俺の後ろをついて歩いていたと思ったんだが」
「そんなに小さくないよ」
「小さかっただろ」
クレイドが横から口を挟む。
「昔は俺よりずっと小さかったしな」
「それはクレイドだって同じでしょ?」
「俺は今でもお前よりでかいけどな」
私は小さく笑った。
「そういう意味じゃないのに」
クレイドは少しだけ口元を緩めた。
「まあ、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
彼はテーブルの下から、小さな包みを取り出した。
「ほら」
「私に?」
「ほかに誰がいるんだよ」
受け取って開けると、中には革製の小さな手帳が入っていた。
深い茶色の表紙。
手に馴染む柔らかな革。
「これ……」
「最近、いろいろ覚えることが多いんだろ。書いとけばいいと思って」
私は真新しいページをめくった。
「ありがとう、クレイド」
顔を上げると、彼は少しだけ目を逸らした。
「別に、大したもんじゃねえよ」
「ううん。嬉しい」
私は微笑んだ。
アルベルトはそんな私たちを見て、小さく笑った。
「俺からは、あとで渡す」
「え?」
「少し大きいものだからな」
「何だろう」
「楽しみにしておけ」
私は小さく頷いた。
** ◇**
** 午後になると、屋敷では誕生日の集まりが開かれた。**
** 食堂には花が飾られ、大きなテーブルには色とりどりの料理や焼き菓子が並んでいる。**
** 最初にやってきたのは、ラビとセドリックだった。**
「ルシアちゃん、お誕生日おめでとう!」
** ラビが明るい声で言った。**
「ありがとうございます、ラビ」
「十八歳かぁ。立派な大人の仲間入りだねぇ」
「まだ、そんな実感はないですけど」
「大丈夫、大丈夫。オレなんか四十五歳になっても、あんまり変わってないから!」
「お前はもう少し落ち着けよ」
** 隣でセドリックが呆れたように言った。**
「ちょっと、セドリック叔父さん! せっかくのお祝いなんだから、そんなこと言わなくてもいいでしょ!」
「叔父さんを困らせるなよ。お前、昔から変わらないな」
「えー! オレだって成長してるって!」
「そうか? 俺には昔と変わらないように見えるけどな」
「ひどいなぁ。可愛い甥っ子に向かって!」
「自分で可愛いって言うな」
** 二人のやり取りに、私は思わず笑ってしまった。**
** セドリック・フローレンスとラビ・フローレンス。**
** セドリックが叔父で、ラビが甥。**
** 年齢と見た目が一致しないことも珍しくないヴァンパイアだけれど、こうして話していると、まるで気の置けない友人同士のようだった。**
** セドリックが私へ視線を向けた。**
「改めて、誕生日おめでとう。ゼノンが今日をどれだけ楽しみにしてたか、聞きたいか?」
「セドリック」
** お兄様が静かに名前を呼んだ。**
「何だよ。別にいいだろ」
「余計なことは言わなくていいよ」
「昨日なんか、飾りつけの位置まで確認してたくせに」
「セドリック」
** 今度は少しだけ声が低くなった。**
** セドリックは楽しそうに笑う。**
「はいはい。黙りますよ」
** 私はお兄様を見上げた。**
「そんなに準備してくれてたの?」
「ルシアの誕生日だからね」
** お兄様は何でもないことのように微笑んだ。**
「特別な日にしたかったんだ」
** その言葉に、胸の奥が温かくなった。**
◇
少し遅れて、ルイスも姿を現した。
「ルシア王女、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます、ルイスさん」
ルイスは丁寧に一礼した。
「本日は公務の都合で長くは滞在できませんが、直接お祝いを申し上げたくて」
「来てくださっただけで嬉しいです」
私は微笑んだ。
ルイスは小さな箱を差し出した。
「ベルフォート家からのお祝いです」
中には、深紅の宝石があしらわれた小さなブローチが入っていた。
「綺麗……」
「母も、ぜひルシア王女にと選んでおりました」
「お礼を伝えていただけますか?」
「もちろんです」
ルイスは穏やかに頷いた。
そのときだった。
「いやぁ、華やかだねぇ! さすがヴァルディエ家!」
突然、明るい声が響いた。
振り返ると、入口に一人の青年が立っていた。
クロード・レヴェル。
夜間部の先輩で、いつも冗談ばかり言っている人だ。
「やっほー、ルシアちゃん!」
クロードは片手を上げ、にっこりと笑った。
「十八歳のお誕生日、おめでとう!」
「ありがとうございます、クロードさん」
「いやぁ、今日も可愛いねぇ。しかもその髪飾り! すっごく似合ってる!」
「ありがとうございます」
「そんなに可愛くなっちゃって、ゼノンさんがますます離してくれなくなるんじゃない?」
「クロード」
お兄様が、笑顔のまま名前を呼んだ。
「ん?」
「何か言った?」
「いやいや! 妹さんが可愛いって褒めてただけじゃん!」
クロードさんは大袈裟に両手を上げた。
「怖いなぁ。ちょっと褒めただけでこの圧力!」
セドリックが呆れたように笑う。
「お前、少しは懲りろよ」
「だってさぁ、可愛い女の子を褒めるのは礼儀でしょ?」
「お前の場合、誰にでも言ってるだろ」
「失礼な! ちゃんと一人一人、心を込めて褒めてるんだよ?」
「余計たち悪いわ」
ラビまで笑い始めた。
クロードさんはそんなことを気にする様子もなく、私の前へ歩いてきた。
「はい、ルシアちゃん。プレゼント!」
差し出されたのは、綺麗な包装紙に包まれた細長い箱だった。
開けると、中には可愛らしい香水瓶が入っていた。
「これ、最近王都で人気の香水なんだ。甘すぎない花の香りで、ルシアちゃんに似合いそうだなって」
「ありがとうございます」
「気に入ってくれた?」
「はい。とても」
「よかったぁ! 実は店員のお姉さんにも相談してさぁ。すっごい美人だったんだよね!」
セドリックがため息をつく。
「結局そっちかよ」
「いや、もちろんプレゼント選びが目的だよ? でも素敵な出会いは大切じゃん?」
クロードさんは悪びれずに笑った。
お兄様が小さく息を吐く。
「クロード。ルシアに変なことを教えないでね」
「えー? 俺、恋愛相談とか得意なのに!」
「必要ないよ」
「即答!?」
そのやり取りに、食堂には笑い声が広がった。
◇
それからしばらくして。
私はエリーゼと一緒に飲み物を選んでいた。
そのとき、玄関の方から使用人の声が聞こえてきた。
「ノエル・アシュフォード様がお見えです」
私は思わず顔を上げた。
「ノエルさん?」
最近、学園でもほとんど姿を見かけなかった。
芸能一家の出身で、本人も芸能活動をしているノエルさんは、仕事が忙しく、夜間部にもなかなか顔を出せていなかったのだ。
入口へ視線を向けると、そこには見慣れた青年が立っていた。
ノエル・アシュフォード。
整った顔立ちと、どこか近寄りがたいほどの美しさ。
いつも通り表情は控えめで、静かな佇まいだった。
「ノエルさん」
私が声をかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。
「ルシア」
短く名前を呼ぶ。
「久しぶりです」
「うん。久しぶり」
ノエルさんは短く答えた。
その声には、いつもの落ち着きがあった。
「来てくれたんですね」
「休みを取った」
「お仕事、大丈夫だったんですか?」
「大丈夫。今日は来るって決めてた」
短い言葉だった。
けれど、その一言にノエルさんの優しさが滲んでいた。
私は嬉しくなって微笑んだ。
「ありがとうございます」
ノエルさんは小さな箱を差し出した。
「これ」
「私に?」
「誕生日」
箱を受け取り、そっと開ける。
中には、黒い革紐に小さな銀の飾りがついたペンダントが入っていた。
銀の飾りは、夜空に浮かぶ三日月の形をしている。
「綺麗……」
「似合うと思った」
「ありがとうございます。大切にします」
ノエルさんは小さく頷いた。
「つける?」
「はい」
ノエルさんは私の後ろへ回り、ペンダントを首にかけてくれた。
冷たい銀が、鎖骨のあたりに触れる。
「どう?」
私は胸元のペンダントを見下ろした。
「似合ってる」
ノエルさんは短く言った。
それだけなのに、胸が温かくなった。
「ありがとうございます」
その様子を見ていたクロードさんが、にやにやしながら近づいてきた。
「おやおや、ノエルくん。ずいぶん気合いの入ったプレゼントじゃん?」
「普通」
「いやいや、女の子にアクセサリーを贈るなんて、なかなかやるねぇ」
「ルシアの誕生日だから」
「それ、俺も言ってみたい!」
クロードさんは胸を張った。
「ルシアちゃん、俺とお揃いの香水を――」
「いりません」
ノエルさんが即座に遮った。
「えっ、ノエルくん、俺に厳しくない?」
「いつも通り」
「それが厳しいんだよ!」
ラビが楽しそうに笑った。
「ノエルくんも来てくれてよかったねぇ。最近は仕事が忙しかったんだろう?」
「うん」
「芸能一家は大変だねぇ」
「慣れてる」
ノエルさんは短く答えた。
セドリックが腕を組む。
「それでも、今日は休みを取ったんだな」
「ルシアの誕生日だから」
また同じ言葉を繰り返す。
けれど、今度は誰も茶化さなかった。
ノエルさんが、私のために時間を作ってくれた。
その事実が、静かに胸へ沁みていく。
◇
やがて、誕生日の食事が始まった。
テーブルの中央には、大きなケーキが置かれている。
白いクリームの上には、赤い果実と小さな花が飾られていた。
「ルシア、ろうそくを消して」
お兄様が言った。
「うん」
私はケーキの前に立った。
十八本のろうそくに火が灯される。
揺れる炎を見つめながら、私は目を閉じた。
願い事を一つだけ思い浮かべる。
これからも、みんなと一緒にいられますように。
誰も傷つかず、穏やかな日々が続きますように。
そして――。
私はゆっくりと息を吹きかけた。
十八本の炎が、一斉に消える。
拍手と歓声が上がった。
「おめでとう、ルシア!」
「お誕生日おめでとう!」
「十八歳かぁ。大人だねぇ!」
ラビの声に、セドリックがすぐに突っ込む。
「ラビは、さっきからそればっかりだな」
「だって大事なことでしょ?」
ラビは笑いながら、私の頭を優しく撫でた。
「本当におめでとう、ルシアちゃん」
「ありがとうございます、ラビ」
セドリックも、少し照れたように視線を逸らした。
「……まあ、これからも何かあったら言え」
「はい」
「無理はするなよ」
「分かりました」
ぶっきらぼうな言葉の中に、彼の優しさがある。
私は嬉しくなって微笑んだ。
クロードさんはグラスを掲げた。
「それじゃあ、ルシアちゃんの十八歳を祝って!」
「乾杯!」
皆がグラスを掲げる。
私もグラスを手に取り、そっと合わせた。
澄んだ音が重なった。
食堂には笑い声が響いている。
お兄様も、アルベルトも、クレイドも。
エリーゼも、ラビも、セドリックも。
ルイスも、クロードさんも、ノエルさんも。
みんなが私の誕生日を祝ってくれている。
それが嬉しくて、胸がいっぱいになった。
◇
食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
窓の外には、夜の帳が降りている。
私は皆からもらったプレゼントを、一つずつ眺めていた。
髪飾り。
ハンカチ。
手帳。
ブローチ。
香水。
三日月のペンダント。
どれも、私のために選んでくれたものだ。
「ルシア」
アルベルトが声をかけた。
「これを」
彼が差し出したのは、少し大きめの箱だった。
「開けていい?」
「ああ」
箱を開けると、中には白い毛並みのぬいぐるみが入っていた。
狼の形をしている。
赤い瞳まで、ルナによく似ていた。
「可愛い……」
「ルナをモデルに作らせた」
アルベルトは少しだけ視線を逸らした。
「本物を部屋に置くわけにはいかないからな」
私はぬいぐるみを抱き締めた。
「ありがとう、アル。すごく嬉しい」
「そうか」
アルベルトは短く答えた。
けれど、その表情はどこか安心したように見えた。
ルナがぬいぐるみを覗き込み、首を傾げる。
「ルナにそっくりだね」
私が言うと、白狼はぬいぐるみの匂いを嗅いだ。
それから、少しだけ鼻先で押す。
まるで、自分の分身を確認しているようだった。
その様子に、皆が笑った。
◇
楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
客人たちが帰り始め、使用人たちが食堂を片づけている。
私は窓辺に立ち、夜空を見上げていた。
今日は、本当に幸せな一日だった。
十八歳の誕生日。
家族と友人たちに祝ってもらえた。
これからも、こんな日々が続けばいい。
そう思っていた。
そのとき、玄関の方から慌ただしい足音が聞こえた。
「ゼノン様!」
使用人の声だった。
お兄様が振り返る。
「どうしたの?」
「申し訳ありません。先ほど、門前にこちらが置かれておりました」
使用人が抱えていたのは、大きな花束だった。
黒い花と、深紅の薔薇。
美しいはずなのに、どこか不吉な印象を受ける。
「誰から?」
「それが……差出人の名前はありませんでした」
お兄様の表情が変わった。
アルベルトも、クレイドも、すぐに花束へ視線を向ける。
私は、花の間に挟まれた白いカードに気づいた。
「カードがある」
お兄様が手を伸ばす。
けれど、その前に私はカードへ書かれた文字を読んでしまった。
『十八歳の誕生日、おめでとう。
もうすぐ迎えに行くよ。
次は、僕が直接祝ってあげる。
――エドモンド』
背筋が凍った。
楽しかった時間が、一瞬で遠ざかっていく。
お兄様がカードを握り潰した。
「……エドモンド」
低い声だった。
アルベルトが花束を睨みつける。
「いつ、これが届いた?」
「先ほどです。門番も、誰が置いたのか見ておりません」
「屋敷の中へ持ち込む前に、誰か確認したのか?」
「申し訳ありません。確認はまだ――」
「すぐに調べろ」
アルベルトの声が鋭くなる。
使用人は慌てて頭を下げ、花束を持って退室した。
けれど、お兄様は私の前から動かなかった。
「ルシア」
「うん」
「怖い?」
私は少し迷ってから、首を横に振った。
「怖くないよ」
嘘だった。
本当は、怖い。
エドモンドが、私の誕生日を知っていたこと。
屋敷の門前まで近づいていたこと。
そして、次は直接祝うと書いていたこと。
すべてが不気味だった。
それでも、私はお兄様の手を握った。
「みんながいるから」
お兄様は、私の手を強く握り返した。
「そうだね」
その声は優しかった。
けれど、赤い瞳の奥には、激しい怒りが燃えている。
窓の外で、風が吹いた。
庭園の木々がざわめく。
黒い花びらが一枚、窓辺へ落ちた。
私はそれを見つめながら、胸元の三日月のペンダントを握り締めた。




