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力を知る

 翌朝。


 ヴァルディエ家の食堂では、珍しく賑やかな朝食が始まっていた。


「ルシア、そっちのパン取ってくれる?」


「はい」


 私は籠からパンを一つ取り、エリーゼへ渡した。


「ありがとう」


 その向かいでは、クレイドがコーヒーを飲んでいる。


「ねえ、クレイド」


「何だよ」


「今日も訓練に付き合ってくれる?」


 クレイドはカップを置いた。


「またか?」


「だって、昨日は全然できなかった」


「昨日は俺に一回も勝てなかったからな」


「もう! それ言わないでよ」


 私が頬を膨らませると、クレイドは楽しそうに笑った。


「事実だろ」


「今日は絶対勝つからね」


「はいはい。期待してる」


 そのやり取りを見ていたエリーゼが、くすくすと笑った。


「本当に仲がいいのね、二人とも」


「別に仲良くねえよ」


「ええっ!?」


 思わず声を上げると、クレイドは何でもない顔でパンを口へ運んだ。


「ひどい!」


「うるせえな」


 エリーゼはますます楽しそうに笑った。


 そのとき、食堂の扉が開いた。


「おはよう、ルシア」


「お兄様!」


 私はぱっと顔を上げた。


 黒い髪。


 赤い瞳。


 いつもの穏やかな笑顔。


 お兄様は私の隣へ腰を下ろすと、頭を優しく撫でてくれた。


「今日も元気そうだね」


「元気だよ!」


「よかった」


 お兄様は微笑んだ。


 けれど、すぐにクレイドへ視線を向ける。


「クレイド、今日も来てくれたんだね」


「ああ。ルシアの訓練に付き合う約束だからな」


「ありがとう」


 お兄様は静かに頷いた。


「でも、今日は少し予定を変更したいんだ」


「予定?」


 私は首を傾げた。


 お兄様は、私を見つめた。


「ルシア。昨日発現した反射について、もう少し詳しく調べてみようと思ってる」


「反射?」


「うん」


 お兄様は頷いた。


「どんな攻撃を跳ね返せるのか。どのくらいの範囲で使えるのか。それから、ルナも同じように使えるのか」


 私は目を輝かせた。


「やってみたいな」


 エリーゼも頷いた。


「私も協力するわ」


 クレイドが腕を組む。


「俺の剣でも試してみるか?」


「いいね」


 お兄様は微笑んだ。


「ただし、安全な範囲でね」


「分かった」


 私は大きく頷いた。


 反射。


 昨日、初めて使えた新しい力。


 あのときは、ただエリーゼを守りたい一心だった。


 けれど、今なら。


 もう少し、使い方が分かる気がする。


「頑張ろうね、ルナ」


 足元で、白狼が嬉しそうに尻尾を振った。   


    ◇


 朝食を終えたあと。


 私たちは訓練場へ向かった。


 そこにはすでに、ラビが待っていた。


「おはよう、ルシアちゃん」


「おはよう、ラビ!」


 ラビは私たちを見渡して笑った。


「今日は反射の訓練だって聞いたよ」


「そうなの」


「じゃあ、まずは簡単なところから始めようか」


 ラビは、地面へ小さな木製の球を置いた。


「ルシアちゃん。この球を僕が転がすから、反射してみて」


「転がすだけ?」


「そう。最初は危なくないものから試そう」


 私は頷いた。


「分かった」


 ラビが球を軽く転がした。


 ころころと、木の球が私へ向かってくる。


 私は手を伸ばした。


 透明な膜が、一瞬だけ現れた。


 球が膜へ触れる。


 次の瞬間、球は反対方向へ転がっていった。


「……できた」


 私は嬉しくなって声を上げた。


 ラビが頷く。


「うん。いい感じだね」


 エリーゼも笑った。


「すごいわ、ルシア!」


 私は嬉しくなって、もう一度手を伸ばした。


「もう一度お願いします!」


 ラビは笑いながら、球を拾いに行った。


 その様子を見ていたお兄様が、静かに口を開く。


「次は、少しだけ速くしてみようか」


「了解」


 私は大きく頷いた。


 ラビが球を投げる。


 先ほどよりも速い。


 私は咄嗟に手を伸ばした。


 透明な膜が現れる。


 球が触れた瞬間、勢いよく跳ね返った。


「わっ!」


 私は思わず声を上げた。


 球は、そのままラビの方へ飛んでいく。


「おっと!」


 ラビは軽く身をかわした。


 そして、楽しそうに笑った。


「今のは、なかなか強かったね!」


 私は自分の手を見つめた。


 確かに。


 昨日よりも、ずっと自然に使えた。


 身体が、少しずつ覚えている。


 そんな感覚だった。


     ◇


 次は、ルナの番だった。


「ルナ、お願いね」


 白狼が、私の前へ歩み出る。


 ラビは少し離れた場所へ移動した。


「じゃあ、いくよ」


 木の球が、ルナへ向かって投げられる。


 その瞬間。


 ルナの前に、透明な膜が現れた。


 球が弾かれ、反対方向へ飛んでいく。


「できた」


 私は思わず飛び跳ねた。


「ルナもできたね!」


 エリーゼが拍手する。


「本当にすごいわね!」


 お兄様も微笑んだ。


「うん。ルナも反射を使えるんだね」


 私は嬉しくなって、ルナの頭を撫でた。


「えへへ。さすがルナ!」


 白狼は、得意げに尻尾を振った。


 そのとき。


 クレイドが口を開いた。


「なあ、ゼノン」


「何?」


「これ、どのくらい強い攻撃まで跳ね返せるんだ?」


 お兄様は少し考えた。


「それは、まだ分からないね」


「じゃあ、俺の剣でも試してみるか?」


 私は目を輝かせた。


「やってみたいな」


 けれど、お兄様は首を振った。


「今日は、まだやめておこう」


「ええっ!?」


「ルシア。発現したばかりの異能だから、無理は禁物だよ」


 私は少しだけ頬を膨らませた。


「分かった」


 お兄様は微笑んだ。


「いい子だね」


 そのとき、ラビが口を開いた。


「じゃあ、次は少し変わったことを試してみようか」


「変わったこと?」


「うん」


 ラビは、私とルナを交互に見た。


「二人で同時に反射を使えるか、試してみよう」


 私は目を丸くした。


「同時に?」


「そう。ルシアちゃんとルナが、別々の方向から来る攻撃を同時に跳ね返せるかどうか」


 私は少しだけ考えた。


 それから、ぱっと笑顔になる。


「やってみたい」


 お兄様は、しばらく私を見つめていた。


「いいよ。ただし、少しでも疲れたらすぐにやめること。約束できる?」


「うん。無理はしないよ」


 そう答えると、お兄様は安心したように微笑んだ。


「じゃあ、ラビ。お願い」


「了解。まずは簡単なところから始めようか」


 ラビは木製の球を二つ手に取り、訓練場の中央へ歩いていった。


「ルシアちゃんとルナは、少し離れて立ってみて」


 私は頷き、ルナへ視線を向けた。


「ルナ、お願いね」


 白狼は私の手に鼻先を寄せてから、少し離れた場所へ移動した。


 五メートルほどの距離。


 ラビは私たちを交互に見て、二つの球を構えた。


「最初は同じ速さで投げるよ。二人とも準備はいい?」


「はい」


 私は静かに息を吸い、前を向いた。


 昨日、初めて発現した反射。


 あのときは、エリーゼを守りたい一心だった。


 何も考える余裕はなかったのに、身体が勝手に動いた。


 けれど、今は違う。


 自分の意思で使おうとしている。


 少しだけ緊張した。


「いくよ」


 ラビが二つの球を同時に投げた。


 一つは私へ。


 もう一つはルナへ。


 私は飛んでくる球を見つめた。


 近づいてくる。


 あと少し。


 今なら、できる。


 そう感じた瞬間、自然と手が動いた。


 目の前に、透明な膜が広がる。


 球が触れた途端、反対方向へ跳ね返った。


 ほとんど同時に、ルナの前にも同じ膜が現れ、もう一つの球を弾き返す。


「あ……」


 私は思わず、自分の手を見つめた。


「できた……」


 小さく呟くと、ラビが嬉しそうに笑った。


「うん。二人とも成功だね」


 エリーゼも微笑む。


「すごいわ、ルシア。綺麗に跳ね返せていたわよ」


「本当?」


「ええ。私も驚いたくらい」


 その言葉に、自然と頬が緩んだ。


 私は少し離れた場所にいるルナへ視線を向けた。


「ルナも上手だったね」


 白狼は嬉しそうに尻尾を振った。


 お兄様が近づいてくる。


「今の感覚はどうだった?」


「昨日より、ずっと自然にできた気がする」


「そう」


 お兄様は私の手を取り、優しく握った。


「身体に変わったところはない? 疲れたり、痛みがあったり」


「少しだけ疲れたけど、大丈夫」


「無理はしないでね」


「うん」


 私は頷いた。


 お兄様は安心したように微笑み、そっと手を離した。


     ◇


「なあ、ラビ」


 少し離れた場所で見ていたクレイドが口を開いた。


「今のって、ルシアが二つ同時に反射してるのか?」


「そう考えていいと思うよ」


 ラビは頷いた。


「ルナはルシアちゃんの分身だからね。二人で別々の方向を守れるのは、かなり大きな強みだと思う」


「じゃあ、ルシアが別の相手と戦っていても、ルナは自分で反射できるのか?」


「それを確かめてみたいんだ」


 ラビは私へ視線を向けた。


「ルシアちゃん。次はルナに指示を出さずにやってみようか」


「指示を出さずに?」


「うん。ルナ自身の判断で反射できるか試してみよう」


 私は少しだけ考えた。


 ルナは私の分身。


 私と感覚を共有している。


 けれど、いつも私が細かく指示を出しているわけではない。


 危険を感じれば、自分で動くこともある。


「分かった。やってみる」


 私はルナへ近づき、その頭を撫でた。


「今度は、ルナに任せるね」


 白狼は小さく鼻を鳴らした。


 私は元の位置へ戻り、前を向く。


 今度はルナの方を見ない。


 自分へ向かってくる球だけに集中する。


「準備はいい?」


「はい」


 ラビが球を投げた。


 私は静かに手を伸ばす。


 透明な膜が現れ、球を跳ね返した。


 ほとんど同時に、少し離れた場所から乾いた音が響く。


 振り返ると、ルナの前にも透明な膜が浮かんでいた。


 もう一つの球が、地面を転がっていく。


「ルナ……」


 私は思わず微笑んだ。


「ちゃんとできたんだね」


 白狼が嬉しそうに尻尾を振る。


 エリーゼが感心したように頷いた。


「本当に賢い子ね」


 クレイドは腕を組んだ。


「これなら、ルシアが気づいてない攻撃にも対応できるかもしれねえな」


「そうだね」


 ラビが頷く。


「ルナが別の方向を警戒してくれるのは、かなり心強いと思うよ」


 お兄様も静かに頷いた。


「ただし、まだ発現したばかりの異能だからね。どのくらい使えるのかは、慎重に確かめていこう」


 私は自分の手を見つめた。


 反射。


 攻撃を跳ね返す力。


 昨日まで、こんなことができるなんて思ってもいなかった。


 けれど、この力があれば。


 誰かを守ることができるかもしれない。


 私は、そっと拳を握った。


     ◇


 訓練を終えたあと。


 私はエリーゼと並んで、庭園のベンチに座っていた。


 少し離れた場所では、クレイドがラビと話している。


 お兄様は使用人に呼ばれ、屋敷の中へ戻っていた。


 私は冷たい飲み物を一口飲んだ。


 身体には、心地よい疲れが残っている。


「今日は頑張ったわね」


 エリーゼが微笑んだ。


「うん。少し疲れちゃった」


「そうでしょうね。初めての異能を、あれだけ使ったんだもの」


 私は小さく笑った。


 足元では、ルナが気持ちよさそうに寝そべっている。


「ねえ、エリーゼ」


「何かしら?」


「私、少しは強くなれたかな」


 エリーゼは、驚いたように私を見た。


「もちろんよ」


「本当?」


「ええ。今日の訓練を見ていても分かったわ」


 エリーゼは優しく微笑んだ。


「前よりずっと、自分の力を使えるようになっているもの」


 私は少しだけ俯いた。


「そっか……」


 嬉しかった。


 けれど、同時に思う。


 まだ、足りない。


 あの日。


 ミアに襲われたとき。


 私は何もできなかった。


 怖くて、痛くて。


 ただ、誰かが助けに来てくれることを願うしかなかった。


 今でも、あの家を思い出すと胸が苦しくなる。


 アルベルトとクレイドと、三人で過ごした大切な家。


 笑ったことも、喧嘩したことも、たくさんの思い出がある場所。


 けれど、今は。


 あの家に帰ることさえ、できなくなってしまった。


「ルシア?」


 エリーゼが、私の顔を覗き込んだ。


「どうしたの?」


 私は少し迷ってから、静かに答えた。


「私ね、もう一度ミアに会ったら、ちゃんと立っていられるのかなって」


 エリーゼの表情が変わった。


「ミアに?」


「うん」


 私は自分の手を見つめた。


「反射が使えるようになったからって、怖くなくなったわけじゃないの」


 声が少しだけ小さくなる。


「またあの子に会ったら、何もできなくなるかもしれない」


 エリーゼは何も言わず、私の話を聞いていた。


「でも、ずっと逃げているのも嫌で……」


 私は顔を上げた。


「いつか、ちゃんと向き合えるようになりたい」


 エリーゼは、しばらく私を見つめていた。


 それから、そっと私の手を握った。


「ルシア。無理に向き合う必要はないのよ」


「……え?」


「あなたは、もう十分怖い思いをしたんだもの」


 エリーゼの声は優しかった。


「ミアに会いたくないなら、会わなくていい。怖いなら、逃げてもいいの」


 私は黙っていた。


「それは、弱いことじゃないわ」


 エリーゼは、私の手を少しだけ強く握った。


「でも、もしあなたが向き合いたいと思うなら、そのときは私も一緒にいる」


「エリーゼ……」


「あなた一人で頑張る必要なんてないのよ」


 その言葉に、胸の奥が温かくなった。


 私は小さく頷いた。


「ありがとう」


 エリーゼは微笑んだ。


「どういたしまして」


 私は、足元のルナへ視線を向けた。


 白狼は顔を上げ、私を見つめている。


 その赤い瞳が、どこか優しく見えた。


 私はしゃがみ込み、そっと頭を撫でた。


「ルナも、ありがとう」


 白狼は、私の手へ鼻先を寄せた。


     ◇


 その頃。


 ドラクロワ家の別邸では、ヴェロニカが一通の報告書を読んでいた。


 そこには、ヴァルディエ家の警備体制について記されている。


 屋敷の周囲には、複数の警備兵。


 さらに、ゼノン本人が警備の指揮を執っている。


 そして、ルシアのそばには、エリーゼ・グランヴェールが常に付き添っているという。


「厄介ね」


 ヴェロニカは小さく呟いた。


 ルシアを連れ出すのは、簡単ではない。


 ゼノンの絶対服従。


 重圧。


 二匹の黒狼。


 さらに、アルベルトやセドリック、ラビもいる。


 正面から襲撃したところで、返り討ちに遭うのは目に見えていた。


 そのとき、扉が開いた。


「お姉様!」


 ミアが嬉しそうに入ってくる。


「ルシアのこと、何か分かりました?」


 ヴェロニカは報告書を閉じた。


「ええ。相変わらず、屋敷で守られているようよ」


「そっかぁ」


 ミアは少しだけ残念そうに頬を膨らませた。


「早く会いたいのに」


「焦らないことね」


 ヴェロニカは立ち上がった。


「エドモンド様からの指示が来るまでは、何もしないで」


「はぁい」


 ミアは素直に頷いた。


 けれど、その赤い瞳には、隠しきれない期待が宿っていた。


「ねえ、お姉様」


「何?」


「ルシアって、今も私のこと覚えてると思います?」


 ヴェロニカは少しだけ考えた。


「もちろん覚えているでしょうね」


「よかった!」


 ミアは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、また一緒に遊べますね!」


 ヴェロニカは何も答えなかった。


 ただ、静かに窓の外へ視線を向けた。


 ルシア・ヴァルディエ。


 その少女を手に入れるため、エドモンドは何をするつもりなのか。


 まだ、すべては分からない。


 けれど。


 近いうちに、何かが起こる。


 そんな予感がしていた。

 


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