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偽りの処刑



 王都の北区の街外れには、ヴァンパイアの犯罪者を収容するための施設があった。


 高い石壁に囲まれた建物には、昼夜を問わず警備兵が配置されている。


 人間とヴァンパイアの共生条約が結ばれて以降、両種族の間で起きた重大犯罪については、専用の施設で管理されることになっていた。


 その施設を訪れたのは、ゼノンとアルベルトだった。


「……十年ぶりか」


 アルベルトが建物を見上げた。


「前に来たのは、クレイドの事件のあとだったな」


「うん。ヴェロニカの取り調べで、一度だけね」


 ゼノンは門の前に立つ警備兵へ視線を向けた。


 黒い外套の下には、夜間部の制服を着ている。


「アストリア共生学園のゼノン・ヴァルディエです。責任者に面会をお願いしたいのですが」


 警備兵はその名前を聞いた途端、背筋を伸ばした。


「ヴァルディエ様……! 少々お待ちください」


 慌てて建物の中へ駆け込んでいく。


 アルベルトは小さく笑った。


「相変わらず、お前の名前は便利だな」


「そういう使い方は好きじゃないんだけどね」


「今回は仕方ねぇだろ」


 ほどなくして、二人は施設内へ案内された。


 通されたのは、重厚な机と書棚が置かれた応接室だった。


 しばらく待つと、灰色の髪を後ろへ撫でつけた中年の男が現れた。


「お待たせいたしました。私は当施設の管理責任者を務めております」


 男は丁寧に頭を下げた。


「本日は、どのようなご用件でしょうか」


 ゼノンは椅子に腰を下ろした。


「十年前に処刑された、ヴェロニカ・ドラクロワについて調べています」


 男の表情が、ほんの一瞬だけ強張った。


「……ヴェロニカ・ドラクロワ、ですか」


「ご存じですよね?」


「もちろんです。重大な犯罪により死刑判決を受けた人物ですから」


「では、処刑の記録を見せてもらえますか?」


 男はわずかに視線を泳がせた。


「処刑記録でございますか?」


「ええ。執行確認書と、遺体の確認記録もお願いします」


 ゼノンは穏やかに微笑んでいた。


 しかし、その赤い瞳は相手の小さな反応も見逃していなかった。


「……少々、古い記録になりますので」


「時間ならありますよ」


 男が言い訳を続けようとすると、アルベルトが口を開いた。


「こっちは十年前の事件の当事者だ。裁判が終わったあと、処刑されたって報告を受けてる」


「はい、それはもちろん……」


「だったら、記録を確認させるくらい問題ねぇよな?」


 男は口を閉ざした。


 しばらくして、引きつった笑みを浮かべる。


「……承知いたしました。担当者に確認させます」


 男が部屋を出ていくと、アルベルトは椅子の背にもたれた。


「……怪しいな」


「うん」


 ゼノンは扉を見つめた。


「ヴェロニカの名前を出した瞬間、心臓の鼓動が跳ねて、反応が変わった」


「気づいたか」


「もちろん」


 ゼノンは静かに微笑んだ。


「何か隠しているなら、今日中に確かめたいね」


     ◇


 その頃、アストリア共生学園の夜間部では、ラビがセドリックたちへ捜査状況を説明していた。


「ゼノンとアルベルトは、今ごろ収容施設に着いてるはずだよ」


「ヴェロニカの処刑記録か」


 セドリックが腕を組む。


「本当に生きてる可能性があるのか?」


「まだ分からない。でも、処刑された証拠が見つからないのは事実なんだ」


 ラビは机の上に書類を広げた。


「それに、執行記録に署名した人物が、過去にも不正な釈放に関わった疑いがある」


「うわぁ……それ、かなり黒くない?」


 クロードが顔をしかめた。


「死刑囚を逃がすなんて、普通に考えたら大問題でしょ」


「そうだね。だからこそ、慎重に調べる必要があるんだ」


 ラビは頷いた。


「もし記録が偽造されていたなら、施設の中に協力者がいるってことだから」


 ルイスが資料を手に取った。


「ヴェロニカの家族も関わっている可能性がありますね」


「うん。ドラクロワ家は、昔から人身売買の疑惑があったみたいだし」


「……証拠は?」


 ノエルが尋ねた。


「今のところ、ないよ」


 ラビは首を横に振った。


「だから、僕たちは別の方向から調べようと思う」


「別の方向?」


「最近の失踪事件だよ」


 ラビは王都周辺の地図を広げた。


「ヴェロニカの件と失踪事件がつながっているかどうかは、まだ分からない。でも、もし同じ人間たちが関わっているなら、どこかに共通点があるはずだ」


 セドリックが頷く。


「黒い馬車の目撃情報を集めるか」


「そうだね。僕は昔の取引記録をもう少し調べる。セドリックたちは、昨日の町を中心に聞き込みを続けてほしい」


「了解」


 クロードが立ち上がった。


「じゃあ、今日こそ美味しいもの食べて帰ろうかな」


「まだ言ってるのか」


「だって昨日、何も食べさせてくれなかったじゃん」


 セドリックは呆れたようにため息をついた。


 ラビは笑いながら二人を見送った。


 しかし、彼らが部屋を出ると、その表情は真剣なものへ戻った。


 十年前に終わったはずの事件。


 それが今になって、別の事件とつながろうとしている。


 もしヴェロニカが本当に生きているなら、クレイドを救出したあの日から、誰かがずっと嘘をつき続けていたことになる。


「……嫌な予感がするな」


 ラビは小さく呟いた。


     ◇


 収容施設の応接室に、管理責任者が戻ってきたのは、それから一時間ほど経った頃だった。


 男は数枚の書類を抱えていた。


「お待たせいたしました」


 机に置かれたのは、ヴェロニカの処刑記録だった。


「こちらが当時の記録でございます」


 ゼノンは書類を受け取り、静かに目を通した。


 処刑執行日。


 執行担当者。


 施設責任者の署名。


 そこまでは、学園で確認した資料と同じだった。


「……執行確認書は?」


「申し訳ございません。古い記録ですので、一部が紛失しているようでして」


「遺体の確認記録も?」


「そちらも、現在確認中でございます」


 アルベルトが眉を寄せた。


「二つともなくなってるってことか?」


「……はい」


「随分と都合がいいな」


 男は何も答えなかった。


 ゼノンは書類を机に置いた。


「では、当時の執行担当者に話を聞かせてください」


「それが……」


 男の額に汗が浮かんだ。


「その者は、すでに退職しております」


「退職?」


「はい。数年前に」


「居場所は分かりますか?」


「申し訳ございません。現在の住所までは……」


 ゼノンはしばらく男を見つめていた。


「……そうですか」


 その声は、驚くほど穏やかだった。


 男がほっとしたように息を吐く。


 しかし、次の言葉で再び顔を強張らせた。


「それなら、当時の出入記録を確認させてもらえますか?」


「……出入記録、ですか?」


「ええ。処刑当日、誰が施設へ出入りしたのか知りたいんです」


「ですが、それは……」


「見せられない理由があるんですか?」


 ゼノンの微笑みが消えた。


 男は慌てて首を横に振った。


「い、いえ! そのようなことは……!」


「では、お願いします」


 ゼノンは静かに言った。


「僕たちは、十年前の事件について正確な事実を知りたいだけですから」


     ◇


 出入記録が保管されている部屋へ案内された二人は、当時の帳簿を調べ始めた。


 紙は古びていたが、文字は十分に読める状態だった。


「……あったぞ」


 アルベルトが一冊の帳簿を開いた。


「ヴェロニカの処刑日だ」


 ゼノンが隣へ近づく。


 そこには、当日施設を訪れた人物の名前と、入退室時刻が記録されていた。


 職員。


 警備兵。


 医師。


 そして、面会者。


「……ドラクロワ家」


 ゼノンの指が止まった。


 処刑が行われたとされる日の早朝。


 ドラクロワ家の当主が施設を訪れていた。


「処刑当日に面会?」


 アルベルトが眉を寄せた。


「しかも、入った時間はあるのに、出た時間が書かれてねぇ」


 ゼノンは次のページをめくった。


 そこには、同じ日に施設から出発した馬車の記録があった。


 通常、囚人を移送する際には、移送先と責任者の名前が記載される。


 しかし、その一台だけは違っていた。


 移送先の欄が空白になっている。


「……これは」


 ゼノンが呟いた。


 アルベルトも書類を覗き込む。


「馬車が一台、出てるな」


「うん。しかも、処刑予定時刻の前だ」


 ゼノンは記録を見比べた。


 処刑予定時刻より二時間前。


 施設から一台の馬車が出発している。


 移送先は不明。


 責任者の署名もない。


 ただ、警備担当者の名前だけが記されていた。


 その名前は、処刑執行記録に署名していた人物と同じだった。


「……アル」


「ああ」


 アルベルトの表情が険しくなる。


「こいつは、偶然じゃ済まねぇな」


 ゼノンは帳簿を閉じた。


「当時の警備担当者を探そう」


「そうだな」


「それと、ドラクロワ家の当主が何のために来ていたのかも確認したい」


 アルベルトは頷いた。


「俺の知り合いにも、当時ここで働いていた奴がいる。話を聞いてみる」


「お願い」


 二人は帳簿の写しを取り、施設を後にした。


     ◇


 翌日の夜。


 アルベルトは、王都の古い酒場を訪れていた。


 店の奥には、白髪混じりの男が座っている。


 かつて収容施設で警備を担当していた元職員だった。


「……久しぶりだな」


 アルベルトが声をかけると、男は顔を上げた。


「アルベルトか。珍しいな」


「ちょっと聞きたいことがあってな」


 アルベルトは向かいの席に座った。


 男は酒の入ったグラスを置いた。


「何だ?」


「十年前のヴェロニカ・ドラクロワの処刑についてだ」


 その名前を聞いた瞬間、男の顔色が変わった。


「……何で今さら、その話を?」


「調べてるんだ」


「……」


「お前、当時あの施設にいただろ」


 男はしばらく黙っていた。


 やがて、周囲を見回し、声を潜めた。


「……その話は、やめておけ」


「どういう意味だ?」


「関わらない方がいい」


 アルベルトは男を見つめた。


「何か知ってるんだな」


「……」


「頼む。教えてくれ」


 男は苦しそうに顔を歪めた。


 しばらくして、ようやく口を開いた。


「……あの日、妙なことがあった」


「何だ?」


「処刑が行われるはずだった朝、ドラクロワ家の当主が来たんだ」


「それは記録で確認した」


「当主は、施設の上層部と長いこと話していた。そのあと、警備の配置が急に変更された」


「……配置が?」


「ああ。処刑場へ続く通路から、何人かの警備兵が外されたんだ」


 男はグラスを握り締めた。


「俺も、その一人だった」


「それで?」


「しばらくして、裏門から馬車が出ていった」


「……中には誰がいた?」


「分からない。窓は覆われていた」


 アルベルトは黙って続きを待った。


「ただ……」


 男が唇を震わせた。


「馬車が出る直前、俺は見たんだ」


「何を?」


「女が一人、通路を歩いていた」


 アルベルトの目が細められる。


「……ヴェロニカか?」


 男はゆっくりと頷いた。


「間違いない。あの女だった」


「……本当か?」


「ああ。俺は取り調べのときに何度も顔を見ていたからな」


 男は震える声で続けた。


「手枷もつけていなかった。職員の服を着て、堂々と歩いていたんだ」


「……」


「それで、おかしいと思って後を追おうとしたら、上司に止められた」


「何て言われた?」


「余計なことをするなって」


 男は俯いた。


「その日の夕方、ヴェロニカの処刑が執行されたと発表された」


 アルベルトはしばらく黙っていた。


「……なぜ、今まで黙っていた?」


「怖かったんだ」


 男は顔を上げた。


「ドラクロワ家は力を持っていた。施設の上層部にもつながりがあった。俺みたいな下っ端が何を言ったって、消されるだけだと思った」


 アルベルトは深く息を吐いた。


「……そうか」


「俺が知ってるのは、それだけだ」


「ああ。十分だ」


 アルベルトは立ち上がった。


「話してくれて助かった」


 男は何も答えなかった。


 ただ、アルベルトが去る直前、小さく呟いた。


「……あの女は、死んでない」


     ◇


 その夜、学園長室にゼノンが呼び出された。


 室内にはアルベルトとラビが待っていた。


「アル、何か分かった?」


 ゼノンが入ってくると、アルベルトは一枚の報告書を差し出した。


「十年前、施設で働いていた男から話を聞いた」


 ゼノンは報告書を受け取り、目を通した。


 読み進めるにつれて、その表情が冷たくなっていく。


「……ヴェロニカを見た?」


「ああ。処刑当日の朝、職員の服を着て歩いていたそうだ」


「手枷もなく?」


「そうだ」


 ラビが続けた。


「それに、同じ日に裏門から馬車が出てる。出入記録にも残っていたよ」


 ゼノンは書類を閉じた。


「……つまり、処刑される前に施設から出された可能性が高いんだね」


「ああ」


 アルベルトが頷く。


「ドラクロワ家の当主が施設の上層部と接触し、警備が変更された。その直後にヴェロニカが姿を消している」


「……」


「そして、その日の夕方に処刑執行済みの報告が出された」


 ゼノンはしばらく黙っていた。


 やがて、静かに口を開く。


「……十年間、僕たちは騙されていたんだね」


 その声には、怒りよりも冷たい静けさがあった。


「そういうことになるな」


 アルベルトが答える。


 ゼノンは窓の外へ視線を向けた。


 クレイドを救い出したあの日。


 怯え、傷つき、両親を失い。


 それでも必死に生きようとしていた少年。


 その少年を苦しめた女が、正当な裁きを受けたと信じていた。


 けれど、実際には。


「……許せないね」


 ゼノンが呟いた。


 ラビも真剣な表情で頷いた。


「僕もそう思う。でも、まだ本人の居場所までは分かってない」


「うん」


 ゼノンは顔を上げた。


「ヴェロニカの行方を調べよう。ドラクロワ家も、施設の関係者も、徹底的に」


「ああ」


 アルベルトが頷いた。


「それと、もう一つ気になることがある」


「何?」


「今回の件が本当なら、あの施設では処刑記録が偽造され、囚人が外へ出されていたことになる」


 ゼノンの目が細められた。


「……ほかにも、同じことが起きているかもしれない」


「そうだ」


 アルベルトは机の引き出しから、別の書類を取り出した。


「念のため、最近拘束された囚人の記録も確認した方がいい」


 ゼノンは、その言葉を聞いた瞬間、一人の少女の顔を思い浮かべた。


 かつてルシアの友人だった少女。


 彼女を裏切り、深い傷を負わせた人物。


「……ミア」


 ゼノンが静かにその名を口にした。


 アルベルトも頷いた。


「ああ。あいつが今も拘束されているか、確かめる必要がある」


 ラビは二人の表情を見比べた。


「……明日、確認しに行く?」


「いや」


 ゼノンは首を横に振った。


「できるだけ早く確認したい。今からでも動こう」


 その赤い瞳には、冷たい決意が宿っていた。


 十年前に処刑されたはずの女。


 そして、今も拘束されているはずの少女。


 その二人が、同じ場所でつながっていることを、ゼノンたちはまだ知らなかった。

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