死者の名前
アストリア共生学園の夜間部では、失踪事件の捜査が本格的に始まろうとしていた。
会議室の長机には、王都と周辺地域の地図が広げられている。
その上には、失踪者の名前や年齢、最後に目撃された場所が書き込まれた資料が並んでいた。
「……思ったより多いな」
セドリックが資料をめくりながら呟いた。
「正式に届け出があっただけでも、これだけの人数がいるんですよね」
ルイスが険しい表情で言った。
「ああ。家出として処理された事件まで含めたら、もっと増えるだろうな」
「しかも、全員人間なんでしょ?」
クロードが机に肘をつく。
「これ、どう考えても普通の失踪事件じゃないよねぇ」
「……誘拐」
ノエルが短く呟いた。
「その可能性が高い」
セドリックは地図に視線を落とした。
失踪場所は王都だけでなく、周辺の町や村にまで広がっている。
しかし、いずれの現場にも目立った争いの形跡はなく、目撃者もほとんどいなかった。
「これだけ広い範囲で人を攫ってるなら、犯人は一人じゃないだろうな」
「そうだね」
ラビが資料を手に取った。
「それに、攫った人たちをどこかへ運んでいるはずだよ。移動手段を調べた方が早いかもしれない」
「馬車か?」
「うん。これだけの人数を徒歩で移動させるのは難しいからね」
ラビは地図の外側を指差した。
「街道沿いの町から調べてみよう。荷馬車や商人の出入りが多い場所なら、不審な馬車を見た人がいるかもしれない」
「なるほどな」
セドリックが頷いた。
「それじゃ、俺とクロードで現場を回る。ルイスとノエルは失踪者の情報を整理してくれ」
「分かりました」
「……うん」
「ラビは?」
「僕は過去の事件記録を調べるよ。今回と似た事件があったなら、何か残ってるかもしれないし」
「頼む」
クロードは椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。
「よーし、じゃあ聞き込みに行きますか。できれば可愛い女の子に会えるといいんだけど」
「遊びに行くんじゃないぞ」
「分かってるって。僕だって仕事くらい真面目にやるよ?」
「その台詞を信用できるようになりたいな」
「ひどいなぁ、セドリック」
クロードは笑いながら外套を羽織った。
そんな二人を見て、ラビも小さく笑う。
「気をつけてね。相手がヴァンパイアだったら、何が起こるか分からないから」
「ああ。お前も何か見つけたら連絡してくれ」
「もちろん」
それぞれが資料を手に取り、会議室を後にした。
◇
王都から馬車で一時間ほど離れた町。
石畳の通りには小さな商店が並び、夕暮れが近づくにつれて人通りも少なくなっていた。
セドリックとクロードは、失踪者が最後に目撃されたという街道沿いを歩いていた。
「この辺りで五日前に青年が一人、行方不明になっている」
セドリックが手帳を開いた。
「十九歳。荷運びの仕事をしていて、帰宅途中に姿を消したらしい」
「仕事帰りかぁ。家族は心配してるだろうね」
「ああ」
クロードは周囲を見渡した。
通りの端には馬車の停留所があり、数人の御者が荷物を積み下ろしている。
「ねえ、あっちで聞いてみない?」
「そうだな」
二人が停留所へ向かおうとしたとき、道端に立つ女性が目に入った。
女性は通行人に一枚の紙を見せながら、何かを尋ねている。
「すみません。この人を見かけませんでしたか?」
紙には若い男性の似顔絵が描かれていた。
クロードは女性に近づいた。
「ねえ、ちょっと見せてもらってもいい?」
「……はい?」
女性は驚いたように顔を上げた。
「その絵の人、探してるんでしょ?」
「はい……弟なんです」
クロードが似顔絵を覗き込む。
セドリックも隣に立った。
「五日前から帰ってこなくて……警備隊にも相談したんですけど、何も分からなくて」
女性の目には涙が浮かんでいた。
「僕たち、アストリア共生学園の夜間部から来たんだ」
クロードはいつもの軽い笑みを少し抑えて言った。
「最近の失踪事件を調べてる。よかったら話を聞かせてもらえる?」
「……弟を探してくれるんですか?」
「そのために来た」
セドリックが答える。
女性は何度も頷いた。
「お願いします……!」
近くの店先に移動し、二人は青年が消えた日の状況を詳しく聞いた。
青年は荷運びの仕事を終えたあと、一人で帰宅する予定だった。
最後に姿を見たのは、街道沿いで店を営む老人だという。
「その方には話を聞きましたか?」
「はい。でも、弟が通りを歩いているところを見ただけだって……」
「ほかに変わったことは?」
女性はしばらく考え込んだ。
「……そういえば」
「何か思い出した?」
クロードが尋ねる。
「その日の夜、黒い馬車が走っていたそうなんです」
「黒い馬車?」
「はい。窓が全部覆われていて、中が見えなかったって」
セドリックが手帳に書き込む。
「家紋は?」
「なかったそうです」
「どこへ向かったか分かりますか?」
「町の北側です。森へ続く道の方に……」
クロードがセドリックを見た。
王都の外れにも森は多い。
それだけでは手掛かりとして弱いが、家紋のない黒い馬車という特徴は気になった。
「その馬車を見た人に、直接話を聞けるかな?」
「はい。案内します」
女性は急いで立ち上がった。
◇
馬車を目撃したのは、町外れで宿屋を営む老人だった。
「黒い馬車? ああ、見たよ」
老人は思い出すように顎を撫でた。
「夜遅くに通ったんだ。あんな時間に森へ向かう馬車なんて珍しいから、よく覚えてる」
「馬車の中に誰か乗っていた?」
クロードが尋ねる。
「窓は閉まっていたから分からん。ただ、御者のほかに、外套を着た男が一人乗っていたな」
「男?」
「ああ。馬車の後ろに立っていた。顔は見えなかったが」
セドリックはその証言を書き留めた。
「ほかに気づいたことはありますか?」
「そうだな……」
老人は少し考えたあと、顔を上げた。
「馬車が通ったとき、妙な音がしたんだ」
「音?」
「中から何かがぶつかるような音だよ。最初は荷物でも積んでるのかと思ったんだが……」
老人は声を潜めた。
「人の声みたいなものも聞こえた気がする」
セドリックの表情が変わった。
「それは確かですか?」
「いや、はっきりとは言えん。すぐに通り過ぎちまったからな」
「分かりました。ありがとうございます」
宿屋を出たあと、クロードは腕を組んだ。
「……これ、かなり怪しくない?」
「ああ」
「黒い馬車に、窓を隠すカーテン。しかも、中から人の声かぁ」
「まだ断定はできないが、調べる必要がある」
セドリックは森へ続く道を見つめた。
街道の先には、暗い木々が広がっている。
「今夜はここまでだ。ゼノンに報告して、捜索範囲を広げよう」
「了解。……あ、でも帰る前に何か食べていかない?」
「帰るぞ」
「えー! せっかく来たのに!」
クロードの不満そうな声が、夕暮れの通りに響いた。
◇
その頃、学園の資料室では、ラビが過去の事件記録を調べていた。
机の上には、十一年前の事件に関する報告書が積み重なっている。
「……うーん、やっぱり似てるな」
ラビは二枚の資料を見比べた。
失踪者の年齢や性別に共通点はない。
しかし、最後に目撃された場所には、いくつか重なりがあった。
当時も王都周辺の街道で、人間が姿を消していたのだ。
「……あれ?」
ラビの指が、一つの事件記録で止まった。
十一年前、王都近郊で起きた人身売買事件。
その関係者一覧に、見覚えのある貴族家の名前があった。
「ドラクロワ家……」
ラビはその名前を見つめた。
ヴェロニカ・ドラクロワ。
かつてクレイドを監禁し、傷つけていた女。
そして、ゼノンとアルベルトが彼女を捕らえ、クレイドを救い出した事件の当事者だ。
ラビは当時の記録を知っていた。
ヴェロニカがクレイドを監禁していたことも、ゼノンとアルベルトが救出に向かったことも、その後に裁判が行われたことも。
だからこそ、記録の中にある不自然な点が気になった。
「……処刑の記録だけ、妙に薄いな」
ラビは資料を読み進めた。
逮捕記録。
取り調べの記録。
裁判の記録。
そこまでは、細かく残されている。
しかし、処刑に関する記録は、執行済みと記された一枚だけだった。
正式な執行確認書も、遺体の確認記録もない。
「……僕たちが知っているのは、死刑が執行されたという報告だけ」
ラビは眉を寄せた。
ゼノンとアルベルトは、ヴェロニカを捕らえ、クレイドを助けた。
だが、その後の処刑に立ち会ったわけではない。
裁判の結果と、執行されたという報告を受けただけだった。
「まさか……」
ラビは保管番号を確認し、棚を探した。
しかし、該当する執行確認書は見つからない。
念のため、別の保管箱も調べた。
結果は同じだった。
「これは……ちょっとおかしいな」
ラビは処刑記録をもう一度見た。
そこには、執行を担当した人物の名前が記されている。
その名前にも、どこか見覚えがあった。
「……この人、どこかで……」
ラビは古い資料をめくり直した。
しばらくして、別の事件記録の中に同じ名前を見つけた。
過去に、拘束されていたヴァンパイアが不自然な形で釈放された事件。
その際にも、この人物が関わっていた疑いがあった。
ただし、証拠不十分で処分には至っていない。
「……偶然にしては、出来すぎてる」
ラビは書類をまとめ、立ち上がった。
これは、当事者であるゼノンとアルベルトに報告するべき内容だった。
◇
ヴァルディエ家の屋敷では、ルシアがクレイドと向かい合っていた。
テーブルには紅茶と焼き菓子が並んでいる。
「ねえ、クレイド」
「ん?」
「最近、お兄様が忙しそうなの」
「夜間部の仕事だろ」
「うん。分かってるんだけど……」
ルシアは少しだけ寂しそうに笑った。
「前より、一緒にいられる時間が減っちゃった」
「お前、相変わらずゼノンが好きだな」
「……だって、好きだもん」
素直に答えるルシアに、クレイドは思わず笑った。
「そこは否定しねぇのかよ」
「本当のことだもの」
「はいはい」
クレイドは焼き菓子を一つ手に取った。
「でも、あいつだって好きで離れてるわけじゃねぇだろ」
「……うん」
「お前のこと、いつも気にしてるしな」
ルシアは少し嬉しそうに微笑んだ。
「クレイドも、お兄様のことよく分かってるね」
「長い付き合いだからな」
クレイドは肩をすくめた。
しばらく穏やかな時間が流れたあと、ルシアがぽつりと呟いた。
「……ねえ、クレイド」
「何だ?」
「最近、街で人がいなくなってるって本当?」
クレイドの手が止まった。
「……誰から聞いた?」
「アンナたちが話してたの。市場で噂になってるって」
「そうか」
クレイドは少し考えてから答えた。
「本当だ。夜間部でも調べてる」
「……怖いね」
「ああ」
「みんな、無事だといいな……」
ルシアは窓の外へ視線を向けた。
夕暮れの庭は静かだった。
クレイドはそんな彼女を見つめ、話題を変えるように言った。
「そうだ。今度、街に行くか?」
「えっ?」
「気分転換。ずっと屋敷にいるのも退屈だろ」
ルシアの顔が明るくなる。
「行きたい!」
「じゃあ、ゼノンにも聞いてみるか」
「お兄様も一緒?」
「お前がそうしたいならな」
「うん!」
ルシアは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、クレイドも少しだけ安心した。
◇
深夜。
学園長室には、アルベルトとゼノンがいた。
机の上には、セドリックたちから届いた報告書が置かれている。
「黒い馬車か……」
アルベルトが呟いた。
「うん。森へ向かう街道で目撃されている」
ゼノンが答えた。
「中から人の声らしきものが聞こえたという証言もある」
「怪しいな」
「ただ、まだ証拠にはならない。ほかの失踪場所でも似た馬車が目撃されていないか、調べてもらってる」
アルベルトが頷いた。
そのとき、扉が叩かれた。
「アルベルト、ちょっといい?」
ラビの声だった。
「入れ」
扉が開き、ラビが書類を抱えて入ってきた。
「ゼノンもいたんだ。ちょうどよかった」
「何か見つかった?」
「うん。過去の事件記録を調べていたら、気になるものがあってね」
ラビは机に書類を広げた。
「十一年前の失踪事件を調べていたら、ドラクロワ家の名前が出てきたんだ」
ゼノンは書類を覗き込んだ。
「……ヴェロニカの家か」
「ああ」
アルベルトの表情も険しくなった。
「クレイドを監禁していた、あの女の家だな」
「うん。ドラクロワ家は、昔から違法な血液取引や人身売買に関わっていた疑いがあったみたいだ」
ラビが説明する。
「ただ、当時の事件ではヴェロニカ本人を捕らえ、クレイドを救出した。家の関与については、決定的な証拠が足りなかったらしい」
「それは俺たちも知ってる」
アルベルトが低く言った。
「問題は、ヴェロニカの処刑記録なんだ」
ラビは別の書類を差し出した。
「執行済みとは書かれている。でも、正式な執行確認書が見当たらない」
ゼノンは書類を受け取った。
「……本当にないね」
「ほかの死刑囚の記録にはあるんだ。でも、ヴェロニカのものだけ見つからない」
アルベルトが眉を寄せる。
「保管ミスじゃねぇのか?」
「その可能性も考えて、保管番号を確認して別の棚も探した。でも、見つからなかった」
ラビはさらに一枚の書類を広げた。
「それに、執行記録に署名している担当者にも気になる点がある」
「……どういうことだ?」
アルベルトが聞き返した。
「過去に、拘束されていたヴァンパイアが不自然な形で釈放された事件があったんだ。そのときにも、この担当者が関わっていた疑いがある」
ゼノンは記録を見つめた。
「同じ人物が、ヴェロニカの処刑にも関わっていた?」
「うん。証拠不十分で処分には至ってないけどね」
アルベルトは書類を手に取り、担当者の名前を確認した。
「……なるほどな」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてゼノンが、静かに言った。
「アル。俺たちは、ヴェロニカを捕らえてクレイドを助けた。でも、その後の処刑には立ち会っていない」
「ああ。裁判の結果と、執行されたという報告を受けただけだ」
「つまり、僕たちが直接確認したのは、ヴェロニカを捕らえたところまで」
ラビが頷いた。
「そう。だから、処刑記録が偽造されていたとしても、僕たちには判断できなかった」
ゼノンは机の上の記録を見つめた。
ヴェロニカを捕らえたときのことは、今でも鮮明に覚えている。
クレイドを救い出した。
ヴェロニカを拘束した。
その後、裁判が行われ、死刑が決まった。
そこまでは確かだ。
だが、処刑された瞬間を見たわけではない。
「……もし、誰かが処刑を偽装していたとしたら」
ゼノンが呟く。
アルベルトが低い声で答えた。
「ヴェロニカは、まだ生きている可能性がある」
ラビも真剣な表情で頷いた。
「僕もそう考えてる。でも、今の段階では証拠が足りない」
「なら、確かめよう」
ゼノンが顔を上げた。
「執行に関わった人間を調べる。ドラクロワ家が、処刑の前後に誰と接触していたかも確認したい」
「ああ。俺の方でも動く」
アルベルトは書類をまとめた。
「もし本当にあの女が生きているなら、ただじゃ済まさねぇ」
ゼノンは静かに頷いた。
その赤い瞳には、冷たい怒りが宿っていた。
「……クレイドにも、まだ話さない方がいいね」
「ああ。確証がないうちに知らせても、余計な心配をかけるだけだ」
ゼノンは窓の外へ視線を向けた。
夜の闇が、学園を包んでいる。
ゼノンとアルベルトがヴェロニカを捕らえ、クレイドを救ったあの日から、すでに十年が経っている。
終わったはずの事件。
死んだはずの女。
もし、ヴェロニカが今も生きているのなら。
いったい誰が、その処刑を偽装したのか。
そして、何のために。
その答えは、まだ闇の中にあった。




