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消えた人々



 アストリア共生学園の学園長室には、朝から重苦しい空気が漂っていた。


 窓の外では、昼間部の生徒たちが校庭を行き交っている。


 その賑やかな声とは対照的に、机に向かうアルベルトの表情は険しかった。


 机の上には、古びた王家の記録と、ここ数か月の失踪事件に関する報告書が積み重ねられている。


「……また三人か」


 アルベルトは新たに届いた報告書を読み、眉間に皺を寄せた。


 昨夜だけで、三人の人間が姿を消していた。


 いずれも王都の外れに住む者たちで、互いに面識はない。


 一人は仕事帰りの青年。


 一人は市場で働く女性。


 もう一人は、家族に買い物へ行くと告げたまま戻らなかった男性だった。


 目撃者はなく、争った形跡も見つかっていない。


 ただ、忽然と姿を消した。


「……どうなってやがる」


 アルベルトは報告書を机に置いた。


 最初の失踪が報告されたのは、およそ三か月前。


 当初は月に一人か二人程度だった。


 それが先月から増え始め、今月に入ってからは、すでに十数人が行方不明になっている。


 家出や事故として処理されたものまで含めれば、実際の人数はもっと多いかもしれない。


 それも、王都だけではなかった。


 周辺の町や村でも、同じような失踪が相次いでいる。


「人間ばかりを狙ってるのか……?」


 報告書に記載されている失踪者は、今のところ全員が人間だった。


 年齢も性別もばらばら。


 貴族も平民も関係なく、共通しているのは、誰一人として見つかっていないことだけだった。


 アルベルトは別の書類へ視線を移した。


 そこには、十一年前に発生した複数の失踪事件が記録されていた。


 ヴァルディエ家が襲撃される以前、各地で人間が姿を消していたという報告だ。


 当時は互いに無関係な事件として扱われていた。


 しかし、今になって見比べると、不自然なほど似ている。


「……まさかな」


 アルベルトは低く呟いた。


 机の端には、昨夜見つけたエドモンドに関する古い記録が置かれている。


 ロゼリアの血。


 秘密裏に行われていた研究。


 そして、王家が隠し続けてきた追放の理由。


 すべてが、嫌な方向へつながろうとしていた。


 そのとき、扉が叩かれた。


「アル、僕だよ」


「入れ」


 扉が開き、ゼノンが姿を現した。


 黒い外套を脱ぎながら、室内へ足を踏み入れる。


「朝から呼び出すなんて珍しいね」


「悪いな。お前に見せたいものがある」


「エドモンドの記録?」


「ああ。それと、もう一つだ」


 アルベルトが椅子を勧める。


 ゼノンは向かいに腰を下ろし、机に積まれた書類を見た。


「ずいぶん多いね」


「どれも厄介なもんばかりだ」


 アルベルトは古い記録を一冊、ゼノンの前へ滑らせた。


「まずはこっちからだ」


     ◇


 ゼノンは差し出された記録を開いた。


 古い紙には、かつて王家に仕えていた研究官の署名が残されている。


「……血液研究?」


「ああ。エドモンドが王家にいた頃のものだ」


「こんな記録が残っていたんだ」


「王家の正式な記録からは外されていた。昨日、古い資料を整理していて見つけた」


 ゼノンはページをめくった。


 最初は、純血のヴァンパイアの血について記された研究だった。


 血の濃度。


 異能との関係。


 血統による差異。


 そこまでは、王家が行っていても不思議ではない内容だった。


 しかし、途中から記述が変わっていく。


 特定の人物の血だけを、繰り返し採取した記録。


 その名前を見た瞬間、ゼノンの指が止まった。


「……母上?」


 そこには、ロゼリア・ヴァルディエの名前があった。


「エドモンドは、ロゼリアの血を調べていた」


 アルベルトが言った。


「それも、本人には詳しい目的を知らせずにな」


「……どういうこと?」


「研究のためだと説明して、何度も血を採っていたらしい。だが、実際には……」


 アルベルトは言葉を切った。


 ゼノンが続きを読む。


 やがて、その赤い瞳が冷たく細められた。


「……飲んでいた?」


「ああ」


 エドモンドは採取したロゼリアの血を、自ら飲んでいた。


 研究官の一人がその行為を目撃し、秘密裏に記録していたのだ。


 ゼノンは無言で文章を読み進める。


 アルベルトは、そんな彼を見ながら続けた。


「俺もエドモンドが王家を追放されたことは知っていた。だが、理由までは知らされていなかった」


「祖父上が隠したんだね」


「セオドール様が知ったときには、相当な騒ぎになったらしい」


 セオドール・ヴァルディエ。


 ゼノンの祖父であり、エドモンドの兄。


 当時の王家を統べていた人物だった。


「自分の娘にそんなことをしていたと知れば、許すはずがねぇ」


「……当然だよ」


 ゼノンは静かに答えた。


 しかし、その声には明らかな怒りが滲んでいた。


「エドモンドは、昔から母上の血を欲しがっていたんだね」


「ああ。しかも、ただ血を飲みたいという程度じゃなかった可能性がある」


「どういう意味?」


「研究記録の後半を見ろ」


 ゼノンは指示されたページを開いた。


 そこには、エドモンド自身が残したと思われる短い文章が記されていた。


『血には、その者が生まれながらに持つ力が宿る』


『肉体は滅びようとも、血の本質は失われない』


『純血の中でも、特定の血統には他と異なる性質が存在する』


 ゼノンは最後の一文を読み、顔を上げた。


「……特定の血統?」


「何を指しているのかは分からねぇ。ただ、あいつはロゼリアの血に何か特別なものを見ていたんだろう」


「それで、今度はルシアを……」


 ゼノンの手が、記録の端を強く押さえた。


 十一年前。


 エドモンドは、母を殺したあともルシアを探していた。


 そして、いつか迎えに来ると告げた。


 母の血を欲しがっていた男が、その娘を狙う。


 偶然とは思えなかった。


「アル」


「何だ」


「エドモンドが母上の血を飲んでいたことを、父上は知っていたのかな」


「分からねぇ。セオドール様が研究を止めて追放したところまでは記録にあるが、アルフォンスにどこまで伝えられたのかは書かれていない」


「……そう」


 ゼノンはもう一度、母の名前を見つめた。


 優しく笑っていた母。


 ルシアを抱き締め、守ろうとして命を落とした母。


 その母が、ずっと以前からエドモンドに狙われていた。


「もっと早く知っていれば……」


「ゼノン」


 アルベルトが低く呼ぶ。


「十一年前のことを、全部お前の責任にするな」


「……分かってるよ」


「分かってねぇ顔だ」


 ゼノンは小さく息を吐いた。


「今度は守る。それだけだよ」


「ああ」


 アルベルトも頷いた。


「そのために、調べるんだ」


     ◇


「それから、こっちも見てくれ」


 アルベルトは別の報告書を差し出した。


 ゼノンは受け取り、最初のページへ目を落とす。


「……失踪事件?」


「最近、増えてる」


「知ってるよ。夜間部にも捜索協力の依頼が来ているから」


「なら話が早い。だが、お前が把握してるより状況は悪いかもしれねぇ」


 アルベルトは王都周辺の地図を広げた。


 赤い印が、いくつも記されている。


「ここ三か月で報告された失踪場所だ」


 ゼノンは地図を見つめた。


「……広いね」


「ああ。王都の外れだけじゃねぇ。周辺の町でも起きてる」


「これ、全部?」


「正式に届け出があったものだけだ」


 ゼノンの表情が険しくなる。


 印は一か所に集中していなかった。


 むしろ、意図的に場所を散らしているようにも見える。


「失踪者に共通点は?」


「全員人間だ。年齢も性別もばらばら。金持ちも貧乏人も関係ねぇ」


「身代金の要求は?」


「一件もない」


「遺体は?」


「見つかってねぇ」


 ゼノンは地図へ視線を戻した。


「……誘拐だとしたら、相当な人数を隠しておける場所が必要になる」


「そうだな」


「それに、これだけ広い範囲で人を攫っているなら、協力者が複数いる可能性も高い」


 アルベルトは黙って頷いた。


 そして、机の引き出しからもう一冊の記録を取り出した。


「これを見ろ」


 差し出されたのは、十一年前の失踪事件に関する資料だった。


 ゼノンはページをめくり、すぐに顔を上げた。


「……似てるね」


「だろ?」


 十一年前にも、王都と周辺地域で人間の失踪が相次いでいた。


 当時は複数の事件として扱われ、まとめて調査されることはなかった。


 しかし、今と同じように、年齢も性別も関係なく人々が消えている。


「エドモンドが使った禁術……」


 ゼノンが呟いた。


 アルベルトの表情が変わる。


「百人の命を代償にする、あれか」


「うん」


 十一年前。


 父アルフォンスは確かにエドモンドの心臓を奪った。


 それでも、エドモンドは死ななかった。


 百人の命を代償に、一度だけ死を覆す禁術。


 ゼノンはその術について調べる過程で、百人の犠牲者がどこから集められたのかを追っていた。


 だが、結局、全員の身元を突き止めることはできなかった。


「……あのときも、これだけの人間が消えていた」


「お前は、今回も同じことが起きていると思うのか?」


「まだ分からない」


 ゼノンは慎重に答えた。


「でも、無関係だと決めつけるには似すぎている」


「俺もそう思う」


「十一年前の失踪者と、今の失踪者。もう一度、詳しく照らし合わせたい」


「ああ。こっちでも調べる」


 ゼノンは地図に記された赤い印を一つずつ見つめた。


 人間の失踪。


 エドモンドの禁術。


 ロゼリアの血への異常な執着。


 そして、今も狙われているルシア。


 まだ、すべてがつながったわけではない。


 けれど。


「……嫌な予感がする」


 ゼノンが低く呟いた。


「俺もだ」


 アルベルトは椅子の背へ身体を預けた。


「エドモンドが本当に戻ってきているなら、十一年前と同じようなことを考えていてもおかしくねぇ」


「そうだね」


 ゼノンは報告書を閉じた。


「失踪事件の捜索には、夜間部からも人を出すよ」


「頼む。ただし、ルシアはまだ同行させるな」


「もちろん」


 ゼノンは即答した。


「今は、無理をさせたくないから」


 ミアに襲われたときの恐怖は、まだ完全には消えていない。


 授業へ戻ることはできた。


 けれど、突然の物音に身体を強張らせることもある。


 そんなルシアを、正体の分からない誘拐犯の捜索へ連れていくつもりはなかった。


「セドリックたちには僕から話す」


「頼んだ」


 アルベルトは頷いたあと、ふと思い出したように尋ねた。


「そういや、ルシアはどうしてる?」


「今日は屋敷にいるよ」


「一人か?」


「アンナとマルタがいる。それに、屋敷の警備も増やしてある」


「そうか」


 ゼノンは少しだけ表情を和らげた。


「帰ったら一緒に過ごす約束をしてるんだ」


「……お前、相変わらずだな」


「何が?」


「何でもねぇよ」


 アルベルトは呆れたように笑った。


 けれど、その表情はすぐに真剣なものへ戻る。


「ゼノン」


「うん?」


「今回の件、エドモンドと関係があるなら、ルシアのことも今まで以上に警戒しろ」


「分かってる」


 ゼノンの赤い瞳が、静かに細められた。


「世界で一番大切な子だよ、守ってみせる」


     ◇


 同じ頃。


 王都から遠く離れた、森の奥にある古い屋敷。


 地下へ続く階段を、一人の女がゆっくりと下っていた。


 長いドレスの裾が石段を擦る。


 片手には、小さなランプ。


 もう片方の手には、鍵束が握られている。


 地下の廊下には、鉄格子のついた扉がいくつも並んでいた。


 その奥から、かすかな声が聞こえてくる。


「……お願い……」


「ここから出して……」


 女は足を止めなかった。


 廊下の突き当たりまで進むと、一つの扉を開く。


 そこには、数人の人間が閉じ込められていた。


 男も女もいる。


 年齢もばらばらだった。


 女の姿を見た途端、一人の青年が鉄格子へ駆け寄った。


「頼む! 家族が待ってるんだ!」


「……」


「金なら払う! だから、ここから――」


「うるさいわね」


 女は冷たく言い放った。


 その声に、青年が口を閉ざす。


「あなたたちは、もう帰れないの」


「……な、何を……」


「運が悪かったと思いなさい」


 女はそれだけ言うと、扉を閉めた。


 背後から、すすり泣く声が聞こえてくる。


 けれど、振り返ることはなかった。


 階段を上り、屋敷の広間へ戻る。


 そこには、黒い外套をまとった男が待っていた。


「人数は?」


 男が尋ねる。


「予定どおりよ」


「まだ足りない」


「分かっているわ」


 女は苛立ったように答えた。


「これ以上、一度に人間を消せば騒ぎになる」


「すでに騒ぎになっている」


「だから慎重にやっているんでしょう?」


 男はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「次の移送は三日後だ」


「ええ」


「失敗するなよ」


「私を誰だと思っているの?」


 女が薄く笑う。


「人間を集めることくらい、昔から慣れているわ」


 男が立ち去ると、女は窓の外へ視線を向けた。


 森の向こうに、月が浮かんでいる。


「……もうすぐね」


 その声は、誰にも届かなかった。


     ◇


 ヴァルディエ家の屋敷では、ルシアが居間のソファに座っていた。


 膝の上には、読みかけの本。


 けれど、同じページを何度も眺めているだけで、なかなか先へ進まない。


「……遅いなあ」


 ぽつりと呟く。


 ゼノンは朝からアルベルトのところへ出かけていた。


 大事な話があるのだという。


 何の話なのかは教えてもらえなかったが、仕事のことだと言われれば、それ以上は聞けなかった。


 ルシアは本を閉じ、窓の外を眺めた。


 庭には柔らかな日差しが降り注いでいる。


 そのとき、背後から声がした。


「ルシア様、お茶のおかわりはいかがですか?」


 振り返ると、アンナが微笑んでいた。


「ありがとう。いただくわ」


「ゼノン様のお帰りをお待ちですか?」


「……分かる?」


「もちろんです」


 アンナが楽しそうに笑う。


「先ほどから、何度も時計をご覧になっていますもの」


「そんなに見てた?」


「ええ」


 ルシアは少し恥ずかしくなり、頬を赤らめた。


「だって、今日は一緒に過ごす約束だったから……」


「きっと、もうすぐお戻りになりますよ」


「うん」


 アンナが新しい紅茶を注いでいると、玄関の方から扉の開く音がした。


 ルシアの顔がぱっと明るくなる。


「お兄様!」


 ソファから立ち上がり、居間を飛び出した。


 廊下へ出ると、ちょうどゼノンが外套を脱いでいるところだった。


「ただいま、ルシア」


「おかえりなさい!」


 駆け寄ると、ゼノンが自然に両腕を広げる。


 ルシアはその胸へ飛び込んだ。


「待ってたの?」


「……うん」


「ごめんね。少し長くなっちゃった」


「大丈夫。お仕事だもの」


 そう言いながらも、ルシアはゼノンの服を掴んだまま離れなかった。


 ゼノンは嬉しそうに微笑み、妹の髪を撫でた。


「寂しかった?」


「……ちょっとだけ」


「ちょっとだけ?」


「……いっぱい」


「そっか」


 ゼノンが小さく笑う。


「僕も会いたかったよ」


 その言葉に、ルシアは顔を上げた。


「本当?」


「もちろん」


 ゼノンはルシアの額へそっと口づける。


「今日はもう出かけないから、ずっと一緒にいよう」


「うん!」


 ルシアは嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見た瞬間、ゼノンの胸に、先ほどまで読んでいた記録の内容が蘇る。


 ロゼリアの血。


 エドモンドの研究。


 増え続ける失踪者。


 そして、十一年前の禁術。


 けれど、今は何も言わなかった。


 ルシアの笑顔を曇らせたくなかったからだ。


「お兄様?」


「うん?」


「何かあった?」


 ゼノンは少し驚いたように目を瞬かせた。


「どうして?」


「……なんとなく。ちょっと難しい顔してたから」


 ルシアは心配そうに彼を見上げた。


「お仕事、大変なの?」


「少しね」


「……私にできること、ある?」


 その言葉に、ゼノンの表情が柔らかくなる。


「あるよ」


「本当?」


「うん」


 ゼノンはルシアの頬に手を添えた。


「こうして、僕の傍で笑っていて」


「……それだけ?」


「それが一番嬉しいんだ」


 ルシアは少し不思議そうにしたあと、ふわりと微笑んだ。


「じゃあ、いっぱい笑うね」


「ありがとう」


 ゼノンは妹を抱き寄せた。


 その温もりを確かめるように、しばらく離さなかった。


     ◇


 夜。


 アストリア共生学園の夜間部では、セドリックが一枚の報告書を読んでいた。


「……人間の失踪事件、か」


 隣ではルイスが別の資料に目を通している。


「かなり増えているようですね」


「ああ。しかも、どこで消えたのかもばらばらだ」


 セドリックは地図を机に広げた。


 そこへ、クロードが覗き込む。


「うわ、結構な数じゃん。これ全部、行方不明者?」


「そうだ」


「うへぇ……こりゃ、のんびりしてる場合じゃなさそうだねぇ」


 ノエルも静かに地図を見つめていた。


「……全員、人間」


「今のところはな」


 セドリックが答える。


 そこへ、ラビが扉を開けて入ってきた。


「おっ、みんな揃って何してるの?」


「ラビ、ちょうどいいところに来た」


「ん? 僕の出番?」


「失踪事件の捜索協力だ」


 ラビは資料を受け取り、目を通した。


 先ほどまでの明るい表情が、少しずつ真剣なものへ変わる。


「……失踪事件か。これはちょっと厄介そうだな」


「ああ」


「これだけ広い範囲で人が消えてるのに、目撃情報がほとんどない。相手はかなり手慣れてるかもしれないね」


 セドリックは頷いた。


「ゼノンから連絡があった。夜間部でも調査に協力する」


「了解。捜索なら僕も手伝うよ」


 ラビは資料を机に置いた。


「ところで、ルシアちゃんは?」


「今回は参加させない」


「そっか。うん、その方がいいと思うよ」


 ラビは頷いた。


「今は無理させたくないし、まずは僕たちで状況を調べよう」


「ああ。それに、相手が何者かも分からない」


 セドリックは地図へ視線を戻した。


「まずは俺たちで調べる」


 窓の外では、夜の帳が下りていた。


 人間たちが眠りにつく時間。


 その暗闇のどこかで、今も誰かが姿を消しているかもしれない。


「……嫌な事件だな」


 セドリックの呟きに、誰も答えなかった。


     ◇


 王都から離れた地下礼拝堂。


 古い石棺の表面を、赤黒い模様が走っていた。


 ――どくん。


 ――どくん。


 まるで生き物の心臓のように、規則正しく脈打っている。


 その前に立つエドモンドは、満足そうに目を細めた。


「……順調だな」


 十一年前。


 百人の命を代償に、死を覆す禁術を発動させた。


** アルフォンスによって心臓を奪われ、肉体を破壊されたエドモンド。**


** その後、協力者によって身体の残骸が回収され、石棺へと運び込まれた。**


** 石棺に蓄えられていた百人分の生命力を使い、十年以上の長い眠りの中で、失われた肉体を修復したのだ。**


 そして今。


 再び、石棺へ生命力が集められている。


 人間の心臓。


 そこに宿る命の力。


 それらが、赤黒い模様となって石棺を脈打たせていた。


 以前よりも、ずっと強く。


「まだ足りないが……悪くない」


 エドモンドは石棺へ手を置いた。


 冷たい石の下から、微かな振動が伝わってくる。


「今度こそ、あの子を迎えに行こう」


 思い浮かぶのは、漆黒の髪を持つ少女。


 ロゼリアによく似た、赤い瞳。


 十一年前、手に入れ損ねた王女。


「ルシア……」


 その名を口にすると、エドモンドは恍惚とした笑みを浮かべた。


「お前は、私の女になるんだ」


 あの血を、永遠に味わいたい。


 傍に置き、誰にも触れさせず、自分だけのものにしたい。


 もし、どうしても拒むというのなら。


「……そのときは、仕方がない」


 エドモンドは静かに笑った。


「お前の心臓をいただこう。」


 その力を自分の中へ取り込めばいい。


 そうすれば、ルシアは永遠に自分の一部となる。


 拒むことも、逃げることもできなくなる。


 エドモンドは石棺から手を離した。


「だが、できれば生きたまま迎えたいものだ」


 背後で、黒い外套の男が頭を下げる。


「準備は進めております」


「よろしい」


「次の人間たちも、間もなく届く予定です」


「そうか」


 エドモンドは満足そうに頷いた。


「ヴェロニカに伝えろ。手を緩めるな、と」


「承知しました」


 男が立ち去る。


 地下礼拝堂に、再び静寂が戻った。


 ――どくん。


 ――どくん。


 石棺は、以前よりも強く脈打っていた。


 その一度一度の脈動の裏に、奪われた命があることを、まだゼノンたちは知らない。


 そして、処刑されたはずの女が、今もエドモンドのために動いていることも。


 誰も、まだ知らなかった。

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