変わらない思い
夕暮れの光が、アストリア共生学園の白い石造りの廊下を淡く染めていた。
昼間部の生徒たちが帰路につき、代わって黒い制服に身を包んだ夜間部の生徒たちが集まり始める時間。
ルシアは教室の前で、少しだけ足を止めた。
「ルシア」
隣に立つゼノンが、優しく声をかける。
「緊張してる?」
「うん、ちょっとだけ」
「無理しなくていいからね。疲れたら、いつでも帰ろう」
「ありがとう、お兄様。でも、今日は授業を受けてみたいの」
ゼノンは微笑み、彼女の頭をそっと撫でた。
「分かった。じゃあ、終わる頃に迎えに来るよ」
「うん!」
ルシアが教室の扉を開けると、賑やかな声が聞こえてきた。
「お、ルシアじゃねぇか」
真っ先に声をかけてきたのはクレイドだった。
窓際の席に座り、椅子の背にもたれている。
「クレイド!」
「今日から授業に戻るのか?」
「うん。今日は一つだけ受けてみようと思って」
「ふーん。まあ、無理すんなよ」
「ありがとう」
ルシアが笑うと、クレイドは少しだけ視線を逸らした。
「別に、礼言われることじゃねぇし」
「相変わらず素直じゃないねえ、クレイド君」
横からクロードが楽しそうに口を挟む。
「うるせぇな」
「だってさ、ルシアちゃんが来る前から何回も廊下見てたじゃん」
「見てねぇよ!」
「へえー?」
「クロード、からかいすぎ」
セドリックが苦笑しながら会話に加わった。
「ルシア、久しぶり。体調はどう?」
「もうだいぶ元気だよ。ありがとう、セドリックさん」
「それならよかった」
「ルシアちゃん、おかえりなさーい!」
今度はラビが大きく手を振った。
「ラビ先輩!」
「やっぱりルシアちゃんがいると教室が華やぎますねえ!」
「ラビ、声でかい」
セドリックが呆れたように言う。
「えー? 歓迎の気持ちは大きく伝えないと!」
そのやり取りに、ルシアはくすくすと笑った。
「ルシアさん、こちらの席が空いていますよ」
ルイスが穏やかな笑顔で声をかける。
「ありがとうございます、ルイス先輩」
「授業で分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」
「はい!」
その隣で、ノエルが静かにルシアを見つめていた。
「……ルシア」
「なあに、ノエルさん?」
「……来てくれて、嬉しい」
短い言葉だった。
けれど、その声音はとても優しかった。
ルシアはぱっと笑顔になった。
「私も、みんなに会えて嬉しいです」
「……うん」
ノエルは小さく頷いた。
その表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
クレイドはそんな様子を横目で見ながら、ルシアの隣の椅子を引いた。
「ほら、ここ座れよ」
「ありがとう、クレイド」
「おう」
ルシアが席についたところで、教室の扉が勢いよく開いた。
「よーし、お前ら! 席につけー!」
聞き慣れた声に、ルシアは驚いて顔を上げた。
「アル!?」
教壇に立っていたのは、学園長のアルベルト・ローレンツだった。
「おう、ルシア。久しぶりの授業だな」
「うん。でも、どうしてアルが?」
「今日はランスロット先生が急用で休みになっちまってな。代わりに俺が授業をすることになった」
アルベルトは教科書を教壇に置き、にやりと笑った。
「学園長直々の授業なんて滅多にねぇぞ。ありがたく聞けよー」
「自分で言うんですね、それ」
セドリックが呆れたように呟く。
「なんだ、セドリック。文句あるのか?」
「いや、別に」
「俺だって昔はちゃんと教師やってたんだぞ」
「昔は、ですか」
「お前、そこ引っかかるなよ!」
教室に笑いが広がった。
「アルベルト先生!」
ラビが勢いよく手を上げる。
「なんだ、ラビ」
「今日は宿題なしでお願いしまーす!」
「まだ授業始まってねぇだろ!」
「先にお願いしておこうと思いまして!」
「そもそも、宿題なんて出したことないだろ夜間部では」
「ええー!そうでしたっけー?」
「……うるさい」
ノエルが小さく呟いた。
「ノエル君、ひどくない!?」
「……事実」
その一言に、教室中が笑いに包まれた。
ルシアも思わず声を上げて笑った。
アルベルトはそんな彼女を見て、少しだけ嬉しそうに目を細める。
けれど、すぐにいつもの調子に戻った。
「よし、始めるぞ!」
黒板に、大きく文字が書かれる。
『能力の発現と制御』
「今日の授業は、ヴァンパイアの特殊能力についてだ」
アルベルトは教室を見渡した。
「能力は一人ひとり違う。強い能力を持っているからって、必ずしも戦いに強いとは限らねぇ。大事なのは、どう使うかだ」
そう言うと、セドリックを指名した。
「セドリック。お前、空気を操れるな」
「はい」
「この教室にいる全員の髪を、軽く揺らしてみろ」
「え、全員ですか?」
「おう。軽くだぞ」
「分かりました」
セドリックが片手を上げる。
次の瞬間、教室に柔らかな風が吹き抜けた。
ルシアの黒髪がふわりと揺れる。
「わあ……!」
「おお、すげぇ」
クレイドが感心したように呟いた。
「このくらいなら簡単だよ」
セドリックは肩をすくめる。
「よし。じゃあ次だ」
アルベルトは教卓に三枚の紙片を並べた。
「この真ん中だけ浮かせてみろ」
「細かいですね」
「できねぇのか?」
「できますよ」
セドリックが指先を動かすと、真ん中の紙だけがふわりと浮かび上がった。
両隣の紙は、ぴくりとも動かない。
「すごい!」
ルシアが目を輝かせる。
「ありがとう、ルシア」
「セドリックさんって、本当に器用なんだね」
「まあ、長いこと練習してるからね」
「俺だったら、三枚まとめて吹っ飛ばしそうだな」
クレイドがぼそりと言う。
「お前はまず、力加減を覚えろ」
アルベルトが即座に返した。
「分かってるよ!」
「お前、前の実技でも勢い余って備品壊しかけただろ」
「あれはちょっと力が入りすぎただけだって!」
「それを力加減ができてねぇって言うんだよ!」
再び笑いが起こった。
ルシアもクレイドの顔を見て笑う。
「クレイド、そんなことあったの?」
「……忘れろ」
「ふふ、分かった」
「絶対忘れねぇ顔してんじゃねぇか」
「そんなことないよ?」
ルシアが笑うと、クレイドは諦めたようにため息をついた。
アルベルトは黒板に『制御』と書き加えた。
「いいか。力を出すだけなら簡単だ。難しいのは、必要なときに必要な分だけ使うことだ」
その言葉に、生徒たちの表情が少し引き締まった。
「じゃあ、次。ラビ」
「はーい!」
「お前の透明化は便利だが、弱点もあるな?」
「もちろん。姿が見えなくなっても、足音や匂いまでは消えませんからねえ」
「そうだ。自分の能力の限界を知っておくことも重要だ」
「ちなみにオレ、足音を消すのは得意ですよ?」
「じゃあ授業中にこっそり抜け出せるな」
クロードが笑う。
「それ、いいですねえ!」
「よくねぇよ!」
アルベルトの声が教室に響いた。
「お前ら、俺の前で堂々とサボる相談するな!」
「……怒られた」
ノエルがぽつりと呟く。
「ノエル君まで!」
ラビが大げさに肩を落とす。
ルイスは苦笑しながら、開いていた教科書に視線を戻した。
「ですが、透明化していても気配を察知できる相手なら、見つかる可能性がありますよね」
「お、ルイス。いいところに気づいたな」
アルベルトが頷いた。
「そういうことだ。能力は万能じゃねぇ。相手との相性もある」
アルベルトは今度はノエルに目を向けた。
「ノエル。知らねぇ能力を持つ相手に遭遇したら、まずどうする?」
ノエルは少し考えた。
「……距離。観察。無理に近づかない」
「正解だ」
アルベルトは満足げに頷いた。
「じゃあ、相手が人間を人質に取っていたら?」
「……安全、優先。助ける」
「そうだな。だが、一人で突っ込むなよ。仲間との連携も大切だ」
「……うん」
ノエルは静かに頷いた。
短い言葉でも、彼が何を大切にしているのかは十分に伝わってきた。
「ルイス。周囲に一般人が大勢いたら?」
「まず避難を優先します。戦闘になれば、無関係な人を巻き込んでしまいますから」
「そのとおり」
アルベルトは黒板に『観察・判断・連携』と書いた。
「強い力を持ってるからって、一人で何でもできるわけじゃねぇ。仲間を頼ることも覚えろよ」
ルシアは真剣にその言葉を聞いていた。
自分にも、ヴァルディエ王家の純血としての力がある。
けれど、まだそのすべてを理解しているわけではない。
いつか、自分の力で大切な人たちを守れるようになりたい。
そんなことを考えていると、隣からクレイドが小声で話しかけてきた。
「おい、ルシア」
「なあに?」
「そんな難しい顔すんなよ」
「え?」
「いきなり全部できるようになる必要ねぇだろ」
ルシアは目を瞬かせた。
「……うん」
「少しずつ覚えりゃいいんだよ」
クレイドは前を向いたまま言った。
ルシアは小さく微笑む。
「ありがとう、クレイド」
「別に」
そのやり取りを、アルベルトは教壇からちらりと見ていた。
けれど、何も言わなかった。
◇
「よし。じゃあ、ここからは二人一組になって、能力の特徴と対処法を考えてもらうぞ」
アルベルトの指示に、生徒たちが席を立った。
「ルシア、俺と組むか?」
クレイドが声をかける。
「うん!」
ルシアも立ち上がろうとした。
そのときだった。
後方で椅子が床に引っかかり、鋭い音を立てた。
ガタンッ。
「……っ!」
ルシアの身体が強張った。
一瞬、教室の景色が遠くなる。
あの日の厨房。
床に落ちたもの。
手に握られた刃物。
そして、ミアの顔。
「ルシア?」
すぐ隣で、クレイドの声がした。
ルシアははっと顔を上げる。
「……あ」
目の前には、いつもの教室がある。
クレイドが、心配そうに彼女を見ていた。
「大丈夫か?」
「うん……ちょっと、びっくりしちゃって」
ルシアは笑おうとした。
けれど、思ったよりうまく笑えなかった。
クレイドはそんな彼女を見つめたあと、少しだけ声を落とした。
「無理すんな」
「……うん」
「座っててもいいんじゃねぇの」
その言葉に、ルシアは小さく頷いた。
すると、反対側からルイスが声をかけた。
「ルシアさん、お水を持ってきましょうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫です」
「そうですか。必要なら言ってくださいね」
「はい」
ノエルも静かに近づいてきた。
「……ルシア」
「なあに?」
「……無理、しないで」
ルシアは彼を見上げた。
ノエルはいつもどおり無表情に近かった。
けれど、その瞳はとても優しかった。
「ありがとう、ノエル先輩」
「……うん」
アルベルトも教壇から様子を見ていた。
ルシアが大きな音に反応したことに気づいていたが、あえて騒ぎ立てることはしなかった。
「ルシア、今日は久しぶりの授業だろ。最初は見学でもいいぞ」
ルシアは少し考えた。
「じゃあ、今日は見ててもいい?」
「もちろんだ」
アルベルトはにっと笑った。
「人の能力を見るのも立派な勉強だからな」
「うん。ありがとう」
ルシアが椅子に腰を下ろすと、クレイドはその隣に立ったまま言った。
「俺も見学でいいか?」
「お前は参加しろ」
アルベルトが即答する。
「なんでだよ!」
「お前こそ制御の練習が必要だろうが!」
「ちっ……」
クレイドが舌打ちすると、ルシアは思わず笑ってしまった。
「クレイド、頑張ってね」
「……おう」
その笑顔を見て、クレイドの表情も少しだけ和らいだ。
「じゃあ、俺のこと見てろよ」
「うん!」
ルシアは頷いた。
怖いと思う瞬間は、まだある。
でも、ここには自分を傷つけようとする人はいない。
心配してくれる友達がいて、家族がいて、見守ってくれる人たちがいる。
今はまだ、全部を元どおりにすることはできないかもしれない。
それでも。
少しずつ、前に進んでいけたらいい。
ルシアはそう思いながら、目の前で始まった実習を見つめた。
◇
授業が終わる頃には、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。
「ルシア、どうだった?」
教室を出ると、廊下で待っていたゼノンが微笑んだ。
「お兄様!」
ルシアは嬉しそうに駆け寄る。
「楽しかったよ! 今日はアルが先生だったの」
「アルベルトが?」
「うん。ランスロット先生がお休みだったんだって」
「そうだったんだね」
「セドリックさんの能力も見られたし、みんなとお話もできたの」
ゼノンは嬉しそうに頷いた。
「それはよかった」
そこへ、クレイドが教室から出てきた。
「おい、ゼノン」
「クレイド」
「ルシア、今日はちょっと疲れてると思うから、早めに休ませてやれよ」
ゼノンは一瞬だけ目を細めた。
「……何かあった?」
「別に大したことじゃねぇよ。授業中にちょっとびっくりしただけだ」
「クレイド」
ルシアが少し恥ずかしそうに声をかける。
「心配しすぎだよ」
「お前が無理するからだろ」
「そんなことないもん」
「はいはい」
クレイドは軽く肩をすくめた。
ゼノンは二人を見つめ、それからルシアに優しく声をかけた。
「今日は帰ったらゆっくり休もうね」
「うん」
その後ろから、セドリックたちも教室を出てきた。
「ゼノン、迎えに来てたのか」
「うん」
「ルシア、また授業で会おうね」
「うん! ありがとう、セドリックさん」
「ルシアちゃん、次は一緒に実習しましょうねえ!」
ラビが明るく手を振る。
「はい、ラビ先輩!」
「無理はしないでくださいね」
ルイスも優しく微笑んだ。
「ありがとう、ルイス先輩」
ノエルは少し離れたところから、ルシアを見つめていた。
「……ルシア」
「なあに?」
「……また、明日」
ルシアは嬉しそうに笑った。
「うん。またね、ノエル先輩!」
ノエルは小さく頷いた。
その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
ゼノンはそんなやり取りを静かに見守っていた。
ルシアがこうして、少しずつ日常を取り戻そうとしている。
それが、何より嬉しかった。
けれど、その穏やかな時間を遮るように、背後から柔らかな声が響いた。
「ゼノン様」
振り返った先に、一人の女性が立っていた。
レティシア・ドラクロワ。
優雅なドレスを身にまとい、上品な微笑みを浮かべている。
「お久しぶりでございます」
ゼノンの瞳に、わずかな警戒が宿った。
第六章 変わらない想い
夕暮れの光が、ヴァルディエ家の屋敷の窓を淡く染めていた。
ルシアは鏡の前に立ち、久しぶりに袖を通した黒い制服を見つめていた。
アストリア共生学園、夜間部の制服。
白い肌に映える黒い生地と、胸元に施された上品な刺繍。鏡の中には、以前と変わらない自分が映っているはずだった。
けれど、ルシアは少しだけ緊張していた。
あの日から、初めて学園へ戻るのだ。
ミアに襲われたときのことを、忘れたわけではない。
突然向けられた刃物。
信じていた友人の変わり果てた姿。
そして、無理やり血を奪われた恐怖。
目を覚ますまで七日もの時間が過ぎていたと知ったとき、ルシアは自分でも驚くほど動揺した。
それでも、いつまでも屋敷の中に閉じこもっていたくはなかった。
大切な友人たちに会いたい。
また、みんなと一緒に授業を受けたい。
そう思えたことが、ルシアには嬉しかった。
「……よし」
小さく呟き、鏡に向かって微笑んでみる。
そのとき、扉が控えめに叩かれた。
「ルシア、準備はできた?」
「お兄様!」
扉を開けると、そこにはゼノンが立っていた。
黒い制服に身を包んだ彼は、ルシアの姿を見るなり、柔らかく目を細めた。
「よく似合ってるよ」
「ふふ、ありがとう!」
ルシアは嬉しそうに笑った。
「久しぶりだから、ちょっと緊張しちゃう」
「そうだろうね」
ゼノンは彼女の前に膝を折るように身を屈め、目線を合わせた。
「本当に大丈夫? 無理して行かなくてもいいんだよ」
「うん。大丈夫」
ルシアは頷いた。
「私、みんなに会いたいの」
「そう」
ゼノンは微笑んだ。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「うん!」
ルシアは差し出された手を握った。
温かく、大きな手。
その手に触れるだけで、不思議と胸の緊張が和らいでいく。
廊下へ出る直前、ゼノンはルシアの髪に目を留めた。
「その髪飾り、今日もつけていくんだね」
「うん!」
黒髪には、銀色の花を模した髪飾りが留められていた。
中央には小さな紫色の宝石が輝いている。
クレイドから贈られた、大切なものだった。
「クレイドがくれたんだもん。お気に入りなの」
「そうなんだ」
ゼノンは穏やかに笑った。
「とても似合ってるよ」
「ありがとう、お兄様!」
ルシアは彼の腕にそっと抱きついた。
◇
アストリア共生学園の正門をくぐる頃には、空はすっかり夜の色へと変わっていた。
校舎の窓には明かりが灯り、夜間部の生徒たちが行き交っている。
久しぶりに見る光景だった。
「懐かしい……」
ルシアが呟くと、ゼノンが隣で微笑んだ。
「まだそんなに経っていないよ?」
「そうだけど、すごく久しぶりな気がするの」
「そうだね」
二人が廊下を歩いていると、前方から聞き慣れた声が響いた。
「ルシア?」
振り返ると、クレイドが立っていた。
彼は一瞬驚いたように目を見開き、それから足早に近づいてくる。
「お前、今日から来るのか?」
「クレイド!」
ルシアの顔がぱっと明るくなった。
「うん! 今日は授業を受けてみようと思って!」
「そうかよ」
クレイドはそっけなく答えた。
けれど、その表情には明らかな安堵が浮かんでいた。
「……体調は?」
「もう大丈夫だよ」
「無理すんなよ」
「分かってるってば」
ルシアが笑うと、クレイドは小さく息を吐いた。
「ならいいけど」
ゼノンはそんな二人を穏やかに見つめていた。
「クレイド、ルシアをよろしくね」
「言われなくても分かってる」
「頼もしいね」
クレイドは少しだけ眉を寄せた。
「……あんたも心配しすぎなんだよ」
「そうかな?」
「そうだろ」
ルシアは二人のやり取りを聞きながら、くすくすと笑った。
以前と変わらない会話。
それが、何より嬉しかった。
「じゃあ、ルシア」
ゼノンが彼女の手をそっと握る。
「授業が終わったら迎えに来るよ」
「うん!」
「何かあったら、すぐに知らせて」
「分かった。お兄様もお仕事頑張ってね!」
「ありがとう」
ゼノンは彼女の額に優しく口づけた。
その仕草に、ルシアは少し頬を赤らめる。
「お、お兄様……ここ、学園だよ?」
「知ってるよ?」
悪びれる様子もなく微笑むゼノンに、クレイドが呆れたように声を上げた。
「……相変わらずだな」
「ふふ」
ゼノンは楽しそうに笑うと、二人に手を振って廊下の向こうへ歩いていった。
◇
教室へ入った途端、明るい声が飛んできた。
「あら! ルシアちゃんじゃない!」
「ラビ先輩!」
ラビ・フローレンスが嬉しそうに両手を広げる。
「もう、心配したんだから! 元気そうでよかったわぁ!」
「ありがとうございます!」
「顔色もいいじゃない。安心したわ」
その隣から、セドリックが顔を覗かせた。
「お、ルシア! 久しぶりだな!」
「セドリックさん!」
「ゼノンから元気になってきたとは聞いてたけど、こうして顔を見ると安心するな」
「ふふ、ありがとうございます」
「おかえり、ルシア」
穏やかな声に振り返ると、ルイスが微笑んでいた。
「ルイス先輩!」
「無理をしない程度に、少しずつ慣れていけばいいと思いますよ」
「はい!」
窓際にいたノエルも、静かにこちらへ視線を向けた。
「……よかった」
「ノエル先輩?」
「元気そうで」
短い言葉だったが、その優しさが伝わってきた。
「ありがとうございます!」
すると、背後から軽い調子の声が響いた。
「いやぁ、ルシアちゃんが戻ってくると教室が華やかになるねぇ」
「クロード先輩!」
クロード・レヴェルが片目をつむってみせる。
「久しぶりに会えた記念に、今度お茶でもどう?」
「おい、クロード」
クレイドが即座に口を挟んだ。
「病み上がりの奴を誘うな」
「えー? お茶くらいいいじゃない」
「よくねぇ」
「相変わらず過保護だねぇ」
そのやり取りに、教室のあちこちから笑い声が上がった。
ルシアも思わず笑ってしまう。
みんな、変わっていない。
あの日から、自分だけが取り残されてしまったような気がしていた。
けれど、こうして戻ってみれば、変わらず迎えてくれる人たちがいる。
それが、たまらなく嬉しかった。
やがて授業開始を告げる鐘が鳴った。
「さて、席につこうか」
ルイスの言葉に、生徒たちがそれぞれの席へ戻っていく。
ルシアもクレイドの隣に腰を下ろした。
「今日の授業って何だっけ?」
「能力の発現と制御」
「そっか」
「ランスロット先生、今日は休みらしいぞ」
「え? じゃあ誰が教えるの?」
その疑問に答えるように、教室の扉が勢いよく開いた。
「おーい、お前ら! 席につけよ!」
聞き慣れた声。
ルシアはぱちぱちと瞬きをした。
「……アル?」
教壇に立ったのは、学園長のアルベルト・ローレンツだった。
「よう、ルシア。久しぶりの授業だな」
「アルが先生なの!?」
「そういうこと。ランスロットが休みだから、今日は俺が代わりだ」
教室がざわつく。
「学園長の授業なんて珍しいですね」
セドリックが言うと、アルベルトは肩をすくめた。
「昔は普通に教えてたんだぞ、俺も」
「へぇ、意外だな」
「おい、セドリック。どういう意味だ?」
教室に笑いが広がった。
アルベルトは苦笑しながら黒板へ向き直った。
「さて、今日は能力の発現と制御についてだ。お前らも知ってるとおり、ヴァンパイアの能力は個人差が大きい」
黒板に文字が書き込まれていく。
「同じような能力を持っていても、発動の条件や制御の難しさは違う。大事なのは、自分の力を正しく理解することだ」
アルベルトは教室を見渡した。
「じゃあ、誰か実演してみるか」
「俺、やってもいいですよ」
セドリックが手を挙げた。
「おう。頼む」
セドリックが教壇の前に立つ。
彼が片手を上げると、机の上に置かれていた一枚の紙がふわりと浮かび上がった。
「わあ……!」
ルシアが目を輝かせる。
紙は空中でくるりと回り、まるで見えない手に導かれるように教室を巡った。
やがて、セドリックの掌へ静かに戻ってくる。
「こんな感じです」
「上出来だな」
アルベルトが頷く。
「セドリックの能力は空気の操作だ。単純に風を起こすだけじゃなく、細かな気流の調整もできる」
「便利ですよ。掃除とかにも」
「能力を掃除に使うなとは言わねぇけど、もうちょっと格好いい例はなかったのか?」
また笑い声が上がった。
「能力って、本当に人それぞれなんですね」
ルシアが呟くと、隣のクレイドが頷いた。
「ああ。使い方次第で全然違うらしい」
今度はラビが手を挙げた。
「ちなみにアタシの透明化も、姿を消せばそれで終わりってわけじゃないのよ?」
「そうなの?」
ルシアが尋ねる。
「そうよぉ。気配や物音まで消せるわけじゃないもの。隠密行動には技術も必要なの」
「なるほど……」
アルベルトも頷いた。
「そういうことだ。能力が強けりゃいいってもんじゃねぇ。どう扱うかが重要なんだよ」
ノエルが静かに口を開いた。
「……無理に使うと、制御が乱れる」
「そのとおり」
アルベルトは頷いた。
「特に感情が大きく揺れたときは注意が必要だ。焦りや怒りで力が暴走することもある」
ルシアはその言葉を静かに聞いていた。
自分もまだ、知らないことがたくさんある。
ヴァンパイアとして目覚めてから、それほど長い時間が経ったわけではないのだから。
◇
授業の後半は、二人一組で行う簡単な能力制御の練習になった。
教室の中で机や椅子が動かされ、生徒たちが組み分けを始める。
ルシアも立ち上がろうとした。
そのときだった。
ガタンッ!
誰かが引いた椅子が床に引っかかり、大きな音を立てた。
「……っ!」
ルシアの身体がびくりと跳ねた。
一瞬、目の前の景色が遠ざかったような気がした。
耳の奥で、別の音が蘇る。
あの日。
突然、何かが倒れた音。
迫ってきた刃物。
ミアの顔。
ルシアは無意識に胸元を押さえた。
「ルシア?」
隣からクレイドの声が聞こえる。
「……あ」
我に返ると、クレイドが心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
答えたものの、声が少し震えていた。
クレイドはそれ以上問い詰めなかった。
「座ってろ」
「でも、練習が……」
「別に今日全部やる必要ねぇだろ」
その声を聞いたアルベルトが近づいてきた。
「どうした?」
「ちょっと驚いただけ」
ルシアは小さく笑った。
「大丈夫だよ、アル」
アルベルトは彼女の顔を見つめた。
それから、優しく頭を撫でる。
「今日は見学でもいいぞ」
「……いいの?」
「当たり前だろ。久しぶりの授業なんだ。無理する必要はねぇ」
ルシアは少し考えた。
本当は、みんなと一緒に練習したかった。
けれど、まだ胸の奥が落ち着かなかった。
「じゃあ……今日は見ててもいい?」
「もちろん」
アルベルトは微笑んだ。
「見て覚えるのも立派な勉強だからな」
「うん。ありがとう」
ルシアは椅子に座り直した。
クレイドはその隣で腕を組んだ。
「俺もここにいる」
「え? クレイドは練習しなくていいの?」
「後でやる」
「でも……」
「いいから」
その言い方があまりにもいつもどおりで、ルシアは小さく笑った。
「ありがとう、クレイド」
「……別に」
クレイドは顔を逸らした。
少し離れた場所では、セドリックが練習を始めていた。
ラビが大げさな身振りで何かを説明し、クロードがふざけたことを言ってルイスにたしなめられている。
ノエルは黙々と自分の課題に取り組んでいた。
教室は、いつもの賑やかさを取り戻していた。
ルシアはその光景を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
怖かった。
けれど、ここにいてもいいのだと思えた。
怖くなったからといって、すべてが終わってしまうわけではない。
少し休んで、また前を向けばいい。
そんな当たり前のことを、今日初めて実感できた気がした。
◇
授業が終わる頃には、ルシアの表情もすっかり和らいでいた。
「今日はどうだった?」
アルベルトに尋ねられ、ルシアは嬉しそうに頷いた。
「楽しかった!」
「そりゃよかった」
「アルの授業、すごく分かりやすかったよ!」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
アルベルトは満足げに笑った。
「また機会があれば教えてやるよ」
「本当?」
「ああ」
クレイドが隣から口を挟んだ。
「調子に乗んなよ、アル」
「おいおい。学園長に向かってその言い方はねぇだろ」
「家でも変わんねぇだろ」
「そりゃそうだけどよ」
ルシアは二人の会話に笑った。
やがて生徒たちが教室を出ていき、廊下に夜の静けさが戻り始める。
ルシアが荷物をまとめていると、扉の向こうから声がした。
「ルシア」
「お兄様!」
迎えに来たゼノンが、扉のそばに立っていた。
「お疲れ様。どうだった?」
「すごく楽しかったよ!」
「それはよかった」
ゼノンは安心したように微笑んだ。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん!」
ルシアはクレイドたちに手を振った。
「みんな、またね!」
「おう。またな」
「無理しないでね、ルシアちゃん!」
「また一緒に授業を受けような!」
温かな声に見送られ、ルシアはゼノンと並んで廊下へ出た。
その先に、一人の女性が立っていた。
「……ゼノン様」
優雅な声が、静かな廊下に響いた。
◇
「レティシア」
ゼノンは静かに彼女の名前を呼んだ。
レティシア・ドラクロワは、夜間部の廊下には少々不釣り合いなほど華やかなドレスを身にまとっていた。
金色の髪を丁寧に結い上げ、耳元には小さな宝石が揺れている。
「こんなところでお会いできるなんて、嬉しいですわ」
「今日はどうしたの?」
「学園長に少しお話がございまして。授業が終わるのをお待ちしていたところですの」
レティシアは微笑みながら、ゼノンの隣にいるルシアへ視線を向けた。
「まあ、ルシア様。お久しぶりでございます」
「こんばんは」
ルシアは小さく頭を下げた。
「お身体の具合はいかがですか? 大変な目に遭われたと伺って、とても心配しておりましたの」
「ありがとうございます。もう、だいぶ元気になりました」
「それは何よりですわ」
レティシアは安堵したように胸元へ手を添えた。
「もう学園へ通われているのですね」
「今日は久しぶりに授業を受けたんです」
「まあ、そうでしたの!」
レティシアは嬉しそうに微笑んだ。
「では、これからは毎日いらっしゃるのかしら?」
「まだ決めていないんです。少しずつ慣れていこうと思って」
「そうですわね。無理はいけませんもの」
柔らかな声。
親切そうな笑顔。
けれど、ゼノンは彼女の言葉を一つも聞き逃していなかった。
「それにしても、夜間部の授業に戻られたということは、いずれは実戦任務にも?」
「それはまだ考えていないよ」
ルシアが答える前に、ゼノンが口を開いた。
レティシアはわずかに目を瞬かせる。
「ゼノン様?」
「ルシアはまだ回復の途中だからね。今後の予定も、本人の体調を見ながら決めるつもりなんだ」
「もちろんですわ。私ったら、少し気が早かったようですわね」
「心配してくれてありがとう」
ゼノンは穏やかに微笑んだ。
「ただ、最近は物騒なことも多いから、ルシアの予定はあまり人に話さないようにしているんだ」
その言葉に、レティシアの指先がわずかに動いた。
「まあ……私にも、ですの?」
「特別扱いはできないからね」
微笑みを浮かべたまま、ゼノンは答えた。
レティシアは一瞬だけ沈黙した。
けれど、すぐにいつもの優雅な笑顔を取り戻す。
「そうですわね。ルシア様の安全が第一ですもの」
「分かってくれて嬉しいよ」
そのとき、教室の扉が開いた。
「おーい、ゼノン! まだいたのか!」
振り返ると、授業を終えたアルベルトが教室から出てきたところだった。
「アル!」
ルシアが嬉しそうに手を振る。
「おう。お前ら、まだ帰ってなかったのか?」
「今から帰るところだよ」
ゼノンが答える。
アルベルトはそこでレティシアに気づいた。
「ん? レティシアじゃねぇか」
「こんばんは、アルベルト学園長」
「俺に用があるって聞いたけど?」
「ええ。授業が終わるまで、こちらでお待ちしておりましたの」
レティシアは優雅に微笑んだ。
「お待たせしてしまったようで、申し訳ありません」
「いや、別に構わねぇよ。俺も今終わったところだ」
アルベルトは教室の中を振り返った。
「書類を片づけるから、学園長室で待っててくれ。すぐ行く」
「かしこまりましたわ」
レティシアは一礼した。
それから、ゼノンとルシアへ視線を戻す。
「それでは、皆様。失礼いたします」
「お疲れ様です、レティシアさん」
ルシアが手を振る。
レティシアは微笑みを返したが、その瞳は一瞬だけゼノンを捉えた。
「ええ。ごきげんよう」
彼女が学園長室のある廊下へ向かって歩き出す。
その姿を見送りながら、アルベルトは教室の扉を閉めた。
「……妙だな」
「何が?」
ゼノンが尋ねる。
「レティシアのことだ。俺に話があるなら、わざわざ夜間部の教室まで来る必要はねぇ。学園長室で待ってりゃいいだろ」
「そうだね」
ゼノンの瞳がわずかに細められた。
「それに、ルシアの予定を随分気にしていたよ」
「予定?」
「ああ。これから毎日登校するのか、実戦任務にも参加するのかって」
アルベルトは眉をひそめた。
「……なるほどな」
ルシアは二人を見比べた。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
ゼノンはすぐに微笑んだ。
「レティシアが心配してくれていたみたいだからね」
「うん。優しかったね」
ルシアが頷くと、アルベルトは何かを考えるように腕を組んだ。
「まあ、話を聞けば分かるだろ」
アルベルトは学園長室の方へ視線を向けた。
「お前らは先に帰っていいぞ。俺はレティシアの話を聞いてくる」
「分かったよ。何かあったら知らせて」
「ああ」
アルベルトは頷いた。
「ルシア、今日はゆっくり休めよ」
「うん! アルもお仕事頑張ってね!」
「おう。ありがとな」
ルシアの頭をぽんぽんと撫でると、アルベルトは二人に背を向けた。
ゼノンはその後ろ姿を見送った。
レティシアがルシアの予定を尋ねたこと。
そして、アルベルトの授業が終わる時間に合わせて現れたこと。
偶然だと考えるには、少し引っかかる。
けれど、今はまだ確かなことは何も分からなかった。
「帰ろうか、ルシア」
「うん!」
ゼノンは彼女の手を取り、正門へ向かって歩き出した。
◇
学園長室では、レティシアが窓辺に立っていた。
扉が開くと、彼女は振り返り、穏やかな笑顔を浮かべる。
「お待ちしておりました」
「悪いな。書類を片づけてたら少し遅くなっちまった」
アルベルトは机の前へ向かい、椅子を勧めた。
「座れよ。話っていうのは?」
「ありがとうございます」
レティシアは椅子に腰を下ろした。
アルベルトも向かいに座る。
「実は、少し気になることがございまして」
「気になること?」
「先日、王都の外れで不審な者を見かけたという話を耳にしましたの」
アルベルトの表情が変わった。
「不審な者って?」
「黒い外套を身につけた者たちですわ。夜中に何人かで集まり、何かを運んでいたとか」
「それを、どこで聞いた?」
「知人からですの。詳しい場所までは聞いておりませんけれど」
「知人ねぇ」
アルベルトは腕を組んだ。
「それで、俺に何をしろって?」
「学園の生徒たちに、注意を促していただきたいのですわ。最近は夜道も物騒ですもの」
「それだけか?」
レティシアは微笑んだ。
「それだけ、とは?」
「お前がわざわざ授業が終わるまで待って、俺に話したいことがあるって言うからには、もう少し別の話があるんじゃねぇかと思ってな」
レティシアの笑顔が、ほんのわずかに固まった。
「さすがは学園長様ですわね」
「褒めても何も出ねぇぞ」
「では、率直に申し上げますわ」
レティシアは膝の上で手を重ねた。
「ルシア様のことです」
アルベルトの目が鋭くなる。
「ルシアがどうした?」
「先ほど、夜間部の教室へ戻られたと伺いました。ですが、あの方はまだ事件の傷が癒えていないのではありませんか?」
「本人が授業を受けたいと言ったから、無理のない範囲で参加させただけだ」
「そうですか」
レティシアは静かに頷いた。
「ですが、もし再び危険な目に遭われたらと思うと、心配でなりませんの」
「心配してくれるのはありがてぇが、ルシアのことは俺たちが判断する」
「もちろん、そうですわね」
レティシアは柔らかく微笑んだ。
「ただ、学園内の安全については、学園長様にも責任がおありでしょう?」
「分かってる」
「でしたら、しばらく夜間部への登校を控えさせることもお考えになっては?」
アルベルトは黙ってレティシアを見つめた。
「それを、ゼノンにも言ったのか?」
「いいえ。まだですわ」
「なら、余計な口出しはしないことだな」
アルベルトの声が低くなる。
「ルシアは、自分で戻ることを決めた。俺はその意思を尊重する」
「……そうですか」
レティシアは目を伏せた。
その表情には、心配しているような悲しみが浮かんでいる。
けれど、アルベルトにはそれが演技に見えた。
「話はそれだけか?」
「ええ。ご忠告を申し上げたかっただけですわ」
「そうか」
アルベルトは椅子から立ち上がった。
「なら、俺からも一つ忠告しておく」
「何でしょう?」
「ルシアの予定を、必要以上に気にするな」
レティシアの指先が、膝の上でわずかに強く握られた。
「……どういう意味ですの?」
「そのままの意味だ」
アルベルトは彼女を見下ろした。
「心配しているだけなら、そこまで詳しく知る必要はねぇだろ」
レティシアはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「ご不快にさせてしまったのでしたら、申し訳ございません」
「別に不快になったわけじゃねぇよ」
アルベルトは扉を開けた。
「ただ、俺は生徒を守る立場だ。妙な動きをする奴には、誰であろうと注意する」
レティシアは微笑んだ。
「肝に銘じておきますわ」
彼女は一礼し、学園長室を出ていった。
扉が閉まったあと、アルベルトはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……やっぱり妙だ」
ルシアの登校を知っていたこと。
授業の終了時間に合わせて現れたこと。
そして、必要以上に彼女の予定を気にしていること。
アルベルトは机の上に置かれた古い記録へ視線を向けた。
「レティシア。お前は何を知ってる?」




