夜間部総代として
翌日の夜。
西側居住区へ到着したルシアは、昨夜渡された地図をもう一度確認した。
人間が多く暮らす住宅街から少し離れた一角で、古い倉庫や工場が並んでいる。昼間は荷車や働く人々で賑わうらしいが、深夜ともなれば人影はほとんどない。
それでも完全な無人ではない。夜勤を終えて帰宅する者もいれば、酒場から帰る者もいる。だからこそ、ヴァンパイアらしき人物の目撃情報を放置するわけにはいかなかった。
「全員、集まったな」
ルイスの声に、散らばっていた視線が集まる。
今夜の調査段階を指揮するのはルイスだ。ゼノンは少し離れた場所で壁にもたれ、何も言わずにその様子を見ている。
「目撃地点は三ヶ所。一件目がこの路地。二件目が北側の倉庫前。三件目が川沿いだ。時間帯はすべて午前零時から二時の間」
セドリックが地図を覗き込む。
「移動できない距離じゃないな」
「ああ。同一人物の可能性は十分ある」
ルイスはすぐに役割を決めていく。
「ラビ」
「はい」
「姿を消して最初の目撃地点から北側へ移動しろ。対象を発見しても接触はするな。数と移動方向だけ確認しろ」
「了解」
「ノエルは川沿い。地面に残っている痕跡を見ろ。異変があれば無理に追うな」
「分かった」
「エリーゼは住宅地側。人間が近づいた場合は自然に別の道へ誘導しろ」
「承知しました」
「クロードとセドリックは俺と倉庫街を確認する」
クロードが眉を上げた。
「俺、燃やす仕事ない?」
「調査で火を出すな」
「冗談だって」
「お前の場合は確認が必要だ」
「信用ねぇなぁ」
「普段の行いだ」
セドリックが横から言う。
「またそれ言われた」
ルイスは構わず続けた。
「クレイドはルシアとここに残れ」
クレイドの眉が寄る。
「俺も待機かよ」
「ルシアの護衛だ」
「いらないよ!」
思わずルシアが口を挟むと、ルイスがこちらを見る。
「昨日、自分で補助として参加すると了承しただろ」
「したけど……」
「なら従え」
「はい……」
一言も言い返せなかった。
クレイドが鼻で笑う。
「総代になったら面倒くさそうだな、こいつ」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言った」
「クレイド」
セドリックが窘める。
ルイスは特に怒る様子もなく、最後にゼノンを見た。
「異論は?」
「ないよ」
「本当にないのか?」
「うん。いい配置だと思う」
ルイスの眉が僅かに動く。
「そうか」
それだけ言うと、全員へ視線を戻した。
「三十分後に一度ここへ戻れ。何か見つけても単独では動くな。連絡を優先しろ」
短く、無駄がない。誰をどこへ置くのかも明確だった。
次々と皆が散っていく。
ルシアはその背中を見送りながら、隣のゼノンへ小声で話しかけた。
「……ルイス先輩、普通に上手くない?」
「上手いよ」
あっさり返ってきた。
「もっと悔しがるかと思った」
「なんで?」
「総代取られるかもしれないんだよ?」
「優秀なものは優秀でしょ」
「お兄様ってそういうところ変だよね」
「褒めてる?」
「たぶん」
ゼノンが笑う。
クレイドが呆れたように二人を見る。
「緊張感ねぇな」
「クレイドは緊張してるの?」
「してねぇ」
「じゃあ一緒じゃん」
「うるせぇ」
三十分後、最初に戻ってきたのはノエルだった。
「川沿いに痕跡がある」
ルイスがすぐに地図を開く。
「どんな?」
「血」
「量は?」
「少ない。人間一人が死ぬほどじゃない」
「他には?」
「靴跡が複数。途中で倉庫街へ向かってる」
続いてエリーゼが戻ってきた。
「住宅地側では異常ありません。ただ、二日前の夜に倉庫街から男性が走って出てきたという話を聞けました」
「人間か?」
「はい。かなり怯えていたそうです」
ルイスの目が細くなる。
最後に、何もない空間が揺れた。
「いたよ」
突然ラビが姿を現し、ルシアはびくりと肩を跳ねさせた。
「ラビ先輩! 急に出ないでください!」
「ごめんごめん」
「それで?」
ルイスが聞く。
ラビの表情から笑みが消えた。
「一人じゃない」
空気が変わる。
「何人だ」
「外から確認できたのは四人。でも、たぶん中にもいる」
「場所は?」
「北西の廃倉庫」
ラビが地図を指差した。
「人間もいる」
ルイスの表情が僅かに険しくなる。
「何人?」
「少なくとも三人。縛られてるように見えた」
ルシアの胸がざわつく。
「捕まってるってこと?」
「たぶんね」
「血を吸うために……?」
「まだ分からない。でも普通じゃない」
ルイスは数秒だけ黙った。それから迷いなく顔を上げる。
「予定を変更する。ラビは再度潜入。人間の正確な人数と位置を確認しろ。絶対に見つかるな」
「了解」
「エリーゼとノエルは倉庫の東側へ。逃走経路を確保する。クロードは西側。火は使うな」
「はいはい」
「セドリックは俺と正面へ。クレイドとルシアはここで待機」
「またかよ」
クレイドが言う。
「人質がいる。お前の剣は乱戦に向かない」
「……分かった」
意外にも、それ以上は反論しなかった。
ルイスは最後にゼノンを見る。
「お前は?」
「まだ君の指揮でしょ?」
「なら後方待機だ」
「了解」
ゼノンもあっさり頷いた。
ルシアは驚いた。総代なのに、純血なのに、それでも今はルイスが指揮を執ると決めたから、何の抵抗もなく従っている。その姿が少し意外だった。
「行くぞ」
ルイスの声とともに、再び全員が動き出した。
残されたのはルシア、クレイド、ゼノン。
しばらくすると、遠くからラビが戻ってくる。今度は走っていた。
「ルイス君」
その声だけで、何かあったと分かった。
ルイスたちもすぐに集まる。
「どうした」
「中に八人いる」
「ヴァンパイアが?」
「うん。それと人間が五人。最初に見えた三人以外に、奥の部屋に二人いた」
「状態は?」
「生きてる。でも一人、かなり血を失ってる」
ルシアの指先が冷たくなる。
「あとね」
ラビが続けた。
「八人とも様子がおかしい」
「どういう意味だ」
「会話が成立してない。ずっと血の匂いを嗅いでる。目も完全に飢えてる」
「暴走状態か」
セドリックが呟く。
「たぶん」
ルイスはすぐに判断した。
「人質救出を最優先にする。ラビが内部へ入り拘束を外せ。エリーゼは救出した人間を東側から退避。ノエルは壁を操作して退路を――」
その瞬間だった。
遠くで大きな破壊音が響き、全員が振り返る。
倉庫の屋根の一部が吹き飛んだ。
「何だ!?」
クロードが声を上げる。
直後、ラビの顔色が変わった。
「まずい!」
「どうした」
「中の奴らが動いた!」
次の瞬間、倉庫の扉が内側から吹き飛んだ。
一人、二人、三人。
赤い瞳をぎらつかせたヴァンパイアたちが外へ飛び出してくる。さらに別の窓が割れた。
「八人じゃねぇぞ!」
クレイドが叫ぶ。
その通りだった。
屋根、窓、裏口。
次々と姿を現す。
十人。
十二人。
「隠れてたのか!」
セドリックが身構える。
「待って!」
ルシアは別のものに気づいた。
倉庫から人間が飛び出してきた。拘束されていたはずの一人だ。
「助けて!!」
男が叫びながらこちらへ走ってくる。
その背後から、ヴァンパイアが追っていた。
状況が一気に崩れた。
「ノエル、壁を!」
ルイスが叫ぶ。
ノエルが地面へ手をつく。
土が隆起し、人間と追手の間へ壁がせり上がった。壁は追手の進路を遮るように伸び、人間が逃げる東側だけを開けている。
「エリーゼ、人間を回収! クロードは右側を抑えろ! セドリック、俺と正面――」
「ルイス」
ゼノンの声がした。
大きな声ではなかった。
けれど、全員が聞いた。
ルイスが振り返る。
「戦闘に入ったよ」
昨夜決めたことだった。
対象を確認し、戦闘や市民の保護が必要になった場合、指揮をゼノンへ移す。
ルイスは一瞬だけ黙った。
「……ああ。任せる」
ゼノンは即座に周囲を見渡した。
「セドリック、正面の二人を引き受けて。倒さなくていい。あの男をエリーゼのところまで通して」
「了解!」
「エリーゼ、受け取ったら東へ」
「分かりました!」
「ノエル、壁を閉じないで。人間が東へ抜ける道を一本作って。それと、拘束した奴を入れておく場所が欲しい」
「分かった」
ノエルが両手を地面へつく。
土壁の一部が沈み、人間が逃げられる通路が作られる。それと同時に、倉庫から少し離れた空き地が低く震え始めた。
太い土柱が何本も突き上がる。
その間隔は、人一人が抜けられないほど狭い。さらに上部を岩が繋ぎ、見る間に巨大な檻が出来上がった。
「すご……檻まで作れるんだ」
ルシアが目を見開く。
「土があれば」
ノエルはそれだけ答えた。
「入口は?」
ゼノンが尋ねる。
檻の一面だけ、土柱が地面へ沈む。
「僕が開け閉めする」
「じゃあ、捕まえた奴は全員そこへ」
ゼノンは次々と指示を飛ばしていく。
クレイドはエリーゼの後方。クロードは西側へ敵を誘導し、建物から離れてから炎を使う。ラビは再び倉庫内へ入り、残された人間を探す。
そしてルシアは、ノエルの後ろ。
「戦わせてもらえないの?」
「今の君が動くと、みんなが配置を変えなきゃいけなくなるからね」
「……分かった」
「約束できる?」
「できる」
ゼノンが僅かに笑った。
「いい子」
「子供扱いしないで!」
「あとでね」
そう言い残し、ゼノンとルイスは倉庫へ向かった。
その直後、土壁を飛び越えてきた一人をノエルが足場ごと崩し、体勢を失ったところへクレイドが飛び込む。
剣の柄が顎へ入った。
倒れた男の襟首を、クレイドが掴む。
「開けろ」
檻の入口が沈む。
クレイドは男を中へ放り込んだ。
「雑!」
「起きねぇからいいだろ」
ノエルが入口を閉じる。
「一人」
「数えてるんだ」
「必要だから」
その向こうではエリーゼが人間を連れて走っている。
「こちらです! 止まらないでください!」
追手が迫る。
ノエルが地面へ手をつくと、その足元だけが沈み込んだ。
「クレイド」
「分かってる!」
クレイドが飛び込み、動けなくなった相手を殴り倒す。
二人目が檻へ入った。
一方、西側では炎が夜空を照らした。
「うわ、クロード先輩派手……」
「建物には当ててない」
ノエルが淡々と言う。
「ちゃんと指示通りなんですね」
「任務では真面目だから」
「あ、本当なんだ」
遠くからクロードの声が飛んできた。
「聞こえてるぞー!」
「わ、耳いい!」
しばらくして。
炎の向こうからクロードが戻ってきた。
肩には、意識を失ったヴァンパイアを一人担いでいる。
「一名様ご案内〜」
妙に楽しそうな声だった。
「何その言い方……」
ルシアが呆れる。
「檻こちらでよろしかったですかー?」
「ここ」
ノエルが淡々と答え、入口の土柱を沈める。
「ありがとーございまーす」
クロードが担いでいた男を檻の中へ下ろした。
ノエルが入口を閉じる。
「三人」
「はい、次行ってきまーす」
「クロード先輩、なんか楽しんでない?」
「仕事は楽しくやった方がいいだろ?」
「そういうものかな……」
クロードが再び西側へ走っていく。
ルシアも前へ視線を戻しかけた。
けれど。
「……あれ?」
もう一度、檻を見る。
「何?」
ノエルが聞く。
ルシアは今入れられた男を指差した。
「この人……髪の毛なくない?」
沈黙。
確かに。
つるつるだった。
「……ない」
ノエルが答える。
「だよね?」
「うん」
「さっきクロード先輩が戦ってたとき、髪あったよね?」
「たぶん」
「燃えた……?」
ノエルが少し鼻を動かす。
「焦げた匂いがする」
「やっぱり!」
ルシアが西側を見る。
「クロード先輩ー!」
「なにー!?」
「髪燃やしました!?」
少し間が空いた。
「事故ー!」
「絶対嘘!」
返事の代わりに、また炎が上がった。
「熱っ!!」
誰かの悲鳴が聞こえる。
「ごめんごめーん!」
「全然悪いと思ってない!」
ルシアが叫んだ。
それから数分後。
クロードが戻ってきた。
今度は両手で一人を引きずっている。
「二名様――じゃなかった。追加一名様ご案内〜」
「また来た……」
ノエルが入口を開ける。
クロードが男を入れる。
「四人」
「よろしくお願いしまーす」
「ちょっと待って!」
ルシアが止めた。
「ん?」
今入れられた男を見る。
つるつる。
「この人も髪ない!」
「そう?」
「そうだよ!」
「元からじゃね?」
「さっき絶対あった!」
「夜だから見間違えたんじゃね?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃ、次行ってくるわ」
「逃げた!」
クロードは笑いながら西側へ戻っていった。
さらにしばらくして。
「一名様ご案内〜」
三人目。
つるつる。
「また!!」
「偶然偶然」
「三回目だよ!?」
さらに。
「はい、もう一名様〜」
四人目。
つるつる。
「クロード先輩!!」
「何?」
「全員髪ないよ!」
「奇遇だなぁ」
「絶対わざとでしょ!」
「俺、火使うからな。そういうこともあるって」
「他のところ一個も燃えてないじゃん!」
ルシアの言う通りだった。
服にも目立った焦げ跡はない。
顔にも火傷はない。
頭皮すら無傷。
なのに。
髪だけがない。
「逆にすごくない?」
クロードが胸を張る。
「褒めてない!」
「じゃ、次行ってくる」
「まだやる気!?」
「敵まだいるから」
「髪じゃなくて敵を倒して!」
「両方やってるだろ?」
「両方やらなくていいの!」
クロードは笑いながら戦場へ戻っていった。
ノエルが檻を見る。
「綺麗」
「ノエル先輩まで!?」
「燃え残りがない」
「そこ評価するところじゃないよ!」
「坊主にしたくなったら頼む」
「普通に美容室行けば良くないですか?」
それでも戦闘は続く。
セドリックが倒した者。
クレイドが押さえた者。
エリーゼが氷で拘束した者。
ゼノンやルイスが倉庫から運び出した者。
次々とノエルの檻へ入れられていく。
その中で。
クロードが「一名様ご案内〜」と連れてきた者だけが、見事なまでに全員つるつるだった。
一人も例外がない。
やがて倉庫の中からゼノンが負傷した人間を抱えて現れ、エリーゼへ引き渡した。
「かなり血を失ってる。止血して。この人は病院へ」
「分かりました」
「セドリックとエリーゼで運んで。クレイドは護衛。他の救出者も全員病院へ」
「了解」
そのとき、倉庫の奥から轟音が響いた。
「ラビ先輩!」
ルシアの顔色が変わる。
「僕が行く」
ゼノンが立ち上がる。
「待て」
ルイスが腕を掴んだ。
「俺も行く」
「外は?」
「セドリックがいる」
セドリックが頷く。
「任せろ」
ゼノンは一瞬だけ周囲を確認してから頷いた。
「分かった。ルイス、来て」
二人が倉庫へ走る。
ルイスはその背中を追いながら、気づき始めていた。
ゼノンは、自分が一番強いから前に出ているのではない。
誰かに危険な役目を押しつける前に、まず自分が行く。
そして、誰よりも強いからこそ、最も危険な場所へ迷いなく入っていける。
だから。
あいつらは従うのか。
その答えを考える間もなく、崩れかけた倉庫の奥からラビの声がした。
「ゼノンさん!」
瓦礫の向こうで、ラビは一人の少女を庇うように抱えていた。
その周囲に三人。
「この子、奥に隠されてた!」
「怪我は?」
「僕は平気! この子も生きてる!」
「じゃあその子を離さないで」
ゼノンが前へ出る。
「ルイス」
「ああ」
二人が同時に床を蹴った。
ゼノンが右。
ルイスが左。
一人目をゼノンが押さえ、二人目をルイスが吹き飛ばす。三人目がラビへ向かおうとした瞬間、ゼノンの圧が空間を走った。
触れていないのに身体が弾き飛ばされ、そのまま壁に叩きつけられる。
「今!」
ラビが少女を抱えて走る。
「出口まで止まるな!」
「了解!」
ゼノンとルイスが殿になり、全員が倉庫を抜ける。
直後、背後で屋根の一部が崩れ落ちた。
やがてラビが抱えていた少女が小さく咳をする。
「……生きてる」
ルシアが安堵の息を吐いた。
「この子も病院へ。ラビ、付き添って」
「分かった」
残った暴走ヴァンパイアも全員拘束され、ノエルの檻へ収容された。
「十五人」
ノエルが人数を確認する。
「全員?」
「うん」
ノエルが地面へ手をつくと、檻の周囲からさらに岩が隆起し、外側を補強した。
「これなら壊されない」
「ありがとう」
ゼノンが頷く。
「学園から収容班を呼ぼう」
そこでセドリックが檻を見た。
「……待て」
「どうしたの?」
ルシアも見る。
十五人のヴァンパイア。
髪のある者。
髪のある者。
髪のある者。
その中に。
明らかに頭の眩しい一団がいる。
セドリックがゆっくりクロードを見る。
「クロード」
「ん?」
「お前が捕まえた奴、どいつだ」
「俺? えーっと……」
クロードが指差す。
「そいつと、そいつと……そいつ。あと奥の奴と、その隣。あー、そいつも俺」
指差されるたび。
つるつる。
つるつる。
つるつる。
見事に全員、髪がない。
「…………」
セドリックのこめかみが引きつる。
「一人も髪残ってねぇじゃねぇか!」
「偶然じゃね?」
「そんな偶然あるか!」
「火使ってたからなぁ」
「頭だけ!?」
「器用だろ?」
「褒めてねぇ!」
ゼノンも檻を覗き込む。
「本当にクロードが捕まえた人だけだね」
「な?」
「『な?』じゃないよ!」
ルシアが叫ぶ。
ノエルが淡々と言う。
「全員、頭皮は無傷」
「ほら」
クロードが胸を張る。
「完璧」
「完璧じゃない!」
「そのうち生えるって」
「だからそういう問題じゃないってば!」
ゼノンは笑顔のままクロードを見る。
「クロード」
「はい」
「報告書ね」
クロードの笑顔が止まった。
「……一枚?」
「君が捕まえた人数分」
「嘘だろ!?」
「一人ずつ、どうして髪だけ燃えたのか書いて」
「理由一緒なんだから一枚でいいだろ!」
「偶然なんでしょ?」
「…………」
「だったら一人ずつ原因が違うかもしれないよね?」
「ゼノンさん性格悪くない!?」
セドリックが鼻で笑う。
「自業自得だ」
「助けろよ!」
「嫌だ」
ノエルが檻を見たままぽつりと言う。
「全員同じ髪型」
一瞬の沈黙。
ルシアが吹き出した。
「ノエル先輩……!」
「髪型っていうか髪ねぇけどな」
クロードが言う。
「ないのも同じ」
「お前今日よく喋るな!?」
ルイスまで檻を見る。
「……見分けにくいな」
「ルイスまで!?」
クロードがとうとう笑い出した。
緊張の続いていた空気が、一瞬だけ緩んだ。
それでもゼノンはすぐに表情を戻す。
「逃走者を確認しよう」
全員で周囲を確認した結果、暴走していたヴァンパイアは十五人。逃走者はいなかった。
救出された人間も全員生存しており、負傷者たちは病院へ運ばれた。こちら側にも重傷者はいない。
「全員いる……」
ルシアが呟く。
ゼノンが振り返る。
「いるよ」
「誰も大怪我してない?」
「してない」
「よかった……」
そこで初めて、ゼノンが僅かに息を吐いた。
その様子を、ルイスが黙って見ていた。
「ゼノン」
「何?」
「一つ聞く」
「うん」
「なぜクロードを西へ置いた」
「倉庫の近くだと火を広げられないから。西側なら建物から距離がある」
クロードが満足そうに頷く。
「なるほど。俺への信頼だな」
「結果、担当した人全員禿げたけどね」
「それは別件」
「別件じゃねぇ」
セドリックが即座に返す。
ルイスは土の檻の一角を見た。
「……あれは必要だったのか?」
「必要ではなかったと思う」
「だよな」
「おい!?」
クロードの抗議を無視して、ルイスは続けた。
「ノエルは?」
ゼノンは土の檻を見る。
「守る対象がいるとき、ノエルは攻撃より場を作る方が向いてる。逃げ道も拘束場所も、一度作れば他のみんなが使えるから」
「エリーゼは?」
「人間が怯えているとき、エリーゼは声を低くする。急かさないから、逃げる人が慌てず転ばない」
「クレイド」
「近距離で抜けてきた相手を止めるのが上手い。それに、エリーゼの後ろに置くと余計な喧嘩をしない」
「どういう意味だ」
クレイドの眉が寄る。
「エリーゼが見てるから」
「……殺すぞ」
「ほらね」
「何がだよ」
「ラビを内部へ入れたのは?」
「能力的に潜入に向いてる。それだけじゃなくて、ラビは人を見つけたら放っておけないから」
ラビが目を瞬く。
「僕?」
「うん。今日みたいに、僕たちが見落とした人間がいる可能性があるならラビがいい。任務の範囲を少しくらい外れても、泣いてる人を見つけたら絶対に探しに行くから」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよ」
ルイスは黙った。
ルシアにも分かってきた。
ゼノンは能力だけを見ていない。
誰がどんな場面で迷うのか。誰ならどんな命令なら迷わず動けるのか。誰のそばに誰を置けば、その人の力を一番活かせるのか。
それを知った上で指示を出している。
「じゃあ俺は?」
ルイスが尋ねた。
「ルイス?」
「ああ。なぜ俺を倉庫へ連れていった」
「強いから」
「それだけか」
「それだけじゃないよ」
ゼノンが笑った。
「僕が人間を優先して戦えなくなっても、ルイスなら後ろを任せられるから」
「昨日までお前の席を奪うと言っていた相手だぞ」
「それとこれ、関係ある?」
ルイスが黙る。
「僕、ルイスのこと信用してるよ。性格は面倒だけど、任務中に個人的な感情で判断を変える人じゃないから」
「お前に面倒と言われたくない」
「そこ?」
クロードが吹き出した。
しばらく沈黙したあと、ルイスが口を開いた。
「……今日は俺の負けだ」
最初に声を上げたのはルシアだった。
「えっ、もう!?」
「遊びじゃない」
ルイスはゼノンを見る。
「調査段階の俺の判断に、大きな誤りがあったとは思っていない」
「僕もそう思うよ」
「配置も悪くなかった」
「うん」
「お前より劣っていたとも思わない」
「そうだね」
「じゃあ何で負けなの?」
ルシアが尋ねる。
ルイスは少し黙った。
「俺は人員を能力で配置した。だがゼノンは違う。能力だけではなく、誰がどう動くかまで把握していた」
その視線が、仲間たちを順番に通り過ぎる。
「俺が同じ指示を出しても、同じ結果になった可能性はある。だが、俺にはまだ断言できない」
「何を?」
「全員を生きて帰せると」
昨夜、ゼノンが言った言葉だった。
――僕がやった方が、みんなが無事に帰れると思ってるから。
「今日はそれを認める。現時点では、お前が総代でいる方がいい」
ルシアの顔が明るくなる。
「じゃあお兄様が総代のまま!?」
「ああ」
「やった!」
「ルシア。勝負じゃないんだから」
「だって嬉しいもん」
「僕は別にどっちでも――」
「それ言うな」
ルイスが遮る。
「何で?」
「腹が立つ」
「難しいなぁ」
「ただし、諦めたわけじゃない。今日は俺の負けだと言っただけだ。次も負けるとは言っていない」
ゼノンが少し笑った。
「まだ奪うつもり?」
「当然だ」
「総代ってそんなに欲しい?」
「欲しい」
「じゃあやっぱりあげ――」
「要らん」
「最後まで言ってないよ」
「分かる」
クロードが笑う。
「お前ら、ずっとこれやんの?」
「うるさい」
ノエルがぽつりと言った。
「仲良くなった」
「なっていない」
ルイスが即答する。
「お兄様は?」
「僕は仲良くしたいよ」
「勝手にしろ」
「じゃあ仲良しだね」
「話を聞け」
ルシアも思わず笑った。
あれほど張り詰めて始まった総代争いは、少しだけ違う形に変わったらしい。
ルイスは負けを認めた。けれど折れたわけではない。ゼノンを超えることを諦めてもいない。
むしろ、何を超えなければならないのかを、今日初めて知ったのかもしれない。
帰り道。
ルシアはゼノンの隣を歩きながら、何度もその横顔を見ていた。
「何?」
とうとう気づかれた。
「……お兄様って、ちゃんと総代なんだね」
「酷くない?」
「違うの! 今まで家のお兄様しかあんまり知らなかったから」
「家の僕は総代じゃないからね」
「それはそうなんだけど……みんな、お兄様のこと信頼してるんだなって思った」
ゼノンは少しだけ目を細める。
「僕もみんなを信用してるよ」
「だから分かるの? 誰に何を任せればいいか」
「それもあるかな」
「私のことも?」
「もちろん」
即答だった。
「じゃあ私は何が得意?」
ゼノンはしばらくルシアを見た。
「人の話を聞かないこと」
「お兄様!」
クレイドが隣で吹き出す。
「当たってんじゃねぇか」
「クレイドまで!」
「あと危なそうなところに突っ込む」
「もうしないって言ってるでしょ!」
「今日しなかっただけ成長したな」
「褒めてる?」
「別に」
「またそれ!」
ゼノンが笑う。
けれど少しして、静かな声で言った。
「ルシアは、人を見捨てない」
ルシアが顔を上げる。
「それは君の長所だよ」
「……本当?」
「うん。でも今は、それを実現するための力と経験が足りない。だから覚えればいい」
「私でも?」
「もちろん。今日、ちゃんと止まれたでしょ?」
自分では何もしていないと思っていた。
戦っていない。
誰かを助けたわけでもない。
ほとんどノエルの後ろにいただけだ。
「でも私、何もしてないよ」
「言われた場所にいるのも任務だよ。勝手に動けば、君を守るために誰かが配置を変えなきゃいけなくなる」
クレイドが横から言う。
「お前一人動けば全員に迷惑かかんだよ」
「言い方!」
「事実だろ」
「もうちょっと優しく言って!」
「嫌だ」
ゼノンが笑った。
「クレイドの言い方はともかく、その通りだよ」
「じゃあ今日は……ちゃんとできた?」
「うん」
その一言が、思った以上に嬉しかった。
しばらく歩いたところで、ゼノンがふいにルシアの隣へ距離を詰めた。
「お兄様?」
返事の代わりに、耳元へ顔が寄せられる。
「……帰ったら、血ちょうだい?」
低く囁かれた声に、ルシアの足が止まった。
「えっ……な、何で今言うの!?」
「今日、かなり力を使ったから」
ゼノンは何でもないことのように笑う。
「純血の力を使うと、少しお腹が空くんだよね」
「でも、みんなの前で……!」
「耳元で言ったから、みんなには聞こえてないよ」
「みんな耳良いから聞こえてるでしょ」
クレイドが前を歩きながら振り返る。
「何騒いでんだ?」
「何でもない!」
ルシアが慌てて答える。
ゼノンは楽しそうに目を細めた。
「帰ったら、ね?」
「……いいよ」
「やった」
その笑顔は、いつもの穏やかな兄のものだった。
今夜、自分はほとんど何もできなかった。
けれど、何もできなかったことを悔しがるだけだった以前とは少し違う。
止まること。
任せること。
指示を守ること。
それも誰かを守るために必要なのだと、初めて知った。
そしてルイスもまた、ゼノンに負けたことで終わったわけではない。むしろ今日から始まるのだろう。
いつか本当に、ゼノンから総代の座を奪うために。
今まで以上に周囲を見て、人を知って、自分なりの率い方を見つけていく。
二人がいつかもう一度、総代の座を巡って向き合う日が来るのかもしれない。
けれど今は。
夜間部総代は、ゼノン・ヴァルディエ。
その理由を、ルシアもようやく少しだけ知ることができた。




