向いてない
夜間部の授業を終えてアルベルトの家へ帰る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「反省文三枚って多すぎんだろ」
玄関へ向かう道すがら、クレイドが今日何度目か分からない文句を口にする。
「まだ言ってるの?」
「三枚だぞ」
「人を刺したんだから書きなよ」
「治っただろ」
「治ったら刺していいわけじゃないよ」
「死んでねぇ」
「そういう問題じゃないってルイス先輩にも言われたでしょ」
「うるせぇ」
クレイドは心底面倒そうな顔をしている。
編入初日に三人を相手に喧嘩をし、そのうち一人の脚を剣で貫いたのだから、反省文だけで済んだことをありがたく思ってほしい。
「帰ったらちゃんと書くんだよ」
「お前は俺の母親か」
「だって明日提出でしょ?」
「分かってる」
「本当に?」
「うるせぇっつってんだろ」
前を歩いていたゼノンが振り返り、楽しそうに笑った。
「仲良しだね」
「どこが!?」
「殺すぞ」
ルシアとクレイドの声が重なる。
ゼノンはますます楽しそうだった。
そんなやり取りをしながら家へ到着し、ルシアが玄関の扉を開ける。
「ただいま――」
「おかえりー!」
「えっ!?」
聞き慣れた声に、ルシアは目を丸くした。
廊下の奥から白い制服姿のミアが顔を出す。
「ミア!?」
「遅い!」
「なんでいるの!?」
「待ってた!」
「いつから!?」
「昼間部終わってから!」
ミアは当然のように答えた。
「今日は絶対みんなに会おうと思ってたの。昼間部って門限過ぎたら学校に残れないし、ルシアたちの授業が終わるまで待てないから、先にこっち来た!」
「アルは?」
「いるよ。入れてくれた!」
すると居間の方からアルベルトの声が飛んでくる。
「俺を勝手に待合所にするな!」
「でも入れてくれたじゃん!」
「外で待たせるわけにもいかないだろ!」
「アル優しい!」
「調子のいいこと言いやがって……」
ルシアは思わず笑った。
「言ってくれたらよかったのに」
「言ったら驚かないじゃん」
「驚かせたかったの?」
「うん!」
満足そうに頷いたミアの視線が、そこでルシアの後ろへ移る。
黒い制服を着たクレイドを見た瞬間、その目が大きくなった。
「ええええ!?」
「うるせぇ!」
「本当に黒い制服着てる!」
「見りゃ分かんだろ」
ミアはクレイドの周囲をぐるりと回った。
「すごい! ちゃんと夜間部の人みたい!」
「ちゃんと夜間部なんだよ」
「クレイドが!?」
「喧嘩売ってんのか」
「だって、あんなにヴァンパイア嫌いだったじゃん!」
「今も嫌いだ」
「じゃあなんで夜間部に移ったの?」
クレイドの眉間に皺が寄った。
ルシアは横からにやりと笑う。
「私が心配だから」
「違ぇ」
即答だった。
「この前、私が腕なくして帰ってきたら、その次の日に突然――」
「待って」
ミアの笑顔が消えた。
「……今、なんて言った?」
「クレイドが次の日に――」
「その前!」
「手なくして帰ってきた?」
「それ!!」
ミアの声が家中に響いた。
「手なくしたって何!?」
「左手」
ルシアが左手を上げる。
ミアはその手とルシアの顔を交互に見た。
「あるじゃん!」
「生えたから」
「生えた!?」
「うん」
「手って生えるの!?」
「私も初めて知った」
「自分の身体なのに!?」
ミアは慌ててルシアへ近づくと、左腕を両手で掴んだ。
「どこからなくなったの!?」
「腕」
「腕?!」
「うん」
「何したら手なくなるの!?」
「実戦でちょっと……」
「ちょっとで手はなくならないよ!」
もっともだった。
ミアは左腕を持ち上げたり、手のひらをひっくり返したりしている。
「ちゃんと動く?」
「動くよ」
ルシアが五本の指を握ったり開いたりしてみせる。
「痛くない?」
「今は全然」
「傷跡は?」
「ないよ」
ミアが袖を少し捲って確認する。
当然ながら、そこには傷一つない。
「……怖っ」
「なんで!?」
「だってこの腕、一回なくなったんでしょ!?」
「そうだけど」
「怖いよ!」
横からクレイドが鼻で笑った。
「馬鹿が勝手に突っ込んだんだよ」
「だって人が襲われそうだったから!」
「だからって腕置いて帰ってくんな」
「置いてないよ。エリーゼが持って帰ってくれたもん」
ミアの動きが止まる。
「……何を?」
「腕」
「誰の?」
「私の」
「それは分かってるよ!」
ミアが頭を抱えた。
「待って、エリーゼがルシアの腕持って帰ったの!?」
「うん」
「普通に!?」
「うん」
「夜間部怖い!」
「毎日こんなことになるわけじゃないよ」
「当たり前だよ!」
散々騒いだあと、ミアはもう一度ルシアの左腕へ触れた。
今度は先ほどまでの勢いとは違い、恐る恐る指先で肌をなぞる。
「……本当に元通りなんだ」
「うん」
「人間だったら、絶対戻らないのに」
その言葉に、ルシアは少しだけ黙った。
確かにそうだ。
もし自分が本当に人間だったなら、あの一撃で左腕は永遠に失われていた。
けれど今は傷跡一つ残っていない。
ミアは自分の腕とルシアの腕を見比べる。
「すごいね、ヴァンパイアって」
そこには恐怖だけではなく、純粋な憧れが混じっていた。
クレイドだけが嫌そうな顔をする。
「良いとこだけ見んなよ」
「分かってるって」
「どうだかな」
「クレイド、おじいちゃんみたい」
「殺すぞ」
「ほら怖い!」
ミアがルシアの後ろへ逃げる。
「でも、じゃあ本当にルシアが心配で夜間部に来たんだ?」
「違ぇ」
「絶対そうじゃん!」
「違うって言ってんだろ」
「クレイド優しいー!」
「うるせぇ!」
騒ぎながら居間へ入ると、アルベルトがテーブルの上に飲み物と簡単な夜食を用意していた。
「騒ぐならもう少し静かに騒げ」
「無茶言うね、アル」
「お前が言うな」
それぞれ席へ着く。
ゼノンは当然のようにルシアの隣へ座り、クレイドは向かい側へ座った。
ミアはまだ珍しそうに三人の黒い制服を見比べている。
「……いいなぁ」
「何が?」
ルシアが聞く。
「みんな黒い制服」
ミアは自分の白い袖を摘んだ。
「私だけ昼間部になっちゃった」
その声はいつもより少しだけ小さかった。
「昼間は会えるよ」
「でも前より全然会えないじゃん」
「休みの日も遊べるよ」
「それは遊ぶけど」
ミアは口を尖らせる。
「今日だって、私がこっち来なかったら会えなかったでしょ?」
言われてみればそうだった。
昼間部の授業が終わる頃、ルシアたちはまだ夜間部へ登校する前だ。けれど生活時間が少しずつずれてきたせいで、以前のように毎日何時間も一緒にいることはなくなった。
「……寂しい?」
ルシアが聞く。
「ちょっとね」
ミアは素直に頷いた。
「だってルシアも、エリーゼも、クレイドもヴァンパイアでしょ?」
「うん」
「私だけ人間」
その言葉に、ルシアの胸が小さく動いた。
ミアはテーブルへ頬杖をつく。
「みんな、これからもずっと変わらないんだよね」
「全く変わらないわけじゃないと思うけど……」
「でも私みたいには年取らないでしょ?」
「……うん」
「いいなぁ」
また同じ言葉だった。
けれど今度は、ただ制服を羨ましがっているわけではないことが分かった。
「ミアの家族は?」
ルシアが尋ねる。
「家族?」
「もしヴァンパイアになったら、家族よりずっと長く生きることになるでしょ?」
ミアは一瞬きょとんとしてから答えた。
「私、おばあちゃんしかいないよ」
「そうなの?」
「うん。一緒に暮らしてる」
初めて聞いた。
ミアは家族の話をあまりしない。
「おばあちゃんのことは大好きだよ」
そう言って、ミアは少しだけ視線を落とした。
「でも、おばあちゃんは私よりずっと年上だから、いつか先にいなくなるでしょ?」
「……うん」
「そのあと、私が人間のままだったら……一番仲良い人たちはみんなヴァンパイアなんだよね」
ルシアは何も言えなかった。
「ルシアも、エリーゼも、クレイドも。私だけ年取って、先に死ぬんだ」
その言葉が胸に刺さる。
知っている。
その怖さを。
つい最近まで、ルシア自身が同じ未来を恐れていた。
自分だけ人間で。
アルベルトも、ゼノンも、クレイドも、エリーゼもヴァンパイアで。
自分だけが年を取り、いつかみんなを残して死んでいく。
それが嫌だった。
怖かった。
だからゼノンに頼んだのだ。
自分をヴァンパイアにしてほしい、と。
もちろん、本当は最初からヴァンパイアだった。
けれど、あのときの願いだけは偽物ではない。
「……分かるよ」
ルシアが呟く。
ミアが顔を上げた。
「ルシア?」
「私も同じこと思ったから」
「え?」
「自分が人間だと思ってたとき、お兄様に頼んだの。私をヴァンパイアにしてって」
ミアの目が大きくなる。
「そうなの!?」
「うん。みんなと同じ時間を生きたかったから」
ミアの表情がぱっと明るくなった。
「やっぱりルシアなら分かってくれると思った!」
その言葉にルシアも笑う。
本当に分かるのだ。
それだけなら。
けれどミアは少し身を乗り出した。
「それにね、みんながヴァンパイアだからってだけじゃないよ」
「え?」
「私、昔からヴァンパイア好きだったじゃん」
それはよく知っている。
ヴァンパイアの話を聞けばすぐに食いつき、夜間部の生徒を見かければ格好いいと騒ぐ。
ルシアが自分自身の正体を知るよりもずっと前から、ミアはヴァンパイアに憧れていた。
「人間より長く生きられて、身体も強くて、夜でも何でも見えて、普通の人にはない力を持ってる人もいて」
ミアの視線がルシアの左腕へ落ちる。
「怪我しても治るし」
「腕まで生えるのは普通なのか、私もまだよく分かんないけど」
「でも生えたじゃん」
「まあ……」
「血を飲むのは大変そうだけど、血液パックもあるし」
そこでクレイドが眉を寄せた。
「お前、簡単に考えすぎだろ」
「また?」
「血液パック飲んでりゃ終わりだと思ってんのか」
「そんなこと言ってないよ」
「似たようなもんだろ」
「クレイドはヴァンパイア嫌いだから悪いところばっかり見るんだよ」
クレイドの表情が僅かに変わった。
「俺は実際にヴァンパイアになったから言ってんだよ」
ミアが黙る。
「憧れてなったわけじゃねぇ」
低い声だった。
クレイドがどうやってヴァンパイアになったのか、ミアも知っている。
だからそれ以上は言い返さなかった。
けれど、しばらくして。
「……それでも、私はなりたい」
ぽつりと呟いた。
部屋が静かになった。
ミアは顔を上げる。
「私、ヴァンパイアになりたい」
今度は、はっきりと言った。
ルシアはミアを見つめる。
「本気?」
「うん」
迷いのない返事だった。
「ずっと憧れてたし、みんなと同じ時間を生きたい」
ミアは少しだけ笑った。
「私だけ人間なの、嫌だ」
その言葉も、痛いほど分かる。
だからルシアはすぐに否定できなかった。
ミアはそんなルシアを見つめたあと、少し緊張したように口を開いた。
「ねえ、ルシア」
「うん?」
「私をヴァンパイアにしてくれない?」
息が止まった。
「……私が?」
「うん」
「でも、私……」
「純血のヴァンパイアなんでしょ?」
ルシアは思わずゼノンを見る。
「お兄様。私でも……できるの?」
「できるよ」
ゼノンは静かに答えた。
「今のルシアなら、人間をヴァンパイアに変えることはできる」
ミアの顔が明るくなる。
「じゃあ――」
「でも、駄目だよ」
その笑顔が止まった。
「……え?」
ゼノンはミアではなく、ルシアを見ていた。
「ルシア。ミアを変えちゃ駄目」
「お兄様……」
「君はミアの気持ちが分かるから、迷うでしょ?」
何も言い返せなかった。
その通りだった。
自分だって同じことを願った。
もし本当に人間だった自分がゼノンに頼んで、「駄目」と言われていたら。
きっと悲しかった。
「俺も反対だ」
アルベルトが言った。
ミアが眉を寄せる。
「なんで? 私、本気だよ」
「本気かどうかの問題じゃない」
「じゃあ何?」
「一度変わったら戻れない」
アルベルトの声は静かだった。
「やってみて無理だったから人間に戻る、はできない。だから簡単に決めていいことじゃない」
「簡単に決めてないよ」
「お前がそう思っていてもだ」
「でも――」
「向いてねぇよ、お前」
クレイドが遮った。
ミアが振り返る。
「またそれ?」
「ああ」
「なんでクレイドに決められなきゃいけないの?」
「決めてねぇ。見てりゃ分かるって言ってんだよ」
「何が?」
クレイドは少し黙った。
「お前、欲しいと思ったら一直線だろ」
「それの何が悪いの?」
「人間なら別にいい」
クレイドの赤い瞳が細くなる。
「ヴァンパイアになったら、欲しいもんが血になる」
ミアの口が止まった。
「そんときも今みてぇに、欲しいから欲しいで動くつもりかよ」
「そんなの……ちゃんと我慢するよ」
「そう言ってるうちは分かってねぇ」
「何それ!」
「クレイド」
ルシアが止める。
クレイドは舌打ちして顔を逸らした。
ゼノンはそんな二人を見てから、ミアへ視線を戻した。
「ミア」
「……はい」
「君が悪い子だって言ってるわけじゃないよ」
「でも向いてないんでしょ?」
「僕はそう思う」
迷いがなかった。
ミアが少し傷ついた顔をする。
「ミアは好奇心が強くて、自分の気持ちに素直だよね。好きなものは好き、欲しいものは欲しい、気になったら確かめたい」
「……それ、悪いこと?」
「人間としてならね」
ゼノンは首を横に振る。
「でも僕たちは、自分が欲しいと思ったものから自分で離れなきゃいけないことがある」
それだけで、ルシアには分かった。
血だ。
飲みたいのに、止まる。
欲しいのに、我慢する。
先日のエリーゼの授業でも聞いたばかりだった。
相手が拒絶していなくても。
もっと吸ってほしいと言っていても。
飲む側が、自分で止まらなければならない。
「ルシア」
ミアがこちらを見る。
「ルシアはどう思う?」
困った。
本当に困った。
ゼノンたちの言っていることも分かる。
でも。
ミアの気持ちも、分かりすぎるほど分かる。
「……私ね」
ルシアはゆっくり口を開いた。
「ミアがヴァンパイアになりたいって思う気持ちは、本当に分かるよ」
ミアは黙って聞いている。
「私も、お兄様と同じ時間を生きたかった。クレイドやエリーゼともずっと一緒にいたかった。自分だけ年取って、自分だけ先に死ぬのが嫌だった」
「……うん」
「だから、ミアが同じこと思うの、おかしいなんて思わない」
ミアの表情が少しだけ緩む。
「じゃあ――」
「でも」
ルシアは自分の左手を見る。
腕を失った日。
血が足りなくなった身体で、ラビの背中に負ぶわれていたとき。
首筋から漂う血の匂いが、どうしようもなく欲しかった。
「私、腕をなくした日に血が足りなくなって……ラビ先輩に噛みつきそうになったの」
「え?」
「飲んでもいい?って聞いた」
ミアが目を見開く。
「ラビ先輩が止めてくれたから飲まなかった。でも、あのときの私、本当に飲みたかった」
思い出すだけで、喉の奥が少し苦しくなる。
「自分がヴァンパイアだって分かる前は、血を欲しがるってどういう感じなのか、本当には分かってなかった」
ルシアはミアを見る。
「今は少し分かる」
ミアは何も言わない。
「だから……ごめん」
その言葉を口にするのは苦しかった。
「私にはできない」
ミアの表情が止まった。
しばらく誰も喋らない。
やがてミアが小さく息を吐いた。
「……そっか」
笑った。
けれど、いつもの笑顔とは少し違う。
「ルシアなら分かってくれると思ったんだけどな」
胸が痛んだ。
「分かるよ」
「うん」
「分かるからこそ怖いの」
ミアの人生を、自分の血で永遠に変えてしまう。
それを今の自分には決められない。
「……分かった」
ミアはそれ以上頼まなかった。
少しして時計を見て、立ち上がる。
「そろそろ帰るね。おばあちゃん心配するし」
「送るよ」
「大丈夫だよ」
「でももう暗いよ?」
「いつもの道だもん」
それでもルシアが心配していると、アルベルトが立ち上がった。
「俺が送る」
「え、いいよ!」
「こんな時間に十七の女一人で帰すわけにいくか」
「アル、お父さんみたい」
「うるせぇ」
ミアが笑った。
少しだけ、いつもの笑顔に戻っていた。
玄関で靴を履き、扉を開ける前に振り返る。
「ルシア」
「ん?」
「別に怒ってないからね」
「……本当?」
「ちょっとだけ悲しいけど」
正直な答えだった。
「でも、ルシアが嫌だから断ったんじゃないのは分かった」
「ミア……」
「また明日ね」
「うん。また明日」
「クレイドも!」
「何で俺に言うんだよ」
「友達だから!」
「勝手に決めんな」
「じゃあね!」
アルベルトと一緒にミアが出ていく。
扉が閉まると、急に家の中が静かになった。
ルシアはしばらく玄関を見つめていた。
「……本当に、駄目だったのかな」
「うん」
隣から即答される。
ルシアはゼノンを見る。
「そんなすぐ答える?」
「答えるよ」
ゼノンはソファへ戻りながら言った。
「僕ならミアを変えない」
ルシアもその隣へ座る。
「でも、ミアはなりたいって言ってる」
「だからって変える必要はないよ」
「私も同じことお願いしたのに」
「ルシアとは違う」
「私が最初からヴァンパイアだったから?」
「それもあるけど、それだけじゃない」
ゼノンは少し考えるようにルシアを見た。
「ミアはね、今の自分がヴァンパイアになったら、そのまま強くなって、長く生きられると思ってる」
ルシアは黙って聞く。
「でも実際は、今までなかった渇きが加わる。人間だった頃には必要なかった我慢を、これから何十年も何百年も続けなきゃいけない」
「……うん」
「それに耐えられるかどうかは、ヴァンパイアが好きかどうかとは関係ないよ」
ルシアは先ほどのミアを思い出した。
なくなった腕が元通りになったと知って目を輝かせていた。
長く生きられる。
身体が強い。
特別な力がある。
確かにミアは、ヴァンパイアの良いところをたくさん知っている。
けれど、渇きだけは知らない。
人間である以上、本当の意味で知ることはできない。
「……クレイドも、やっぱりそう思う?」
少し離れたところにいたクレイドへ聞く。
「思う」
珍しく即答だった。
「ミアのこと嫌いだからじゃないよね?」
「嫌いならどうなろうが知るかよ」
「じゃあ心配してるんだ」
「そういう話じゃねぇ」
「またそれ」
「うるせぇ」
クレイドは顔を逸らした。
けれど少ししてから、低い声で続ける。
「俺は選べなかった」
ルシアが黙る。
「だから、なりたい奴の気持ちなんか分かんねぇ」
七歳だったクレイドは、ヴァンパイアになることを望んでいなかった。
人間のままでいたかった。
家族と一緒にいたかった。
それを全部奪われた。
「けど、一回なったら戻れねぇのは知ってる」
それだけだった。
クレイドはそれ以上何も言わない。
ルシアも聞かなかった。
やがてアルベルトがミアを送り届けて戻ってきた。
「ちゃんと家まで送ったぞ」
「おばあちゃんいた?」
「ああ。玄関まで出てきた」
ルシアはほっとする。
「よかった」
アルベルトは上着を脱ぎながらルシアを見る。
「まだ気にしてるのか?」
「……ちょっと」
「なら気にしとけ」
「え?」
意外な言葉だった。
「人一人の人生を変える話なんだ。簡単に忘れるより、そのくらいでいい」
アルベルトはそう言ってから、テーブルに残っていたカップを片づけ始めた。
「ただし、罪悪感だけで次に頼まれたとき頷くなよ」
「……うん」
「お前の血は、もうただの血じゃない」
ルシアは自分の手を見る。
人間だった頃は考えたこともなかった。
自分の血で、誰かをヴァンパイアへ変えることができる。
誰かの人生を終わらせずに済むこともあるかもしれない。
逆に。
その人の人生を、取り返しのつかない形で変えてしまうこともある。
「ルシア」
ゼノンに呼ばれて顔を上げる。
「もしミアにまた頼まれても、一人で決めないで」
「……うん」
「僕かアルベルトに必ず相談して」
「分かった」
「約束だよ」
「約束する」
ゼノンはようやく安心したように微笑んだ。
クレイドは反省文を書くためにテーブルへ向かいながら、小さく吐き捨てる。
「……あいつ、向いてねぇんだよ」
ルシアはその背中を見る。
「まだ言うの?」
「悪口じゃねぇ」
椅子へ座り、面倒そうにペンを持つ。
「欲しいもんに素直すぎる」
「それってそんなに悪いことかな」
「人間ならな」
クレイドは紙へ視線を落とした。
「ヴァンパイアになったら、欲しいもんが血になる」
ルシアは何も言えなかった。
ミアは明るい。
優しい。
友達思いで、少し騒がしくて、好奇心が強い。
ルシアが腕を失ったと聞いただけであれほど驚き、心配してくれた。
そんなミアが、人を傷つけるほど血を欲しがる姿なんて想像できない。
だから、このときのルシアにはまだ分からなかった。
ゼノンも。
アルベルトも。
クレイドも。
長くヴァンパイアという生き物を見てきた三人が、なぜ揃って同じ答えを出したのか。
ルシアにはまだ、それが少し心配しすぎに思えていた。
ミアならきっと大丈夫なのに、と。
心のどこかで、そう思っていた。




