新しい友達
アルベルトが朝から学園外の会議へ出ていたその日、ルシアの左腕には学園長代理を示す黒い腕章がついていた。
昼間部での用事を一通り終えた頃、ルシアのもとへゼノンがやって来た。
「ルシア、悪いんだけど一つ頼んでもいい?」
「ゼノ兄さんが私に? 珍しいね。何?」
「夜間部の談話室に行って、少し待っていてほしいんだ。あとで僕も行くから」
「待ってるだけ?」
「うん。セドリックたちもいるはずだから、一人にはならないよ」
「それならいいけど……何で?」
「ちょっと手が離せないんだ。でも今日のことで君にも確認してほしいことがあるから、終わったらそこで話そうと思って」
今日はアルベルトが不在のため、何かあればルシアが学園長代理として話を聞き、必要に応じて教師やアルベルトへ引き継がなければならない。
ゼノンは夜間部側で起きたことを先に確認してから、ルシアへ説明するつもりなのだろう。
「分かった。じゃあ先に行ってるね」
「ありがとう。なるべく早く行くよ」
「急がなくて大丈夫だよ」
「……あんまりクロードの近くには行かないでね」
「何で?」
「何となく」
「クロード先輩に失礼だよ」
「ルシアはそう思ってればいいよ」
意味が分からないままゼノンと別れ、ルシアは一人で夜間部の校舎へ向かった。
夜間部へ行くこと自体には、以前ほど緊張しなくなっていた。
それでも白い制服のまま黒い制服ばかりの校舎へ入ると、自分だけが違う場所にいるような感覚は残っている。
談話室の扉を開けると、予想していたよりも静かだった。
ソファにはセドリックとルイスが座っており、窓際にはクロードがいる。
そして。
「ルシアちゃん!」
一番最初に反応したのはラビだった。
「こんにちは、ラビ先輩」
「珍しいね。今日は一人?」
「ゼノ兄さんに頼まれて来たんです。あとで来るから、ここで待っててって」
「ゼノンさんに?」
「うん。今日のことで私にも確認してほしいことがあるみたい」
ルシアが腕章を見せると、セドリックが納得したように頷いた。
「そういうことか。今日は学園長がいないんだったな」
「はい。だから一応、私が代理です」
「一応って」
クロードが笑った。
「もう少し自信持ちなよ、学園長代理」
「だって本当に一応なんです。危ないことは先生を呼べってアルから言われてるし、大きなことを私が勝手に決めちゃ駄目だし」
「それでいい」
セドリックが即答した。
「むしろ自分で何でも解決しようとするな。特にこっちの校舎では」
「分かってます」
「本当に?」
「……多分」
「分かってないな」
セドリックが溜息をつく。
その隣でルイスが読んでいた本から視線を上げた。
「少なくとも、自分の権限を理解しているだけ優秀でしょう。代理という肩書きを与えられただけで、何でもできると勘違いする人間よりは」
「褒められてます?」
「一応」
「ルイス先輩まで一応って言った!」
クロードが吹き出した。
そんな中、ラビがソファの隣を軽く叩いた。
「ルシアちゃん、ここ座れば?」
「いいんですか?」
「もちろん」
ルシアが隣へ座ると、ラビはすぐに身体をこちらへ向けた。
これまでにも何度か話したことはある。
事件のときには助けてもらったこともあり、ラビが透明化の異能を持っていることも、銃を扱うことも知っている。
けれど、こうして落ち着いて二人で話すのは初めてだった。
「そういえば、ラビ先輩っていつもゼノ兄さんと一緒にいるイメージがあります」
「そう?」
「セドリック先輩もだけど」
「俺をラビと一緒にするな」
少し離れたところからセドリックが言った。
「酷くない?」
「普段の行動を思い返してから言え」
「僕、結構ちゃんとしてるよ?」
「事件のときは頼りになりましたよ」
ルシアが言うと、ラビの顔がぱっと明るくなった。
「ほら!」
「事件のときは、な」
「セドリックって僕に厳しくない?」
「お前の叔父だからな」
「叔父っていうほど年齢離れてないでしょ」
「ヴァンパイアの年齢差を人間と同じ感覚で考えるな」
二人の会話を聞きながら、ルシアは小さく笑った。
ゼノンが六十歳でありながら二十歳ほどの姿をしていることも、ヴァンパイアは人間とは歳の取り方が違うことも、ルシアはすでに知っている。
だから、ラビの実年齢と見た目の差に驚いたわけではなかった。
ただ、事件のときに聞いた年齢を思い出して、何となく口にしただけだった。
「そういえばラビ先輩って、四十四歳なんですよね?」
「うん」
「ゼノ兄さんよりずっと若いんですね」
「そうだね。ゼノンさんは見た目が若いから、初めて会った人には同い年くらいに思われることもあるけど」
「でも、実際は六十歳なんですよね」
「うん。ヴァンパイアは見た目と実年齢が一致しないことも多いからね」
「ゼノ兄さんを見てれば分かります」
「だよね」
ラビが頷く。
「だから僕も、四十四歳って言っても人間の四十四歳とは少し違うんだよ」
「見た目のことですか?」
「見た目もそうだし、成長の仕方もね。ヴァンパイアは人間より長く生きる分、歳の重ね方もゆっくりなんだ」
「それはゼノ兄さんから聞いたことがあります」
「そっか。じゃあ説明はいらなかったね」
「はい。でもラビ先輩の話を聞くのは面白いです」
「本当?」
「うん。ゼノ兄さんとはまた違う話が聞けそうだから」
「ゼノンさんと比べられると、ちょっと緊張するなあ」
「何で?」
「何でもできるし、落ち着いてるし、僕とは全然違うから」
「でも、ラビ先輩はラビ先輩でいいと思います」
「……」
ラビが一瞬黙った。
「どうしました?」
「いや、ルシアちゃんって、たまにすごいことを普通に言うよね」
「すごいこと?」
「うん。何でもない」
ラビは誤魔化すように笑った。
「それより、僕って何歳くらいに見える?」
「見た目の話ですか?」
「そう」
ルシアはラビをじっと見た。
「事件のときから、あまり変わらない印象ですけど……」
「それはそうだよ。短期間で見た目が変わったら大変だし」
「そうですね」
「でも、実年齢を知らなかったら、何歳くらいに見える?」
ルシアは改めてラビの顔を見た。
明るい表情や軽い口調のせいか、実際の年齢よりも若く感じる。
「……十八歳くらい?」
一瞬の沈黙。
クロードが盛大に笑った。
「ラビ、良かったじゃん」
「良くないよ! 僕そんな子どもに見える!?」
「見えます」
「即答!?」
「だって、可愛い感じだから」
「…………可愛い……」
ラビが固まった。
「嫌でした?」
「いや、嫌じゃないけど」
頬を掻きながら視線を逸らす。
「女の子に言われると、ちょっと複雑だなあ」
「じゃあ、格好いい?」
「それがいい!」
「調子に乗るな」
セドリックが言った。
「セドリック先輩、さっきから全部聞いてますよね?」
「聞こえるからな」
「あ、そっか」
ルシアはそこで小さく笑った。
ヴァンパイアは人間より遥かに耳がいい。
小声で話していても、同じ部屋にいるセドリックたちにはほとんど意味がない。
「昼間部だと内緒話できるんですけど、ここだとできないですね」
「やろうと思えばできるよ」
ラビが言った。
「本当ですか?」
「うん。すっごく遠くに行く」
「それ、内緒話じゃなくて移動じゃないですか」
「じゃあ僕が透明になって」
「見えなくなるだけで声は消えないですよね?」
「……よく覚えてるね」
「事件のとき見たもん」
「成長したね、ルシアちゃん」
「子ども扱いしてません?」
「してないしてない」
「してる顔です」
「バレた?」
ラビと話していると、不思議なくらい会話が途切れなかった。
クロードのようにわざと困らせるようなことを言うわけでもなく、セドリックほど落ち着きすぎてもいない。
明るくて、よく笑って、少し抜けている。
何となくミアと似ているところがあるかもしれないとルシアは思った。
「ラビ先輩って、ヴァンパイアっぽくないですね」
何気なく口にすると、ラビが瞬きをした。
「それ褒めてる?」
「あ、ごめんなさい! 悪い意味じゃなくて」
「分かってるよ」
ラビは笑った。
「でも、ルシアちゃんの中でヴァンパイアってどんな感じなの?」
「うーん……」
考える。
「綺麗で、ちょっと怖くて、静かな人が多いイメージ?」
「ほぼルイスじゃん」
クロードが言った。
ルイスが静かに顔を上げる。
「私を勝手にヴァンパイアの代表にしないでもらえますか」
「でも合ってるでしょ?」
「あなたよりは」
「俺だって十分ヴァンパイアらしいけど」
「クロード先輩は女の人ばっかり見てるから違います」
「ルシアちゃん、俺の扱い酷くなってない?」
「学習したんです」
「誰から?」
「ゼノ兄さん」
「なるほど。悪意ある教育を受けてるな」
「ゼノンに聞かれたら殺されるぞ」
セドリックが淡々と言う。
「そこは助けてよ」
「自業自得だ」
ルシアは笑いながらラビを見る。
「ラビ先輩はもっと普通っていうか……話しやすいです」
「本当?」
「はい」
「嬉しいな」
ラビが笑った。
その笑顔が、いつもより少し柔らかかった。
「ルシアちゃんも、人間っぽくないけどね」
「え!?」
今度はルシアが驚いた。
「どういう意味ですか?」
「だって普通の人間、ヴァンパイア四人に囲まれてこんな普通に喋らないよ」
「四人とも知ってる人だからでしょ?」
「知ってても怖がる子は怖がるよ」
ラビが自分の牙を指で示した。
「例えば僕が急に噛むかもしれないとか思わない?」
「ラビ先輩が?」
「うん」
ルシアはラビを見つめた。
「噛むんですか?」
「噛まないよ」
「じゃあ大丈夫」
「信用するの早いなあ」
「だって事件のとき助けてくれたじゃないですか」
ラビが少しだけ黙った。
「それだけで?」
「それだけじゃないですよ。ゼノ兄さんもラビ先輩のこと信用してるし、セドリック先輩も何だかんだ仲良さそうだし」
「仲良くはない」
「セドリック!」
「冗談だ」
「絶対今の本気だった!」
また騒ぎ始めた二人を見て、ルシアは笑った。
「ほら、仲良し」
「どこが?」
「仲良くなかったら、こんなふうに話さないと思います」
ラビが少しだけ目を細めた。
「ルシアちゃんって、結構人を見るんだね」
「そうかな?」
「うん」
「でも種族だけで決めるよりいいでしょ?」
その言葉に。
今まで会話へあまり入ってこなかったルイスが反応した。
「種族だけで決めない、ですか」
「はい」
「あなたはヴァンパイアを恐れていない?」
「怖いヴァンパイアは怖いですよ」
「矛盾しているように聞こえますが」
「してないですよ?」
ルシアは不思議そうにルイスを見る。
「私を襲うヴァンパイアがいたら、その人は怖いです。でも、その人がヴァンパイアだからってラビ先輩まで怖くなるわけじゃないです」
「……」
「人間だって同じですよね。悪い人間が一人いたからって、全部の人間が悪いわけじゃないし」
ルイスはしばらく黙ってルシアを見ていた。
「理想論ですね」
「そうかな」
「ですが」
ルイスは僅かに口元を緩めた。
「嫌いではありません」
「ルイスが人間褒めた」
クロードが驚いた顔をする。
「褒めてはいません」
「今のはほぼ褒めてたよ」
ラビも言う。
「黙りなさい」
ルシアは笑った。
夜間部へ来たばかりの頃は、黒い制服に囲まれるだけで少し緊張していた。
今でも自分だけ白い制服を着ていることを意識する瞬間はある。
けれど、こうして話していると。
人間だから。
ヴァンパイアだから。
そんなことを考えている時間の方が少なかった。
「ねえ、ルシアちゃん」
「はい?」
「今度さ、代理じゃない日にも話そうよ」
「夜間部に来たら怒られます」
「じゃあ共有スペース」
「あ、それなら大丈夫です」
「決まりね」
ラビが嬉しそうに笑う。
「ミアちゃんとエリーゼちゃんも連れてきてよ」
「いいんですか?」
「もちろん。人間の友達増やしたいし」
「ミアは喜びますよ。多分すごい勢いで来ます」
「そんなに?」
「ヴァンパイア大好きだから」
「変えて欲しい側の人間?」
「そう言う事は言って無いので違うと思います。ラビ先輩を見たら絶対質問攻めにしますよ」
「楽しそう」
「後悔しても知りませんからね」
「そのときは透明になって逃げる」
「ずるい!」
「能力の有効活用」
「逃げるために使うな」
セドリックが呆れる。
「いいじゃん。僕の能力だもん」
ラビが笑った。
ルシアもつられて笑った、そのときだった。
「楽しそうだね」
聞き慣れた声がした。
ルシアが振り返る。
「ゼノ兄さん!」
談話室の入口にゼノンが立っていた。
「遅くなってごめんね」
「大丈夫だよ。ラビ先輩たちと話してたから」
「そうみたいだね」
ゼノンの視線がラビへ向く。
「随分仲良くなった?」
「うん!」
ルシアが先に答えた。
「今度、共有スペースでも話そうって約束したの」
「へえ」
ゼノンが微笑む。
ラビの笑顔が僅かに引きつった。
「……ゼノンさん?」
「何?」
「笑顔が怖いです」
「普通に笑ってるだけだよ」
「絶対嘘だ」
クロードが呟く。
「クロード?」
「何でもないです」
珍しく敬語になったクロードを見て、ルシアは首を傾げた。
「みんなゼノ兄さん怖がりすぎじゃない?」
「ルシアちゃんだけだよ、そう言えるの」
ラビが苦笑する。
ゼノンはルシアのところまで来ると、自然に頭を撫でた。
「待たせたね」
「全然。楽しかったよ」
「それは良かった」
そう言ってから、ゼノンはラビを見る。
「ありがとう、ラビ。ルシアの相手してくれて」
「いえいえ」
「今度もよろしくね」
「もちろんです」
「ほどほどに」
「……はい」
「何でほどほどなの?」
ルシアが聞く。
「何となく」
「またそれ?」
ゼノンは答えず、ルシアの頭をもう一度撫でた。
ラビはそんな二人を見つめていた。
事件のときから、ゼノンがルシアを大切にしていることは知っていた。
だから最初は。
ゼノンが大切にしている人間の女の子。
それだけだった。
けれど今日、初めてゆっくり話してみて。
よく笑って。
少し危なっかしくて。
人間とヴァンパイアの違いを気にしているようで、肝心なところでは全く気にしない。
自分をヴァンパイアとしてではなく、ラビという一人の相手として見てくれる。
「……可愛いなあ」
思わず呟いた。
「ラビ?」
ゼノンが振り返った。
「何でもないです!」
「今何か言わなかった?」
「言ってません!」
「そう?」
「はい!」
セドリックが深い溜息をついた。
クロードは面白そうに笑っている。
ルイスだけは、これから面倒なことになりそうだと言いたげな顔で静かに本を開き直した。
そしてルシアだけが。
何も分からないまま笑っていた。
その日から。
ルシアにとってラビは、事件のときに助けてくれた夜間部の先輩ではなくなった。
会えば自然に話しかける。
見つければ手を振る。
共有スペースで見かければ隣へ座る。
そんなことが当たり前にできる。
新しい友達になった。




