第67話 残響
フロアは、落ち着きを取り戻していた。
あの喧騒が嘘のように、
電話の音も、キーボードの音も——
普通に戻っている。
だが、
何かが違った。
「……助かりました」
受話器の向こうで、そう言われる。
「本当に、ありがとうございます」
頭を下げられているのが、声でわかる。
「……いえ」
麻美は、短く答える。
残した会社。
今回の流れで、確実に救われた側。
その声だった。
「今後とも、よろしくお願いします」
電話が切れる。
静かだ。
だが——
その“ありがとう”が、
胸に引っかかる。
(……よかった)
そう思う自分がいる。
でも同時に——
(じゃあ、あの人たちは)
思い出してしまう。
あの日の電話。
静かな声。
『そうですか』
それだけ言って、切れた人。
救われなかった側。
麻美は、立ち上がった。
「……少し外します」
誰に言うでもなく、呟く。
返事はない。
誰も止めない。
そのまま、外に出た。
風が、少し冷たい。
空は、曇っていた。
歩く。
目的もなく。
ただ——
止まれなかった。
(……これでよかったの?)
何度目かの問い。
答えは、まだない。
そのとき。
「——らしいな」
声がした。
振り向く。
そこに立っていたのは——
宗一郎だった。
「……宗一郎さん」
少し驚く。
「久しぶりだな」
軽く手を上げる。
変わらない。
少し疲れているようにも見えるが、
目は、しっかりしている。
「今回の件、聞いた」
近づいてくる。
「やったな」
短く言う。
だが、その声には——
複雑なものが混じっていた。
「……はい」
麻美は、うまく答えられない。
「助かったところも、多いんだろ」
「……そうですね」
言葉を選ぶ。
「でも——」
続けようとして、止まる。
宗一郎が、少しだけ笑う。
「全部は救えてない、か」
先に言われる。
「……はい」
小さく頷く。
宗一郎は、空を見上げた。
「まあ、そうなるよな」
あっさりした口調。
だが——
軽くはない。
「現場の連中、結構きついぞ」
「……そうなんですか」
「潰れかけてるとこもある」
胸が、少し締まる。
「今回の流れで、完全に弾かれた」
事実だった。
逃げ場のない。
「……」
何も言えない。
言える言葉が、ない。
宗一郎は、しばらく黙っていた。
そして——
「正しいと思うか?」
不意に、聞いてくる。
まっすぐな問い。
「……わかりません」
正直に答える。
「結果は出てます。でも……」
「気持ちが追いつかない、か」
「……はい」
その通りだった。
宗一郎は、少しだけ笑った。
「いいんじゃないか、それで」
「……え?」
「全部割り切れる方が、怖い」
静かに言う。
「現場ってのは、そういうもんだ」
風が吹く。
少しだけ、冷たい。
「で、あいつは?」
「……え?」
「恒一」
名前を出される。
「どうしてる」
一瞬、言葉に詰まる。
「……変わらないです」
「だろうな」
すぐに返ってくる。
わかっているように。
「でも、見てると……」
言いかけて、止まる。
「何だ」
「……先を見てるみたいで」
自分でも、曖昧な言い方だと思う。
でも——
それしかない。
宗一郎は、一瞬だけ黙った。
そして——
「……そうか」
小さく、頷いた。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、受け止める。
「一回、会っとくか」
「……え?」
「俺も、話したい」
少しだけ、目が変わる。
真剣な色。
「正しいかどうか、聞いてみたい」
その言葉に、
少しだけ緊張が走る。
麻美は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
風が、また吹いた。
曇った空。
どこか、すっきりしない景色。
でも——
止まってはいない。
何かが、続いている。
勝ったはずなのに、
終わっていない感覚。
その中で——
次の波が、静かに近づいていた。




