第62話 管理
呼び出しは、突然だった。
「恒一、上に来い」
短い一言。
それだけで、空気が変わる。
フロアのざわめきが、少しだけ落ちた。
「……来たか」
神谷が小さく呟く。
「行ってきます」
恒一は立ち上がる。
止める声はない。
誰もが、わかっている。
これは——
“そういう話”だと。
廊下は静かだった。
さっきまでの現場の音が、嘘のように消えている。
重い扉の前で、一瞬だけ足が止まる。
そして——開けた。
「失礼します」
中には、三人。
部長と——その上。
見たことはある。
だが、直接話すのは初めてだった。
「座れ」
短い指示。
恒一は、何も言わずに座る。
視線が、集まる。
「……面白いことをしているな」
最初に口を開いたのは、上層の一人だった。
「現金で在庫を拾って流す、か」
笑っている。
だが、目は笑っていない。
「勝手な判断です」
恒一は言う。
「緊急対応として動いています」
「その結果、利益が出ている」
資料が机に置かれる。
「第一ロットで、これだ」
数字が並んでいる。
確かに——出ている。
「……はい」
「なぜ報告しなかった」
空気が変わる。
詰問ではない。
確認でもない。
圧力だった。
「時間がなかったためです」
「言い訳はいい」
遮られる。
「問題はそこじゃない」
一人が、ゆっくりと身を乗り出す。
「なぜ“勝手に利益を出した”」
一瞬、意味がわからなかった。
だが——すぐに理解する。
(……そういうことか)
「会社の資産です」
恒一は言う。
「利益も、リスクも」
「そうだ」
頷く。
「だからこそ——管理する必要がある」
その一言で、すべてが繋がる。
通関が止められた理由。
横取り。
いや——“回収”だ。
「この案件は、本部直轄にする」
静かに告げられる。
決定事項だった。
「君たちは外れる」
部屋の空気が、完全に変わる。
「……理由をお聞きしても」
「リスクが大きすぎる」
即答。
「現場判断で回す規模じゃない」
正しい。
完全に。
「万が一失敗した場合——」
「責任は本部で取る」
言い切る。
それも、正しい。
だが——
「現場は、指示に従え」
それで終わりだった。
理屈は通っている。
非はない。
だが——(止まる)
確信した。
このまま渡せば、
止まる。
判断が遅れる。
リスクを恐れる。
そして——
機会を失う。
「……一つ、確認させてください」
恒一が口を開く。
「何だ」
「このスピード、維持できますか」
静かな問い。
だが——鋭い。
空気が一瞬、揺れる。
「当然だ」
だが、わずかに遅れた。
その一瞬で、十分だった。
「無理です」
はっきり言った。
場の空気が凍る。
「……何だと?」
「今の流れは、判断を切っているから回っています」
一歩も引かない。
「承認を挟めば、止まります」
「そんなことは——」
「止まります」
重ねる。
「今は“遅れた方が負ける状態”です」
事実だった。
「だから現場で回している」
視線を真っ直ぐ向ける。
「ここで止めれば、全部失います」
沈黙。
重い沈黙。
誰も、すぐには言葉を返さない。
だが——
「……だからといって、任せるわけにはいかない」
答えは、変わらない。
「これは会社の問題だ」
正しい。
すべてが正しい。
だからこそ——厄介だった。
「……わかりました」
恒一は、立ち上がる。
「指示に従います」
その一言に、
わずかな安堵が流れる。
「それでいい」
会話は終わった。
だが——
恒一の中では、終わっていなかった。
扉を出る。
静かな廊下。
そのまま歩きながら、
小さく呟く。
「……間に合わない」
戻る。
フロアへ。
扉を開けた瞬間、
音が戻ってくる。
「どうだった」
神谷。
恒一は、短く答えた。
「取られます」
ざわめき。
「マジかよ……」
「どうする」
全員が見る。
判断を。
次の一手を。
恒一は、迷わなかった。
「三回転まで回す」
静かに言う。
「それまでに、形にする」
「……上は?」
「来る」
一拍。
「でも、間に合わせる」
その言葉に、
神谷が笑った。
「……いいねえ」
ニヤリと。
「完全にケンカ売ってるな」
「売ってません」
淡々と返す。
「間に合わせるだけです」
空気が変わる。
また——熱を持つ。
時間との勝負。
上が来る前に、
結果を固定する。
それが——唯一の勝ち筋だった。




