第58話 突破
交渉は、時間との勝負だった。
「……現金、ですか?」
受話器の向こうの声が、わずかに揺れる。
「はい。即金です」
恒一は迷わない。
「本日中に条件詰めて、明日には送金します」
沈黙。
海外サプライヤーの担当。
これまで何度もやり取りしてきた相手。
だが、今は違う。
信用は、ない。
『……本当に、払えますか?』
その一言。
フロアの空気が、止まる。
「払います」
短く言い切る。
根拠はない。
いや——ある。
決めたからだ。
『……条件は?』
来た。
「全量引き取ります」
周囲の空気が揺れる。
「その代わり——」
一拍。
「価格、落としてください」
『……どこまで』
「五割」
息を呑む音が、近くで聞こえた。
『それは——』
「現金です」
重ねる。
「今、この条件で動けるところは他にありません」
沈黙が、長くなる。
相手も分かっている。
売れなければ、死ぬ。
だが——安く売れば、損をする。
その狭間。
「……三割だ」
初めて、数字が出た。
恒一は間を置かない。
「四割」
『三割五分』
「四割」
押す。
引かない。
『……』
呼吸音だけが聞こえる。
『……わかった』
低い声。
『四割だ』
決まった。
その瞬間、
フロアの空気が変わる。
「契約書、すぐ送ります」
『本当に送金するんだな』
「します」
即答。
電話を切る。
静寂。
「……通ったのか?」
神谷。
「ああ」
「マジかよ……」
誰かが呟く。
「四割引きだぞ……?」
ざわめきが広がる。
だが、恒一は止まらない。
「次、物流」
画面を切り替える。
「倉庫押さえます。港も」
「そんな簡単に——」
「やります」
被せる。
電話を取る。
「東海物流さん、今の在庫——全部押さえたい」
短く、要点だけ。
『今はどこも止めてますよ』
「現金で払います」
沈黙。
『……条件、次第だな』
「今から詰めます」
同じだ。
全部、同じ構造。
金で動く。
だから——
動かす。
そのとき。
「恒一」
神谷が近づいてくる。
「売り先は?」
「当たってます」
「本当に買うか?」
「買います」
即答。
「払える先だけに流します」
「……断られたら?」
「次に回す」
迷いがない。
もう、戻れない。
だから——進むしかない。
別の電話を取る。
「山岡工業さん、例の件——」
『今は無理だ』
即答。
「現金決済です」
一瞬の間。
『……条件、聞こうか』
食いついた。
わかりやすい。
恐怖の中で、唯一の安心。
それが——現金。
「量は絞ります。その代わり——確実に届けます」
『……本当に来るんだな』
「来ます」
言い切る。
今度は、嘘じゃない。
もう、通したからだ。
『……なら、乗る』
決まる。
一つ、繋がる。
仕入れ。
物流。
販売。
点が、線になる。
「……いけるか?」
神谷。
恒一は、画面を見たまま答える。
「回ります」
小さく。
「一回転は」
その言葉に、神谷が笑った。
「十分だ」
フロアの空気が変わる。
さっきまでの沈黙が、少しだけ——熱を持つ。
「動け!」
神谷が叫ぶ。
「止まってる暇はねえぞ!」
誰かが電話を取る。
誰かが走る。
誰かが資料を引っ張り出す。
歯車が、回り始める。
三日。
その中で、
どこまで回せるか。
だが——
最初の一歩は、踏み出した。
恒一は、画面から目を離さなかった。
勝てるかどうかじゃない。
回す。
まずは、それだけだった。




