第51話 崩落
朝から、電話が鳴り止まなかった。
一つ切っても、すぐ次が鳴る。
受話器を置く間もない。
「まだ繋がらないのか!?」
フロアの奥で怒鳴り声が上がる。
「港の通関が止まってて……書類が通らないって……!」
「理由は!?」
「“確認中”の一点張りです!」
恒一は、立ったまま電話を取っていた。
椅子に座る余裕がない。
「……はい、恒一です」
『樹脂原料の出荷、止めます』
一言だった。
「……どのロットですか」
『全部です』
頭の中で、数字が弾ける。
「待ってください、もうトラックは手配済みで——」
『倉庫が動かないんです』
相手の声が、低く沈む。
『上から止められてます。“御社の信用が確認できるまで出すな”って』
胸の奥が、冷たくなる。
「支払いは予定通り——」
『その“予定”が信用できないんですよ』
言葉が、詰まる。
『うちも在庫抱えたまま飛べません』
その一言で、状況がはっきりする。
倉庫は、守りに入った。
「……わかりました」
そう言うしかなかった。
電話を切る。
すぐに、次が鳴る。
「はい!」
『新屋工業です。そちらからの樹脂、今日入るはずでしたよね』
「はい、現在確認中で——」
『ライン、もう止まりかけてるんです』
その言葉に、息が止まる。
『このまま材料来なかったら、昼で全部止めますよ』
工場の光景が浮かぶ。
ベルトコンベア。
溶けた樹脂。
止まる機械。
「必ず動かします」
自分でも根拠のない言葉だった。
『お願いしますよ』
電話が切れる。
「……くそ」
思わず漏れる。
机の上の書類。
納期表。
出荷スケジュール。
全部、意味を失い始めている。
「恒一!」
神谷の声。
振り向くと、珍しく表情が硬い。
「海外ライン、資金詰まり始めてる」
「は?」
一瞬、理解が追いつかない。
「銀行が動いてない。向こうの決済が遅れてる」
「そんなはず——」
「ある」
即答だった。
「信用が飛んでる。昨日の動きで一気に広がった」
頭の中で、何かが崩れる音がする。
「じゃあ、この契約——」
「履行できない可能性がある」
その言葉が、現実として落ちる。
履行できない。
つまり——
供給できない。
「……ふざけんなよ」
声が、低く漏れる。
神谷は何も言わない。
その沈黙が、すべてだった。
「代替ルートは!?」
「当たってる。だが、どこも同じだ」
「どういう意味だ」
「どこも“様子見”だ。今は誰もリスクを取らない」
終わりに近い状態だった。
そのとき。
「恒一さん!」
麻美が駆けてくる。
「東洋物流の倉庫から連絡です!」
「何だ」
「出荷予定の樹脂ドラム、全部ストップです!」
「理由は」
「“支払い確認後”に変更するって……実質、止めてます」
つまり——
現金が見えない限り、動かさない。
完全に、信用が切れている。
「……港は」
「通関で止まってます。書類に不備はないのに、“保留”扱いで」
保留。
責任を取らない停止。
一番、厄介な形だった。
恒一は、フロアを見渡す。
電話に怒鳴る者。
頭を抱える者。
ただ立ち尽くす者。
全員が、同じ場所にいる。
“崩壊の中”に。
電話が鳴る。
一瞬、誰も動かない。
「出ろ!!」
誰かが叫ぶ。
我に返ったように、皆が動き出す。
その光景を見て、恒一は気づく。
もう、自分たちは流れを作る側じゃない。
飲まれている側だ。
「恒一」
神谷が低く言う。
「これが現実だ」
反論はできなかった。
ポケットの中で、また震える。
知らない番号。
出る。
「……はい」
『御社、本当に払えますか?』
その一言で、すべてが繋がる。
信用が、完全に疑われている。
「……払う」
言い切る。
声が、少しだけ揺れる。
電話を切る。
手が、震えている。
机の上の契約書。
サイン。
決断。
全部が、ここに繋がっている。
「……まだだ」
小さく呟く。
終わっていない。
終わらせない。
そう思うしかない。
でも——
倉庫は止まり、工場は止まり、金は止まり始めている。
流れが、切れた。
これはもう——
“崩落”だった。




