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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第50話 こぼれた感情

 昼過ぎのオフィスは、妙に静かだった。

 電話は鳴っている。

 人も動いている。

 それでも、どこか輪郭がぼやけている。


「恒一さん」

 背後から呼ばれる。

 振り向くと、麻美が立っていた。

「少し、いいですか」

 その声は、いつもと同じだった。

 でも、どこか固い。

 会議室は空いていた。

 ドアを閉めると、外の音が一段遠くなる。

「……さっき、聞きました」

 麻美が先に口を開く。

「どの話ですか?」

「東洋商事、です」


 その名前に、ほんの一瞬だけ空気が止まる。

「ああ」

 短く答える。

「今日、手形が落ちなくて」

 麻美は続ける。

「朝から連絡、来てたみたいで」

 知っている。

 いや、正確には——

 予想していた。

「……そうですか」

 それだけ言う。


 麻美は、少しだけ眉を寄せた。

「それだけ、ですか」

 責める声じゃない。

 でも、確実に何かが滲んでいる。

「他に何て言えばいいんですか」

「何かあると思います」

 すぐに返ってくる。

「少なくとも、“そうか”じゃないと思います」

 その言葉に、わずかに苛立ちが混じる。

「じゃあ、どうしろって言うんですか」

 少し強くなった声に、自分でも気づく。

 麻美は、一瞬だけ黙った。


「……別に、どうしてほしいとかじゃないです」

 そう言いながら、少しだけ視線を逸らす。

「ただ」

 また、言葉を探す。

「なんでそんなに、平気なんですか」

 その一言が、静かに落ちた。


 恒一は、すぐに答えなかった。

 平気、か。

「平気に見えますか?」

「見えます」

 即答だった。

 迷いもなかった。

 そのまっすぐさに、少しだけ息が詰まる。


「……平気なわけ、ないでしょう」

 やっと出てきた言葉は、思ったより弱かった。

「でも、そうするしかないんです」

 また、その言葉。

 麻美の表情が、わずかに揺れる。

「それ、ずっと言ってますよね」

「事実です」

「事実でも」

 一歩、踏み込む。

「それで全部済ませていいことじゃないと思います」

 空気が、少しだけ張る。

「済ませてるつもりはないです」

「じゃあ、どうしてるんですか」


 言葉が、続かない。

 どうしてる?

 答えは、ない。

「……仕事として、やってます」

 出てきたのは、また同じ答えだった。

 その瞬間。

 麻美の中で、何かが切れた。

「それが、わからないんです」

 声が、少しだけ上がる。

「仕事だったら、何してもいいんですか」

「そんなこと、言ってないです」

「言ってますよ」

 かぶせるように言う。

「結果的に、そうなってるじゃないですか」

 言葉が、止まらない。

「切って、切って、切って」

 息が少し荒くなる。

「その先に何があるんですか」

 恒一は、何も言えない。

「正しいことしてるって、言えますか」

 その問いは、鋭かった。

 でも。

「言えます」

 気づけば、そう答えていた。

 自分でも、驚くくらいはっきりと。


 麻美の目が、揺れる。

「……そうですか」

 一瞬だけ、間。

「じゃあ」

 言いかけて、止まる。

 でも、止まらなかった。

「私、そういうの……無理です」

 その言葉は、静かだった。

 でも、確実に線を引いた。

「見てるのも、関わるのも」

 少しだけ、声が震える。

「嫌です」

 言い切ったあとで、息を吐く。

 自分でも、言い過ぎたと思ったのかもしれない。


 少しだけ目を伏せる。

「……すみません」

 遅れて、そう付け足す。

 でも、その“すみません”は、謝罪じゃなかった。

 恒一は、しばらく何も言えなかった。

 頭の中で、何かが整理できないまま回っている。

「……そっか」

 やっと出たのは、それだけだった。

 軽すぎる気もした。

 重すぎる気もした。

 麻美は、顔を上げる。

「でも」

 小さく続ける。

「だからって、全部否定したいわけじゃないんです」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと。

「恒一さんが考えて、選んだことなのはわかってるし」

 視線が、まっすぐ向く。

「ちゃんと、理由があるのもわかってます」

 そこまでは、いつもの麻美だった。

「でも」

 その先が、違った。

「それでも、無理なものは無理です」


 静かに、もう一度線を引く。

 会議室に、沈黙が落ちる。

 さっきまでよりも、少しだけ重い。

 恒一は、何か言おうとして、やめた。

 言葉が見つからない。

 正しいことは、たくさんある。

 でも。


 今、言うべき言葉は、どこにもなかった。

「……今日は、これで」

 麻美が言う。

 ドアに手をかける。

 少しだけ止まる。

 振り返らないまま。

「ちゃんと、考えてください」

 それだけ残して、出ていく。

 ドアが閉まる音が、やけに響いた。


 恒一は、その場に立ったままだった。

 何も動けない。

 何かを失った感覚だけが、残る。

 でも、それが何なのかは、まだはっきりしない。

 ただ一つだけ。

 もう、同じ場所には戻れない。

 それだけが、確かだった。

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