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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第42話 臨界

 朝は来た。

 だが――

 それは“始まり”ではなかった。


 オフィスの空気は、重い。

 誰もが分かっている。

 もう、昨日までとは違う。

 電話が鳴る。

 だが、その音はもう“日常”じゃない。


「坂本さん!」

 部下が駆け寄る。

「支払い、止まります!」

 恒一は一瞬、言葉を失う。

「どこが」

「三社同時です!」

 同時。

 それはもう、偶然ではない。

 “流れ”だった。

「……分かった」

 声を絞り出す。

 別の方向からも声が飛ぶ。

「こっちもです!」

「入金、確認できません!」

 数字が、崩れる。


 昨日まで“持っていた”はずのものが、

 一つずつ消えていく。

 帳尻が合わない。

 いや――

 最初から、合っていなかったのかもしれない。


「神谷さんは!」

「会議室です!」

 恒一は走る。

 ドアを開ける。

 神谷は、すでにそこにいた。

 そして――

 数人の幹部も。


 空気が違う。

「来たか」

 神谷の声。

「資金が回りません」

 恒一ははっきり言う。

 神谷は頷く。

「分かっている」

 その一言に、

 場の全員が反応する。

「分かってるって……!」

 誰かが声を上げる。

「もう限界ですよ!」

「今日中にショートします!」


 言葉が、現実になる。

 資金ショート。

 ついに、そのラインに来た。

 神谷は、静かに全員を見回す。

「選べ」

 短い一言。

「ここで畳むか」

 一拍。

「続けるか」

 空気が、凍る。

「続けるって……」

 誰かが笑う。

 力のない笑い。

「何でですか」

「まだある」

 神谷は言う。

「何がですか!」

 その問いに、

 神谷は一枚の資料を出す。

 見たことのないライン。

「海外だ」


 一瞬、誰も意味が分からない。

「このタイミングで……?」

 恒一が言う。

 神谷は頷く。

「向こうはまだ崩れていない」

「だから今なら、通る」

 狂っている。

 全員がそう思う。

 だが同時に、完全には否定できない。

「時間は?」

「今日中だ」

 短すぎる。

「無理だ……」

 誰かが呟く。

「そんなの、間に合うわけがない」

 その言葉に、

 何人かが頷く。

「俺は降りる」

 一人が言った。

 はっきりと。

「ここまでだ」

 誰も止めない。

 止められない。

 それを皮切りに、空気が割れる。

「自分もです」

「責任取れません」

「これ以上は無理です」

 声が重なる。

 “残る側”と“降りる側”。

 完全に、分かれる。

 恒一は、その中心に立っていた。


 どちらの言葉も、分かる。

 どちらも、正しい。

 神谷は、その光景を見ていた。

 怒らない。

 止めない。

 ただ――

 選ばせている。


「坂本」

 呼ばれる。

 全員の視線が集まる。

「お前はどうする」

 昨日と同じ問い。

 だが、意味はまったく違う。

 逃げ場は、もうない。

 恒一は、ゆっくりと息を吸う。

 頭の中に、

 川の流れが浮かぶ。

 止まっているようで、

 流れていた水。

 そして――

 戻ってきた夜。

 神谷の背中。

 目を開ける。

「……やります」

 静かに言う。

 一瞬、空気が止まる。


「正気か」

 誰かが言う。

「勝てる保証なんてないぞ」

 恒一は頷く。

「分かってます」

 それでも、

 言葉は止まらない。

「でも、ここで降りたら」

 少しだけ間を置く。

「一生、分からないままになる」

 何を、とは言わない。

 だが伝わる。


 神谷が、わずかに笑う。

「いいな」

 その一言。

「じゃあ、やるぞ」

 その瞬間、世界が動き出す。

 残った者だけで。

「資料をまとめろ」

「ルートを確保しろ」

「時間を作れ」

 指示が飛ぶ。

 だが同時に、

 背後では人が去っていく。

 椅子が引かれる音。

 足音。

 ドアが閉まる音。

 戻らない音。


 それでも、前に進む音のほうが大きくなる。

 臨界点は、越えた。

 もうこれは、“仕事”ではない。

 賭けだ。

 だがその賭けに、自分の意思で乗った。

 恒一は、はっきりと感じていた。


 怖い。

 だが同時に、妙に静かだった。


 神谷が横に立つ。

「後悔するなよ」

 恒一は、少しだけ笑う。

「もうしてます」

 その返しに、神谷も笑う。

 ほんの一瞬だけ。

 すぐに、表情は消える。

「行くぞ」

 その一言で、すべてが決まる。


 外では、また風が出ていた。

 嵐は、まだ終わっていない。

 むしろ――

 ここからが、本番だった。

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