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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第38話 凪の底

 雨は、止んでいた。

 まるで何事もなかったかのように。

 空には、薄い光が差している。

 雲は残っているが、切れ間から白い明るさがのぞく。

 街は、いつも通りに動き始めていた。


 朝のオフィスは、驚くほど静かだった。

 昨日までの緊張が、嘘のように引いている。

 電話は鳴らない。

 人の声も少ない。

 誰もが、席についている。

 ただ――

 誰も雑談をしない。


「おはようございます」

 恒一の声が、少しだけ浮く。

「ああ、おはよう」

 返事はある。

 だが、それ以上は続かない。


 席に着く。

 机の上には、整理された書類。

 昨日までのメモも、きれいにまとめられている。

 五件。

 六件。

 その数字が、妙に整って見える。


 ――増えていない。

 そのことに気づく。

 新しい連絡は、来ていない。


「坂本さん」

 部下が近づいてくる。

「今朝は、まだ動きありません」

「そうか」

 自然に返す。

 だが胸の奥で、何かが引っかかる。


 “まだ”

 その一言が、重い。


 午前中は、何も起きなかった。

 電話も少ない。

 会議も淡々と進む。

 誰も強く意見を言わない。

 誰も強く否定しない。

 ただ、予定をなぞるだけ。


 神谷も同じだった。

 会議室で、資料をめくる。

 必要なことだけを言い、それ以上は語らない。

「ここは予定通りでいい」

「次に進めろ」

 声は落ち着いている。

 いつも以上に。

 その静けさが、逆に異様だった。


 昼休み。

 社員食堂には人がいた。

 だが、会話が少ない。

 テレビの音だけが流れている。

 バラエティ番組。

 笑い声。

 だが、それを見ている人間は笑っていない。


 麻美は一人で席に座っていた。

 トレーの上の食事は、ほとんど手つかず。

 視線は、どこにも定まっていない。


 向こうの席で、誰かが小さく言った。

「……止まったらしいな」

「どこが」

「○○の案件」

 それだけ。

 会話は続かない。

 断片だけが、空気に浮かぶ。

 繋がらないまま。


 午後。

 空は少しだけ明るくなっていた。

 ビルのガラスに、光が反射する。

 その光が、妙に白い。


 恒一は資料を見つめていた。

 数字は変わっていない。

 構造も崩れていない。

 すべては、昨日のまま。


 それでも――

 “何かが違う”。


 ペンを置く。

 耳を澄ます。

 何も聞こえない。

 電話も鳴らない。

 人の声もない。

 静かすぎる。


 そのとき、ドアが開いた。

 神谷だった。

「坂本」

「はい」

「外、見てこい」

 唐突だった。


「外、ですか」

「ああ」

 神谷はそれ以上説明しない。


 ビルの外に出る。

 空気は湿っている。

 雨の名残。

 だが風はない。


 通りには人がいる。

 車も走っている。

 何も変わらない風景。


 だが――

 足を止める。


 不動産屋の前。

 いつもなら貼り替えられているはずの広告が、そのままだった。

「好評分譲中」

 その文字が、少し色あせている。


 別の店。

 シャッターが半分だけ閉まっている。

 営業中のはずの時間なのに。


 通りを歩く人の顔も、どこか急いでいない。

 昨日までの、あの焦るような速さがない。

 ――流れが、止まっている。

 オフィスに戻る。

 ドアを開けた瞬間、その空気に気づく。

 誰も動いていない。

 電話も鳴らない。

 時計の音だけが、やけに響く。


 どうだった」

 神谷の声。

 恒一は少しだけ間を置いた。

「……静かです」

 神谷は頷いた。

「そうだな」

 それだけ。


「嵐の前ってのはな」

 神谷はゆっくり言う。

「だいたい、こういうもんだ」


 その言葉は、落ち着いていた。

 受け入れているようでもあり、楽しんでいるようでもある。

 恒一は何も言えない。


 夕方。

 空は晴れかけていた。

 雲の隙間から、夕日が差し込む。

 街がオレンジ色に染まる。

 その光は、美しかった。

 あまりにも。

 だが同時に――

 どこか現実感がなかった。


 オフィスの窓から、その光を見つめる。

 誰も何も言わない。

 ただ、時間だけが過ぎる。

 電話は、鳴らない。

 それが何よりも、不気味だった。


 恒一は、ゆっくりと目を閉じる。

 胸の奥で、はっきりとした感覚が広がる。

 終わる。

 理由は説明できない。

 根拠もない。

 だが確信だけがある。

 目を開ける。

 夕日の光が、机の上の書類を照らしている。

 その数字が、少しだけ歪んで見えた。

 遠くで、またサイレンが鳴った。

 今度は長く、消えない。


 神谷は窓際に立っていた。

 その光を背に受けながら。

 表情は見えない。

 ただ一つ、分かることがあった。

 まだ、止まる気はない。

 静けさは、終わりではない。

 その次に来るものを、よりはっきりと浮かび上がらせるためのものだ。


 そしてその“次”は――

 もうすぐそこまで来ている。

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