表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/70

第29話 静かな商売人

 午後の東京は、珍しく静かな雨だった。

 丸の内のビルの窓に細い雨粒が流れている。

 街路樹の葉が濡れ、通りを行く人たちは足早に歩いていた。


 恒一は書類を抱えながら廊下を歩いていたが、ふと窓際に立つ山本の姿に気づいた。

 山本は煙草をくわえ、外を眺めている。

「山本さん」

 声をかけると、山本は振り向いた。

「おう、坂本」

「雨ですね」

「だな」

 山本は煙を吐きながら言った。

「東京の雨はな、地方の雨と違う」

「そうなんですか」

「こっちはビルに当たって、少し疲れて落ちてくる」

 恒一は思わず笑った。

「そんなものですか」

「そんなものだ」

 山本は肩をすくめた。

 そのとき、恒一はふと聞いてみたくなった。

「山本さん」

「ん?」

「どうしてこの仕事を続けてるんですか」

 山本は少しだけ驚いた顔をした。

「急だな」

「すみません」

「いや、いい」

 山本は煙草を灰皿に押しつけた。

 そして窓の外を見ながら言った。

「昔な」

 それは珍しく、山本が自分の話を始める瞬間だった。


 昭和四十年代。

 まだ東京の街には空き地が多かった。

 山本は若い営業だった。

 不動産会社の新人で、毎日地図を持って歩き回っていた。

 ある日、小さな土地を売りたいという老人に会った。

 古い木造の家。

 庭には柿の木があった。

 老人は言った。

「ここはな、息子が育った家なんだ」

 だが息子は東京を離れ、家はもう誰も住んでいない。

「売るしかない」

 そう言って、老人は寂しそうに笑った。

 山本はその土地を会社に持ち帰った。

 上司はすぐに言った。

「いい土地だ」

 再開発が始まる地域だった。

「すぐ契約をまとめろ」

 山本は翌日、老人の家に行った。

 契約書を持って。

 だがそのとき、

 庭で老人が柿を見上げているのを見た。

 静かな午後だった。

 風が吹き、柿の葉が揺れていた。

 老人はぽつりと言った。

「この木はな、息子が小さい頃植えたんだ」

 山本は何も言えなかった。

 契約はその日にまとまった。

 だが帰り道、山本の胸には妙な重さが残った。


「そのとき思ったんだ」

 山本は雨の窓を見ながら言った。

「俺は何を売ってるんだろうって」

 恒一は黙って聞いていた。

 山本は続けた。

「土地はな、ただの四角い線じゃない」

「そこに人が住んで、笑って、泣いて、時間を過ごす」

 雨の音が少し強くなる。

「でも商売になると、それを忘れる」

 山本は小さく笑った。

「若かったからな。悩んだ」

「それでどうしたんですか」

 恒一が聞くと、山本は言った。

「一人の爺さんに会った」

 その言葉に、恒一の表情が変わった。

「宗一郎ですか」

 山本は頷いた。

「そうだ」


 宗一郎は当時、すでに有名な商売人だった。

 だが豪華なオフィスではなく、古い事務所にいた。

 山本は思い切って聞いた。

「商売って何ですか」

 宗一郎は少し考えて言った。

「人を残すことだ」

 山本は意味が分からなかった。

 宗一郎は続けた。

「金は残らん」

「土地も変わる」

 そして静かに言った。

「でも人は残る」

 その言葉が、山本の胸に残った。


 雨はまだ降っている。

 山本は窓から離れた。

「それからだな」

「俺が静かな商売をするようになったのは」

 恒一は聞いた。

「静かな商売?」

 山本は笑った。

「派手じゃない」

「人を騙さない」

「長く続く」

 そして言った。

「それだけだ」


 廊下の向こうから電話のベルが聞こえる。

 会社はいつも通り動いている。

 外では、東京の街がまだ輝いている。

 バブルは膨らみ続けていた。

 だが山本は最後に言った。

「坂本」

「はい」

「この時代な」

 山本はゆっくり言った。

「そのうち、静かな商売しか残らなくなる」

 恒一はその言葉を胸に刻んだ。

 まだ誰も知らない未来が、雨の向こうで静かに近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ