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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第22話 古いワイン

 夜の東京は、昼間の熱をまだどこかに残していた。

 赤坂の裏通り。

 表通りのネオンから少し離れた場所に、古い看板の小さな店がある。

「洋酒」とだけ書かれた、昭和の匂いが残る店だった。

 重い扉を押して入ると、薄暗い照明の下に長いカウンターが伸びている。

 棚には古いワインの瓶が並び、ラベルの色が時代を語っていた。


 恒一は店の奥の席に座っていた。

 グラスに注がれた赤ワインを、まだ口にしていない。

 指先でゆっくりと回している。

 その香りを確かめるように。


「飲まないのか」

 低い声が後ろから聞こえた。

 振り向くと、宗一郎が立っていた。

 灰色のスーツ。

 ネクタイは少しだけ緩んでいる。

 恒一は立ち上がる。

「お久しぶりです」

 宗一郎は軽く手を上げた。

「堅い挨拶はいい」

 そう言って、隣の椅子に腰を下ろす。


 店のマスターが無言でグラスを置き、同じワインを注いだ。

 宗一郎はグラスを持ち上げる。

 光に透かす。

「フランスか」

 マスターが答える。

「ボルドーです。八一年」

 宗一郎は小さく頷いた。

 そして恒一を見る。

「お前、はじめワインを売っていたな」

 恒一は少し驚いた顔をした。

「覚えていましたか」

 宗一郎はグラスを回す。

「人の商売は覚える」

 ワインの香りが静かに立ち上る。

 宗一郎はそれを一口飲む。

 目を閉じる。

「悪くない」

 それからゆっくりと言う。

「それが今は不動産か」

 恒一は苦笑した。

「ええ」

 少し間を置いてから続ける。

「会社の方針です」

 宗一郎は黙っている。

 恒一はグラスを見つめながら話し始めた。

「バブルですから」

「どこの商社も土地を扱っています」

 窓の外ではタクシーのライトが流れている。

「ワインを売るより、土地を動かした方が金になる」

 宗一郎は何も言わない。

 恒一は続ける。

「最初は戸惑いました」

「ワインは人が飲むものですから」

「飲めば終わる」

「でも土地は違う」

 恒一は苦笑する。

「桁が違う」

 宗一郎はゆっくりとグラスを置いた。

「桁が違う、か」

 それだけ言う。

 しばらく沈黙が流れる。


 店の奥でレコードが回っていた。

 古いジャズだった。

 宗一郎が言う。

「ワインはな」

 恒一が顔を上げる。

「人が飲む」

 宗一郎は続ける。

「だが土地は」

 少し間を置く。

「人を飲み込む」

 恒一は黙った。

 宗一郎の声は静かだったが、その言葉は重かった。

「今の東京を見てみろ」

 宗一郎は窓の外を見る。

 ネオンが揺れている。

「みんな酔っている」

「酒じゃない」

「金だ」

 恒一はグラスを握る。

 宗一郎が続ける。

「お前はどちらの商売をしたい」

 恒一はすぐには答えなかった。

 レコードの針が小さく鳴る。

 少し考えてから言う。

「できれば」

 宗一郎が見る。

「人が笑う方です」

 宗一郎はしばらく恒一を見ていた。

 やがて、ゆっくり頷く。

「そうか」

 短い返事だった。

 しかし、その声にはどこか満足した響きがあった。

 宗一郎はワインをもう一口飲む。

「営業というのはな」

 恒一が顔を上げる。

「物を売る仕事じゃない」

 宗一郎は言う。

「人を残す仕事だ」

 恒一は黙って聞く。

 宗一郎はグラスを置いた。

「バブルは終わる」

 静かな声だった。

「必ずな」

 恒一は思わず聞き返す。

「そう思われますか」

 宗一郎は少し笑った。

「こんなものが続くと思うか」

 ネオンの光が窓に映る。

 宗一郎は言う。

「増やす時代は終わる」

 それから、ゆっくり続けた。

「残す時代が来る」


 恒一はその言葉を胸の奥で繰り返した。

 残す時代。

 宗一郎は恒一を見て言う。

「その時、お前はどんな営業をする」

 恒一は答えなかった。

 だが心のどこかで、はっきりと感じていた。

 ワインを売っていた頃の自分。

 人の顔を見て商売をしていた頃。

 その感覚が、まだどこかに残っていることを。

 宗一郎は立ち上がった。

「今日はここまでだ」

 恒一も立つ。

 宗一郎はポケットから札を出し、カウンターに置く。

 扉の前で振り返る。

「恒一」

「はい」

 宗一郎は少しだけ笑った。

「お前の営業はな」

 恒一が待つ。

 宗一郎は言った。

「どこか懐かしい」

 それだけ言って店を出ていった。

 扉が閉まる。

 店の中に静けさが戻る。


 恒一は席に戻り、グラスを見つめた。

 赤いワインが揺れている。

 人が飲むもの。

 そして、土地。

 恒一はゆっくりとワインを口にした。

 その味は、どこか昔の記憶を思い出させた。

 まだ営業を始めたばかりの頃。

 小さなレストランにワインを運んでいた夜。

 人の笑顔が、すぐそばにあった。

 グラスを置く。

 そして小さくつぶやいた。

「残す時代、か」

 その言葉は、まだ意味を持っていなかった。

 だがその夜、恒一の胸の奥に、静かに残った。

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