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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第19話 海の記憶

 六月の東京は、湿った空気に包まれていた。

 梅雨の雲が低く垂れこめ、湾岸のクレーンは灰色の空に溶け込んでいる。


 街は相変わらず忙しい。

 地下鉄のホームには肩パッドのスーツ。

 証券会社の前には株価ボード。

 夜の街ではカラオケボックスのネオンが光る。

 景気は、まだ終わっていない。

 だが、人の表情は少しだけ変わってきている。


 宗一地所の応接室。

 恒一は、いつものように宗一郎と向かい合っていた。

 今日は資料はない。

 ただ、茶が置かれている。

 雨の音が窓に当たる。

 宗一郎が言った。

「君は、海を見て育ったか」

 唐突な問い。

「はい、鹿児島です」

 宗一郎は小さくうなずく。

「そうか、私も海だ」

 窓の外の灰色の空を見る。

「戦争が終わった頃の話だ」

 恒一は少し驚く。

 宗一郎が自分の過去を語ることはほとんどない。


「昭和二十年代」

 宗一郎の声は静かだった。

「東京は焼け野原だった」

 家も、店も、街も。

「土地なんて価値がない」

 人はまず、食べるものを探した。

「私は港で働いていた」

 荷物を運ぶ仕事。

 米袋。

 木箱。

 輸入の古い機械。

 海風が強く、手はいつも油で黒かった。

「ある日な」

 宗一郎は湯のみを持ち上げる。

「外国人の商人が言った」

 ――東京は必ず大きくなる。

 その言葉を、宗一郎は覚えていた。

「私は笑った」

 こんな焼け跡の街が。

 だが、男は続けた。

 ――港がある街は、必ず栄える。

 宗一郎はその夜、埋立地を歩いた。

 瓦礫。

 泥。

 誰も見向きもしない土地。

「その時、思った」

 声が少し低くなる。

「ここは街になる」

 恒一は黙って聞く。

 宗一郎の目は遠くを見ている。


「最初に買った土地はな」

 宗一郎は少し笑う。

「今の軽自動車より安かった」

 誰も欲しがらない。

 銀行も相手にしない。

「十年、何も起きなかった」

 ただ持っていた。

 税金を払いながら。

 人には笑われた。

「馬鹿だとな」

 恒一は思わず笑う。

 宗一郎も少し笑う。

「だが、街は来た」

 高度経済成長。

 工場。

 道路。

 マンション。

「気がついたら、値段がついていた」

 それが宗一郎の始まりだった。


 宗一郎は言う。

「だから私は、欲で買わない」

 静かな言葉。

「街で買う」

 恒一はその意味を考える。

「人が集まる場所を?」

「違う」

 宗一郎は首を振る。

「人が生きる場所だ」

 会社。

 家。

 学校。

 街はそれでできる。

「金だけの街は、長く続かない」

 窓の外の雨が少し強くなる。

 宗一郎は続ける。

「今の東京はな」

 少し間を置く。

「少し浮かれている」

 バブルのことだ。

「だが街は残る」

 欲は消えても、街は残る。

「だから君に聞いた」

 宗一郎は恒一を見る。

「なぜ不動産をやるか」

 恒一は静かに答える。

「街を作りたいからです」

 宗一郎はゆっくりうなずく。

「なら、続けろ」

 それだけ言った。


 その夜。

 恒一は麻美と小さな居酒屋にいた。

 テレビでは、バブル特集。

 若い芸人が高級車の話をしている。

 店の客は笑っている。


「宗一郎さんて、どんな人?」

 麻美が聞く。

 恒一は少し考える。

「時間の長い人かな」

「時間?」

「十年とか二十年で物を見る」

 麻美は少し感心する。

「すごいね」

「うん」

 そして言う。

「でも、孤独だと思う」

 大きな時間で生きる人は、仲間が少ない。

 麻美は箸を置く。

「じゃあ」

 少し笑う。

「あなたは?」

 恒一は驚く。

 麻美は言う。

「長い時間で生きる人?」

 恒一は少し考える。

「なりたい」

 麻美はうなずく。

「じゃあ私も」

 恒一が驚く。

「長い時間で一緒に生きたい」


 店の奥で演歌が流れる。

 昭和の夜だ。

 外ではネオンがまだ輝いている。

 だが、街のどこかで静かに波は動き始めている。

 宗一郎の時間。

 神谷の焦り。

 恒一の選択。

 麻美の覚悟。

 それぞれの時間が、ゆっくり重なり始めていた。

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