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辺境の人形



『壊れた人形は、捨て置いてくれ』


 質の悪い紙に、荒々しい文字が並ぶ。


「これは?」

「兄の手跡です。わたしには、『ヴェルデラント家に相応しくない自分を探さないでくれ』と読み解けます」

「ふむ……?」

「母は父と別れる際、『わたしはあなたの人形ではない』と言い放ちました。その当時はよくわかっておりませんでしたが、わたしたち兄妹は歳を重ねるごとに、身をもってその意味を知っていきました」


 リュネルは痛みをこらえるように瞳を伏せ、拳を握り合わせた。


「兄は嫡男として、わたし以上に父から厳格に育てられました。体格に恵まれ、剣の腕も騎士たちに引けを取らず、それでいて心根の優しい――尊敬に足る兄でした。ですが、父の理想には遠かったのでしょう」

「それが人形、か」

「特にこの数年は何かをひどくお悩みの様子で、城内にこもる日々が続いておりました。兄の行方が知れなくなったのは、医者から気鬱の病と告げられ、療養を勧められた矢先のことでした」


 その日の城内の重く澱んだ空気を思い出すと、リュネルは今も動悸を覚える。深く息を吸い直さないと、言葉に詰まった。


「失踪から、ふた月ほど経って、その手紙が搬入された備蓄品の中に紛れ込んでいたのです」

 

 殴り書きと言っても差し支えない乱雑な文面からは、深い絶望の叫びが聞こえてくるようだ。

 指の跡が脂ジミを残す紙を、ラウルは透かし見たり、鼻を近づけて確かめる。


「心当たりをすべて探しても、兄の行方は知れぬまま……。父は捜索を諦め、わたしにヴェルデラント家を存続させるため、然るべき相手との婚姻を迫りました」

「なるほど。グスタフ殿が兄の来訪を期待したのも、あなたとの縁を願ってのことか」

「お恥ずかしながら――父がたいへんな失礼をいたしました」


 頭を下げるリュネルに、ラウルは続きを促す。


「女に生まれたならば、親の望む婚姻は責務だとは心得ていたつもりでした。ですが、わたしは……」


 爪の色が変わるほど固く握られた拳を、フィンリーが包み込む。体つきはまだ細身でも、リュネルの冷たく震える両手を暖めるには、十分な頼りがいのある手だ。

 リュネルは頬を淡い桜色に染めたのち、ふっ……と小さく息を吐く。そして、大丈夫――と告げるように、拳を解いた。


「わたしは、リデルとして生きることを選んだ。兄に代わって勇ましく立ち、父を安心させるつもりでしたが、かえって憂いを深めてしまったようです」


 そう語る彼女の表情からは、悲壮感が薄れていた。どこか、吹っ切れた晴れやかささえ感じさせる。


「辺境を守るヴェルデラント家の内実は、このように家族の形さえ保てない粗末なものなのです。お聞き苦しい話をいたしまして、申し訳ございません」

「いや、こちらこそ。話しにくいことを聞き出してしまった」

「ですが……打ち明けさせていただき、胸のつかえが取れました。これで、もう心残りはありません」


 リュネルは深く一礼すると、改めてラウルに向き直った。優雅な仕草だが、ドレス姿ではなくリデルの礼装で見たいと思えるような、凛々しい一礼だ。


「ラウル殿。折りいって、ご相談がございます。わたしに、男物の香りを作っていただけませんか」


 何かを切り捨てた、静かな覚悟の色が宿る瞳に、ラウルの興味が注がれる一方、フィンリーは風向きの怪しさを肌に感じた。

 空になった手をリュネルのほうへ伸ばすが、触れる前に、彼女の凛然とした声に遮られた。


「これからは、女を捨て、より男らしく生きていくために」

「……エル? 何を言っているの?」

「やはり、フィンリーにわたしは……この家は相応しくない。話しながら、わかってしまったんだよ」


 フィンリーを振り返る微笑みには、確かに痛みの名残りが垣間見えた。しかし、その翳りすら、彼女の凛々しさに華を添える。その気高い決意は、棘こそないが、触れることを躊躇わせた。

 美しく、脆い――リュネルの強さも弱さも知るフィンリーは、静かに手を下ろした。



 ***



「僕が同席していたことで、リデル殿の決意を固めさせてしまったのではないだろうか」


 ラウルは、いつになく覇気のない声で呟いた。

 話が思わぬ翳りを見せたため、今は当人たちを残して、リュネルの部屋を辞してきたところだ。

 そうではないと、ラウルを励ますように首を振るフレッチェも、重い空気が胸にわだかまったままだった。

 客室として用意された棟へ向かう途中で、衛兵から馭者の到着を知らされた時は、少し気が紛れて安堵してしまったくらいだ。


「後続の荷馬車も無事に到着したらしい」

「よかった……。ずっと気がかりだったんです。ラウル様、確認に向かってもよろしいでしょうか?」

「もちろんだ。君、案内を頼めるか」


 引き返す衛兵のあとについて、馬車が集まる門外へと向かう。

 フレッチェの足運びは先程よりも軽く、ともすると走り出しそうになってしまう。逸る気持ちを懸命に抑えて、ラウルを追い越さないようにだけ努めた。――というのも、後続の荷には大切なものが含まれていたからだ。


 それは、フレッチェの到着を待たずして、門越しに出迎えの声をあげる。


「んんんっっめええええええええ!!」

「ああ、元気そうだ。レッテ、僕のことは気にせず、行ってやるといい」

「よろしいのですか? では、お言葉に甘えて……お先に失礼いたします!」


 間近に迫った馬車寄せへ、フレッチェは我先にと飛び込んだ。

 ヴェルデラント家の使用人たちが、荷下ろしに手を貸してくれている。馬車からは、滞在中の身支度の他、表敬の意味を込めたささやかな進物などが、次々と運び出されていた。


 そのそばに馭者たちの姿があった。

 彼らのうちの一人が手綱を握りしめていたが、それは馬を御すものとは少し違う。細い綱は、赤い首輪に繋がっていて、首輪は一頭のヤギにかけられていた。

 角の立ったクリームのような癖毛を、ぴょこんと揺らしながら、ヤギはさらに大きな声で鳴く。


「めぇええええええ!!」

「メーメー! ああ、会いたかったわ」


 メーメーは、そこにいるのが当然であるかのように、フレッチェの腕に飛び込んだ。


「この子を無事に連れてきてくださって、ありがとうございます。道中で、ご迷惑をおかけしませんでしたか?」

「なんの。たいへん賢いお坊ちゃんで、フレッチェ様の足音が聞こえるまでは、ずっと眠っておりましたよ」


 馭者は気持ちのいい笑顔で、フレッチェに手綱を譲ってくれた。フレッチェは馭者にもう一度礼を言うと、ラウルのもとへ向かった。

 しかし、ラウルはしばらくの間、積荷の確認や運び込みの手配で、その場を離れられそうにない。それでフレッチェは、衛兵の許可を得て、城塞の周囲を散歩させてもらうことにした。


 長旅に飽きたメーメーが大喜びで駆け出すので、フレッチェも危うく大股で走り出すところだった。しかし、ここはいつもの屋敷ではない。辺りの空気に身を引き締めて、すぐに手綱を短く持ち直す。

 するとメーメーも、フレッチェの言うことを手綱越しに汲み取って、そっと脇について歩き直した。さながら訓練された犬のようだ。護衛のためについてきたミルヒでさえ、感心した様子で頬を緩めた。


 しばらくそうして辺りを散策していたフレッチェは、思わぬ人物に遭遇した。

 前当主グスタフが風を浴びに、表へ出てくるところだった。

 フレッチェは思わず、後ずさる。今は一番会いたくなかったかもしれない……そんなふうに構えてしまったのだ。

 しかし、フレッチェと出くわした彼もまた、見てはいけないものを見てしまったような、青い顔で足をよろつかせた。


「シェ……シェヴルインフルールの……っ!」


 呑んだ息が喉の奥で絡み、彼は大きく咳き込んだ。




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