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辺境伯家


 ヴェルデラント家の居城は、城塞に抱えられるように建てられており、多くの兵士が常駐していた。

 物々しい雰囲気に圧倒されたフレッチェだが、案内された応接間の思いがけない明るさには、ほっと息をつける心地を覚えた。


 部屋の中央を陣取るソファには、涼しげに染めた麻織物が掛けられている。色合いに反して、手織りの風合いが温かみを感じさせた。

 ふいに爽やかな風を感じ、窓に目をやると、外からの視線を遮蔽するひさしが下げられていた。明かりが入るように掘り込まれた意匠は、草花や小動物の図柄で、どこか牧歌的な雰囲気を醸し出している。

 のどかな風景とは程遠い城塞の中で、穏やかな日常を思い出させる、心休まる場所だった。


「改めまして、この辺境を預かるリデルと申します」


 きりりとした挨拶は堂々たるもので、初対面でリデルを仮の名だと疑う者はまずいない。フレッチェは何も気にせず、ラウルに続いて挨拶を交わした。

 その隣で、フィンリーの横顔がわずかに曇るのを気付く者はいなかった。


 リュネルは対面に浅く腰掛け、膝の上で手を組む。その姿勢も完全に男性的だ。

 ちょっとやそっと意識したくらいでは、とてもそのように自然には振る舞えそうもないと、フレッチェはますます惚れ惚れしてしまう。


「迎えを差し上げなかったのは、わたしの落ち度です。まさかあの者たちが、ここまで大胆な動きを仕掛けてくるとは思っていなかった」

「もしかして、あれがネブラの女たち?」


 フィンリーの問いに、リュネルは苦い顔で頷く。


「ラウル殿は、ご存知でしょうか。ネブラ族と呼ばれる者たちです」

「ああ……昔からこの地に住まう少数部族と記憶しているが」

「正確には、隣国リヨン共和国側の先住民です」


 従卒のうち小柄なミルヒが、すかさずコンド=ロウ周辺の地図を差し出した。リュネルは国境線を、指で撫ぜる。


「かつては、旅人や麓の村を狙った略奪を繰り返しており、一時はすぐそこの森にまで彼女らの集落があったと記録されています。国境線が引かれてからは――表向きには、そうした行為は鳴りを潜めていますが」


 リュネルは淡々と語るが、膝に戻した拳は固く握られる。


「表向き、というと?」


 ラウルの問いに、リュネルは視線を伏せた。


「力ずくで奪う代わりに、別の形で生き延びる道を選んだ、ということです。彼女たちは山を拓いて遊里を築き、人を引き寄せるようになりました。リヨン側では掠取紛いの客引きも横行しているようで、こちらも警戒はしていましたが、まさかこんな白昼堂々と警備の穴をついて出てくるとは……」

「……つまり僕たちはさっき、ネブラ族の罠にかかって、連れ込まれそうになっていたってこと?」


 フィンリーが率直に口にすると、リュネルは少し気まずそうに咳払いした。


「ご婦人の前で、お話すべきことではありませんが――」


 リュネルの切り出しが冗談かわからず、フレッチェは反応に困ってしまった。


「捕えられた女は婢女(はしため)に落とされ、男は……財はおろか血まで絞り取られると言われています」

「血……!?」

「喩えです。ネブラ族は、男児の出生、生存率が極めて低く、女のみで構成された一族なのです。彼女らにとって、価値があるのは外部からやって来る男たち――遊里は生き残るために理に適った方策だったのでしょう」


 巡察隊が現れなければ、どんなことになっていたか、今更ながらに震えが迫り上がってきて、フレッチェの顔も青ざめる。安心させるようにラウルが手を握ってくれなければ、呼吸もうまくできそうになく、とても心を支えられた。


「彼女たちが隣国に属している以上、強制的に排除すれば、隣国との摩擦は避けられません。深追いすれば、山と森を知り尽くした彼女たちに、かえって抱き込まれかねない」

「睨み合い、ということか」

「ええ。レーヴェリアの民を、彼女らに奪われないこと。それが、今のわたしの最大の役目です。今日の失態は申し訳のしようもございませんが、二度とこのようなことはないよう、いっそう警備の目を光らせます」


 その声音には、冷静な覚悟が宿る。

 フィンリーはわずかに視線を落とし、指先をぎゅっと握りしめた。


「エルは十分、頑張ってるよ」


 フィンリーはそれ以上、何も言わなかった。

 だが、リュネルは小さく「ありがとう」と微笑み、握った拳を少し緩ませた。



 ***



 会話は途切れることはなかったが、室内は不思議と静かに感じられた。

 窓の外から時折り響く、馬の嘶きに耳を済ませていると、廊下のほうから突如として騒がしい気配が割り込んできた。

 けたたましく扉が開かれ、杖をついた中年の男性が血相を変えて現れた。


「リュネル! ロゼクォット大公のご子息がいらしているとは、まことか!」

「父上――」


 ヴェルデラント家前当主グスタフは、扉にもたれかかるような格好で、文字通り押し入ってきた。

 杖に縋ってようやく歩いている様子に、ヘイゼルがすかさず介添につくが、それすら振り払うようにして、グスタフはリュネルに詰め寄った。


「なぜ知らせなかった! もてなしも満足にできていないではないか。挙げ句、ネブラにコンド=ロウの門前を穢させるとは……この愚か者め! だからわたしは、お前を当主に据えるのは反対だったのだ!」

「客人の前です、お控えください。それに……お三方にはご公務でなく、わたしの友人としてご訪問いただいております。失態については後程、ご報告も兼ねてお伺いいたしますので、この場はどうか怒りをお収めください」


 リュネルの毅然とした佇まいに、グスタフは平静を取り戻したようだった。

 遅まきながら挨拶を始めるも、ラウルとフィンリーの姿に、明らかに落胆の色が滲ませた。


「レンジュ殿はお見えでないのか……」

「父上。そろそろ按摩の先生が見える時間では?」


 リュネルの視線を察したヘイゼルが、さりげなくグスタフを室外へ誘導した。

 彼が退室しても、穏やかな静けさが戻ることはなく、嫌に強張った空気で重たく塞がれてしまったようだ。

 リュネルは小さく息を吐き、項垂れるように頭を下げる。


「父の非礼を、お詫び申し上げます」

「それは結構だが――グスタフ殿はだいぶ印象が変わられた様子だな。以前お見かけした時は頑健で、寡黙な方でいらしたと記憶しているが」

「腰を悪くして引退してから、お心が落ち着かない様子で……。わたしにもっと、父を安心させられるだけの風格があればいいのですが」


 自嘲して俯きがちになったリュネルを小突くように、フィンリーは隣に進み出る。


「エル、せっかくの綺麗な顔を隠さないで。顔を上げて、胸を張ってよ」

「……ありがとう。ただ……君の顔を見るには、下を向かなければならないけれどね」

「言ったね! 今に追い抜くから、楽しみにしてなよ」


 軽口の応酬に、張りつめていた空気がようやく緩んだ。

 その様子を眺めていたラウルが、途切れた会話の延長で問いかける。


「ところで、グスタフ殿は兄に何か用があったのだろうか?」

「いえ……」


 リュネルはすぐさま否定した。それで口を閉ざすつもりでいたが、ふと隣を見ると、フィンリーが静かに頷いている。

 そこで改めてラウルと向き合うと、彼の瞳はただ静かに凪いでいた。好奇も詮索する気配も感じさせない眼差しに、リュネルは期待と信頼を寄せたくなった。

 迷いを断つように背筋を伸ばす。


「場所を移しても、よろしいでしょうか」

「もちろんだ」

「ミルヒ」


 名を呼ばれ、小柄な従卒が一歩前に出る。


「わたしは先に支度を済ませるので、後から皆様をお連れしてくれ」

「かしこまりました」


 きびきびと指示を出し終えると、リュネルは三人に向かって一礼する。その所作は端正で、当主として申し分ない威厳に満ちていた。


 やがて扉が閉まり、応接間には三人だけが残される。

 どんな話が切り出されるのか――ラウルにも、フレッチェにも、見当はつかない。

 フィンリーだけがいつもの調子で、用意された茶を手に取っていた。



 ***



 しばらくしてから、ミルヒに案内されたのは、リュネルの私室であった。

 薄紅色の地に、細かな花柄を描いた壁紙が四方を囲む。白い調度にも花やレースを模した意匠が凝らされ、応接間とはまた別の――辺境にふさわしくない異質さが伴う部屋だ。


「ご足労おかけいたしました。どうぞ、こちらへお掛けください」


 椅子を勧めるリュネルは、すっかり装いを改めていた。

 壁紙と同じで淡い桃色の、フリルがたっぷりあしらわれたドレスを纏い、髪も巻き髪にして結い直している。

 彼女が生まれ持った美しさを前に、またも胸のときめきを覚えたフレッチェだが、どこか違和感も芽生えた。


「似合わないでしょう?」


 見透かしたようなリュネルの言葉に、フレッチェはぎくりとした。するとフィンリーが、逃げ場を与えまいと詰め寄る。


「フレッチェちゃん。正直に答えて。女性の目から見て、どう思う? 君はどっちの姿が彼女らしいと思う?」

「え……えぇえ……」


 二人には真剣な眼差しで迫られ、ラウルまで興味深そうに見つめられては、観念するしかない。フレッチェは胸に覚えた違和感と、しっかり向き合った。


 リュネルは確かに美しいが、辺境伯と令嬢――どちらの装いが似合っているかと問われれば、フレッチェは迷わず前者と答える。

 しかし、それはリュネルが女性的でないとか、男性らしいから――という類いの話ではないように感じられた。それを率直に口にする。


「わたくしが感じましたのは、お色味が合っていないのではないかと。閣下には、先程お召しになっていた冴えるような白や、漆黒、深みのある青がお似合いかとお見受けします」


 失礼します、とフレッチェはドレスを間近で見つめる。


「仕立てはとても素晴らしいと思います。ですが、やはり先程に比べると、お顔映りがくすんでお見受けします」

「フレッチェちゃん! 君って人は……!」

「は……はい! 出過ぎた口でした、申し訳ございません!」


 フィンリーは息を荒くして、フレッチェの手を握る。


「その通りなんだよ! よく言ってくれたね!」

「……へ?」

「お恥ずかしながら、この部屋もドレスも、すべて父の独断であつらえられたものなのです」


 リュネルは小さく息を吐き、苦笑にも似た笑みを浮かべた。


「家中の恥を晒すようで、気が引けるのですが……。父は、男はこうあるべき、女はこういったものが好き――と、型にはまった考えをするお人でして。わたしも幼い頃から、おおよそ似つかわしくない乙女趣味なものに囲まれて暮らしてきました」


 リュネルの口調は淡々としているが、その一言一言は、長い年月をかけて彼女の胸に積もったものだ。

 誰も茶化したり、口を挟むことなく耳を傾けていた。


「女は愛らしく、慎ましくあるべきだ、と。そう口にしながら、辺境を預かるヴェルデラント家にふさわしい逞しさを持て、兵士一人分の腕っぷしはあって然るべし――などと無茶を申す父に、母も愛想を尽かして出て行きました。そして、昨年には兄も……」


 しばしの沈黙の後、リュネルは一通の手紙を差し出した。


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