第47話 同じ、秤で
オズワルド・カイは、今度は、灰緑の茶を、受けなかった。
「急ぎの、用向きですので」
彼は、立ったまま、用件を置いた。「アーレンス殿。あなたの蔵の、五つの鍵。その一つ――どの国にも属さぬ、中立の帳簿方。あれを、預かる人物は、もう、お決まりですかな」
(そこか。……いちばん、腹を空かせた手)
「まだ、選定の途中でございます」
「ならば、忠告を」オズワルドの声は、慇懃だった。「中立の帳簿方とは、要するに、どの国にも仕えぬ、雇われの一人。国を持たぬ者は、国のために働きません。己のために働きます。――値さえ積めば、その鍵は、動く。宰相は、すでに、幾人か、目星をつけておられる。あなたが選ぶより先に、こちらが、鍵の持ち主を、選んでしまえる」
レオノーラは、静かに聞いていた。ファルクの狙いが、はっきりと見えた。ほかの四つの鍵は、それぞれの持ち手が、面子をかけて、守る。だが、五つ目――どの国にも属さぬ、清いはずの鍵こそ、いちばん、買いやすい。中立であることが、そのまま、弱点だった。
「オズワルド様。よく、教えてくださいました」
「……教えた?」
「ええ。おかげで、五つ目の鍵の、正しい作り方が、分かりました」
*
オズワルドが訝しむのを、レオノーラは、卓の絵で示した。五つ目の錠前と、ほかの四つの錠前とを、細い線で、繋いでみせる。
「五つ目の鍵は、一人では、回せなくします」
「一人では、回せぬ? どういうことか」
「五つ目の鍵は、それだけでは、回りません。ほかの四つの鍵が、すべて揃って、はじめて、動く錠にします。中立の帳簿方は、その鍵を握っても、一人では、蔵を、開けられない。できるのは、四つの鍵が回された数字を、書き取ることだけ。――動かす権は、持たせません。書き取る権だけを、持たせます」
オズワルドの、隙のない眉が、動いた。
「書き取る、だけ……」
「帳簿方を、買っても、無駄になります。買った帳簿方にできるのは、嘘の数字を、書くことだけ。ですが、その数字は、ほかの四つの鍵の持ち手が、同時に、己の目で検めます。帳簿方が『百』と書いても、四つの目が『九十』と見れば、『九十』が通る。――買われた一人の筆より、四つの目のほうが、強い。中立の鍵は、人ではなく、仕組みが、握ります」
レオノーラは、卓の下から、古い一枚の写しを取り出した。メーアとの、いちばん最初の卓の、覚え書きだった。
「メーアとの、最初の卓を、覚えておいでですか。メーアの秤と、王国の秤で、目盛りが違った。わたくしは、どちらの秤が正しいかを、争いませんでした。同じ荷を、二つの秤で、二度、量り直した。数字が揃うまで。――一つの秤を、信じさせるのではありません。皆の秤で、同じ数字が出ることを、見せる。買収が効かないのは、信用しているからではなく、皆で、同じ荷を、同じ秤で量るから、です」
*
オズワルドは、しばらく、その古い覚え書きを、見ていた。それから、ふっと、肩の力を抜いた。慇懃な仮面の下に、一瞬だけ、素の顔が覗いた。
「……宰相は、こう言っておられた。『あの娘の中立は、隙だらけに見えて、隙がない。隙のように見せて、そこに、罠を敷いている』と。今日、私は、鍵を買いに来たつもりだった。……買える鍵など、初めから、一つも、なかったわけだ」
「買える鍵を、置かなかっただけでございます。買えるものを置けば、必ず、買われます。ならば、初めから、買えぬ形にしておく。――それだけのことです」
オズワルドは、はじめて、灰緑の茶に、手を伸ばした。二煎目の、香りの薄い一口を、静かに飲んだ。それは、彼の作法では、「話を聞いてやる」の合図ではなく――「見事」と、言葉にせずに認める、しるしだった。
「宰相に、伝えよう。鍵は、買えなかった、と。……そして、たぶん、宰相は、それを聞いて、喜ぶ」
「喜ぶ?」
「あの方は、買える相手には、飽きておられる。買えぬ相手が、また一人、卓の向こうにいる。――それが、あの方には、何よりの、馳走なのです」
オズワルドは、椀を置き、深く一礼して、去っていった。灰緑の香りが、静かに、遠ざかった。
*
ニコが、感心と、少しの呆れを、ないまぜにして言った。
「レオノーラさん。……敵に、蔵の作り方、聞かれて、逆に、完璧にしちゃったんすね」
「敵は、いちばん良い、試し手です」
レオノーラは、五つの錠前の絵を、静かに見た。「ファルク様が、五つ目の鍵を狙うと言ったから、五つ目の鍵の、弱みを、消せました。攻めどころを教えてくれる相手ほど、ありがたいものは、ありません。――あの方は、蔵を壊しに来て、蔵を、いちばん頑丈にして、帰っていきます」
「なんか……変な、勝負っすね。憎み合ってないのに、本気で潰し合ってる」
「潰し合ってはいません。試し合っているのです」
(あの人は、私の蔵の、弱いところを、一つずつ、潰していってくれる。……敵のふりをした、いちばん厳しい、普請奉行)
彼女は、卓に、新しい紙を引き寄せた。壁は、頑丈になった。鍵は、買えなくなった。残るは、いよいよ、本番の卓。ファルクが、最後に、何を卓へ載せるか。
(次は、卓の上で。……あの人の、最後の一手を、正面から)
お読みくださり、ありがとうございます。
ファルクが狙ったのは、五つの鍵のうち、どの国にも属さぬ「中立の鍵」。中立であることが、そのまま買収されやすさになる――鋭い突きです。レオノーラの返しは、その鍵から「動かす権」を取り上げ、「書き取る権」だけを残すこと。買われた一人の筆より、四つの目のほうが強い。第一部冒頭「二つの秤で同じ荷を量る」が、ここで完成形になりました。
敵は、いちばん良い試し手。ファルクは蔵を壊しに来て、蔵をいちばん頑丈にして帰っていきます。憎み合わず、けれど本気で試し合う好敵手。次回、いよいよ本番の卓の設計へ。ブックマーク・評価、いつもありがとうございます。




