第42話 束ねられない、束
イレーネが持ってきた話は、卓いっぱいに広がった。
鉄を要る国の、それぞれの事情。彼女の商人網は、国の数だけ、内緒話を掬い上げてきた。レオノーラは、それを一枚の紙に、国の名で書き分けていった。メーア都市同盟。サヴァル連合。リーゼン王国。ほかにも、いくつか。
「みんな、困ってるよ、お嬢さん」
イレーネは、椅子に腰を落とした。「困ってて、みんな、寄り合いたいと思ってる。ここまでは、一致してるのさ。なのに、いざ手を組もうって段になると、決まって、誰かが逃げる。……あたし、その逃げ方の癖を、ずっと見てたんだけどね」
「癖」
「逃げる国は、逃げる前の晩に、決まって、ヴェルダンの人間と会ってる」
レオノーラは、頁から目を上げた。
「囁きの主は、はっきりしているのですね」
「はっきりしてるさ。だがね、お嬢さん。厄介なのは、そこじゃない」イレーネは、声を落とした。「囁かれた国が、逃げるのを、ほかの国が、責められないんだ。だって、自分だって、同じ囁きが来たら、逃げるかもしれない。――疑心暗鬼ってやつさ。みんな、隣の国を、信じきれてない」
*
「ニコ」
レオノーラは、書記の机の若者を呼んだ。「一つ、絵を描いてみましょう。あなたが、鉄を要る国の、王だとします」
「おれが、王っすか」ニコが、背筋を伸ばした。
「あなたは、隣の四つの国と、束になって、ヴェルダンに対等を談じたい。束になれば、ヴェルダンも無茶は言えない。――さて、寄り合いの前の晩、ヴェルダンの使者が来て、こう囁きます。『あなたの国にだけ、鉄を、これまでどおり、安く回そう。ただし、寄り合いからは、抜けてくれ』」
ニコが、うっと詰まった。
「……ずるいっすね。おれだけ、得するやつ」
「あなたは、どうしますか。寄り合いに残れば、束は強くなる。けれど、ほかの国も、同じ囁きを受けている。もし、ほかの国が、みな抜けたら――束は崩れ、残ったあなただけが、ヴェルダンに睨まれる。鉄を、止められる」
「……それは、こわいっす。おれだけ残って、はしごを外されたら」
「だから、あなたは、抜けます。ほかの国も、同じことを考えて、抜けます。誰も、はしごを外される最後の一人に、なりたくない。――こうして、みなが望んだ束は、誰の手でも束ねられないまま、ほどけていきます」
ニコは、しばらく、自分の描いた絵を見て、唸った。
「……誰も、悪くないのに、誰も、組めないんすね」
「ええ。悪人が、崩しているのではありません。恐れが、崩しているのです。そして、その恐れに、そっと薪をくべて回る人が、一人いる」
(囚われた者どうしが、互いを疑って、檻を出られない。……鍵は、檻の中にはない。疑いの、外側にある)
*
「いちばん、危ういのは、どこだと思う、お嬢さん」
イレーネが、紙の上の国名を、指で叩いた。「リーゼンさ。あんたの、古巣だよ」
レオノーラの指が、一瞬、止まった。
「ガルムが失脚したあと、リーゼンの外務は、若いのが継いだ。エルンスト・ベルガーってんだ。悪い男じゃない。まじめで、実直で……だが、経験が、まるで足りてない。大きな卓を、仕切ったことがない。ヴェルダンの囁きを、いちばん、はねのけられない口さ」
「リーゼンが抜ければ」
「一つ抜けりゃ、雪崩さ。『リーゼンも抜けた』ってだけで、ほかの国の恐れが、倍になる。ヴェルダンは、そこを、狙ってくる」
レオノーラは、リーゼンの名を、静かに見ていた。彼女を「冷たい」と切った国。その国が今、いちばん脆い環として、この卓の上に載っている。
(皮肉なこと。……私を外した国が、私のいない外交の、いちばん弱いところを、また、さらしている)
「ただし」
彼女は、静かに言った。「弱い環を、責めても、束は強くなりません。弱い環が、抜けずにいられる仕組みを、作るしかない。――恐れる者を、恐れなくていい形に、置くのです」
*
その夕、ニコが、階下から、少し硬い声で告げた。
「レオノーラさん。……お客っす。ヴェルダンの」
階段を上がってきたのは、儀礼を絵に描いたような、長身の男だった。所作の一つ一つに、隙のない格式がある。灰緑の茶の香りを、どこかにまとっている。
レオノーラは、その顔を、覚えていた。あの更新交渉の卓で、灰緑の茶と所作を尽くして相対した、ヴェルダンの大使。
「オズワルド・カイ様」
「――お久しゅう、アーレンス殿」
男は、慇懃に、頭を下げた。「宰相ファルクより、言伝を預かって参りました。あなたが、鉄の卓に、手をお貸しになると聞いて。……その前に、一度、こちらの話も、聞いていただきたく」
(来た。……囁きの、使者が。今度は、私の卓に、直に)
レオノーラは、椅子を勧めた。灰緑ではなく、麦湯を、静かに、卓に置いた。
お読みくださり、ありがとうございます。
今回は、なぜ鉄の卓が立たないのか――その正体を、ニコと一緒に「絵」にしてみました。悪人が崩しているのではなく、恐れが崩している。みなが束になりたいのに、はしごを外される最後の一人になりたくなくて、誰も残れない。そこにそっと薪をくべて回る人が、一人。
そして、いちばん脆い環として名が挙がったのは、リーゼン王国――レオノーラの古巣でした。彼女を切った国が、彼女のいない外交の弱さを、また晒しています。
章の終わりに、第一部の敵役オズワルド・カイが再登場。ファルクの使者として、彼女の卓に直に。次回、ヴェルダンの「囁き」が何を差し出すのか。ブックマーク・評価、励みにしております。




