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第20話 卓を、整える

 フリーセンの旧議場に、本番の卓が組まれていた。


 円卓だった。ニコと商会の若い者が二人がかりで脚を据え、レオノーラはその傍らに立って、椅子の数を目で数えていた。彼女の手には、椅子の絵を描いた一枚の紙があった。卓を上から見下ろした図で、どの席に誰が座るかが、まだ名のない四角で示されている。


「レオノーラさん。卓なんて、置いちまえば終わりじゃないんすか」

 ニコが額の汗を拭いながら言った。「向き合って座って、話す。それだけでしょ」


「卓は、置いてからが始まりです」

 レオノーラは紙の上に羽根ペンを走らせた。「上座を作らぬ円卓でも、誰をどの向きに座らせ、どの議題を先に出すか。それを決める前に話を始めれば、話は卓の形に負けます」


「卓の、形に」


「人は、座った場所のとおりに振る舞います」

 彼女は窓を背にした一辺を指でなぞった。「窓を背にすれば、退路があると感じて口が緩む。光を正面に受ければ、相手の顔がよく見えず、構えが固くなる。座らせ方ひとつで、同じ言葉でも、通り方が変わるのです」


(場が半分。残りの半分が、ようやく言葉)


 彼女にとって、交渉は卓を整えた時点で半ば決していた。決め手の一言は最後に置くものだが、その一言が効く土壌は、座る前に耕しておかねばならない。


「ヴェルダンの使節には、窓を背にする席を」

 レオノーラは図の一辺に、初めて名を書き入れた。〈ヴェルダン〉。それは窓側だった。「退路を渡すのが、向こうへの敬意です。一煎目を捨てて二煎目を供すのと、同じ意味を持ちます」


「こっちが下手に出る、ってことっすか」


「下手ではありません。作法です」

 彼女は別の一辺に〈リーゼン〉と書いた。窓を背にした席の、正面ではなく、わずかに斜めの位置だった。「正面で向き合わせれば、対決の形になります。斜めにずらせば、同じ卓を囲む形になる。同じ卓を囲んだ者は、卓を立つのに、理由が要ります」


 ニコは図を覗き込んで、ふうん、と唸った。

「立ちにくくする、ってことっすね。喧嘩別れしないように」


「席を立った者は、戻れません」

 レオノーラは羽根ペンを置いた。「だから、立たせない卓を、先に組みます」


 *


 その日の午後、北からの早馬が、商会の帳場に一通の書状を運んできた。


 ヴェルナーが封を検め、太い指で蝋印を割った。読み進めるにつれ、老商人の眉が、ゆっくりと持ち上がっていった。


「来るぞ」

 彼は書状をレオノーラの卓に置いた。「ヴェルダンが、更新の話を聞く卓に着くとさ。――ただし、使節を寄越すんじゃない」


「と、申されますと」


「宰相だ。ファルクが、自ら来る」


 帳場の空気が、ひとつ沈んだ。


 レオノーラは書状を取り上げ、文面を二度読んだ。署名は確かに、ヴェルダン宰相ファルクのものだった。来訪の日取りと、随員の数だけが記され、要求も、含みも、一行も書かれていない。書かれていないことが、何より雄弁だった。


(大使ではなく、宰相が出る。それも、条件を一切示さずに)


「レオノーラさん。宰相が直々に出てくるって、こっちにとっちゃ、いいことなんすか」

 ニコが不安げに訊いた。「えらい人が来るほど、話が早く片付くんでしょ」


「役者が、出揃っただけです」

 レオノーラは書状を畳んだ。「大使オズワルドは、足元を見て無理を通す方。けれど、宰相ファルクは別です。この方は、王国の外交が一人の頭の中にしかなかったことを、初めから見抜いていた」


「初めから……」


「条約の更新を、王国を従わせる縄に変えるおつもりです」

 彼女は窓の外、北の空を見た。「縄の結び目を、自分の手で確かめに来る。だから、自ら出る」


 ヴェルナーが算盤の珠を、かちりと一つ弾いた。

「黒幕ってやつが、楽屋から舞台に出てきたわけだ。――で、こっちの役者は揃ってるのか」


 レオノーラは答える代わりに、椅子の図を、もう一度卓の上に広げた。


 *


 リーゼン王宮側の出席者は、その三日後に知らされた。


 ヴァレリウスからの早馬が告げたのは、外務卿ガルム伯爵と、補佐ミレーユ・サンクが本番の卓に同席する、という一報だった。王宮としては、外務の名を担う者を出さぬわけにいかない、という筋だった。


 ニコが書状を読み上げて、顔をしかめた。

「あの二人……って、最初にレオノーラさんを追い出した側じゃないっすか。紙より人の心だ、とか言ってた」


「役目の上では、外務はあの方々のものです」

 レオノーラの声は平らだった。「卓に着く権利を、私が拒むことはできません」


「でも、また地雷踏むんじゃ」


 レオノーラは答えなかった。答えの代わりに、図の上の〈リーゼン〉の四角を、指の先で軽く押さえた。あの二人をどの席に座らせ、どの議題で口を開かせ、どこで黙らせるか。それも、卓を整える仕事のうちだった。


(あの方々は、座らせ方しだいで、火種にも、ただの飾りにもなる)


 ロデリックの名は、書状の末尾に小さくあった。出席はしない。けれど、本番の結果を、その夜のうちに私室で待つ。署名の権は、いまも王太子の手にあった。彼が卓に出ぬのは、自らの不得手を、ようやく一つだけ認めたしるしでもあった。


「殿下は、お出にならないのですね」

 レオノーラは書状をひとことだけ確かめて、それ以上は触れなかった。「賢明なご判断です」


 それが、皮肉なのか労いなのか、ニコには分からなかった。レオノーラの横顔は、どちらでもないように見えた。


 *


 夜、帳場の灯りが落ちた頃、イレーネが裏口から顔を出した。


「聞いたよ。ヴェルダンの宰相サマが、わざわざこの町まで足を運ぶんだってね」

 彼女は卓の上の椅子の図を一瞥して、肩をすくめた。「あんた、こんな絵で大物を相手取ろうってのかい。剣も兵もなしに」


「席と、茶と、議題の順だけで」


「はっ」

 イレーネは笑って、卓の端に腰を預けた。「いい度胸だ。――まあ、あんたが城を追い出されたって聞いたときは、気の毒にと思ったけどさ。いまじゃ、宰相のほうがこの町まで出向く始末だ。世の中、どう転ぶか分からないね」


 レオノーラは図から目を上げ、わずかに口元を緩めた。それは笑みと呼ぶには淡すぎたが、ニコが見たことのない表情ではあった。


「市場の噂は、いかがです」

「ヴェルダンの随員に、灰緑をしこたま買い込んだ商人がいるって話さ。クラウスの店から、ごっそりとね」

 イレーネは指で卓を弾いた。「茶を持参するってことは、向こうも作法で来る気だよ。あんたの土俵で、あんたと同じ手を打つ気だ」


「であれば、なお都合がよろしい」

 レオノーラは静かに言った。「作法を知る者どうしの卓は、作法で話が運べます。言葉の通じない卓よりも、ずっと」


 イレーネは、はん、と鼻を鳴らし、それ以上は茶化さなかった。彼女なりに、卓の重さが分かっていた。


 ニコが空の碗を二つ運んできて、ぽつりと言った。

「なんか……明日から、戦が始まるみたいっすね」

「戦ではありません」

 レオノーラは椅子の図を、丁寧に巻き取った。「卓を、囲むだけです」


 その夜、彼女は遅くまで灯りを点していた。

 議題の順を三度組み替え、四度目に元へ戻した。席次を確かめ、茶の支度を確かめ、誰がどの言葉で口を開くかを、頭の中で何度も並べ替えた。卓は、まだ何も載っていなかった。けれど、明日その卓に着く者たちの動きは、もう半分、彼女の図の中で決まっていた。


 *


 約束の日。


 朝もやの晴れぬ運河に、紋章を掲げた一団の馬車が、北からゆっくりと入ってきた。


 布で覆い隠す気配は、なかった。ヴェルダンの黒鷲が、はっきりと風に翻っていた。隠す必要のない者が、隠さずに来た。


 先頭の馬車が、旧議場の前で停まった。

 降り立った男は、旅装でありながら、襟元ひとつ乱していなかった。痩せた頬に、年輪のような皺。値踏みするでも、威圧するでもない、ただ静かにこの町を一望する目だった。


 ニコが議場の窓から、息を詰めて言った。

「レオノーラさん……来ました。あれが」


 レオノーラは、整え終えた卓に、最後の椅子を一脚、そっと押し込んだ。


「ええ」

 彼女は窓の外の男を見た。卓の役者が、いま、最後の一人で揃った。


 「では――対等の卓を、開きましょう」


 卓は整いました。席も、茶も、議題の順も。けれど整えた者だけが知っているのは、整えた卓の上でこそ、本当の腹の探り合いが始まるということです。

 次話、宰相ファルクが、その整えられた卓に着きます。第3章「証明」、対決の幕が上がります。続きを楽しみにお待ちいただけたら幸いです。ブックマークと評価が、次話を書く灯りになります。


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