表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
PR
98/187

記録室を名乗る男 2

 騎士団記録室を名乗る男の馬車がグレイル村へ入ってきたのは、その日の午後だった。

 馬車は一台。

 御者が一人。

 村へ降りてきたのは、上質な外套を着た男一人だった。

 灰色の鉱山道を通ってきたはずなのに、靴の汚れは少ない。旅人というより、王都の廊下を歩き慣れた者の足元だった。

 男は村長の前で礼をした。

「突然の訪問、失礼いたします。王都騎士団記録室の者です。元騎士エリオット・バーンスタン殿の療養状況について確認に参りました」

 村長は、あらかじめ決めていた通りに答えた。

「この村では現在、咳と熱の症状が出ている者が複数います。外部の方を診療区域へ入れることはできません」

「私は医師ではありません。確認だけで結構です」

「患者情報は治療師さんが管理しています」

 男の視線が、村長の後ろへ向いた。

 ミラが立っていた。

 薬草袋を持ち、首元には白花のペンダント。旅治療師らしい落ち着いた服装をしているが、その目は男から逸れなかった。

「あなたが治療師ですか」

「旅治療師のミラです」

「ミラ・コックス殿?」

 男は名を出した。

 ミラはわずかに息を止めかけたが、表情は変えなかった。

「患者の治療中です。症状のある区域には近づかないようお願いします」

「私はエリオット・バーンスタン殿に会いに来ました」

「エリオットさんも患者です」

「元騎士の療養状況確認は、騎士団記録室の職務です」

「正式な文書はお持ちですか」

 男の目が一瞬だけ細くなった。

「口頭確認で足ります」

「患者情報を外部へ渡すには、正式な文書が必要です」

 リンドルの町役場で使われた言葉と同じだった。

 男はそれに気づいたのか、わずかに口元を歪めた。

「ずいぶん慎重ですね」

「症状が症状ですので」

「黒熱症状、でしたか」

 ミラの胸が冷えた。

 どこでその言葉を拾ったのか。

 村長が口を開きかけたが、ミラが先に言った。

「似た症状です。原因は調査中です。だからこそ、外部の方を不用意に入れるわけにはいきません」

「では、エリオット殿をここへ」

「必要ありません」

 低い声が、背後から落ちた。

 ミラは振り返りかけ、すぐに止まった。

 エリオットが空き家の入口に立っていた。

 右腕は改良帯でしっかり固定され、外套の下に隠れている。左手には杖。顔色は少し悪い。だが、背筋はまっすぐだった。

 男の視線が、すぐに彼の右腕へ向く。

「エリオット・バーンスタン殿ですね」

「そうだ」

「お久しぶりです」

「覚えがない」

「私は記録室の者ですので、直接の面識はないでしょう」

「なら、用件は終わりだ。私は生きている。療養中だ。それ以上、騎士団へ報告する義務はない」

 静かな拒絶だった。

 男は微笑む。

「右腕に回復の兆しがあると聞きました」

 空気が張った。

 ミラは反射的に前へ出そうになった。

 その瞬間、エリオットの左手がわずかに動き、彼女の前に出た。

 触れはしない。

 ただ、止める位置。

「ミラ、下がっていい。これは俺への用件だ」

 ミラは唇を噛み、半歩下がった。

 エリオットは男を見据えた。

「噂を集めるのも記録室の仕事か」

「元騎士の状態確認です」

「私は退団した」

「将来有望な騎士でした」

「過去の話だ」

「もし復帰の可能性があるなら」

「ない」

 エリオットは短く言った。

「見ての通り、右腕は使えない。杖なしでは長く立つのも難しい。療養中の者を、咳の出ている村で立たせて確認したかったなら、もう十分だろう」

 男は黙った。

 その目は、エリオットの顔、右腕、指先を観察していた。

 ミラは気づいていた。

 この男は心配しているのではない。

 測っている。

 どの程度動くのか。

 どれほど回復しているのか。

 騎士として再起できそうなのか。

 エリオットもそれを分かっているのだろう。

 だから、右腕を動かさない。

 痛みを堪えながらも、必要以上に強くも弱くも見せない。

 男はやがて視線をミラへ移した。

「あなたが彼の治療を?」

「継続観察中です」

「どのような治療を」

「患者情報です」

「治療師として、王都治療院に報告義務は?」

「私は王都治療院所属ではありません」

「魔術学校は王都でしたね」

 ミラの指が、鞄の紐を握る。

「それが何か?」

「いえ。旅治療師としては、ずいぶん珍しい症例を扱っているようなので」

 男の声は柔らかい。

 だが、言葉の裏に刃がある。

 エリオットが静かに言った。

「この村には患者がいる。治療を妨げるなら、あなたはこの村にとって害だ」

 男の目が、再びエリオットへ戻る。

「随分はっきり言われる」

「騎士団にいた頃から、遠回しな言い方は得意ではなかった」

「それは記録にも残っています」

「なら記録しておけ。私は療養中で、復帰予定なし。この村では治療師の補助をしているだけだ。確認終了だ」

 男は笑った。

「分かりました。今日はこれで」

 今日は。

 その言葉が残った。

 男は一礼し、馬車へ戻ろうとした。

 その途中で、村外れの倉庫へ視線を向けた。

「ところで、あちらは?」

 ミラの背筋が凍る。

 倉庫。

 ネロが隔離されている場所。

 村長がすぐに答えた。

「隔離場所です」

「隔離?」

「症状の重い者を入れています。外部の方は近づけません」

「確認を」

「できません」

 ミラがはっきり言った。

「黒熱に似た症状があります。不用意に近づけば、あなたにも危険です」

 男は少し眉を上げた。

「私の身を案じてくださる?」

「村に余計な患者を増やしたくないだけです」

 エリオットが静かに一歩前に出た。

 その動きは小さい。

 だが、男と倉庫の間に立つ位置だった。

 右腕は使えない。

 それでも、通さないという意思だけは伝わった。

 男は数秒、二人を見た。

 そして、引いた。

「では、近づかないでおきましょう」

 そう言って、今度こそ馬車へ戻った。

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ