リンドルの店主 2
店主は迷わず、二つの手配を同時に始めた。
一つは王都行き。
甥にだけ分かる符号を書いた部品箱に、ミラの報告とエリオットの手紙を隠す。表向きは壊れた魔力線の部品と、乾燥器の不具合報告。
もう一つはグレイル行き。
白石粉、封印札、薬草、隔離布、簡易反応針、そして店主からミラへの短い警告文。
――騎士団記録室を名乗る者が来訪。右腕の男と治療師を探る。グレイル方面は知られている可能性高。
――王都への報告は別経路で送る。リンドル経由の便は今後監視される恐れあり。
――坑道に入るな。救援が来るまで持ちこたえろ。
店主はその文を薬草包みの底へ隠した。
トマが唇を噛む。
「俺たち、戻ったら追われませんか」
「その可能性はある」
店主ははっきり言った。
優しい嘘をつく場面ではない。
「だから、明日の朝は正門から出るな。炭焼きの荷馬車で東へ出るふりをして、途中で西の小道に入れ。私が手配する」
「そこまで」
「ミラさんは、危険なものを抱えて人を治しているらしい。君たちはその村の使いだ。ここで雑に扱うわけにはいかない」
ニルの目に、少しだけ力が戻った。
「分かりました」
「今夜は店の裏の倉庫で休め。宿へ行くな。厩にも近づくな」
「はい」
店主は二人に水とパンを渡した。
「それから、もし誰かに聞かれたら、薬草の買い付けに来ただけだと言え。ミラさんの名前は出すな。右腕の男のことも言うな」
二人はしっかり頷いた。
その夜、リンドルの町役場でも、騎士団記録室を名乗る男は聞き込みをしていた。
「グレイル村へ向かった旅治療師について確認したい」
受付の女性は困った顔をした。
「旅治療師さんは何人もいますから、すべてを把握しておりません」
「右手を負傷した大柄な男を連れた女性の治療師です」
「治療師さんは男性女性問わず様々な方が登録されています」
「……ミラ・コックスという名に心当たりは?」
男は聞き込みをする中で得た旅治療師の名を口にする。
受付は一瞬反応しかけた。
それを男は見逃さなかった。
受付は平静を装いながら、リンドルの魔道具屋から昼前に回ってきた注意書きを思い出す。
――王都名義で治療師を探る者あり。患者情報を漏らすな。
受付は帳簿を閉じた。
「個人名まではお答えできません。治療依頼の情報は、患者のいる村のものですから」
男の眉がわずかに動く。
「騎士団の確認です」
「町役場としては、正式な文書が必要です」
受付は笑顔を貼り付けた。
「書面をお持ちですか?」
男は持っていなかった。
正式命令ではないのだ。
彼は短く礼を言い、役場を出た。
次に向かったのは厩だった。
そこで、彼はもう少し情報を得た。
厩番の少年は、銅貨二枚で口が軽くなった。
「若い治療師と右腕の大男? ああ、見たよ。石材馬車でグレイル方面に行った」
「いつ?」
「昨日の朝だったかな」
「他に誰か追った者は?」
「さあ……でも黒い幌の荷馬車も前にそっちへ行ったよ」
男は目を細めた。
「黒い幌?」
「うん。倉庫街にいたやつ」
男は銅貨をもう一枚置いた。
「その話を、他の誰かにしたか」
「え? さあ、何人かには」
男は笑った。
「そうか」
彼は厩を離れながら、頭の中で情報を整理した。
若い旅治療師。
右腕を負傷した大柄な男。
グレイル方面。
黒い幌の荷馬車。
グレイル。
その名を、彼は胸の内で繰り返した。
リンドルの外れの宿に戻ると、男は小さな符号文を書いた。
――対象と思われる二名、リンドルを出立。行き先グレイル方面。
――若い治療師はミラ・コックスの可能性。
――右腕負傷の大柄な男同行。
――魔道具屋、情報提供に非協力的。
――黒幌荷馬車との接点あり。
彼は文を黒い封筒に入れ、同行していた下男に渡した。
「王都へ。ヴィクトル・グレイン卿の手元へ直接」
「グレイン卿へ、ですか」
「そうだ。途中で騎士団便には乗せるな」
「承知しました」
下男が出ていく。
男は窓から町を見下ろした。
魔道具屋の灯りはまだ消えていない。
「店主も何か知っているな」
だが、今は店に手を出す時ではない。
目的はエリオット・バーンスタンの所在確認。
回復の有無。
必要なら、移動経路の把握。
グレイルへ行くべきだ。
男はそう判断した。
同じ頃、リンドル魔道具屋の裏口から、一人の若い配達人が出ていった。
店主の甥だった。
荷物は小さな部品箱。
中には、オリヴァー・コックス工房へ向けた緊急の報告。
彼は職人組合の正規便ではなく、夜間に出る金具商の馬車へ乗り込む予定だった。
表の道ではなく、川沿いの道を使う。
店主は裏口で彼を見送った。
「絶対に寄り道するな。王都に着いたら、オリヴァーさん本人か、工房の古い弟子にだけ渡せ」
「分かってる」
「途中で誰かに中身を聞かれたら?」
「乾燥器の部品不良」
「よし」
甥は頷き、夜道へ消えていった。
店主は扉を閉める。
そして、棚の奥からもう一本、反応針を取り出した。
針先は澄んでいる。
だが、店主はそれをしばらく見つめた。
「グレイルか……」
彼は低く呟いた。
「あの子たち、間に合うといいが」
翌朝。
トマとニルは、店主が用意した炭焼き荷馬車に紛れてリンドルを出た。
表向きは東へ向かう炭の納品。
だが、町を少し出たところで、馬車は細い林道へ入り、西の鉱山道へ向きを変える。
荷台には薬草と白石粉。
封印札と隔離布。
ミラへの警告。
そして、グレイル村へ持ち帰るための小さな希望。
だが、彼らが町を離れて半刻ほど後。
リンドルの西門から、別の馬車が出た。
騎士団記録室を名乗る男の馬車だった。
行き先は、同じくグレイル方面。
リンドルの町は、何も知らないように朝の賑わいを始めていた。
だが、その静かな裏側で。
救援の知らせと、追跡の影が、同じ道へ向かって走り始めていた。




