リンドルの店主 1
グレイル村からリンドルへ向かった二人の若者は、昼を少し過ぎた頃、町の西門にたどり着いた。
一人は炭焼きの青年トマ。
もう一人は石切り職人の息子ニル。
二人とも口元に布を巻き、背負った炭袋の底にミラの手紙を隠していた。
道中、何度か黒い粉を見た。
泉の岩陰。
轍の端。
石の隙間。
ミラとエリオットに言われた通り、二人は近づかなかった。触れず、踏まず、風下に立たず、ただ記憶に残した。
リンドルの町へ入ると、トマは小声で言った。
「まず魔道具屋だな」
「薬種屋じゃなくて?」
「治療師さんが言ってただろ。詳しい手紙は魔道具屋の店主へって」
ニルは頷いた。
二人は広場を横切り、北側の魔道具屋へ向かった。
店の扉を開けると、からん、と小さな鈴が鳴る。
店主は棚の奥で魔力灯を調整していた。顔を上げ、二人の服についた灰色の粉を見るなり、表情を変えた。
「グレイルからか」
トマは驚いた。
「分かるんですか」
「その粉は鉱山道のものだ。もしかしてミラさんからの使いかい」
「はい」
トマは炭袋を下ろし、底から布包みを取り出した。
「治療師さんからです。リンドル魔道具屋へ。あと、王都のオリヴァー・コックス工房へ必ず、と」
店主の目が鋭くなった。
「奥へ」
二人を店の奥の作業室へ入れると、店主は扉を閉めた。
表の店には「調整中」と書いた札を掛ける。
それから、包みを開いた。
一番上には薬草の注文書。
咳止め、喉薬、蒸気薬の材料、布、白石粉、封印札。
だが、その下にもう一枚、きっちり封をされた文がある。
封の端には、オリヴァー・コックス工房へ送った時と同じ、小さな符号。
店主は低く呟いた。
「……ただの薬草注文じゃないな」
封を開け、文面を読み進める。
黒熱症状多数。
標本Aおよび標本Bと同系統。
坑道奥に箱型の触媒源。
現地装備では除去不可。
通常機関への通報は慎重に。
騎士団、魔術院、治療院に敵側の目がある可能性。
読み終えた店主は、しばらく何も言わなかった。
トマとニルは不安そうに顔を見合わせる。
「そんなに、悪いんですか」
ニルが尋ねると、店主は紙を畳み直した。
「悪いな。かなり悪い」
二人の顔が青ざめる。
店主はすぐに続けた。
「だが、助けを呼ぶ判断をしたのは正しい。ミラさん一人でどうにかできるものじゃない」
「エリオットさんもいます」
トマが言った。
「あの右腕の人です。すごく落ち着いてて、黒いものの場所が分かるみたいで」
店主は顔を上げた。
「それも書いてある」
彼は少しだけ息を吐いた。
「二人とも、ここへ来る道で誰かにつけられた覚えは?」
「いえ」
「怪しい人に声をかけられたか?」
「ありません」
「よし」
店主はすぐに動き始めた。
白石粉の袋を二つ、封印札の束、安価な反応針を一本、隔離用の布、薬草包み、蒸気薬の小瓶を棚から取り出していく。
「これは今日中にグレイルへ戻せるか」
トマは首を横に振った。
「この時間から戻ると、夜になります」
「夜の鉱山道は駄目だ」
店主は即答した。
「なら、明朝一番。炭焼き便に紛れろ。表向きは薬草と布の補充だ」
「王都への手紙は?」
「それは私が送る」
「普通便で?」
「使わない」
店主は文を別の封筒に入れ替えた。
宛名はオリヴァー工房。
だが、外側にはこう書いた。
――乾燥器部品の不具合報告。至急確認希望。
中に、ミラの手紙とエリオットの別紙を二重に封じる。
さらに、小さな薄板に短い符号を刻んだ。
――グレイル重症。通常経路不可。救援要。
店主はそれを見て、口元を引き結んだ。
「これは職人組合の甥に持たせる。途中で開けられにくい」
「届きますか」
ニルが聞く。
「届かせる」
店主は短く言った。
その時、表の扉の鈴が鳴った。
店主は手を止めた。
トマとニルに、声を出すなと目で合図する。
「少し待っていろ。絶対に出るな」
そう言って、店主は作業室を出た。
店先に立っていたのは、上質な外套を着た男だった。
旅人にしては靴が綺麗すぎる。
商人にしては荷が少ない。
騎士ではないが、騎士団の事務方にいるような者特有の硬さがあった。
「失礼。こちらで封印箱を扱っていると聞きまして」
「扱っているよ。何を封じる?」
店主はいつも通りの声で答えた。
男は棚を見回した。
「先日、若い治療師と、右腕を負傷した大柄な男がこちらへ来なかったでしょうか」
店主の目は動かなかった。
「旅人は多いからね、覚えてないな」
「女性の治療師です。治療用の鞄を持ち、薬草と封印道具を買ったはずです」
「治療師なら薬草屋へ行くんじゃないか」
「封印箱を買ったとも聞いています」
男は微笑んだ。
丁寧な笑みだった。
だが、目は笑っていない。
「王都騎士団記録室の者です。元所属騎士の療養状況確認でして」
店主は内心で舌打ちした。
来た。
ミラの手紙に書かれていた「敵側の目」。
あるいはそれに近いもの。
店主は棚の封印箱を手に取って見せた。
「封印箱なら、この町では鉱山関係者も買う。汚染石、呪具、魔物核。いろいろ入れるからね」
「質問に答えていただきたい」
「答えているよ。封印箱は売る。誰に売ったかは、いちいち覚えていない」
男の顔から、少しだけ笑みが消えた。
「記録は?」
「帳簿はあるが、客の名を全員書く店じゃない。旅人はなおさらだ」
「その二人は、グレイル方面へ向かったと聞いています」
店主は肩をすくめた。
「なら、グレイルで聞けばいい」
「急ぎの任務でしてね」
「私には関係ない」
店主は淡々と言った。
「治療師を探すなら町役場へ。馬車を探すなら厩へ。ここは魔道具屋だ」
男はしばらく店主を見ていた。
店主も目を逸らさなかった。
やがて男は、薄く笑った。
「分かりました。では、封印箱をひとつ」
「用途は?」
「汚染石の保管に」
「どの程度の汚染だ」
「軽度です」
「なら木箱で足りる」
「銀張りのものを」
「軽度に銀張りは過剰だ」
店主はあえて商売人らしく首を傾げた。
「金を払うなら売るが、用途に合わない道具は勧めない主義でね」
男は少し苛立ったようだった。
「では、木箱を」
「毎度」
店主は最も安い木箱を包んだ。
男は金を払い、店を出ていった。
扉の鈴が鳴る。
足音が遠ざかるまで待ってから、店主は奥へ戻った。
トマとニルは真っ青な顔をしていた。
「今の人……」
「騎士団の者かどうかは知らない」
店主は低く言った。
「だが、味方じゃない」




