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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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全部は抱えられない 3

 空き家へ戻る途中、ミラは黙っていた。

 エリオットも何も言わない。

 坑道の奥には、箱がある。

 黒い幌の荷馬車が運んだ箱。

 瘴気封入触媒か、それに近いもの。

 それが雨で崩れた坑道から、村へ黒い粉と風を流している。

 原因は、ほぼ見えた。

 だが、解決できるかは別の話だった。

「坑道には入れません」

 ミラが先に言った。

「ああ」

「今の装備では無理です。患者さんの治療も続いています。エリオットさんの腕も限界に近い」

「ああ」

「でも、箱が中にあるなら、村を完全に安全にはできません」

「入口を封じる必要がある」

「はい。中に入らずに、入口側から風と粉の流出を抑える方法を考えます」

 エリオットは少し考えた。

「石と布、白石粉、村の人手。坑道入口に近づくのは短時間。風上から」

「それなら、できるかもしれません」

「俺は入口には行かない」

 ミラは驚いて彼を見た。

 エリオットは苦い顔をした。

「行けば、右腕が反応する。たぶん君を止める側でいられなくなる」

「……はい」

「だから、入口に行く者は村長たちに任せる。俺は村の中で気配を見る」

 それは、彼にとって悔しい判断のはずだった。

 けれど、正しい判断だった。

 ミラは小さく頷く。

「ありがとうございます」

「礼を言うことじゃない。……止まる練習中だ」

 その言葉に、ミラは少しだけ笑った。

「では、それも記録します」

「すると思った」

    

 午後、ミラは村長と相談し、グレイル村での方針を決めた。

 第一に、重症者の呼吸を安定させる。

 第二に、作業着や靴から黒い粉を家へ持ち込まない仕組みを続ける。

 第三に、坑道の入口へ村人を近づけない。

 第四に、坑道入口から村へ流れる風を抑えるため、風除けの布と石積みを短時間で設置する。

 第五に、坑道内部には入らない。

 村長は不安そうだったが、ミラの説明を聞き、最後には頷いた。

「完全に片づけるのは無理でも、これ以上悪くしないためにやる、ということですね」

「はい」

「分かりました。人を集めます。ただし、咳のない者だけにします」

「お願いします。作業時間は短く。口元を布で覆い、終わったら服と靴を洗ってください」

 村は動き始めた。

 誰かを完全に治すことより先に、村全体を悪化させないために。

 ミラはその様子を見て、少しだけ胸が軽くなった。

 一人ではない。

 この村の人たちも、自分たちでできることを始めている。

     

 夕方、ミラは帳面に今日の記録を書いた。

 ――ネロより情報取得。黒幌荷馬車により箱が坑道奥へ運び込まれた可能性高。雨による入口崩落後、瘴気漏出。

 ――ネロ右手首の黒輪は逃亡防止・発言封じの術式。除去不能。応急処置継続。

 ――坑道内調査は不可。入口からの流出抑制を優先。

 ――エリオットさん、感知回数二回に制限。痛み三、熱やや軽減。自ら坑道入口へ行かない判断。

 ――村人への応急対応指導開始。治療師が全てを抱えず、村で悪化を防ぐ体制を作ること。

 最後の一文を書いた時、ミラは少し手を止めた。

 治療師が全てを抱えず。

 それは、簡単なようで難しかった。

 けれど、今はそうしなければならない。

 ミラが倒れれば、患者はもっと苦しむ。

 エリオットが無理をすれば、右腕の回復は遠のく。

 村人が何もしなければ、黒い粉は家々に広がる。

 皆が、それぞれできることをするしかない。

「ミラ」

 エリオットが声をかけた。

「はい」

「食事」

 ミラは瞬いた。

「今ですか?」

「今だ。記録対象だろう」

 彼は真面目だった。

 ミラは少し笑った。

「はい。食べます」

「水も」

「飲みます」

「睡眠も」

「……努力します」

「努力は信用ならないと、君の家族なら言いそうだ」

「言いますね」

 二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。

 灰色の村。

 黒い坑道。

 喉を締める瘴気の輪。

 迫る追跡者。

 何も解決していない。

 それでも、その小さな笑いだけは、確かに二人のものだった。

    

 その夜、村の西では、男たちが坑道入口へ近づかない範囲で石と布を運び始めた。

 白石粉を撒き、風の通り道を少しずつ変える。

 坑道の奥は見えない。

 だが、黒い口の向こうで何かが蠢いた。

 村に流れ込む風が一瞬だけ冷たくなる。

 空き家の机の上で、反応針の先が薄く曇った。

 ミラはそれを見て、静かに白花を握った。

 エリオットは入口側で、左手を杖に添える。

 二人とも、もう分かっていた。

 グレイル村の夜は、まだ終わっていない。

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