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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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見ていた男 3

 空き家へ戻る頃には、夜はさらに深くなっていた。

 ネロは村の倉庫の一角に隔離された。村人を近づけず、窓を開け、白石粉を入口に撒いてある。エリオットが入口の位置を確認し、逃げ道も塞いだ。

 ミラは戻ってすぐ、エリオットの右腕を診た。

「痛みは?」

「四」

 即答だった。

 ミラの顔が強張る。

「熱は?」

「肘まで。肩も少し」

「右手は?」

「動きかけたが、止めた」

「すぐ処置します」

 ミラは湿布を当て、泉の水を薄く含ませた布で熱を冷ました。

 エリオットは黙っていた。

 悔しそうだった。

「断てれば、あの黒い輪を」

「今は無理です」

「分かっている」

「無理に断とうとしたら、あなたの腕が壊れます」

「分かっている」

 声が少し荒い。

 ミラは手を止めず、静かに言った。

「でも、あなたが見つけてくれたから、ネロさんは息ができるようになりました」

「助けるべき男かどうかも分からない」

「それでも、今は生きています」

「また逃げて、報告するかもしれない」

「だから見張ります。話も聞きます。必要なら村長さんと相談して、リンドルへ引き渡します」

「君は」

 エリオットは言葉を切った。

 ミラは顔を上げる。

「何ですか?」

「……敵かもしれない相手でも、助けるんだな」

 ミラは少し考えてから答えた。

「はい」

「怖くないのか」

「怖いです」

「それでも?」

「目の前で死にかけている人を、見捨てる方が怖いです」

 エリオットは黙った。

 その言葉は、彼の中のどこかに深く落ちたようだった。

「それに」

 ミラは湿布を整えながら続けた。

「助けることと、信用することは別です」

 エリオットは少しだけ目を見開いた。

「この人が何をしたかは確認します。危険なら対処します。でも、治療しない理由にはしません」

「……そうか」

「はい」

 エリオットは、長く息を吐いた。

「君は強いな」

「強くありません。父の道具がなければ、今の治療は危なかったです。エリオットさんがいなければ、黒い糸の位置も分かりませんでした」

「それでも、君が治療した」

「一人ではありません」

 ミラは静かに言った。

「一人では、できませんでした」

 エリオットは何も返さなかった。

 けれど、その沈黙は拒絶ではなかった。

  

 ミラはその夜の記録を書いた。

 ――リンドルからの不審者と思われる男、村外れで瘴気侵蝕により倒れる。名はネロ。

 ――右手首に黒輪状の瘴気痕。逃亡防止または発言封じの術式の可能性。

 ――黒幌の箱を坑道へ運んだと発言。王都、黒い盤、先生という断片。

 ――発言時、黒輪が活性化し呼吸を阻害。詳細聴取は危険。

 ――応急治療により呼吸安定。黒輪本体は除去不能。

 ――エリオットさん、瘴気位置感知。右腕痛み四、熱肘から肩。明日は感知回数を大幅制限。

 そこまで書いて、ミラは筆を止めた。

 黒い盤。

 先生。

 誰かがいる。

 黒いものを作り、運ばせ、坑道へ置かせた誰かが。

 そして、その誰かは、運び屋であるネロさえも、用済みになれば呑み込むような仕掛けをしている。

 ミラは反応針を見た。

 針先は、まだ薄く曇っている。

 外は静かだった。

 けれど、坑道の奥の黒いものは、確実に近づいている。

   

 村外れの倉庫で、ネロは荒い息をしながら目を開けた。

 白石粉の輪。

 窓から入る冷たい風。

 足にかけられた緩い縄。

 逃げられない。

 だが、それよりも恐ろしいものがあった。

 右手首の黒い輪が、じくじくと熱を持っている。

 彼は震えながら呟いた。

「……見られてる」

 誰に。

 それは分からない。

 けれど、黒い水晶盤の奥から、誰かがこちらを覗いているような気がした。

「俺は、喋ってねえ……まだ、全部は……」

 その声は誰にも届かなかった。

 ただ、右手首の黒い輪が、闇の中で小さく脈打った。

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