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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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見ていた男 2

 ミラは鞄を掴んで立ち上がった。

 だが、エリオットがすぐに言った。

「待て」

「でも」

「そのまま走るな。罠かもしれない」

 ミラは足を止めた。

 心臓は急いている。

 けれど、エリオットの言う通りだった。

 外に黒い気配がある。

 不審な男もいる。

 村人を装った罠かもしれない。

 ミラは深く息を吸った。

「反応針、隔離布、白石粉、浄化布を持ちます。封印箱はここに置いていきます」

「箱を置いていくのか」

「携行袋ごと、白石粉の輪の中に置きます。外へ持ち出すより安全です」

「分かった。俺は入口側を見る」

「右腕は」

「使わない」

「痛みが四になったら」

「言う」

 その返事を確認し、ミラは最低限の道具だけを持った。

 外へ出ると、村長が慌てて走ってくるところだった。

「治療師さん! 村の外れで人が倒れていると!」

「村人ですか?」

「分かりません。子どもが炭焼き小屋の近くで見つけて……咳をして、黒いものを吐いたと」

 ミラはエリオットを見た。

 彼の表情が険しくなる。

「行きましょう。ただし、村人を近づけないでください」

 ミラが言うと、村長はすぐに頷いた。

「分かった!」

   

 炭焼き小屋は、村の外れにあった。

 使われていない小屋で、周囲には枯れた薪と古い炭袋が積まれている。坑道へ向かう細い道からも近く、夜になると村の灯りが届きにくい。

 その小屋の影に、男が倒れていた。

 灰色の外套。

 エリオットは男の雰囲気に最近感じていた謎の視線を重ねた。

 男は地面に膝をつき、片手で喉を押さえている。咳き込むたび、黒い靄が口元から漏れた。

 村人が近づこうとするのを、エリオットが低く止めた。

「離れてください」

 その声には逆らえない力があった。

 村人たちは足を止める。

 ミラは反応針を取り出した。

 針先がすぐに黒く染まる。

 第二段階。

 封印補強、隔離推奨。

「この人を小屋の外へ。風上に移します。ただし、誰も素手で触らないでください」

 ミラは隔離布を広げた。

 エリオットが周囲を見回す。

「右手首。黒い」

 彼が言った。

 ミラは男の手首を見た。

 そこには、黒い輪のような痣があった。

 ただの汚れではない。

 皮膚の下に、黒い糸が絡まっているように見える。

「村人とは違う……」

「絡みついているようだ」

 エリオットの声が低くなる。

「この男の中の黒いものは、村人より深い」

 男が咳き込みながら顔を上げた。

 ミラを見る目に、恐怖が浮かんでいる。

「た、助け……」

 その声は掠れていた。

 エリオットの表情が硬くなる。

「ミラ」

「分かっています」

 ミラは男から目を逸らさなかった。

 この男は、自分たちを見張っていた可能性がある。

 敵側の人間かもしれない。

 ミラやエリオットの情報を、誰かに送った可能性が高い。

 それでも、今、彼は苦しんでいる。

 ミラは言った。

「この人が何をしたかは、後で聞きます。今は死なせません」

 エリオットは一瞬、何かを言いかけた。

 だが、すぐに飲み込んだ。

「分かった。治療は君がする。逃げ道は俺が塞ぐ」

 彼は男の足元から少し離れた位置に立った。

 右腕は使えない。

 剣もない。

 それでも、男が動けば左手と身体で止められる位置。

 元騎士の判断だった。

     

 ミラは男のそばに膝をついた。

「聞こえますか」

 男はかすかに頷く。

「名前は?」

「……ネロ」

「ネロさん。今から治療します。暴れないでください。黒いものが体内に深く入り込んでいます」

 男の瞳が揺れた。

「ちが、俺は……触ってない……運んだだけで」

 エリオットの目が鋭くなる。

「何を運んだ」

 ネロは答えようとした。

 だが、その瞬間、喉の奥で黒いものが膨れた。

 彼は激しく咳き込み、黒い靄を吐く。

 反応針が震えた。

 第三段階。

 即時隔離。

 ミラは即座に隔離布を男の身体の周りへ広げ、白石粉を輪のように撒いた。

「村長さん、全員を下がらせてください!」

「分かった!」

 村人たちが慌てて離れる。

 エリオットが低く言った。

「喉に絡んでいる。だが本体は右手首だ」

「手首?」

「黒い輪の下。そこから胸へ伸びている」

 ミラは男の右手首へ視線を落とした。

 黒い痣が脈打っている。

 まるで、首輪ならぬ手枷だ。

「これは……瘴気を扱う者につける印?」

 ミラは呟いた。

 ネロが苦しげに笑った。

「印じゃ、ねえ……逃げねえようにする、鎖だ……」

「誰に付けられたんですか」

 男は答えようとする。

 だが、また黒い靄が喉を塞いだ。

 エリオットが叫ぶ。

「ミラ、喉を先に!」

「はい!」

 ミラは白花の光を細く流した。

 喉に絡む黒い糸を、無理に引き抜かず、浮かせる。

 だが糸は逃げるように胸へ沈む。

「下へ逃げた。心臓の方じゃない、右肺の奥!」

「分かりました」

「待て、手首から新しい糸が伸びる!」

 ミラは息を詰めた。

 手首の黒い輪が、治療に反応している。

 まるで、男が何かを喋ろうとするたびに、身体の内側から口を塞いでいるようだった。

 ミラは奥歯を噛みしめる。

「これでは話せません」

「封じているのか」

「たぶん」

「断てるか」

 エリオットはそう言ってから、すぐに自分の右腕を見た。

 断つ。

 その言葉に、彼の護符が反応した。

 右手の指が震える。

 ミラは鋭く言った。

「今は駄目です」

「分かっている」

 エリオットは左手で右腕を押さえた。

 額に汗が浮かぶ。

「……見つけるだけだ」

「はい。お願いします」

 ミラは手首の黒い輪へ白花の光を流した。

 治すのではない。

 戻すのでもない。

 まずは、男を殺そうとしている黒い糸の動きを鈍らせる。

 父の隔離布が、黒い靄を外へ漏らさないよう受け止めている。反応針は震え続けているが、白石粉の輪の外には黒い気配が出ていない。

 道具がなければ、ここで村人にまで瘴気が広がっていたかもしれない。

「父さん……」

 ミラは小さく呟き、さらに光を絞った。

 黒い輪の一部が、わずかに緩む。

 ネロが息を吸った。

「黒幌……箱を、坑道へ……」

 途切れ途切れの声。

「誰に命じられた」

 エリオットが問う。

 ネロは首を振った。

「名前は、知らねえ……俺らは運ぶだけだ。王都の……黒い盤を持つ、先生の……」

 その瞬間、黒い輪が強く脈打った。

 ネロの身体が跳ねる。

 ミラは急いで光を抑えた。

「これ以上喋らせると危険です!」

 エリオットは悔しげに息を吐いた。

 だが頷いた。

「命が先だ」

「はい」

 ミラは治療の方へ集中した。

 手首の黒い輪そのものは、今は外せない。深く食い込みすぎている。

 無理に剥がせば、男の魔力路ごと傷つける。

 だから、喉と胸に絡んだ黒い糸だけを緩め、呼吸を確保する。

 完全な治療ではない。

 応急処置。

 それでも、ネロの咳は少しずつ落ち着いていった。

 反応針の震えが止まる。

 黒変は残っているが、第三段階から第二段階へ下がった。

 ミラは大きく息を吐いた。

「今は、ここまでです」

 ネロは地面に倒れ込んだまま、荒い息をしている。

 エリオットは警戒を解かなかった。

「拘束した方がいい」

「はい。ただし、手首を強く縛らないでください。黒い輪に触れると危険です」

 村長が縄を持ってきた。

 エリオットが左手だけで指示を出す。

「足を緩く。両腕は身体の前で。右手首には触るな。逃げようとしたら声を上げてください」

 エリオットの指示に、村人たちは従った。

 ネロは抵抗しなかった。

 抵抗する力も残っていないようだった。

 

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