父から届いた針 3
父から届いた道具は、すぐに役立った。
まず、ミラは反応針を封印箱のそばに置いた。
針先は、しばらく銀色のままだった。
しかし、箱を包んでいた白花の布を少し開き、補強輪を取り付けようとした瞬間、針先がうっすら曇った。
「第一段階……薄曇り」
ミラは父の説明書を確認する。
「観察継続。封印補強を推奨」
「昨日の夜と同じくらいか」
「たぶん。見た目で判断するよりずっと分かりやすいです」
ミラは補強輪を封印箱の外側へ巻いた。
鉛銀の輪が箱を締め、内側の白石が淡く光る。
針先の曇りが、少し薄くなった。
「効いています」
ミラの声に、安堵が混じった。
エリオットも息を吐く。
「君の父親はすごいな」
「はい」
「頼りになる」
「はい」
今度は、胸を張って答えられた。
ミラはさらに封印箱を隔離布で包み、携行袋へ入れた。これで外から見れば、ただの旅道具にしか見えない。
封印箱の反応は、完全には消えない。
だが、明らかに落ち着いた。
「これなら、昨夜よりは安全です」
「万能ではない」
「はい。でも、時間を稼げます」
「それが大きい」
エリオットは真剣に言った。
その表情は、父の道具に救われた患者のものでもあり、危険物を抱える旅の同行者のものでもあった。
午前の治療は、昨日より慎重に行われた。
父の反応針を部屋の隅に置き、窓を開け、作業着を外で払わせ、患者を一人ずつ入れる。
針先が薄く曇る患者は、黒い棘が浅い。
針が少し黒ずむ患者は、棘が複数ある。
ミラはそれを目安に治療の優先順位を決めた。
エリオットも、昨日より短い言葉で位置を告げるようにした。
「右背中。浅い」
「喉。絡んでいる」
「胸じゃない。肩の後ろ」
必要なことだけ。
長く見すぎない。
右腕の反応を強めすぎない。
ミラも、一度に抜き切ろうとしない。
患者たちの呼吸は、少しずつ楽になっていった。
反応針のおかげで、部屋の空気の悪化も早めに分かるようになった。
針先が薄く曇れば窓を開け直す。
白石粉を撒き直す。
浄化布を交換する。
父の道具は、まるで遠くからミラの手元を支えてくれているようだった。
「父さんがいたら、ここにもう一つ換気用の小型魔道具を作ると思います」
休憩中、ミラがぽつりと言うと、エリオットは真面目に答えた。
「いつか作ってもらおう」
「はい」
「俺の腕の固定具も」
「絶対に細かく改良されます」
「それは少し怖いな」
「父は容赦なく使いやすくします」
「使いやすいならいい」
短い会話の中に、未来の話が混じった。
王都へ戻るかもしれない未来。
父に会うかもしれない未来。
エリオットの腕のために、道具を作ってもらう未来。
まだ遠い。
けれど、消えてはいない。
昼前、村長が顔を出した。
「治療師さん。坑道へ行かずに、入口周辺の粉だけでも確認したいという者がいます」
ミラはすぐに首を横に振った。
「今日は駄目です。昨夜、黒い気配が村まで伸びました。坑道側がこちらに反応しています」
村長の顔が強張る。
「こちらに、ですか」
「はい。原因を調べる必要はありますが、今は患者さんの治療と、村への流入を防ぐことが先です」
エリオットも静かに言った。
「坑道へ入るのは危険です。少なくとも、今の人数と装備では」
元騎士の声に、村長は頷いた。
「分かりました。村の者には近づかないよう、もう一度言います」
「お願いします」
村長が出ていった後、エリオットは窓の外を見た。
遠くの坑道跡が見える。
黒い口を開けたまま、何事もないように沈黙している。
「見られている気がする」
彼が低く言った。
ミラは反応針を見た。
針先は、ほんのわずかに曇っている。
「坑道からですか」
「坑道からも。だが、それだけじゃない」
ミラの胸が冷える。
「昨日の男ですか」
「たぶん」
エリオットは窓辺から少し離れた。
「今日は見えない。だが、村の外にいる気配がある」
「村長に伝えます」
「ああ。ただ、騒ぎにしすぎるな。相手が逃げるだけならいいが、村人を盾にされると困る」
「分かりました」
ミラは帳面に書き込んだ。
――不審者の監視継続の可能性。村長へ控えめに警戒依頼。患者優先。坑道調査は延期。
その頃、村の外れの炭焼き小屋では、リンドルから来た男が舌打ちしていた。
昨夜飛ばした伝書鳥は、すでに中継地へ向かったはずだ。
だが、今朝から村の様子が変わった。
治療場所に入る者を絞っている。
入口で衣服と靴を確認している。
窓を開け、粉を外へ出している。
何か細い針のような道具を使っている。
「道具が増えたな」
男は呟いた。
誰かが、あの治療師に助けを送った。
ただの旅治療師ではない。
右腕の男も、ただの護衛ではない。
男は薄く笑った。
「こりゃ、ますます報告の価値がある」
彼は村を見下ろす。
だが、その足元の地面から、黒い靄がほんの少し滲んでいることに気づかなかった。
坑道の奥で目を覚ましたものは、ミラたちだけを見ているわけではなかった。
触れた者。
近づいた者。
それを運んだ者。
すべてを、ゆっくりと探り始めていた。
男は肩を震わせた。
「……寒いな」
そう呟き、外套をかき寄せる。
灰色の風が、坑道の方から吹いていた。
その風の中に、黒いものが薄く混じっていることを、彼はまだ知らない。




